一章 雇われた二人 その1
1 暗殺指令
ジルドが隊商に助けられてから、二日目の朝。元々の疲労がそれほど酷く無かったのか、すでにジルドは身動きができる程度には回復していた。回復したジルドは隊商の長に礼を述べるのと同時に、街までの運賃を相談した。
この辺りの国々では、隊商の移動に便乗する旅人は、幾らかの運賃を払うのが通例となっている。
金額は、隊商と待遇によってまちまちだ。ジルドは今回、途中から乗ったのと野営の準備などを手伝うことを条件に、四フォルリ(銅貨四枚)を払うこととなった。
これは相場の五分の一以下である。隊商の長はかなり良心的な人物のようで、行き倒れたジルドに対して温情をかけたようだ。
ギイナスの街への到着を翌日に控えた夕刻、隊商では商人たちが野営の準備を始めていた。商人たちに混じって火を起こす手伝いをしているジルドを、荷馬車の一つから勝ち気な瞳が眺めていた。
上質の生地をふんだんに使った、前たれのあるブリオーと呼ばれる長袖の衣服と、最近貴族や裕福層の若い女性の間で流行っている、スリットのある膝下丈のスカートの下に、ゆったりとしたズボンを履いている。
栗色の髪を二本のお下げにした、年の頃十六歳の少女、ソフィア・ロレンツォは、王都から叔父のいるギイナスの街へ向かう途中だった。
上品な顔つきをしているがそれ以上に、腰に帯びた細身の長剣が目立っていた。装飾が多めの剣は儀礼用に見えるが、鑑識眼のある者かなら柄に巻かれた革紐は薄汚れ、何度も補修されたあとがあることがわかるだろう。
ソフィアは商人の一人と談笑するジルドから視線を外し、今度は荷馬車の横で座っているジーナに厳しい目を向けた。
可憐とも思える風貌をしているが、その物腰は素人のそれではないと、ソフィアは見抜いていた。特に無防備で無警戒なジルドを見たあとでは、その違いは火を見るよりも明らかだ。
ジーナの所作の全てには隙が無く、よく足音をたてずに歩く。それに、いつの間にか姿を消していることも多い。
(堅気ではありませんわね)
隊商と共に過ごす旅程で悪事はしないだろうが、それでも油断はできない。
剣の柄に手をかけながら、ソフィアは荷馬車から降りた。談笑している商人や護衛の傭兵たちの間をすり抜けて、腕を組んでジルドの前に立った。
「ごきげんよう、行き倒れさん。こうしてお話するのは、初めてですわね」
「こ、これはどうもご丁寧に。カニス村のジルドです。ええっと、どこかの貴族様……でしょうか?」
腰から下げた剣を一瞥したジルドに、ソフィアは僅かに顔を顰めた。無防備に見えて、予想よりも目敏い。しかし事実であるが故に、反論の余地は無かった。
「ええ、そうですわ。ところで一つお伺いしたいのですけど、よろしくて? 貴方、あそこで座っている方とは、お知り合いなのかしら?」
「あそこ――ああ、あの娘さんですか。ええ、サドリエンドの村で、一度会いました」
「ふぅん。それだけ?」
「え? はい、それだけです」
ソフィアは、ジルドの返答に嘘は無いと感じていた。行き倒れを装ってジーナと合流した可能性も捨てきれなかったが、そのためだけに二日も寝込むというのは、あまりにも間抜け過ぎる。
だから二人が再会したのは、偶然なのだろう。ジルドに対する疑問が解消したソフィアは「失礼しますわ」と告げてジルドから離れると、今度は座っているジーナの元へと近づいた。
足音で人の接近に気づいたのか、ジーナは伏し目がちだった顔を上げた。
「失礼。よろしいかしら?」
「……なんでしょうか?」
ジーナは穏やかな微笑みを浮かべていた。しかし彼女の声に、嫌悪感と警戒心が滲んでいることに、ソフィアは気づいていた。
そんな敵意を意に介すほど、ソフィアの肝は小さくない。
素知らぬ顔で微笑み返し、小さな策略を持ってジーナに問いかけた。
「手鏡とかお持ちではないかしら? あればお借りしたいのですけれど」
「手鏡ですか? ええ……あります。少しお待ち下さい」
ジーナが自分の背嚢の口を開けたときを見計らって、ソフィアは彼女の荷物を覗き込んだ。
(服に食料……かしら? これといって、目立つものはないわね)
考えすぎ――かと思った矢先、ジーナが手鏡を抜き出したときに引っかけたのか、革製の小袋が地面に落ちた。
手鏡を持っている所為で、ジーナはすぐに小袋を拾えなかった。その一瞬の戸惑いを見逃さず、ソフィアは素早く小袋を拾い上げた。
少量の硬貨の重みと、まだ庶民には普及していない紙の感触がした。
貴族の尊大さをもって袋の口を開け、折りたたまれた紙を抜き出したソフィアに、ジーナが厳しい目を向けた。
「……返して下さい」
「これは貴女の物かしら?」
疑いの目をジーナに向けながら、ソフィアは折りたたまれた紙を広げた。文面に目を落とし、全てを読み終えるよりも前に、ソフィアの柳眉が吊り上がった。
見せつけるように、やおら抜刀すると、切っ先をジーナに向けた。
「今このときより、貴女の身柄を拘束致します。反論は認めませんわ。抵抗や逃走の素振りを見せれば、即刻切り捨てます」
「そ……どういうことですか?」
「これですわ」
ソフィアは文面をジーナに見せた。字が読めるのか彼女の顔に初めて、笑み以外の物が浮かんだ。
「おわかり? ここには、ギイナスの街の領主殺害計画が書かれています。グナイルというのが何かはわかりませんが、それを使って暗殺する計画が記されておりますわ。申し開きがあるのであれば、申してご覧なさい」
紙に書かれた文面を見せられたとき、ジーナは仕事の成果を確認を怠ったことを後悔した。それというのもチーに襲われたことと、街で行った仕事の実入りが大きかった所為だ。
資金に余裕があった分、八つ当たり気味に隊商から掠め取った革袋など、気にもとめていなかった。そんな些細なミスが、今の状況を生み出したのは間違いない。
ソフィアが見せた紙には、誕生日の祝宴において領主を殺害すること、殺害にはグナイルを使用するという内容が書かれていた。
(さっさと値踏みして、捨てりゃよかった)
ジーナは内心、臍を噛んだ。しかしすぐに表情を取り繕うと左手を頬に添え、困り顔でソフィアに告げた。
「その革袋は、この隊商の前にでた隊商の方々が、落としていったものです。ギイナスの街方面に向かったので、もし見つかればと思って持っていたのですが……」
「つまり、自分の物ではないと?」
「はい、その通りです。ですから、私を拘束しても無意味です」
「それを証明出来る者はおりまして? 居ないのであれば、やはり拘束を解く訳にはまいりませんわ」
舌打ちしたい衝動を抑えながら、ジーナは首を左右に振った。
ソフィアの問いは物証の提示ができない以上、ジーナ自身で証明するのは不可能だ。
第三者から証言が得られれば違うのだろうが、今の状況ではそれも難しい。なんの準備もない状況で、目の前の貴族を言いくるめるのは困難だ。
普通の貴族の女子は、計算や語学について弱い場合が多い。ほとんどは異性の気を引く方法と、結婚までに使用人への指示の出し方を優先的に身につける。世間の常識などは、本人にその気が無い限りは最後から数えた方が早い。
それに比べ、ソフィアは普通の貴族の女子と比べて、格段に頭の回転が速い。そのことに軽い驚きを覚えながら、ジーナは反撃の機会を窺うことにした。
「その証明は無理です」
「そうでしょうね。ところで、件の隊商ですが全員の顔はわかりまして?」
「それも……あ、でもあそこの彼なら」
ジーナが指で示した方角には、商人たちと食事の準備をしているジルドがいた。村人たちから又聞きした話でしかないが、件の隊商と共に移動していたらしい。
何日か共に行動していたのなら、余程の阿呆で無い限り、顔くらいは覚えているはずだ。
そのままソフィアを擦り付けることは難しいだろうが、囮の代わりくらいにはなるだろう。なんとか目の前の貴族の疑いを、自分から逸らさなくてはならない。
(この女、どうしてくれよう)
隊商と共に移動している以上、殺すわけにはいかない。それにギイナスの街まではまだ距離がある上に、この辺りには他に集落などが存在しない。
充分な食料を持たないままでは他の街へ行くことができず、結局はソフィアが待ち伏せているギイナスの街へ向かうしかないとなれば、逃げ出すのは無駄な体力を使うだけだ。
となれば最良ではないが、このまま誤魔化し続けるのが、最もマシな案だ。
ジーナがそこまで考えてたのは、ほんの十秒程度だった。ジルドを一瞥したソフィアが少しの笑みも浮かべないまま、視線を戻した。
「協力して貰うためにも、彼も拘束することに致しましょう。もちろん、貴女にも協力をして戴きます」
「……なぜ私が協力を?」
「時間がありませんの。たとえ貴女がごろつきだろうと、人手は欲しいですわ。それに潔白というのであれば、自ら疑いを晴らす良い機会となりましょう?」
言葉だけを聞けば優しいが、ソフィアの表情は相変わらず厳しい。
もしソフィアが男ならば、微笑や嘘泣きで隙が生じることが期待できた。しかし、同姓で最初から敵意がむき出しとあっては、なにをしても無駄である。
(ほんっとにむかつくな、こいつ)
内心の憤りを悟られぬよう注意を払いながら、ジーナはソフィアに対して頭を垂れた。
「……畏まりました、ソフィア様。貴族の方の申し出とあれば、反論のしようもございません。貴女様の申し出、謹んでお受け致します」
「わかっていただければ、私も乱暴なことは致しませんわ。これから、あの行き倒れさんにも、今のお話を致します。貴女にも同席をして戴きますが、よろしくて?」
「……畏まりました」
頭を垂れたままだったジーナは、ついに耐えきれなくなった。長髪で顔が隠れているのをいいことに、思う存分に顔を顰めさせた。
顔を上げるときにはもちろん、表情は元に戻していた。
「それでは、向かいましょう」
「ええ。貴女も説得を手伝って下さいまし」
内心、面倒くさいと思いながらもジーナは大人しく頷いた。ソフィアは手を叩くと、尊大な態度でジルドを呼びつけた。
「もし。お話がありますの。少しよろしいかしら?」
「なんでしょうか?」
ジルドの純朴そうな顔が、ソフィアとジーナを順に見た。促されるままに荷馬車の陰まで移動すると、ジーナのときよりは、幾分穏やかな表情のソフィアが、領主暗殺の件を話し始めた。
ジルドの態度や口ぶりから、彼もソフィアが貴族だと気づいていることが、ジーナにも見て取れた。この数日接した印象から、貴族であるソフィアなら、ジルドを説得するのにさほど時間はかかるまい。ソフィアが強引というより、ジルド温順すぎるのだ。
そんなジーナの予測通り、ジルドはどこか納得しきれていない表情を残しながら、ソフィアの命令に似た要請を承諾した。




