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エピローグ

エピローグ



 雨期の二月に入り、カニス村では村人総出で収穫の準備に追われていた。

 一面の小麦色に染まった麦畑が、十数ソルも離れた丘まで続いている。麦畑にまで続く土が?き出しになった道に、農具を手にした村人たちの姿があった。

 刈り取った麦を入れる籠や鎌を運ぶ女たちの最後尾で、重そうに荷物を持った銀髪の少女が、やや遅れ気味に麦畑に向かっていた。

 まだ湿気はあまりないが、荷物を持ちながら前に進むだけで全身から汗が流れ落ちた。

 息をするだけで体力が減り、汗が目にしみて歩くのも辛かった。

 籠を四つ重ねた中に、農具がぎっしり詰まっていたが、同じ物を持って歩いているのに、少女の前を行く女たちは旦那や子供の醜態を肴に、笑い話に花を咲かせていた。

 まるで、化け物を見るかのような目をしたまま少女が立ち竦んだとき、横から伸びた手が少女の籠から上半分を抜き取った。

「手伝うよ、ジーナ。重いでしょ」

 軽々と籠を抱えるジルドの姿に安堵しかけたジーナは、顔を左右に振って汗を飛ばすと空の籠を彼に差し出した。

「自分で持つから、大丈夫。それ、戻してくれる?」

「本当に大丈夫? 無理しない方がいいよ。これから十日以上、力仕事が続くんだし」

「……大丈夫。早く慣れたいし」

 ジーナが急かすように籠を一度だけ揺らすのを見て、ジルドは観念したように、そっと籠を元に戻した。

 下山したジルドはアニーオたちと合流したあと、ジーナと故郷のカニス村へと戻っていた。ジルドが予想外だったのは、一日二日で飽きてまた何処かへ行ってしまう、と思っていたジーナが、それからずっと村に居着いていることだ。

 ジーナは最初の二日間だけ、手持ちの路銀で宿に泊まっていた。だが三日目の朝になると、どんな心境の変化があったのか、なんの前触れも無く、カニス村に働き口が無いかジルドに訊いたのだ。

 働き口と簡単にいうが、農村であるカニス村では街とは違い、職種は限られている。

 幸いにして小さいが空き家があることから、ひとまずはジルドの家の畑を中心に、農作業や家事の仕事を手伝うこととなった。

 それから約半年。ジーナ本人には伝えていないが、見かけよりも体力があり、頭の回転が早いとあって、村の女たちから「意外といいんじゃないか」という評価を得ていた。女たちの余所者に対する評価の中では、これは最高に近いものだった。

 裏の世界で生きてきたジーナが、どうしてカニス村で暮らす気になったのか、ジルドにはわからない。だが同時に彼女が、裏世界から足を洗う決心がついたことが嬉しかった。

 麦畑の脇に集まっている女たちのところに籠を置くと、ジーナは地面にへたり込んだ。

「お疲れさん、ジーナ。あっちで休憩しといで」

「……は、い」

 肩で息をしながらジーナは立ち上がると、道を戻り始めた。ジルドは女たちに軽く会釈をすると、彼女を追った。

 女たちは含みのある、愛想のよい笑みを浮かべてジルドたちを見送った。ジルドと彼が連れてきたジーナ。噂にならないほうがおかしいのだが、知らぬは本人ばかりだった。


 井戸に近寄ったジーナは、桶に水を汲むと擦れて赤くなった手を入れた。すり切れた箇所が滲みたが、ずいぶんと楽になった。

 今まで、農民の暮らしなど真面目に考えたことなどなかった。平和でのんびりと過ごしている連中だと――なんの経験も無く思っていたが、それは大きな過ちだった。

 肉体労働を一日中、しかもビールを飲んだり、お喋りしながら従事しているのだ。ジーナはいつしか、村の女性たちにある種の恐怖と尊敬の念を抱くようになっていた。

(力持ちなのは、この村の特徴なのかしらね)

 ジーナが一息吐いたとき、果実酒の入った瓶とジョッキを持ったジルドが近づいた。

「はいこれ。喉が渇いたでしょ。あと、傷薬も」

「……ありがと」

 ジーナが受け取ったジョッキに、ジルドが果実酒を注いだ。

 近くの木箱に果実酒の残りと傷薬を置くジルドを見上げたジーナは、ふと視界に入ったものに眉を顰めた。

「……ねえ。やっぱり似合わないよ、それ」

「え? ああ、そんなこと言われてもなあ。身につけるようにって言われてるし」

 腰に下げた、私兵の証しであるギイナスの意匠が施された短剣に触れながら、ジルドは頭を掻いた。

 ギイナスの私兵にしたいというアニーオ直々の誘いを、ジルドは条件付きで承諾した。

 それは街に常駐せず、問題が起きた際に招集して欲しいというものだ。このジルドの要望を、アニーオは二つ返事で受け入れた。

「なんで、私兵なんてなろうと思ったのよ」

「うん……大した理由じゃないんだ。今の暮らしを護るために、役に立てばいいなって思ったんだよ。平穏な暮らしを願っても、理不尽な暴力や権力と相手するには、見かけ倒しだろうと、こういった力は必要かもしれないし」

「……そんなの衛兵にでも任せておけばいいのよ」

 ジーナは果実酒を一口だけ飲むと、「そういえば」と話題を変えた。

「昨日、ステッドさんのお宅から芋と鹿肉を戴いて、その、この村でよく食べるっていうスープにして見たんだけど……味見とかお願いしてもいい?」

「へぇ……じゃあ、またみんなで」

「ちょっと待って」

 ジルドの言葉を途中で遮ると、ジーナはジョッキを地面に置いて立ち上がった。

 腰に両手を添え、溜息を吐く。

「そんな大量に作れるわけないでしょ? 大体、前みたいに十人も連れてこられても、家に入りきらないわよ。いい? とにかく……他の人は、その、呼ばなくていいから」

 語尾をややか細くしながら、ジーナは嘆息した。親切心からの発言なのだろうが、もう少し空気を読んで欲しい――いっそのこと本気で文句を言ってやろうと考えたが、この素朴さが、ジルドの良さであることも理解していた。

 ジーナの文句を黙って聞いていたジルドは少し考えたあと、躊躇いながら頷いた。

「ごめん。じゃあ、今晩ご相伴に預かるよ。パンくらいは持って行くけどいいよね」

「うん。わかったわ。それじゃ――」

 ジーナは人の気配を感じて、口を閉ざした。村人ではないが、知っている者だ。

 ギイナスの街にいるはずのイルマが、すぐ近くにいた。

 意外な人物の来訪に目を丸くしたジルドの腕を、ジーナは軽く叩いた。

「二人だけにしてくれる?」

「……わかった。なにかあったら、大声で呼んで」

 ジーナが頷くと、ジルドはイルマに油断の無い目で会釈をしてから、麦畑の方へと歩いて行った。

「それでイルマ、なにか用?」

「いや、あんたの噂を耳にした知り合いが、組みたい仕事があるから紹介しろって言ってきたんだ。けどなんだ、まさか、あんたが引退して農婦たぁね」

「……言いたいのは、それだけ?」

 小馬鹿にしたようなイルマに、ジーナはピクリとも表情を動かさなかった。薄く睨むような視線をイルマに向けていたジーナは、もう話を続ける気はないと踵を返した。

「用が済んだら、さっさと帰れば? こっちは大仕事の最中なんだから」

「大仕事って、野良仕事のだろ?」

「……盗み」

 意外だが昔のジーナらしさが残った言葉に、イルマは大げさに感心してみせた。

「へぇ! こんな村に、大仕事って言えるだけの代物があるって?」

「あんたには無価値だろうけど。あたしには、一生を費やすだけの価値がある。だから、邪魔だけはしないで」

「なんのことかはしらねぇが、わかった――じゃあな。精々、この村でくたばっちまえ」

 言い捨てるが早いか、イルマの姿はジーナの背後から消えていた。裏の世界で盗み、強盗が生業だけに、こういうときは素早い。

(……くたばる前に、終わればいいのだけど)

 盗む対象が人の心では、自分の力だけで仕事を終えられるかどうか、自信が無い。だが、その価値がある相手だと、ジーナの心はカニス村に来る前から決まっていた。

 イルマへの別れの言葉を思い浮かべぬまま、ジーナは麦畑へと戻った。

 その途中でジーナは、カニス村では飼育なれないような艶やかな毛並みの騎馬が草を食んでいることに気づいた。

 嫌な予感が脳裏によぎったジーナは、駆け足でジルドの姿を探した。


   *


「さあ、ジルド。私兵としての責務を果たすときがきましたわ」

 前触れも無く現れたソフィアが開口一番、尊大に告げた。ジルドはカミアと呼ばれる鎌の一種を手に、収穫の準備をしていたところだ。

 あまりにも突然過ぎて、ジルドは呆然と立ち尽くしたまま、豪華な服に身を包んだソフィアの姿を眺めるという格好になった。濃すぎない程度に化粧をしたソフィアは、無言のジルドに少し頬を赤く染めながら、視線を逸らせた。

「そ、そんなにまじまじと、レディを見るものではありませんわ」

「……すいません。そういうつもりじゃなかったんですけど。えっと、それで私兵の責務って言ってましたけど、なにがあるんですか?」

「……あら? 一昨日に文を出したはずですけれど。もしかして、御覧にはなっておりませんの?」

 少し不機嫌になったソフィアに、ジルドは申し訳なさそうに答えた。

「この村って、手紙は五日おきにしか来ないんですよ」

 配達人は三日前に来たばかりだから、次に来るのは早くて明日である。事情を飲み込んだソフィアはそれ以上、文句を述べることもできずに、「ああ……そうですの」と声の勢いを落としてしまった。

 しかしすぐにソフィアは姿勢を正すと、腰の剣に手を添えながらジルドの手を取った。

「十日後にギイナスの街で、国賓を迎えることになりましたの」

「え? あの、失礼とは思いますけど……それの何処が問題なんですか?」

 ジルドには、お客が来ることの何が問題なのか理解できなかった。一から説明を受けたら話が長くなりそうだと思った矢先、ソフィアは自信満々に、短く告げた。

「お相手の国は、以前に私たちを追い回した彼らの――その、祖国と思しき国の、同盟国ですわ。ここまでお話すれば、理解できまして?」

「……できました。なんとなくですけど。ですがまだ、十日も先じゃないですか」

「十日しかございませんの。街に潜む密偵の捜索、アニーオ叔父様の警護とその計画のまとめなど、やるべきことは山積みですわ。理解できましたら、急ぎ街へ向かいましょう」

「ちょっと待ちなさいよ」

 走ってきたのか、整ってない息のまま、ジーナはジルドとソフィアの間に割って入った。

「これから刈り入れがあるのよ? ジルドを連れて行かれたら、村のみんなが困るでしょうに。私兵と言っても、貴女のものではないはずよ」

「あら……ジルドの召還を望んだのはアニーオ叔父様ですわ。失礼なことおっしゃらないで下さいまし」

 澄まし顔のソフィアに、ジーナは頬を引きつらせた。

「最近は減ったけれど、少し前までは十日ごとに村にやってきては、王都に連れて行こうとしていた人が言っても、説得力無いわ」

 つい二ヶ月前までソフィアは、ジーナの言った通り十日ごとにカニス村に来ては、任務と称して、大した用事でもないのに王都へと誘っていた。

 さすがにアニーオに窘められたのか、ここのところは大人しかったソフィアだが、この機会にジルドのエスコートを買って出たようだ。

 ソフィアがジルドの手を握ると、待たせてある騎馬へと引っ張ろうとする。

「ちょっと!」

「一々口うるさいこと。文句がおありでしたら、貴女も来ればよろしいでしょう? といっても、今の貴女じゃ足手まといが精々でしょうけれど」

 言葉とは裏腹に、ソフィアの表情には余裕があった。

「どうなさいます? 早く決めなければ、私がジルドを連れて行ったまま、帰さないかもしれませんわ。もっとも、ジルドから帰りたくないと仰有るかもしれませんけど」

 ここまで黙って二人の会話を聞いていたジルドは、ここで漸く、ソフィアの意図を読み取った。アニーオはジルドだけでなく、ジーナも召還したいのだ。

 出来ることなら、ジーナにはもう危険なことに関わって欲しくはないのだが、彼女の性分からして、その願いは叶いそうに無かった。

 ジルドの予感通り、負けん気を露わにした顔で、ジーナは早足にジルドたちに追いついた。

「行くわ。ジルドは心配してないけれど、無理矢理引き留め続けられると困るもの」

 結局、アニーオの思惑通りとなってしまった。旅の準備を理由にジルドは、ジーナと一度家へ戻ることにした。その途中、食事の約束を思い出した。

「そういえば――ジーナ、スープはどうするつもり?」

「スープ……あっ!」

 漸く思い出したのか、ジーナが大声をあげた。十日以上も留守にしていたら、せっかくのスープが傷んでしまう。

「今から食べる?」

「こんな昼間っからじゃ……」

 スープを食べるのに昼も夜もないはずだが、ジーナは不自然なほどに渋っていた。晩ご飯にするつもりだった、というのが気持ち的に抜けきらないのだろうか。

 出会ってから半年以上経っているが、未だジーナの心情は未知な部分をジルドは掴めきれなかった。彼女なりの拘りを理解できるのは、当分先のようだ。

「折角の晩ご飯が、お昼ご飯になるなんて……」

「そういうこともあるってば。そうまで言うのなら、スープの鍋も持っていく?」

「……そんなの出来るわけないじゃない」

 ジーナがジルドの腕を柔らかく叩いたとき、横から忍び笑いを漏らす声がした。

「相も変わらず……ああ、七七コンビだったか。未だ健在だな」

 簡素な鎧に身を包んだドメニコが、腕を組んでジーナの家の前に立っていた。

「用意するなら、早くしろよ。うちの親方がお待ちかねだ」

「……逃げないように、見張りかしら?」

 皮肉を込めたジーナの問いに、ドメニコは肩を竦めてみせた。

「おまえさんたちの護衛だよ。ほれ、急いで準備してくれ」

 ドメニコに急かされ、ジルドとジーナはお互いに顔を見合わせ、脱力したように微笑み合った。ジーナが家の扉を開けると、ジルドが予想していたよりも若干、生姜の匂いが強いスープの香りが二人を出迎えた。

「おじゃまします」

 扉を潜ったジルドを、ジーナがはにかみながらテーブルへと促した。

                                     完

  

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