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5章 その2 生と死と

 2 生と死と


 翌日、ドメニコと一緒に村から仕入れた食料や毛布を馬に積んでいたジルドは、外に出てきたジーナの姿に目を丸くした。

 ギイナスを出てからずっと着ていた、品の良い町娘のような服ではなく、体の線が出るほどにだぶつきのない、黒い服を身に纏っていた。下もスカートではなくズボンで、ブーツには鞘に収められたナイフが括り付けられていた。

 豊かな銀髪は動くときの邪魔にならぬよう、一本に結われている。腰には二本の短剣を帯び、さらに投擲用だろうか、小振りの短刀を数本、ベルトに下げていた。

 今の姿を見たジルドは、ジーナが裏の世界の住人だと改めて痛感した。

 ジルドの視線に気づいたジーナは、少々上目遣い気味に睨めた。

「……なんだよ」

「あ、いや……その格好」

「昨日、生き残ろうって言ったろ。山に登るなら、スカートは邪魔なんだ」

「一緒に山頂まで行くの?」

 ジーナは同行しても途中まで。そう考えたのは、ジルドの勝手な思い込みだ。

 山頂まで行く必要があるのはジルドだけで、ジーナやソフィアが、無理に付いて来ることはない。まだそれほど気温は下がっていないとはいえ、山頂近くは此処よりも寒いはずで、天候が悪ければ雪が降る可能性もある。

 疑問に思ったジルドが問うと、ジーナはぎこちない仕草で顔を背けた。

「こ、ここまで来たんだ。どうせなら、最後まで付き合うさ。山頂に何があるか、どんな景色があるか興味もあるしな。それに、ジルドの……村にも行ってみたいしさ」

「カニス村に? いや、いいけど……なにも無い村だよ?」

「いいんだよ。物見遊山するわけじゃないんだ。つーか、ジルド。おまえ、なにも考えてねーだろ」

「へ? だって、ジーナ……が、村に来るだけでしょ?」

 きょとん、としたジルドの発言に、ジーナは盛大な溜息を吐いた。そんな彼女に、慣れない荷物を背負ったソフィアが、早足で近寄った。

「貴女は、なにを朝から仰有っているのかしら?」

「なにって……別に大したことじゃ」

「ジルドの故郷に行くことが、貴女にとって大したことではないと、言い切れて?」

 珍しく言葉を詰まらせたジーナから顔を離したソフィアは、次にジルドへと言葉の矛先を変えた。

「貴方も、裏家業の人間を故郷に連れて行く危険を、もっと真剣に考えるべきですわ」

 ソフィアの言うことはもっともだ。しかしジルドには、カニス村に来たところで、ジーナは悪さをしないだろうという、そんな確信があった。

 それでも「すいません」と謝るジルドに、ソフィアは度も練習を繰り返したように、少々芝居がかった仕草でジルドに指を向けた。

「そ、それに、そのまま村に帰すつもりは、ありませんわ。ギイナスの街で、叔父上に会っていただきますわよ。あなた方には、ギイナスで私兵として働いて頂きたいの」

「なっ!? なんで、あたしが?」

「状況を鑑みるに、使える人材は一人でも欲しいですもの」

 出会ったばかりのように、尊大に言ってのけるソフィアにジーナが食ってかかろうとしたとき、村のほうから少女が駆けてきた。

「おばあちゃん、大変だよ! 知らない人たちが来た!」

「ほら、まずは落ち着きな。で、どんなやつらだい?」

「馬車に乗って、あ、でもほとんどは歩きだよ。商人だって言ってるけど、剣とか持ってて、誰かを探してるみたい!」

 少女の告げた内容を聞いて、ジルドたちに緊張が走った。付近にある人里は、話によるそう多くは無い。推測して追跡をするのは簡単だろう。

 言い争っている暇は、もうない。このままま逃げるか、それとも姿を見せながら撤退しつつ、相手を村から遠ざけるか――全員が判断に迷ったそのとき、老婆が声をかけてきた。

「早くお逃げ。時間は稼いでやるよ」

「まてよ、危険すぎる。相手は規律のとれた外道どもだ。あんたちこそ逃げて――」

「おだまり。時間がないから、早く行きな。心配しなくても、婆ってやつは簡単に殺されないものさ。ほら、早く行きなったら!」

 急かされるように、ジルドたちは鬱蒼と茂る木々の中へと追い立てられた。

 少女も村に帰すと、一人残された老婆は小屋の横にある墓を振り返った。

「……無茶だと思うかい? けどさ、あんたなら褒めてくれるだろう?」

 顔を引き締めた老婆は一人で、村から出て来た痩身の男を待つ。


 ジルドたちの進行方向から、目的地の目星をつけたダイダーノブは、予想地点であるゴレトン村に到着した。

 怪我人の中には馬車に乗ることができず、徒歩の者もいる。そのために進みを遅くせざる得なかったが、先行させた間者の報告によれば、ジルド一行は昨日の朝には村に到着していなかったようだ。巧くいけば先回りができ、まだ日が昇ってさほど時間が経っていない今なら、出発前に奇襲をかけることができる。

(街道を使えばギイナスから馬車で三日の距離だが、随分と大回りをしたものだ)

 荷馬車から降りたダイダーノブは、短剣などを持たせた五人を村の中へ向かわせた。五人とも疲労の色が濃く、大した働きは期待できないが、匿っている相手を燻り出すだけなら充分だ。

 怪我人を残してダイダーノブも村に入る。旅の商人、という前置きで村人に話を聞く男に近づくと、手にした長剣で手近にあった桶をたたき壊した。

「このくらいはやれ。手荒くしても構わぬ」

 男に言ってから、ダイダーノブは家主らしい男に見せつけるように長剣を抜いた。

「他の村人や家族へ痛い目を合わせたくなければ、正直に答えよ。この村に、四人組の男女が来なかったか?」

「あ、あんたたち、商人じゃないのか?」

 怯えながら逆に問いかけてきた村人を、ダイダーノブは剣の柄で殴打した。

「質問しているのはこちらだ。答えよ」

「し、しらん。この村に宿はない。四人組が泊まれる場所なんて」

「それは、こちらが判断することだ。おい、この家を調べろ。抵抗するようなら、殺しても構わぬ」

「……は、はい。わかり、ました」

 短剣を握りしめながら、家主と共に男が家の中へ入っていく。それを見送ったダイダーノブは、小さな影に気づいた。

 少女が走りながら、村の外へと出て行った。逃げ出す、という雰囲気ではない。それなら子供一人ではなく、大人も同行するはずだ。

 一つの予測が脳裏をよぎり、ダイダーノブは少女のあとを追って村の外へと出た。

 周囲を見回し、少女の姿を探したダイダーノブが一軒の小汚い小屋を見つけたとき、少女は村へと戻っていくところだった。

 小屋の前に、老婆が立っていた。ダイダーノブが近寄ると、やせ細った顔を向けた。

「おや、どちら様で?」

「……旅の商人、だ。ここに四人組の男女が来なかったか?」

「何か言いましたか?」

 声が聞こえていなかった素振りで、老婆は剣の柄を一瞥しながら聞き直した。

「昨晩、ここに四人組の男女が来なかったか、と訊いている」

「四人組? さあ、存じ上げませんねぇ」

 老婆の返答になんの反応も返さぬまま、ダイダーノブは首を巡らす。小屋と厩以外に、目立ったものは見えない。老婆の態度に引っかかるところはあるが、知らないと言ったことは真実か――と考えた矢先、地面に残った馬蹄の跡に気づいた。

 形跡からみてまだ新しい、と見て取ったダイダーノブは自らの考えを翻すと、おもむろに剣を抜いて老婆に切っ先を向けた。

「……隠し事はためにならぬぞ。素直に吐け。奴等は何処へ行った!」

「おやおや、商人という割には物騒なものをちらつかせて。こんな婆を脅したって、なんにも出やしませんよ」

 態とらしくローブの袖を叩いてみせる老婆に、ダイダーノブは苛立ちが積もりつつあった。だが当の老婆は威圧など何処吹く風と言わんばかりに、飄々としている。

 その態度に、ダイダーノブは顔を険しくした。

「誤魔化しなど、無意味だ。正直に話せ。奴等はどこだ」

「本当に柄が悪い御仁でございますねぇ。下々の者への慈悲の心をお持ち下さいませ」

 老婆の発言に、ダイダーノブは眉を顰めた。にやにやとした笑みを浮かべながら、老婆は剣の柄に刻まれた模様を指さした。

「その模様、どこぞの国の貴族の家紋でございましょう。皆は忘れておるかもしれませんが、この婆は覚えておりまする」

「……お前は、一体何者だ?」

「ただの婆ですよ。しかし貴族が商人を名乗るなど、借金取りから逃げておいでで?」

「この……先ほどからの暴言の数々。私を愚弄しているのか!」

 もはや苛立ちを隠すことをやめたダイダーノブに、老婆は芝居かかった仕草で、驚いた顔をした。

「愚弄ですって!? まだ朝だっていうのにとんでもない。あたしゃ先祖からの遺言で、昼ご飯を食べるまでは、他人を愚弄しないことにしておりますので」

 完全に人を小馬鹿にした声に、ダイダーノブは頭に血を上らせた――その瞬間、体が何度も訓練をした動きをなぞった。


   *


「婆が!」

 小さいがジーナの緊迫した声に、ジルドたちは足を止めた。

 付近は村の木こりたちの作業場なのか、使い込まれた手斧が切り株に突き立てられていた。村からも、老婆の小屋からもほどほどに近く、両方の様子が窺える場所だ。

 小屋の方を振り向いたジルドは、ダイダーノブが地面に転がった何かから、剣を引き抜く姿を目にした。しかしすぐには横たわっている黒い塊が、老婆だと気づけなかった。

 ソフィアの短い悲鳴と、ドメニコの呻き声、それとジーナの最初の一言が頭の中を駆け巡り、漸く理解したのは、剣を抜いたドメニコがソフィアたちに奥へ促したときだ。

「悪いが、お嬢さん。俺は――」

「みなまで仰有ることはございません。今度という今度は、私も彼らを許すことはできませんわ」

「……珍しく、意見が一致したな。婆の仇を討つぜ」

 ソフィアとジーナが、それぞれ得物の柄に手をかけた。彼女たちの言動をどこか遠くの出来事のように感じながら、ジルドは別のことを考えていた。

(なんで……なんでそんな簡単に殺せるんだ)

 あの、結局名前すら知らないままだった老婆は、ただジルドたちを一泊させてくれただけだ。たったそれだけの相手を、いとも簡単に殺してしまうことが、信じられなかった。

 理不尽、そして不条理。そういったものを体現したかのような光景に、ジルドは胸の底から激しい怒りが沸き上がった。

「どこまで出来るかわかりませんけど、僕も戦います。あの人たちを、止めてみせます」

 ジルドが杖を強く握りしめると、ドメニコはダイダーノブを見据えながら皆に告げた。

「わかった。だが、あいつを相手にするのは、俺だ。それだけは譲る気はねぇ」

「ダイダーノブさんは、かなり強いみたいですけど」

「安心しろ。俺のほうが強い」

 ドメニコはジルドたちに村へ向かうよう指示を出し、自分は小石を拾った。

「奴は、ここでやる」

 怒気と気迫の籠もったドメニコの声に、ジルドたちは誰も異を唱えられなかった。


 迂回しつつジルドたちが村へ向かったあと、ドメニコはダイダーノブへ小石を投げた。

 相手に当てるつもりはなく、自分の位置を知らせるためのものだ。ドメニコが三つ目の小石を投げる前に、ダイダーノブが足下に落ちる石に気づく。

 初めは全速力で、しかしドメニコが移動していないことに気づいてからは、呼吸を整えながら、木こりの作業場へと足を踏み入れた。

 ダイダーノブは左右に首を巡らせてから、さして興味もなさそうに老兵を見た。

「貴様だけか? 残りの者はどこだ」

「教えると思ったか? この外道が。武器を持たない相手ばかり殺すのは楽しいか?」

「……先ほどの老婆のことか。利用価値もない屑に対し、なんの咎も感じぬな」

 二人の間を一陣の風が吹き、枝葉をまるで小川のせせらぎのように鳴らす中、ダイダーノブが鞘からまだ血がこびり付いている長剣を引き抜いた。

 それを黙って見ているほど、ドメニコは呑気では無い。素早く距離を詰めると、片手に持った長剣をダイダーノブの喉元目掛けて突いた。

 一瞬の無防備――その隙を狙った一撃である。しかし、ダイダーノブは長剣の一振りで突きを払い、返す刀でドメニコに斬り掛かる。腰の短剣を引き抜いて長剣を受け流したが、僅かに間に合わず、左肩を刃が掠めた。

 小さな痛みに顔を顰めたドメニコは、舌打ちをしながら距離をとった。

 先ほどの剣を躱されたのが信じられないという目で、ダイダーノブはドメニコを見た。

「腕は立つようだが、いささか無茶が過ぎるのではないか、ご老人。身体能力は、若者のほうが上のようだが」

「なあに、心配には及ばないぜ、若造。衰えた分は、経験で補うさ」

 嘯きながら、ドメニコは左手で短剣を引き抜き、腰を低くした。

 対峙するダイダーノブは、あくまでも自然体。やや膝を曲げ、長剣の先をドメニコに向けただけだ。しかしそれだけで、隙というものがまるで感じられない。

 口先や評判だけではなく、実力も確かのようだ。

 ダイダーノブと二度、三度と刃を合わせたドメニコの体には、五カ所以上もの切り傷が出来ていた。歴戦をくぐり抜け、数多の兵士や騎士を斃してきたドメニコが、今は為す術も無く、一方的に攻め続けられていた。

 苦し紛れにダイダーノブに唾を吐きかけ、顔を背けた隙に切り株の前まで退いた。

「なるほど。貴様の経験というのは、中々姑息な技のようだ。しかし私は、私を知る者たちから、剣技の天才と呼ばれている。それは経験程度で埋め合わせできるものではない」

「ほお。そいつは奇遇だな。俺も若い頃は、天才の名を馳せたものだ。差はねぇな」

 啖呵とも思える言葉を吐きつつ、ドメニコは短剣を投げつけた。それを避けたダイダーノブが、ドメニコへと駆けた。話をする価値なし、と言わんばかりだ。

 立ち止まったままダイダーノブを待ち構えていたドメニコが、今度は避けられぬ距離で長剣を投げた。飛来する長剣を、ダイダーノブが得物の剣で無造作に弾いた。

「気でも違えたか! 貴様にもう武器は――」

 ドメニコの長剣を弾くために足を止めたダイダーノブの言葉は、腹部に生じた激痛によって遮られた。

 投擲した長剣を弾いた、その隙をついて一息に間合いを詰めたドメニコが、拾った手斧でダイダーノブの腹へ一撃を加えたのだ。剣士としての習性から、ダイダーノブはドメニコに斬り掛かろうとしたが、その緩慢な動きは新兵よりも拙い。

 手斧を引き抜きつつ、左手一本でダイダーノブの腕を受けとめたドメニコは、組み手の要領でそのまま腕を捻り、長剣を奪い取った。

 両膝を地に着けたダイダーノブが、愕然とした表情でドメニコを見上げた。

「……そ、そんな、馬鹿な。そ、そんな手斧ごとき、で」

「人を殺すには、充分すぎるぜ。と、それはさておき」

 ドメニコは奪った長剣で、ダイダーノブの左腕に斬り掛かった。しかし硬い金属音がしただけで、ダイダーノブの腕には浅い傷が残っただけだ。その代わりに、彼が身につけていた腕輪の一辺が切断されていた。ドメニコは銅の腕輪を長剣の切っ先で、強引に彼の腕から引き剥がしてから拾い上げた。

 その一連の行為に、ダイダーノブが表情を引きつらせながら、ドメニコを睨め上げた。

「き、貴様、一体何をする?」

「これだろ? てめぇらの身分を記したって奴は。死んだあと、これが回収されねぇと裏切りか逃亡ってことで、家族が罰を受けるんだったか」

「な、なぜそれを――」

「さあな。だがてめぇは家族を人質にして、手下に暗殺や間者をさせてたんだろ。今までに一体、どれだけ人質を処刑した?」

 ドメニコの問いに、ダイダーノブは視線を逸らせた。

「処刑は、私の仕事ではない」

「ああ、処刑させてたってわけか」

 納得したように頷いたドメニコが、拾い上げた腕輪を手の中で握りつぶすと、ダイダーノブが歯をむき出しにして彼を睨め上げた。

「な、なにを……する」

「こいつは、鋳つぶして川底か、谷底へ捨ててやる。今までやってきたことを、てめえ自身で味わいながら、死んでいけ」

「貴様――!」

 ダイダーノブの叫びは、ドメニコの一撃によって中断された。左胸に突き立てられた長剣を抱きかかえるようにして、ダイダーノブは斃れた。

 腕輪を腰の革袋へ入れてから、ドメニコは自分の長剣を拾い上げた。

 まだ付近には人の気配がある。その正体が分からぬ以上、油断はできなかった。

 木の幹に凭れながら、村の方から聞こえている喧噪へと耳を向ける。剣戟の音も聞こえてくる状況から、まだジルドたちは間者たちと戦っているようだ。

「……くそ。助力は、いるか」

 腕や肩から滴り落ちる自らの血には一切の意識を向けず、荒い息を吐きながら、ドメニコは村へと歩き始めた。一度だけ、ドメニコは老婆の小屋を振り返った。

「……すまねぇな。俺には、仇を討つことしか、してやれねぇ」

 再び前を向いたとき、ドメニコの体から力が抜けた。姿勢を崩しかけたのをなんとか踏み留めた彼は、背後から近づく気配に気づいた。

 長剣を構えようとしたが、膝の力が抜けた。

「大丈夫ですか!?」

 見知った顔の兵士が、ドメニコの体を支えた。

「遅れて申し訳ありません。ギイナスからの派遣軍、只今合流いたしました」

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