5章 先祖の山頂 その1 ジルドとジーナ
五章 先祖の山頂
1 ジルドとジーナ
負傷したジルドを馬に乗せて、四人は林の中を進んでいた。
馬を一頭失ったことで、ジルドたちは代わる代わるで騎乗することとなった。休憩が増えた上に、進む速度も遅くなった。追跡が厳しくなると誰もが予想したが、ニーメルドの襲撃後から二日間は何事も無く、平穏に過ぎていった。
三日目の昼を過ぎたころ、一行は六日ぶりの人里に辿り着いた。
ゴレトンと呼ばれる村は農業よりも狩りを中心としているのか、村人の姿は疎らで、特に男性の姿はほとんどいない。共有の井戸に集まっていた女子供が仕事の手を止め、ジルドたちを物珍しそうに眺めていた。
村の中央を突っ切るように進むドメニコに、ソフィアが不安そうに訊いた。
「失礼ですが――その、この村で買い物とか、泊まったりはしませんの?」
「ああ、村の中ではしませんね」
「――え?」
信じられない、という目をしたソフィアに、ドメニコは嘆息して進行方向を人差し指で示した。
「村外れにいる知り合いの婆様に、今夜の宿を借りるつもりだ。あと、旅の食料もな」
「……そうですか。少し安心しましたわ」
安堵の顔を浮かべるソフィアは、馬上で胸を撫で下ろした。その後ろで、ジルドは居心地悪そうに肩を揺らした。
「あの、そろそろ降りてもいいですか? 歩いても大丈夫ですから」
「いけません。あれだけの出血をしたのですから、せめて今日一日は安静にしていただきますわ。それとも私の後ろに乗るのは、お嫌なのかしら?」
「いえ、そういうことじゃ……ないです」
良いとか嫌とか、そういう問題ではなかったのだが、ジルドはソフィアに気を遣って、そのまま大人しく馬に揺られることにした。
村を出て少し東へと進んだ場所に、厩と隣り合わせになった、一軒の小屋が慎ましやかに建っていた。ジルドたちが厩に近寄ると、小屋から痩せこけた老婆が出てきた。黒いローブを身に纏い、両手でねじれた杖を持った姿は、お伽噺に出てくる魔女を彷彿とさせた。
老婆は一行を見回すと、しわがれた声で威嚇するように言った。
「なんだい、大勢引き連れてきやがって」
「大勢って、四人しかいないぜ?」
ドメニコが笑いを噛み殺しながら答えると、老婆はフン、と鼻を鳴らした。
「このちっぽけな小屋じゃ、二人以上は大勢さ。それで、今日はなんの用だい」
「食料の仕入れと、今晩の宿を借りたい」
「突然に現れて、結構な注文だね。本当に面倒くさい」
溜息交じりに愚痴を述べた老婆が小屋の中へ声をかけると、黒髪を後ろ手に束ねた少女が出てきた。
「おばあちゃん、なあに?」
「村に行って、四人分の食料を……三日分仕入れてくれ。金は、そこの爺どもが払う」
「はーい」
少女が立ち去ると、老婆は無言でドメニコたちを手招きした。
ドメニコが手の仕草でジルドとソフィアに、馬から降りるよう促した。
「ここからは、歩きだ」
馬を厩に入れたドメニコは、小屋の裏へ歩いて行く。訝しがりながらジルドたちが彼らに付いていくと、老婆が複雑に木の根が絡み合った場所で何かをしていた。ドメニコがそれを手伝う様子を眺めていたジルドたちは、作業が終わる直前に、二人が大きな焦げ茶色をした布を畳んでいることを理解した。
布が取り除かれると、蔦が絡まった石造りの通路が出てきた。
「これは――?」
「今晩の宿泊先だ。すげぇだろ? こんな場所に遺跡があるんだぜ」
驚くソフィアに答えながらドメニコが通路に入り、ジルドたちもあとに続いた。
通路の天井は所々崩れているのか、木の根が露出し、隙間から外の光が漏れていた。宙に舞う埃が光に照らされる光景は一種幻想的だが、それに見取れる代償に、喉を痛めるのは割に合うものではない。
さほど長くない通路を進むと、以前に寝泊まりした遺跡にあったものと、似た扉があった。扉の中は窓と下への階段が無いことを除けば、前の遺跡と同じ造りだ。
手に持っていた小さな袋を床に下ろしたソフィアが、溜息交じりに言った。
「本当に此処は、大丈夫なのかしら? それにあのご老人、まるで魔女のようでしたわ」
「ふん、魔女みたいで悪かったね」
背後から老婆に声をかけられ、ソフィアは短い悲鳴をあげた。
「見た目ばかりで判断するんじゃないよ、裕福なお嬢さん。ああ、それと別に、あんた様に用事があるわけじゃないんだ。あたしが用があるのは、あんたさ」
言いながら、老婆が杖の先でジルドの腰を軽く叩いた。
「あんた、バーラを持っているってことは、カニス村の者かい? 目的は山頂なんだろ」
杖の先端を眼前に突きつけられたジルドが頷くと、老婆は神妙な顔をした。
「そうかい。なら、あんたはこの先、過去を視ることになる。心しておけ。そして、無事に降りてこられたら、あんたがそこで、なにを想ったか、あたしに話しておくれ」
「え? それはどういう……」
「行けばわかるさ。それより、あんた怪我してるじゃないか。手当してやるから、一緒に来な。食事はそのあとで持って来てやるから、他の者はここで待ってな」
老婆は踵を返すと、遺跡から出ていった。
そのあとを、おっかなびっくり付いて行ったジルドは、老婆の小屋で手厚い治療を受けることができた。話によれば、老婆は村の治療師であるらしい。魔女とは正反対の存在であることを知ったジルドは(ソフィアさんを笑えないなぁ)と、反省しきりだった。
*
食事を終えたあと、ジルドは外の空気を吸いに外に出ていた。
満天の星空に満月が浮かんでいるおかげで、灯りはなくともうっすらと物が見えるほどには明るかった。遺跡の入り口近くに腰を下ろしたジルドは夜空を見上げながら、この旅の間にあったことを思い出していた。
生まれてから一度も体験したことがない事件に遭遇し、今では刺客に追われる羽目になってしまった。その中には二日ほど共に過ごした者たちがおり、つい先日、その中の一人を自らの手で殺めたばかりだ。
どうしてこんなことに、と自らの運命を嘆きたいところだが、そんなことをしても過去は変わらない。だからと言って、この先どうすべきなのかという指針など、まったく見えていなかった。
色々な記憶や感情が、未だに頭の中で、ぐるぐると渦を巻いている。
せめて感情だけでも吐露できればいいのだが、ジーナたちに気を使ってしまい、それもできないでいた。そうやって今まで溜まっていった鬱積が、もう限界のところまで来ている。このままでは、ニーメルドを殺してしまったときのように、喚いてしまいそうだ。
さだまらない思考のまま夜空を見上げていたジルドは、静かで軽い足音を聞いた。
誰かは分かったが、振り向く気が起きなかった。そのままジルドが夜空を見上げていると、不意に広げたマントが振ってきた。
「寒くないのか?」
視界を覆い尽くすマントから頭を出したジルドは、視線をジーナに向けた。
「なんか、何も感じないんですよ」
「重症だな。目が死んでるぜ?」
ジーナは自らも羽織ったマントにくるまりながら、ジルドの隣に腰を下ろした。
「何が原因とか、大体の察しはつくけどさ。言いたいことがあれば、口に出してもいいぜ」
「言いたいこと……ですか。それが分からなくて」
「急ぐなよ。時間ならあるんだ。例えば、そうだな……」
ジーナは一度言葉を切ってから、人差し指を立ててみせた。暗くて表情はよく見えないが、少なくとも不機嫌ではない。
一体どうしたんだろう、と怪訝そうにしたジルドに、ジーナは唐突に言った。
「ジルド、お前は死にたいか?」
「そんな――死にたくなんか、ありませんよ」
いきなり何を訊くのかと、ジルドは目を見広げた。
「なんでそんなこと訊くんですか?」
「あん? あんたが自決するんじゃないかって、爺が心配してたからさ。あたしとあのお嬢様は、そこまで心配してないけどな」
あまり表に出さないよう気をつけてたつもりだが、そこまで落ち込んでいるように見えていたのかと、ジルドは今更に痛感した。
「なんか、心配かけたみたいで――ジーナさんも」
「ああ、そんな他人行儀な呼び方しなくていいぜ。お嬢様はともかく、あたしにゃ呼び捨てでいいんだ、呼び捨てで。そんな仰々しく呼ばれたら、体がこそばゆくて堪らない」
「で、でもジーナさん――」
「あ?」
怒りは感じないが少々ドスの効いた声に、ジルドは慌てて訂正した。
「ジーナ、も心配してくれてありがとうご……ありがとう」
「まあ、いいや。ま、そーゆーこった。とりあえず、その死にたくないってのから、始めたらどうだ?」
背中の傷が無い場所を撫でるように叩かれたことで、ジルドは漸く、ジーナが自分を慰めているのだと気づいた。その理由は、わからない。元より、裏の世界で生きてきた彼女の言動は、農村での生活しかしていないジルドにとって埒外なのだ。
そんな彼女に対して、する話など思いつかない――という考えに逆らうように、ジルドの口が自然と開いた。
「ニーメルドさんの願いって、本当に相手を殺さないといけない……のかな」
「そりゃ、難しい問いだな。だが、あの話に嘘が混じっていないという前提でなら、無理だと思う。人質がいる以上、奴等はこっちの言葉に耳を貸さねぇと思うしな。そのニーメルドって奴みたいに、ジルドのことを気にかけてくれるなら、いいんだけどな」
「ニーメルドさんが?」
殺す相手のことを気にかける刺客など、いるのだろうか?
気にかけている相手を殺す。そんなことができる人物というのを、ジルドはまったく想像できなかった。
その疑問を口にしたジルドに、ジーナやや笑みを消した。
「……いるのさ。それこそ何処にでもな。普段は大人しくても、自分や家族の命がかかってるとなれば、豹変する奴もいる。ただあの男は襲撃してきたときも、あんたのことを気にかけてたみたいだよ。あいつが狙っていたのは、全部急所……だと思う。せめて苦しまずにって考えたのかもしれねぇな。でなけりゃ、腕や足を狙って動きを止めてたさ」
ジーナの言ったことが真実かどうか、確かめる術をジルドは持っていない。
(けど、そうだったら……)
気にかけてくれたことが嬉しくもあり、そしてそんな人を殺めてしまったことが悲しくもある。
どっちつかずの感情が表に出たのか、ジーナがジルドの前髪を掻き上げ、顔を覗き込んだ。ジーナの手を介して彼女の体温を感じてしまい、慌てて上半身を逸らした。
「だ、大丈夫」
「ふーん。ならいいけどさ。理屈だけで考えたって、何にも解決しねぇぞ? 感情なんてものは、理屈だけじゃ解決しないしな」
「それは……そうだけど。けど」
じゃあどうすればいいのか、というジルドの問いは、老婆の声に遮られた。
「なんだい、あんたたち。こんな糞寒いところで、逢い引きでもしてんのかい?」
「逢い引き――」
思わず顔を見合わせた二人は、今になって肩が触れ合うほど近くにいたことに気づき、大げさなほど慌てて、一人分の距離を空けた。
その様子に楽しげな目をした老婆がジルドとジーナに、湯気のたつ木製のジョッキを二つ差し出した。果実酒だという、ほのかにベリーの香りがするジョッキを受け取った二人に、老婆は表情を和らげた。
「飲んで暖まりなよ」
「ありがとうございます。でもどうして?」
「あんたたちの喋ってる声が聞こえたからさ。あたしが寝る前には、お喋りをお止めてくれよ。寝不足はお肌の大敵だからね」
美肌とは縁の遠い、煤で汚れた皺だらけの顔で、老婆は嗄れた笑い声を出した。
「ああそうだ。飲み終わったらジョッキは返しに来ておくれ。それじゃ、あたしは帰るから。あんたちも早く寝なよ」
老婆が自分の小屋へと戻って行くと、ジーナは一足先にジョッキに口を付けた。
「へぇ、ベリーなんか、酒に合わないと思ってたのに。けっこういけるぜ」
ジーナが賞賛の声をあげた。あまり他人を褒めたところを見たことがない彼女が、こんな嬉しそうな顔をするのは珍しい。
ジルドも彼女に習って、舐めるように呑んでみた。ベリーの酸味に加えて蜂蜜だろうか、ほどよい甘みが口の中に広がっていった。
予想外の旨さに、ジルドも思わず口に笑みを浮かべた。
「……本当だ。美味しいや」
ジルドの表情をジッと見ていたのか、ジーナが真っ直ぐ顔を覗き込んでいた。
「ジルド……あんたは、そのままのほうがいいな」
急になんの話かと訝しんだジルドに、ジーナは気楽な口調で続けた。
「殺しになれろとか気にするなとか、ジルドらしくないって思ったのさ。普通の村人でいいんだ、あんたは」
「それって、なんの解決にもならないんじゃ……?」
慰めの言葉が続くと思っていたジルドが、拍子抜けした顔をすると、ジーナは顔を綻ばせながら、ジョッキの中身を半分ほど呑んだ。
「いいじゃないか。悲しんで、悩んで。それで辛くて耐えきれなくなったのなら、そんときはまた、あたしが話を聞いてやるよ」
意外な一言に、ジルドは目を丸くした。正体が知られてからは、こんなに優しい言葉をかけることはなかった彼女が、なんの心境の変化だろう?
疑問は尽きなかったが、今はその厚意を受け入れない理由は思いつかなかった。
「……うん。ありがとう」
ジルドが頷くと、ジーナは柔和な表情のまま空を見上げた。
彼女の視線を追って夜空を見上げたとき、ジーナが僅かに座る位置を寄せた。
「ジルド、生き残ろう。今は、それだけでいいんじゃないか?」
「そうだね。うん……生き残ろう。生きて、帰ろう」
視線は合わせない。だが何となく、居心地の良い雰囲気だった。
二人でジョッキの果実酒を飲んでいると、背後で軽い足音がしたが、こちらはそれほど静かではなかった。
「あなた方、こんな場所でなにをしておりますの?」
ジルドが声のした方を向くと、マントを羽織ったソフィアが、腕を組んで立っていた。
最初は怪訝そうな顔だったソフィアは、二人が手にしたジョッキを目にして、かなり不機嫌なものとなった。
「……二人で何を? コンビとは申しましたけど、このような意味で申し上げたわけではございませんわ」
「あ、これはあの小屋のお婆さんがくれたものです」
ジルドが答える横で、ジーナが残りを飲み干した。
「さてジルド、あたしはジョッキを返してくるけどさ。あんたはどうする?」
「え? あーと、まだ残ってるから……」
ジーナに答え終える前に、ソフィアがジルドの手からジョッキを奪い取った。
「……少し戴きますわよ?」
と言うが早いか、ソフィアはジョッキに口をつけた。最初は恐る恐るといった感じだったが一口飲んだ途端、一息に飲み干してしまった。
「なんて美味しい! これを二人だけでというのは、少々狡いのではなくて?」
「あ、いやその……なんか、すいません」
怒られる理由に納得はいかなかったが、ジルドは素直にソフィアに謝ることにした。
ジョッキを返しに行くジーナに連れ立って、ソフィアも老婆の小屋を訪れた。
目的は果実酒だったが、目当ての老婆は残念ながら留守であった。
暖炉の灯りだけで部屋中照らせるほど狭い小屋では、隠れる場所もない。小屋から出たソフィアが周囲を見回すと、小屋の横から聞こえる物音に気づいた。
ジーナも音に気づいたようで、二つのジョッキを持ったまま、音のする場所へ向かった。
板の隙間から漏れる光で、小屋の前に老婆が座り込んでいたのが見えた。
「婆さん、何をしてるんだよ」
「な――お、驚かせるんじゃないよ。まったく」
驚いた顔で振り返った老婆に、ジーナはジョッキを微かに持ち上げた。
「ジョッキを返しに来たんだけどな。で、なにやってんだよ」
ジーナが問うと、老婆は背後にある積まれた石を撫でながら、やや目を伏した。
「これは……墓さ。あたしの幼なじみで、恋い焦がれた相手のね。結局想いを告げられなかったんだけどねぇ。あたしたちが若い頃に戦があってさ、彼は儲け話があるって傭兵になって、初陣で死んじまったのさ。まあ、墓といっても死体もない、形見の指輪が埋まってるだけのものだけどね。けど毎日、こうして掃除したり、酒をあげたりしてるのさ」
「あ……すまない。こんなこと訊いたりして。その、そんなつもりじゃ」
珍しく狼狽えるジーナに、老婆は首を左右に振った。
「かまやしないよ。もう、ずいぶんと前の話さ」
「そっか。でも、形見が戻って良かったな」
「ああ。それを届けに来たのは、あんたたちと一緒にいる、あの爺だよ」
ドメニコと老婆は、それからの付き合いのようだ。ドメニコがそこまで律儀な男だとは予想外だった。ジーナがなにか言おうとしたが、目に涙を溜めていたソフィアを見て、開きかけた口を閉ざした。
戯曲や吟遊詩人の歌では語られることのない、一つの悲劇をソフィアは今、初めて知ったのだ。
「……悲しいと思うことはありませんの? その、思い人を失って」
答えるのも辛い、と思われたソフィアの問いに、老婆は微笑みを浮かべた。
「そうでもないよ。この年になって、楽しみもできたしさ」
「楽しみ?」
オウム返しに問うソフィアに、老婆はまるで生娘のようにはにかんだ。
「そうさ。あたしはもう先は短いんだろうけど、もしあの世があるのなら、きっと彼に出会えるだろう? それが嬉しくてね。ただ、こんなに年食っちまったあたしを、ちゃんとわかってくれるか、それだけが心配だねぇ」
頬を染めて恥じらうように、そして嬉しそうに話す老婆の姿が、ソフィアに次第にはぼやけていった。頬に暖かい物を感じたとき、老婆は少し困ったように言った。
「おやおや、そんな泣かないでおくれよ。見たところあんた、貴族のお嬢様なんだろ? そんなお方が、こんな婆の思い出話で泣いちゃいけないよ」
「そんなこと……ありませんわ」
とうとう堪えきれず、ソフィアは両手で顔を覆った。
「泣く泣かないは個人の自由ですが、あなたの思い出に泣く価値がないと思ってしまったら、それは人として何かが欠けていると思いますもの」
声を殺して嗚咽を漏らさぬよう努力したが、それがどれだけ効果があっただろうか。
何度も深呼吸をしてから顔を上げたとき、少し瞳を潤ませたジーナと目が合った。
「あんたに釣られただけ」
ジーナは素っ気なく言ったが、それも何処まで本当だろうか。
果実酒のことやジョッキを返すことも忘れて、ソフィアとジーナは二人並んで、墓の掃除をする老婆を眺めていた。
「……婆さん。あんた、後悔はない、のか? その……もしかしなくとも未婚なんだろうけどさ。こうしたかったとか、なんかあんだろ」
しんみりとした雰囲気を打ち消そうと、ジーナが老婆に質問を投げた。
老婆は微笑みを浮かべたまま、懐かしそうな顔をしながら答えた。
「そうだね。こうすれば良かった、ああしたかったっていうのは、ついて回るものだけどさ。あたしの場合は、彼が死んでから世捨て人みたいになってたから。あまり、そうした思い出はないねぇ」
杖に寄りかかるようにしながら立ち上がると、老婆は積まれた石の頂点をまるで孫の頭にそうするように、優しく撫でた。
「ただ、強いてあげるなら……この人が生きている間に、想いを伝えられなかったことくらいかねぇ。こればかりは、やり直しはできないことだからね」
老婆はジーナとソフィアを交互に見て、微笑みながら告げた。
「あんたたちは、若い。将来、ああすればよかったなんて、後悔するんじゃないよ。女は愛嬌と度胸、それにほんの少しの可愛い狡さだよ?」
老婆の忠告にソフィアとジーナは、何か思うところがあるのか、真っ直ぐな目で頷いた。




