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3章 その4 古代への扉

 4 古代への扉


 朝から馬で移動して、ずいぶん経った。頭上を枝葉の天蓋に覆われているため、日の位置が視認できないが、ドメニコの後ろで馬に揺られているジルドは、腹の空き具合から昼は過ぎている頃だと考えていた。

 まだ乗馬に慣れていないためか、足腰が痺れていた。追っ手から逃げるために距離を稼ぎたいのは理解できるが、休憩なしでは人だけでなく、馬もへたばってしまう。

 ソフィアも馬の疲労が気になっていたのか、先を進んでいたドメニコの馬に並ぶと、少し気まずそうな顔をした。

「そろそろ、その、休憩しませんこと?」

「もう少し我慢してくれ。潜むに良い場所がある」

「で――できたら、今すぐにでも少し休憩致しませんか?」

 ソフィアの様子はどこかおかしかった。もじもじと体を揺らし、珍しく少し気恥ずかしそうな表情だった。ドメニコはしばしソフィアの様子を窺い、溜息を吐いた。

「……わかったよ、お嬢さん。火は起こせねぇが、少し休もう」

「助かりますわ」

 ドメニコが馬を止めるよりも早く、ジーナに手綱を預けたソフィアは、素早く下馬すると大岩の影へと駆け込んでいった。

 用足しかと、ジルドがソフィアの挙動がおかしかった理由を悟った横で、ジーナが短い悲鳴をあげた。手綱の操り方が判らず、あらぬ方角へ向かおうとする馬の挙動を御せていない。そんなジーナの代わりに、自分の馬を寄せたドメニコが、片手でソフィアの馬の手綱を掴み、強引に歩みを止めた。

「……悪い」

「謝ることはねぇ。あのお嬢さんも仕方ねぇな。急ぎにしても、もう少しやりようがあるだろうに」

 手頃な木に二頭の馬を繋いだ頃になって、ようやくソフィアが戻ってきた。

 やや視線を僅かに逸らせながら、恥ずかしげに頬を染めた。

「お騒がせしてしまって、申し訳ありません」

「詫びはあとだ。急ぐぜ」

 昼食も摂らずに出発しようとするドメニコに、ソフィアが怪訝な顔をした。早朝に起こされてすぐに移動。移動した先で朝食は摂れたものの、火を起こすなと言及された。

 おかげでパンとチーズ、水代わりの果実酒だけという、寂しい食事となった。逃げるのが目的の旅となっているが、貴族であるソフィアには耐えがたい待遇だった。

 逆にジルドはパンやチーズが口にできるだけ、マシだと思えた。

 狩りをするときの野宿では、林で摂れたものしか口にできなかった。というのは、ジルドたちが狩りに出るときのほとんどは、村に食料の備蓄が少なくなってきたときだ。

 気楽に食料を持ち出せる状況ではないから、野宿するときの食事は自給自足だ。それに比べれば、食事があるだけ格別の待遇だった。

 そんな環境に慣れていないソフィアは、ドメニコに対して不満を口にした。

「食事をする時間はあるのではなくて? 馬にも休息は必要ですわ」

「今は時間が惜しい。ここからなら、あまり時間はかからないので、我慢してくだせぇ」

 ドメニコがしおらしく頭を下げると、ソフィアは文句を続けようとした口を閉ざした。「わかりました。なら、精々急ぐと致しましょう」

 皮肉交じりの言葉を返したソフィアは、さっさと自分の馬と木を繋ぐ縄を解く。

 ソフィアの機嫌の悪さが心配になってきたジルドが、馬に乗って移動を始めたドメニコに問いかけた。

「あの、ソフィア様も機嫌悪そうですし。どこかで、食事だけでもしたほうがいいんじゃないですか?」

「昼飯は、もう少し先だ。蹄のあとも消さねぇといけねえし、今日はそこで泊まるつもりだしな。ゆっくりしたいなら、そこで思う存分してもらおう」

「泊まるって……集落でもあるんですか?」

「そんなに洒落たところじゃねぇ。だがまあ、安心して眠れる場所ではある」

 人里離れた林の中に、そんな都合の良い場所があるのだろうか? 

 そんな疑問を抱いたジルドがふと視線に気づいて振り返ると、ジーナの視線をぶつかった。ドメニコとの会話が聞こえたのか、何か問いたげな顔をしていた。

 ドメニコが馬を止めたのは、日がやや傾きかけた頃だった。

 ジルドたちの目の前には、木の根や苔で覆われた斜面があった。ある程度山脈に近づいている所為か、木々は鬱蒼と生い茂り、視界も悪くなっていた。

 古くひび割れた石柱が立っている斜面はなだらかだが、目の前の場所は、ほとんど垂直に等しい。

 下馬したドメニコは、斜面を覆っている木の根を手でかき分けた。

「ジルド、ちょっとここを持ってな。皆が入ったら、元通りにしてくれ」

 言われるままにジルドが木の根をかき分けると、大きな空洞が口を開いた。かなり大きな空洞で、奥がどれだけあるかすら見えない。

「お嬢さんたちもこっちへ」

 馬を引きながら、松明を手にしたドメニコが中に入っていった。ソフィアも怪訝そうに続き、ジルドはジーナが入ってから中に入り、木の根を元に戻した。

 足下は土かと思ったが、石畳が敷かれていた。少し湿っているおかげで、時折足が滑りそうになる。先頭の灯りを頼りに進むと、急に前方が明るくなった。

 金属の扉をドメニコが開けたその奥は、石造りの大きな空間になっていた。まるで厩舎のように枯れた干し草が左右に敷かれ、少し古くなっているが、建物よりは新しい柵が造られていた。

 その奥には木製の扉があり、開けられたその奥には、そこそこ広い部屋が見えた。部屋に入れば、部屋の中央に囲炉裏にベッドが三つあるのが見えた。それに棚、部屋の入り口から右には、扉が二つがある。天井はドーム状で、中央に穴が開いていた。

 部屋の左には窓があるが、外側はほとんど蔦で覆われており、外から滝の音が聞こえている。窓の上には雨戸らしい木の板もあり、隠れ家にしては最適な場所だ。

 気になる点があるとすれば、窓の反対側にある壁の隅に、用途不明な掌くらいの穴が開いていることくらいだ。

 目を見広げたソフィアが、感慨深げに部屋を見回した。

「こんなもの……よく、この場所をご存じでしたわね。こんなもの、数日で造れるものではありませんわ」

「去年、この辺りを根城にしていた山賊を討伐するときに、偶然見つけたんですよ。調べてみたが、天井の穴はすぐ側にある滝の裏まで続いている。煙や臭いも滝が消してくれるし、そっちの部屋には滝壺まで行ける階段があるから、飲み水も心配ねぇ。今日はここで一泊だ。お嬢さんは、もう一つの部屋を使って下させぇ。個室になってますので」

「お気遣い痛み入りますわ。少なくとも今日だけは、変な虫に悩まされずにすみそうですわね」

 まんざらでもない表情で、ソフィアは微笑む。それに頷き返してから、ドメニコは箒を手にした。

「俺は、足跡を消してくる。二人は寝床と食事の準備でもしててくれ」

「わかりました。でも、日の傾き具合から、昼と夕食兼用になっちゃいますね」

「……いいんじゃねぇか。それじゃ、水を汲みに滝壺に行ってくる」

「ああ、それなら僕も。魚を採ってみます。えっと、ソフィア様……は」

 棚の横に置いてあった桶を手にしたジルドに、ソフィアは微かに手を振った。

「ここにいますわ。コンビで、水と食事の準備を取り計らって下さいまし」

 ドメニコが表に出て行ってから、ジルドは階段へと続く扉を開けた。

 ジーナと二人で石造りの螺旋階段を下りて滝壺の裏側へと出ると、予想よりも大きな空洞が広がっていた。ジルドとジーナがいる岩場以外は、浅い池のようになっている。水面を覗いてみると、数匹のカワマスが泳いでいるのが見えた。

 早速、近くに転がっている石や砂で池と川とを遮断して、カワマス取りに挑戦したジルドは、ドメニコが戻る前に六尾も捕まえることができた。

 四尾は鉄串に刺して焼き、残りの二尾は身を解してスープにした。スープには滝壺の近くで茂っていたリーキや昨日の残りの香草、荷物にあった大蒜を一欠片だけ入れた。

「ところで、一つ訊いてもいいですか?」

 焼き魚を食べ終えてから、ジルドは不意に口を開いた。

「なんで僕が、二日連続で食事を作ることに?」

 本気で厭がっている訳ではないが、しかし納得しきれない声音に、他の三人から失笑が漏れた。

「そこそこ旨いし。問題ないんじゃないか?」

 正体が露見してから初めて、ジーナは笑みらしい表情を見せた。

 食事を終えたジルドが、魚の骨などのゴミを部屋の隅にある穴に捨てたのを見て、ソフィアが納得したような声をあげた。

「ああ、それはそういう穴でしたのね」

「え? ああ、何となくですけど……うちの村長の家にも、似たようなゴミ穴がありますから、なんとなく」

 村長の家とこの穴とを関連づけた理由は分からないが、ほぼ無意識の行為だった。

 己の行為に疑問を持ちながらも、ジルドは窓を毛皮で塞ぎつつ、頭に思い浮かんだ疑問を言った。

「ドメニコさん、ここって、いつからあるんですか?」

「しらねぇよ。偶然見つけただけだしな。見つけたときは苔だらけで、そうとう古そうだったがな。案外、昔話に出てくる山鬼の民のものかもな」

「山鬼の民……あれって、お伽噺じゃないんですか?」

 吟遊詩人に歌われることがあるが、基本的には子供を寝かしつけるためのお伽噺だ。

 十人程度で軍隊を相手に領地を護り続け、投石だけで一ソル先の敵兵を打ち倒したなどの逸話が伝わっている。

 そんなものが実在したはずがない――そんなジルドの視線を真っ直ぐに受け止めたドメニコが、態とらしく肩を竦めてみせた。

「さあな。さて、飯も食ったところで、しごきの時間だ」

「うっ」

 厭そうな顔をするジルドに、ドメニコは木剣を投げて寄越した。

「そんな顔すんなよ。今日は昨日みたいに、仕合うわけじゃねぇ。俺が剣を振るから、おまえはそれを受けろ」

「それだけ……ですか?」

「ああ。それじゃあ、いくぜ?」

 言ってから、ドメニコは上段に振り上げた木剣をゆっくりと振り下ろした。

 その本気かどうかわからない剣を、ジルドは戸惑いながらも受け止めた。

「真っ直ぐ受け止めるな。できれば受け流せ」

「受け流すって……どうやるんですか?」

「刀身を斜めに――口で言うのは、めんどくせぇな。もう一度、俺の剣を受けてみろ」

 先ほどと同じ早さで振り下ろされた木剣を、ジルドは再び受け止めた。剣と剣が触れたところで動きを止めたドメニコが、ジルドの手を切っ先が下になるように傾けた。

「こんな感じで傾けながら、相手の剣を滑らすように……だな。手に掛かる負担も少なくなるし、巧くいけば相手の姿勢を崩すこともできる」

「意外と、説明下手ですわね」

 ソフィアの茶々に、ドメニコは憮然とした。そんな彼の表情が可笑しくて、忍び笑いを漏らしたジルドに、指導を続けていたドメニコが片眉を吊り上げた。

「なにを笑ってやがる。次からは、一回ごとに振りを早くしていくからな」

「そんなぁ」

 項垂れるジルドに、女性陣から笑い声があがった。

「良い案が思い浮かびましたわ。ジルドが一人前になるまで、ここに滞在してはいかがかしら? 粗末とはいえベッドもありますし」

「そいつは良い案じゃないな」

 ジーナに案を否定され、笑顔から一転、ソフィアの表情が険しくなった。しかしジーナは動じる素振りも見せずに、言葉を続けた。

「一カ所に長居すれば、生活臭が強くなる。数日で見つかるぜ?」

「……そうだな。明日の早朝に出立しよう」

 ドメニコが神妙な顔で、一同を見回した。結局この日は、しごかれたジルドを除いた全員が穏やかに過ごすことができた、貴重な夜になった。

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