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3章 その2 不安に包まれた夜

 2 不安に包まれた夜


 刺客に襲われたジルドたちは、街道から外れて雑木林の中へ分け入った。

 街道よりは追跡されにくいだろうという判断からだったが、ドメニコとジーナはそれでも追いつかれるのは時間の問題だと考えていた。

 馬蹄のあとは、慣れた者なら草に覆われた道でも識別できるし、所々に落としていく馬糞もいい目印になってしまう。

 それでも、捜索のために間者たちの人員をばらけさせることができる。その分だけ生存の可能性が高いとうのが、ドメニコの考えだった。

(というけど……)

 ジルドは脚を止めた馬の側で、地面の様子を確かめるドメニコを眺めていた。

 やや起伏のある土地である。人の背の高さほどもある断層が北南に続き、苔と木や雑草の根に覆われた壁面に、こぢんまりとした洞穴がある。

 ジルドが中を調べた限りでは、大型の獣の巣ではなさそうだ。足跡はもちろん、糞や食べ滓が落ちていない。穴もあまり深くなく、ここしばらく雨が降っていないのか、入り口に近い部分の土は乾いていた。

 その周囲も岩が少なく、毛布だけで寝ても体はさほど痛くなさそうだ。

「今日の寝床はここだな」

「こんな場所で……」

 ドメニコが馬を近くの木に繋ぐと、まだ馬上にいるソフィアが不満げな声を漏らした。

「少し街道に戻れば、すぐに村か集落に辿り着けるのではなくて? まだ日も沈んではおりませんし」

「そして宿で就寝中に追っ手に殺される、か。なんと言われても、今日は野営だ。命がかかってるからな。お嬢さんの希望には、添えられん」

 ドメニコの返答に、ソフィアが露骨に顔を顰めた。

 野営を厭がっているのは、今のところソフィアただ一人だ。ジルドは冬場に行われる狩りで慣れているし、放浪をしていたというジーナも本心は分からないが、不満を口にしていない。

 隊商と共にギイナスの街まで移動していたときにも、何度か野営をしたことがある。そのときにソフィアがどうしていたか、ジルドは思い出そうとした。

(ああ、そっか。荷馬車の中で寝てたんだっけ)

 ジルドも行き倒れたところを助けられたときは、荷馬車で寝かせてもらっていた。

 しかし体が回復してからは、地面の上だ。ジーナや他の商人たちも基本的には地面の上だったから、ソフィアだけは破格の待遇だったのだ。

 ソフィアと睨み合いを続けていたドメニコは、不意に地面に腰を下ろし、騎馬から下ろしてあった荷物の中を弄りだした。

「呑気に宿に泊まれる旅じゃねぇ。厭ならギイナスに帰ったっていいんですぜ?」

 突き放すような言葉に、ソフィアの顔が一息に赤くなった。ジルドは彼女の感情が爆発するのを警戒したが、その予想に反してソフィアは険しい表情のまま、傍らに止めていた騎馬を近くの木に繋げた。

 その様子にジルドは胸を撫で下ろしつつ、薪となる落ち枝を拾い始めた。

 ついでに低木の枝を何本か折り、近くで茂っていた蔦を引きちぎって、小脇に抱えて持ち帰った。

(これだけあれば、なんとかなるかな)

 天候が崩れる気配はないから、風雨を凌ぐためのシェルターを作る必要はない。しかし自分たちを狙う追っ手のことを考え、焚き火の光を遮るための壁を作ろうと考えていた。

 煙を隠すことはできないが、夜になれば目立たない。問題は、灯りの方だ。雑木林の中とはいえ、焚き火の灯りは夜になると目立つ。

 カニス村では狩りで野営をする際、山賊や追い剥ぎなどを警戒して、焚き火の周囲に枝葉や雑草で壁を造っている。それだけで、林の中では随分と目立たなくなるのだ。遠目に判らなければ、暗い林の中でジルドたちを見つけるのは困難だろう。

 追い剥ぎとは違い訓練を受けているのだろうが、人の目であることだけは違いない。灯りが漏れなければ、発見されるまでの時間が稼げる。

 煙の匂いだけはどうにもならないが、それだけは運を頼りにする他ない。

「遅くなりました」

 ジルドが駆け足で戻ったとき、野営の準備をしていたドメニコが、ジルドの荷物を見て目を丸くした。

「おまえ、そんなもんで何をするつもりだ?」

「焚き火の灯りを隠す壁を造ろうかと……うちの村では、追い剥ぎに目をつけられないようにって、枝や草で壁を造って囲うんですけど……あれ? 普通しないんですか?」

「……しねぇな」

 ドメニコは首を捻りながらも、暗くなりかけた空を見上げた。

「ま、やるなら日が落ちる前にやれよ」

 ジルドは頷くと、薪にする落ち枝をドメニコの近くに置いた。

 一息ついてから、ジルドは近くにある細い木の幹を基点として、蔦を使って枝を格子状に組み上げていく。近くに生えた雑草などの草を敷き詰めて隙間を埋めると、今度は残った蔦を横に伸ばして、少し離れた場所の幹へ縛り付けた。

 最後に雑草をくくりつけると、壁とは言いがたいが、それなりに光を遮蔽できそうなカーテンができあがった。

 出来映えを眺めながら、ジルドが泥に汚れた手をズボンに擦りつけていると、ドメニコが感心した声を出した。

「ほお、慣れてるな……にしても、意外な特技だな。あっちの嬢ちゃんといい、野営については問題なさそうで助かる」

 ドメニコの視線を追うように目を移すと、ジーナが土を持って竈らしきものを造っていた。一方方向のみを開けて土を盛り、その上に鉄串を三本だけ並べ、火をつけてから鉄鍋を置いた。

「で、誰が料理番すんの?」

 ジーナに問われ、ジルドとドメニコは顔を見合わせた。

(ソフィアさん以外なら、みんな料理できそうだけど……)

 ジルドは迷った挙げ句、小さく手を挙げた。下手にごねた挙げ句に不利な条件を呑まされるくらいなら、ここでこれからのルールを提案した方が良いと踏んだ。

「今日は、自分が作ります。けど、あとは交代制でお願いしますね」

「ま、いいだろ」

 頷くドメニコに続いて、ジルドはジーナの反応を窺った。

「勝手にしな」

 気が抜けるほどにあっさりと同意すると、彼女は壁の基点にした木の根元に座った。

 枝や蔦を探しているときに見つけた湧き水で、ジルドは鍋に水を汲んだ。

(誰かに見つからないようにするには……あまり臭っちゃまずいかな)

 肉を焼く料理はできないなどと悩みながら、途中で香草や食用にできる菜っ葉を摘んだジルドは、鍋からコップに汲んだ水で軽く洗った。

 残りは鍋のまま、干し肉と岩塩、そして摘んできた香草と菜っ葉で、簡単なスープを作る。菜っ葉は手で千切り、香草は茎の部分だけを鍋に入れた。この香草の葉は、熱で香りが飛んでしまうので、熱を加える料理では、茎の部分だけを使うのだ。

 普段なら野宿の初日に、ここまで食事に手をかけたりはしない。しかし疲れた体に固形物だけの食事は内臓に負担がかかることを、ジルドは経験上知っていた。

 それに飲み物の無い食事というのは存外、喉が渇くのだ。

(余裕があれば、狩りでもするのに)

 帰ってくる途中で見た鹿や野兎の姿を思い出しながら、ジルドはナイフで干し肉を細かく刻み、鍋に入れていった。

 狩りの獲物を使えば保存食である、ペニーと呼ばれる肉と野菜の獣脂漬けが造れる。これからの行程を考えると、現地調達の保存食は欲しかった。

 考えを切り替えて目の前の料理に意識を戻すと、ジルドはほどよく煮込んだところで木製の椀にスープを注ぎ、ジーナやたちに手渡していく。パンは一人一つの割り当てだ。

 ソフィアとドメニコは、スープを一口飲んで、感心したように口を綻ばせた。

「……あら」

「ほお、見かけの割には良い味じゃねぇか」

 そんなに感心される味ではないと思ったが、ソフィアに至っては、

「まさかこんな野宿で、ここまで美味しいものが口に出来るとは思いませんでしたわ」

 と、べた褒めだった。

「褒めすぎですよ」

 と言いながらも、ジルドは悪い気はしなかった。運が良いことに、菜っ葉と香草が予想以上に良い組み合わせだったし、ギイナスの街から支給されたらしい干し肉もスパイスが効いていて、良い旨味を出していた。

 未だ反応のないジーナを見れば、すでに一杯目を飲み干していた。

 ふと目が合うと、ジーナは複雑な顔をしながら、ジルドに空になった椀を差し出した。

「……毎日は飽きるけど、三日に一度くらいなら食べてもいい」

「えーと、ありがとうって言えばいいのか、な?」

「そんな言葉はいらねぇから」

 差し出された椀を受け取ったジルドは、スープをよそってジーナに返した。

 穏やかな雰囲気のように見えるが、ジーナが喋る度に、ソフィアが何か言いたげな視線を彼女に向けていることに、ジルドは気づいた。

 これまでにソフィアから聞いた話では、初めからジーナが裏街道を歩いていた人間だと判ってはいたらしい。

 となれば、ジーナが盗人を生業にしていることが判明したところで、今更こんな態度はとらないだろう。

 問題なのはイルマが告げた、あの一言に他ならない。

(死神……か)

 ジーナと共に仕事をした者が、何人も死んでいる――このイルマの話が憎しみから出た嘘ではないという、予感めいたものがジルドの中で大きくなっていった。

(それにジーナさん、イルマさんの言葉を否定してないんだよな)

 彼女の態度が死神という言葉に、要らぬ真実味を与えている。詳しい話を訊きたかったが今の状態では、それも気が引けた。

 ジルドたちは出会ってまだ間もない、お互いの素性を知らない間柄だ。それだけに、相手の過去には不用意に踏み込めない。今は四人で行動できているが、それは細い綱を渡るような均衡で、なんとか維持しているに過ぎない。

 些細な切っ掛けで、バラバラになる危険性を秘めている。

 仲間――とはまだ言えず、精々同行者程度の間柄でしかないため、お互いにある程度の距離感を保つのを心がけなければならない。

 ジルドはパンを囓りながら、どことなく居心地の悪さを感じ始めていた。


 深夜に皆が洞穴の中で就寝している中で、音も立てずに上半身を起こしたジーナは、静かに息を吐くと、首を巡らして洞穴内を見回す。

 毛布にくるまったソフィアとジルドは、よく眠っている。ドメニコは入り口の近くで座った姿勢で毛布を羽織っていた。

 見張りをしていたようだが、首が船を漕いでいる。これでは見張りの意味がないと、ジーナは嘆息した。

 深夜に活動することが多いジーナは、常人よりも睡眠時間は短い。まだ日が昇る前にも関わらず、もう目は覚めていた。

 死神という自身の呼び名に対して、ソフィアが警戒心を抱いていることに、ジーナは気づいていた。そしてそんなソフィアの感情に、ジルドは気づいているようだ。

(イルマの糞が――)

 命を狙われている状況で、同行者に不審感を持たれるなど最悪だ。

 乱暴に頭を掻くと、皆を起こさぬように起き上がった。こっそりと入り口に向かうジーナはふと、このまま何処かへ逃げてしまおうかと考えた。

(逃げるって……何処に?)

 目的もなく、多数の追っ手を相手に一人で逃げ切れると考えるほど、ジーナは幸運に期待していなかった。幸運に頼って行動すると、運に裏切られたときに為す術がないことを身を以て知っていた。

 老いてはいるが、傍目から見てもドメニコの剣技は優れている。野営に関してはジルドも役に立つことがわかったこともあり、このまま共に行動したほうが、生き延びる可能性は高いとジーナは踏んだ。

 選択肢を奪われているような状況は好みではないが、今の状況では仕方が無い。

 外の空気を吸おうと洞穴から表に出た直後、ジーナは横から声をかけられた。

「まだ外に出るには早いぜ、お嬢ちゃん」

 すっかり寝ていたと思っていたドメニコが、片目を開けてジーナの顔を見上げていた。

 ジーナは表情を殺した顔で、ドメニコを振り返りながら、油断無くスカートの隠しポケットに収めてある短刀の柄を掴む。

「……起きてたのか」

「ああ。年をとると、睡眠時間が短くなってな」

 ドメニコは立ち上がると、背伸びをした。

「眠れねぇ……ってわけじゃなさそうだな。夜中に動くのは、お嬢ちゃんの習慣か?」

「……半分は。つーか、お嬢ちゃんってのやめな」

「細けぇことは気にするなよ、お嬢ちゃん。大方、お嬢さんの目が気になったか?」

 図星を突かれたジーナは、己の弱さを隠すように、態と目を剥いてみせた。

「……あんたは、どうなんだよ」

「ああ? ああ、死神って奴か。さぁな。生まれてこの方、神様や悪魔なんてものに出くわしたことがなくてな」

「だけど――」

 口を開きかけたジーナを、ドメニコは片手を挙げて制した。

「出るときに会った女は、共に仕事をした奴が死んだ、とか言っていたがな。それは、俺だって同じだぜ? 俺は傭兵だからな。敵も味方も、死人だらけだ」

「そりゃ、あんたが傭兵だからだろ。けど、あたしに対しては……そうは思わねぇよ」

「そうでもねぇぞ。そこでぐーすか寝てる小僧も、あんたの死神って部分には、なんの不安も感じてなさそうだぜ? ま、死神が何を表しているか、理解していねぇだけかもしれねぇがな」

 ジーナは眠っているジルドを一瞥すると、溜息をついた。

「それで、結局のところ何が言いたいわけ?」

「ああ、判りづらかったら、すまなかった。要約すると、変な心配なんざせず、一緒に行動すりゃあいい。あとで、良かったって思えることだってあるかもしれねぇしな」

「そんなこと……あるわけねぇだろ」

 このまま起きていても、ドメニコの話し相手になるだけだ。

 ジーナは耳を澄まして周囲の物音を探ってみたが、ジルドが作った囲いが功を奏したのか、今のところ追っ手の気配はない。

 洞穴の中に戻ったジーナが毛布にくるまると、ドメニコが目を外に向けたまま訊いた。

「どうした?」

「もう一回寝る」

 短く告げたジーナは、会話を拒絶するようにドメニコに背を向けた。

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