2章 その4 荒野に潜む者
4 荒野に潜む者
街の北門から出たジルドたちは、そのまま街道に沿って北上を続けていた。小規模な田園を抜けてしまうと、すぐに荒れ地へと出た。虫除け草の生えた荒涼とした光景に、散々な目にあった記憶を思い出し、ジルドは苦い顔をした。
近くに鉱山があるのか、荒れ地に出てからしばらくは、馬車や工夫らしい男たちと何度も通り過ぎた。それも脇道を通り過ぎるまでで、それからは人影は無くなった。
荒れ地を進む間、特に会話らしい会話も無く、昼になった。虫除け草だけでなく他の雑草が茂り、一本だけ生えた街道沿いの低木の近くで休憩を取ることにした。
周囲に火を起こすための薪に使える枝が落ちていないこともあり、保存食だけの昼食となった。
「初日の最初の食事から、かなり質素ですわね」
露出した岩に腰を下ろしたソフィアが愚痴を零しながら、ドメニコからパンと干し肉を受け取った。
街を出てから今まで、休憩できそうな場所が無く、ジルドたちは朝食を抜くこととなった。ジルドやジーナ、ドメニコは一食抜くくらいは慣れていたが、貴族であるソフィアは辛かったようだ。待ち焦がれた食事が冷たい保存食とあって、ソフィアはかなり機嫌が悪くなっていた。
騎馬に積まれた細い丸太に、ソフィアが人差し指を向けた。
「あれを使って、火を起こせませんの?」
「あれは取って置きですぜ、お嬢さん。あれは、薪が無いときに使うためのものでね」
「……わかりましたわ。要するに、この程度は我慢しろということですわね」
「そういうことだ。理解が早くて助かるぜ、お嬢さん」
すでに食事を終えたドメニコが草を食んでいる馬に近寄るのを、ジルドはホッとしながら眺めていた。傭兵という身分がそうさせるのか、ドメニコは雇い主に対しても主張を曲げない。早朝からまだ半日だが、ソフィアとぶつかったのはこれが初めてでは無い。
その度にジルドはハラハラさせられたが、今のところドメニコが優勢だ。
半分に割ったパンに干し肉を挟んだものを食べながら、ジルドが水袋に口をつけた。パンをもう一囓りしたとき、ドメニコがジルドに木剣を放って寄越した。
「早く食って、それを持て」
「これって……なんですか?」
「練習用の木剣だ。アニーオの旦那から、おまえを鍛えろと頼まれている」
何故? と、ジルドが問いかける前に、ドメニコは自分の分の木剣を構えた。
「早く食って、剣を持て。少なくとも、一端の衛兵程度になるまで鍛えてやる」
にやにやとした笑みを浮かべるドメニコに、地面に座って干し肉を少しずつ囓っていたジーナが、睨めるような目を向けた。
「暗殺者から逃げるのに、そんな悠長なことをやってる暇あんの?」
「ああ、そのことか。そんなに時間はかけねぇし、どんなに急いだところで、追いつかれるのは時間の問題だ。焦ったって仕方ねぇだろ」
淡々と告げるドメニコに、ジルドは唖然とした。
「……そんな暢気な」
「だから心配すんな。ここなら見晴らしが良いし、接近する者がいればすぐ分かる。問題は、この先だ。土地の起伏が多い上、木や背の高い雑草が増える。襲われるのなら、そこに入ってからだ」
「だったら、もっと急いで――」
「俺なら、先回りしてる。そこの坊主は、一緒に旅したんだろ? なら奴等は、おまえの目的もご存じなんだろうぜ」
「あ――」
絶句するジルドに、ドメニコはつま先で石を蹴った。
「と、いうわけだ。急いでも仕方ねぇが、時間は大事だ。さっさと剣を持て」
真剣な顔つきのドメニコに逆らえず、ジルドは残ったパンを急いで食べ終えると、嫌々ながらも木剣を持って立ち上がった。
ジルドがドメニコに手も足も出ず、ただ翻弄されている姿を、遠くから監視する姿があった。ドメニコが言うように見晴らしが良い場所ではあるが、多少の窪みや岩場はある。
その僅かな影に、一人の男が潜んでいた。
俯せになり、腕と膝を使って少しずつ移動をしていた男は、ジルドが世話になった隊商にいた商人の一人だ。しかし、今の彼はだぶつきの無い、薄い青色の服を着ている。腰には短剣を下げ、荷馬車にいたときの穏やかさはなく、険しい顔をしていた。
男はジルドの姿を視認すると、彼らに気づかれないよう、ゆっくりと後退した。やがてジルドたちが移動を始めた頃、その方角を確かめてから男はようやく立ち上がり、手足の痺れを意に返さぬまま、南東方向へ駆けだした。
*
ギイナスの街から徒歩で約一日のところに二台の荷馬車が停まっており、その周囲では八頭の馬が体を休めていた。特徴のある幌の形をした、ジルドが世話になった隊商のものだ。今は隊商の荷馬車としての役目を終え、ギイナスの街に潜入していた間者たちの移動拠点となっていた。
怪我人と一部の者以外、幌の日陰の下に座っていた。
隊商として合流した者と、ギイナスの街に潜伏していた者たち、合計二十一名がこの荷馬車に集まっている。地面に寝ている八名の負傷者のうち、三名は大怪我を負って自ら身動きが取れない状態だ。
二人の男が食事の準備をしている中、長剣を研いでいたダイダーノブに見張りをしていた男が駆け寄った。
「ダイダーノブさん。北東から戻った斥候の報告で、小僧を見つけたとのことです」
剣を研ぐ手を止めて、ダイダーノブは報告を持って来た男を見た。
「奴一人か?」
「いえ、それが……四人いるとのことです」
「四人? 一人はあのときの小娘として……あと二人か。ニーメルド、貴様はどう思う?」
ジルドにパンを分け与えた男が、日に焼けた顔でダイダーノブを見返した。
「二人……護衛の可能性が高いでしょう。我々を警戒しているのかもしれません」
「なるほど。あり得ない話ではないが……腑に落ちぬところもある」
ダイダーノブは領主の屋敷で起きたことを順に思い返していた。
長い金髪の少女の指示で、ジルドがあの妙に硬い杖を投げつけた。杖を肩に受けて怯んだ隙に、領主との間に割り込んだ少女に短剣を弾かれたのだ。
その直後に駆け込んできたジルドが口にした言葉は、疑問を投げかけたものだった。
あのときはジルドが自ら敵対してきたと思ったダイダーノブだったが、落ち着いて考えれば、彼はあの場で暗殺を働いた自分に驚いていたように思えた。
思えばジルドは農村の出で、字が読めるはずが無い。農村の識字率など、一割にも満たないのが、この国の現状だ。そうなると、他に今回の暗殺を知った者がいると考えたほうが自然だ。
「その残り二人……そのどちらかが、我々の目的に気づいた者かもしれぬ」
「それは、どういうことでしょうか?」
ダイダーノブが自らの考えを説明すると、ニーメルドは何か考えるように腕を組んだ。
「なるほど。そうなると、あの小僧が密書を盗んだとは限らなくなりましたね」
「そうだな。貴様の不始末という可能性も低くなったな。とはいえ、人里に立ち寄ったことなど、数えるほどしかないが――」
カニス村を出る前までは、密書の所在は確認できていた。サドリエンド村を出たあとで確認したときには、もう無かった。あのあとに立ち寄ったといえば、狩人たちの休憩小屋くらいしかない。
そのどちらかに密書を盗んだ者がおり、ジルドに領主暗殺の阻止を手伝わせた。
そこまで考えたところで、ダイダーノブはニーメルドがいくらかホッとした顔をしていることに気がついた。それは自分に落ち度がない可能性が出たということより、ジルドが自分たちの標的にならずに済みそうだという、他愛も無い安心感からきた表情だ。
だがジルドが密書を盗んでいないとしても、暗殺を邪魔した事実は変えようがない。
「しかし盗人には、領主の暗殺を阻止する理由がないだろう。今は我らの顔を知り、暗殺を邪魔した小僧と小娘を早急に消さねばならぬ。家族のためにもな」
「は……はい」
ニーメルドは一瞬、狼狽えた顔を見せたが、すぐに表情を引き締めた。
彼もギイナスの街に潜んでいた者たち同様、家族の身の安全と引き替えに、今回の任務に就いていた。任務が失敗した今、何かしらの結果を残さなくては、家族の身が危ういことを理解している。
ダイダーノブの一言は、そのことを再認識させるのに充分すぎた。
馬車の中に沈黙が降りたとき、ギイナスの街で合流した若い男が幌の入り口にやってきて、南の方角を指で示した。
「ダイダーノブさん、ギイナスの衛兵が来ます!」
「数は?」
「さ、三名ほど」
「その程度……任せておけ」
ダイダーノブは脇に置いてあった短剣を手にすると、荷馬車から降りた。
「長剣はよろしいので?」
「必要ない」
ニーメルドが差し出した愛用の長剣を断ると、ダイダーノブは近づいてくる三頭の騎馬へ向けて歩き出した。
「そこの者、止まれ!」
衛兵の一人が抜き身の剣を横に広げ、ダイダーノブの前に立ちはだかった。
「我々は、領主様暗殺を企てた者どもを探している。調査に協力すればよし、抵抗するようであれば――」
「雑兵ごときが、どうするというのだ?」
ダイダーノブの挑発に、まだ若い衛兵が怒りの形相で騎馬から降りた。剣を抜き、ダイダーノブへ切っ先を向けた。
「貴様、侮辱は許さぬぞ――」
ダイダーノブが隠し持った短剣で剣を弾き、続けざまに驚く顔をした若い衛兵の喉笛に鋭利な先端を突き立てた。
「か――ぁ」
掠れた声をあげて若い衛兵が崩れ落ちる。
「貴様!」
残った二人の衛兵が、騎馬に跨がったまま剣を抜いた。そのときにはすでに、ダイダーノブは片方の衛兵のすぐ脇まで移動していた。衛兵が腰に下げている鞘を掴み、無理矢理に騎馬から引きずり下ろして地面に落ちたところを、鎧の隙間から腹部に、短剣を深く突き刺し、代わりに長剣を奪った。馬首を巡らしダイダーノブへ向けて振り下ろされた衛兵の剣を、奪った長剣で受け流す。
返す刀で横腹を切りつけると、衛兵は騎馬から崩れ落ちた。
無言でとどめを刺したダイダーノブは、三人の死骸をそのままに、荷馬車へと戻った。
三人を斃すまでに、数十秒ほど。相手を圧倒したことに、ダイダーノブは何の感慨も浮かべていなかった。
「誰か、あの衛兵の鎧をはぎ取ってこい。状況次第では、便利な道具になる」
「は、はい」
数名の男たちが衛兵の亡骸へ向かうのを一瞥して、ダイダーノブは荷馬車の中へと入った。そして中にいた男へと、奪った長剣を放った。
「手頃な者に衛兵の装備を着せて、小僧たちを追わせろ。不意打ちでもなんでもいい。隙を見て小僧どもを殺せ」
「……は、はい」
男が立ち去ると、ダイダーノブは木箱を机代わりに、地図を広げた。ギイナスの街から東北の方角へと目を移し、街や集落の所在を確かめる。
そんなダイダーノブの姿を、ニーメルドは神妙な顔で眺めていた。




