あと9日
――呪いの日まで、後九日――
レヴィアは大きく深呼吸をした。それでも緊張はほぐれない。
レヴィアは数年ぶりにリバトールの大通りを真っ昼間から歩いていた。まじまじと村を見て回るのはそれこそ十六年ぶりとなる。
久しぶりの村は変化でいっぱいだった。
子供たちの溜まり場だった空き地に家が建っていたり、その逆であの頃栄えていた商店がなくなっていたり。それは建物だけに留まらない。道行く村人にも見知った顔はいなかった。もしかしたら顔を合わせたことがある者もいるかもしれないが、十六年も経っていては判別のしようがない。向こうも覚えていないことだろう。元々村長以外の村人とはまともに会話することを避けてきたのだ。仕方がない。
その代わり、懐かしいところもあった。広場の一本杉は今も変わらずそこにあったし、昔にはなかった建物も増えてはいるが町並み自体は大きく変わったわけでもない。
ただ、村の活気は昔とはかけ離れていると思った。村人には生気がなく、皆、疑心暗鬼に取り付かれているようだった。村人以外の人間が珍しいのか、すれ違うたびに訝しげな視線を向けられ、レヴィアは少しウンザリしていた。
こんな排他的な村だったろうか……記憶の糸を手繰るが、今のような情景と記憶が一致することはない。アマガミサマの呪いが村に与えた影響は相当なものだったのだろう。
なぜ、今更になって村に下りたかにはもちろん理由がある。昨日のことだ。
「やはり、村の皆に話を聞くところからかな」
ルクロはそう言うと溜息をついた。
「でも、当時を知っていて僕と話をしてくれるのは先生くらい……」
固い決意をした二人だったが、いきなり壁にぶち当たっていた。情報が少なすぎるのだ。呪いの日から村に近づかなくなったレヴィアと、村人とほとんど接点のないルクロ。ルクロの記憶だけでは十六年分の被害者をまとめることすらままならなかった。ルクロ曰く、母や祖父や幼い頃の友人など、近しい人のことはバレスから聞いたり、記憶に残っていたりするのだが、子供の頃住んでいた家の隣人など、直接の接点が少ない被害者のことはあまり覚えていないのだという。被害者すら把握できないのに原因が特定できるはずもない。
「先生にも話を聞いてみようと思いますが、僕に気を使ってか中々詳しいことまで教えてくれないんですよ」
ともルクロは言っていた。となると、ルクロだけに情報収集を任せていても埒が明かない。そこで、自ら旅人を装い村に降りることにしたのだ。協力したいと言った自分がのんびり丘で構えているわけにもいかないし、何より、少しでも彼の力になりたかった。
しかし、こう、あからさまに避けられると話しかけることすら躊躇われる。しかも内容が呪いの日についてだ。レヴィアは歩きながら途方に暮れていた。
いや、こんなことではいけない。
思い切って商店の一つに足を踏み込んだ。
「いらっしゃいませ」
さすがに店員はこちらを避けることはないようで一安心した。カウンターの店員の元に一直線に向かう。
「どういった御用件でしょうか?」
男性店員は口調こそ平素なものの、その顔からは明らかに疑惑の表情が読み取れる。ここでいきなり核心に触れて情報が得られないだけならまだしも、変な噂でも立てられようものなら後々動きづらくなる。まずは世間話からすることにした。
「この村には宿はないのか?」
宿が鴉亭しかないのは知っている。ルクロもそう言っていたし、十六年前も宿は鴉亭しかなかったはずだ。
「ああ、お客さん旅人さん?」
店員の疑惑は少し解けたようで、レヴィアは一安心した。
「ああ、道行く人にも聞こうと思ったのだが、どうにも皆暗い面持ちで話しかけづらくてな」
「お客さん、悪い時期に来たもんだねぇ。この村、もうすぐ厄日が近いんだってんで皆ピリピリしてるのさ」
うまく話を向けられることができた。
「厄日?」
「あ、いや、なんでもないんだ、気にしないでくれ。それより宿でしたね、えっと、この村には宿は一軒しかないんですよ。今地図描きますね」
「そうか」
やはり一筋縄ではいかないか。
何とか深い話が聞けないか思案に暮れていると人の気配を感じた。振り返ると、商品棚の向こう、店の奥から少女が現れた。
「終わったわよ、店長」
ふと、地図を描く手を止めた店員が顔を上げる。どうやらこの男が店長だったらしい。
「ああ、すまないね、助かったよ」
「もう、全くよ」
少女が腰に手を当て気だるそうに歩いてくる。活発そうな少女はレヴィアを視界に捕らえると意にも介さず話しかけてきた。
「あら? どちらさま?」
「旅の人だってさ」
と、店長。少女はなるほど、と納得し、
「気を悪くしたらごめんなさい、何しろ小さな村なものだから旅の人も珍しいのよ」
軽く礼をした。
「気にしなくていい、通りを歩いてそれは十分に分かった」
店長と少女が顔を見合わせ苦い顔をする。
「ああ、そうだ、この人鴉亭まで案内してあげてよ、どうせ店戻るんだろ?」
「いや、手を煩わせるわけには」
「ああ、気にしないで、私の家、鴉亭のすぐ近くなんです」
「しかし、地図も描いてもらっているわけだし……」
と、描きかけの地図を横目で見る。そこには得体のしれない模様が描かれていた。
「……い、いや、やはり頼もう」
店を出ると、少女の後に続いた。村の少女と一緒な分、先ほどよりは緩和された気がするが、やはり村人からの視線は気まずいものだ。その様子にまた溜息が出てしまう。こんなことで後わずかしかない呪いの日に間に合うのだろうか。不安と焦りが募る。そんなレヴィアの様子に気付いたのか、少女が歩む速度を落として話しかけてきた。
「ごめんなさいね、いつもはもう少し活気ある村なんですけど」
「あなたが謝ることではないだろう」
「うん、そうですよね……」
この少女は他の村人と違って話しがわかる。そう思ったレヴィアは踏み込んでみた。
「先ほど厄日が近いと聞いたが」
「え、あ、うーん……」
少女はやや困ったように話を止めてしまったが、すぐに言葉を続けてくれた。
「本当は旅の人にこんなこと言うことではないんですけれど……この村は迷信に取り付かれているんです」
「迷信?」
レヴィアは驚いた。てっきり村中が呪いを信じているものだとばかり思っていたのだが彼女は違うようだ。
「毎年、この時期に不幸が重なって……人が亡くなることが多いんです。それで村のみんなが呪いだとか騒ぎ立てて」
「毎年続くのならば何か原因があるんだろう?」
「それが村唯一のお医者様にも分からなくて」
「それでこんな様になっているのか」
「ええ、どうしてもこの時期に変わった人がいると結びつけちゃうみたいで。こんな村に泊まりたくないですよね、嫌な話をしてしまってごめんなさい」
「いや、気にしなくていい。私はそういう非合理な話は信じていないからな、呪いなどより先に何か他に原因があるものだと思ってしまうよ」
その言葉を聞いた少女の表情が明るくなった。
「そ、そうですよね、呪いなんてあるはずありませんよね!」
「もう少し詳しいことを知っている方はいないだろうか? 今の話で少し興味が湧いた」
この流れなら聞いても不自然ではないだろう。ううん、と少女は少しの時間考え、やがて思い出したかのように答えを出す。
「一人心当たりがありますね。たぶん村で一番詳しいと思いますよ」
思わぬ収穫だった。
その後は少女と何でもない話をしながら案内を続けてもらった。若いのに旅は辛くないのかとか、自分は村から出たことがないから憧れるだとか。対してレヴィアはこの村に辿り着く前の話をした。もっとも旅をしていたのはこの村に辿り着く前の話。もう数百年も昔だ。その内容に不自然さを感じられるかと余計な不安を覚えたが、逆にその不思議さが彼女に受けたらしく、彼女は目を輝かせながら聞いていた。
「あいつもこんな村にいつまでも居てやる必要ないのに」
ふと少女の視線が遠くなる。何かを憂いているようだった。
「村を出たいのか?」
「ここだと、辛い思い出ばかりだから――」
そう言いかけた彼女の言葉が止まる。
「あ、もうすぐですよ、ほら」
少女が指差す先には店と店に挟まれた一軒の家。村の大通りから少し離れたところにあるものの、このあたりは商店が多く、人通りもかえって多いくらいだ。それなのにその家の周りだけが空気が重い。左右の店には普通に人だかりができているというのに、その家の周りだけが誰もいなく、村人が避けるように歩いているのだ。
「ちょっと表だと目立ちますね」
そう言って少女は裏口の方に手招きする。裏通りはしんとしており、建物一つ挟んでいるだけだというのに表の喧騒が不自然に遠く聞こえた。
裏口の戸を叩こうとした少女はふとその手を止める。
「あの……」
何かを言い出そうとしているようだが、言っていいものか迷っているようだった。ここまで来てまだ何かあるというのか。
「えっと、旅の方」
「レヴィアという」
「レヴィアさんは、呪い、信じてないんですよね」
「ああ、今更なぜそんなことを」
「私も呪いなんて信じていません。でも、村の人はこの家に近づくと次の呪いの対象になる、と噂しています。そのことだけを確認したくて」
少女は戸を叩いた。
まさか、と思ったときにはもう遅かった。
「はーい」
と、いつもの間の抜けた声とともに戸が開かれ、そこに立っている少年と目が合う。少年はぴたりと固まり、やがてぜんまい仕掛けの人形のようにカタカタと口を動かした。
「れ、レヴィアさん?」
ルクロだった。
「ほっほ、ルクロもいつの間にかこんな美人と知り合いになっているとは、全く隅に置けんのう」
目の前の老人が笑う。
「からかわないでくださいよ」
台所からルクロが紅茶の一式を持って現れた。居間に通されたレヴィアと少女はルクロから紅茶のカップを受け取る。
先ほどからレヴィアは驚きの連続だった。少女に案内されたのはルクロの家で、紹介したかった相手はルクロの保護者であるバレス、そして更に驚くことに、
「でも、本当に驚きましたよ。レヴィアさんがアリサさんと一緒にうちに来るなんて」
この少女がルクロから聞いていたアリサだった。アリサはレヴィアの隣で不機嫌そうに座っている。
「奇妙な偶然というのはあるものだな」
「さほど大きい村ではないからの」
「ルクロもルクロよ、レヴィアさんのことなんて一言も話してくれなかったじゃない」
「ご、ごめん」
「別にいいですけどー。ルクロとレヴィアさんがどんなに仲良くしたって、どうせ私には全然全く少しも微塵も関係のないことだし。気にしないで。どうぞ御自由にしてください」
「あ、アリサさん!」
「……っ、ふふ」
思わず声が漏れてしまった。どうやらアリサはルクロの話以上に好感の持てる人物らしい。
あ、と思った瞬間にルクロとアリサ、二人の視線がぐるっとこちらを向いた。
「すまない、あなた達があまりに仲が良さそうだったもので」
「二人はこおんな小さい頃から隣同士だったからの」
バレスが自分の腰ほどに手を下げ、幼児くらいの身長を挿す。
「先生のところに来たばかりの頃はルクロ、泣いてばかりだったわね」
「僕も子供だったんですよ」
「でも、やれ蜘蛛を見れば泣き、やれ蛙を見れば泣き、だったじゃない」
「泣き虫な子供だったのだな」
「そうなんですよ。夕方になって家に帰るときも、お姉ちゃんと別れたくないー! ってよく泣いてたっけ」
「もう、止めてください!」
この数日で色々な事を打ち明けあったが、まだまだルクロのことは知らないことの方が多いのだなと再認識する。これからいくらでも知る機会はあるだろう。もう、殻に閉じこもることは止めにした。だからこれから順を追って知っていけばよいのだろう。
だが、無邪気に笑う二人を見て、なぜか少しだけ胸が苦しくなった。
「あの頃は一人になりたくなかったんですよ。先生も仕事で忙しくて、いつも一緒にいられるわけじゃありませんでしたから」
「……しょうがないわよね」
「母さんが亡くなって間もなかったこともありますし。そうですよね、その年の呪いの日からバレス先生のところにお世話になっているってことは……もう十年以上経つのかぁ。あっという間でしたね」
その言葉を受けて、あ。と何かを思い出すように声を漏らすアリサ。
「そういえばバレスさん、レヴィアさんが来週のあの日について知りたいというのですが」
そうだった。ここへは呪いの日について聞きに来たのだった。あまりにこの空間が心地よいので忘れかけていた。
「ほぅ」
眉をひそめたバレスが真剣な面持ちになる。飄々とした印象は消え、なるほど、これならば彼が医者だというのにも何の疑いも持たないだろう。
「なぜ、知りたいのかね」
思わず唾を飲み込む。もう、覚えていないくらい長い時を過ごしてきたが、こんな圧力を受けるのは数える程度しかなかったと思う。それほどバレスには迫力があった。
「偶然では片付けられない不幸がこの村を襲っていると聞いた。だが、私は呪いなどというものは信じていない。だから詳しいことを聞いてみたかった。力になれるとは限らないが、余所者だからこそ分かること、気付けることがあるかもしれない。それに、今のこの村の様子を見ていると、皆、この時期に起こる不幸を呪いの一言で片付けてしまい、疑いすらしていないように思えるのだ」
ルクロが驚きと不安の混じった表情でこちらを見ている。その様子だとまだ話を切り出してはいなかったようだ。
「それは何も知らぬからこそ言えることじゃ」
バレスは視線を窓の外に向ける。釣られて外を見ると、ユリカモメが空を飛んでいた。
「お主達旅の者は大空を自由に飛ぶ鳥のようなものじゃ。餌がなくなれば森へ飛び、冬が来れば寒さが厳しくない土地へ飛ぶことが出来る。だが、大地に根付く草木はそうはいかんのじゃよ」
視線を戻す先はこちらの瞳。
「土地が枯れようが、冬が来ようが、草木は動くことができない。ただ、現実を受け入れ、強く根を張るか、現実に諦め、朽ちていくしかないのじゃ」
彼ら村の人間だって最初から諦めていたわけではないのだろう。だが、十六年の月日が抗う力を奪った。もうそっとしておいて欲しい、そんな思いがバレスの言葉から読み取れた。
「私たちが鳥だというのなら」
いつの間にか勝手に口が開いていた。
バレスの言うことも分かる。このまま呪いとうまいこと付き合えば毎年一人の犠牲で済むのだから。ある一人の少年に近づかなければその犠牲者になる可能性もずっと減る。当てもなく呪いの原因を突き止めようとして、より大きな祟りが村を襲わんとも限らない。村人達は「今」を維持するのに精一杯なのだろう。だが、それならば残された少年はどうなる。彼は十六年もの間、毎年の犠牲者とは別に、ずっと呪いを受け続けてきたのだ。近しい者を失うという呪いを。そんな少年――ルクロのことを思うとレヴィアは黙っていられなかった。
「大空を羽ばたく鳥は草木の種を運ぶことができる。確かに、もうこの土地に根を張ると決めた大樹達は鳥にはどうすることもできない。だが、これから生まれ行く若い芽の旅立ちを拒む権利は誰にもない、そう思わないか」
しばしの静寂が場を包む。ルクロの不安な眼差しは相変わらずであったし、アリサはレヴィアとバレスを困ったように交互に見ていた。バレスはというと、浅く目を瞑り、無表情で何を考えているかは計り知れない。
「……言葉が過ぎた。すまない、バレス殿」
沈黙を破る。
「だが、これだけはわかって欲しい。ただ、興味本位でこんなことを聞いているのではないのだと。私は微力ながら自分にできることがあるのならばなんだってする。そのためには少しでもこの村のことが知りたかったのだ」
バレスはゆっくり目を開くとカップに少しだけ口をつけ、口を開いた。
「若い芽の旅立ちを邪魔する権利は誰にもない、か」
「先生?」
「確かにこの娘の言う通りなのかもしれぬな。まだ、若いのに大した度胸じゃよ」
「バレス殿……」
「いいじゃろう、ワシの知りうることは話そう。だが、じゃ。場所を移させてもらう。若い者達にはあまり、いい思い出のない話じゃからの」
「構いません」
レヴィアがどうしようか思案する間もなく、ルクロが言う。
「僕もずっと知りたかったんです。今更部外者ぶるつもりはありませんから」
バレスは表情からこそ分かりづらいものの驚いていた様子だった。
「……いつまでも子供かと思っていたが、おぬしももう十六だものな。ワシも歳を取るわけじゃよ」
バレスは小さく微笑む。
「さあ、お主達は何が知りたい……?」
あれほど高かった日は大きく傾いていた。
レヴィアは小さく溜息をつく。横に座るルクロも同じように憔悴していた。
バレスは近所の往診に、アリサは買い物へと出かけている。
二人はテーブルの上に広げられたメモ書きを見ながら、少しだけ後悔していた。
「すまないな、ルクロ」
最近――ルクロに会ってから謝ってばかりだな。言葉を発してからそんなことを思う。
「いえ、僕も望んでいたことですから」
ルクロは小さく首を振った。
レヴィア達はバレスに呪いの日について様々なことを聞いた。まずは最初の呪いの日について。次はその後の十五人の犠牲者について。そして彼らの発症の様子。死因。更に当時の村の様子。原因究明に関係しそうなことは何でも聞いた。バレスは約束通り何でも答えてくれた。克明に。
レヴィアは勘違いしていた。呪いの一番の被害者はルクロなのだと。そして、それに比べれば村人が被っているものなど些細なものだと見くびっていた。だが、現実は違う。バレスは全てを、当時の気持ちまで揺さぶり起こして語ってくれたのだ。その語りには、バレスの怒り、悲しみ、悔やみ、憤り、当時の思い全てが含まれていた。それもそのはず、バレスはこの村の神官として、医者として、ただ一人、十六年に渡る呪いの全てを見てきた生き証人なのだから。
メモ書きを見る。内容は簡単なものだ。十五人の被害者の名前とルクロとの関係、それに死亡日についてのメモ。バレスの悲痛な語りに、それ以上色々と書き連ねる気にはなれなかったからだ。メモを暗唱する。
呪いの日――死者五十八名(含村長、ルクロの父ゴルド)
一年目――イアン(ルクロの祖父)
二年目――シルガ(ルクロの叔父)呪いの日の三日前に死亡
三年目――フロン(ルクロの祖母)呪いの日の一日後に死亡
四年目――ニキータ(隣家の老人、ルクロを可愛がっていた)
五年目――ローザ(ルクロの母)
六年目――エミル(ルクロと仲のよかった少年)呪いの日の六日前に死亡
七年目――ルード(ルクロの従兄)
八年目――シモン(バレス宅の向かいに住んでいた老人)
九年目――マグニス(ルクロとよく話していた青年)
十年目――イザーク(ルクロがよく行っていた商店の店員)
十一年目――クローバー(ルクロの従妹)
十二年目――ジョアンナ(ルクロの叔母)
十三年目――メーヴィル(ルクロの遠縁にあたる老人)
十四年目――クラウス(ルクロの小等部時代の恩師)
十五年目――マーティン(ルクロの遠縁にあたる老人)
被害者の共通点は本当にルクロの関係者だということしかなかった。強いて言えば老人が多いが、まだ若いルクロの従妹なども亡くなっているために年齢に共通点はなさそうだ。親族だけかと思えば、懇意にしてもらった隣人などもいる。
また、被害者のほとんどが呪いの日から一週間前を目処に発病していた。最初は軽微な症状。全身を襲う倦怠感と咳。一見すると季節外れの風邪に思える程度。しかしそれは休息を取ろうと、薬を処方しようと酷くなる一方。そしてついには呪いの日に死亡してしまう。当日に死亡しなかったのはわずか三例。後は皆、呪いの日に死亡している。その三人も呪いの日を挟んで前後一週間以内に亡くなっている。そう考えると誤差の範囲なのかもしれない。
バレスは語っていた。症状そのものはよくあるもので、治療薬も確立されている。しかし、それが効かなかったということは少なくとも、単純な病気ではないということを意味する。更に問題は、原因も対処法も分からないところにある。バレスは毎年毎年研究を重ねてきたのだが、未だに治療法は分かっていない。ただ、今の状況では症状を緩和することしかできないのだという。余命を伸ばすことすらできない。そんな自分の無力さを呪いたいともバレスは言っていた。
「ルクロ、何か気づいたことはあるか?」
「いえ……僕は何も。それに、ここ数年に亡くなられた方々は僕もよく知らないんです。近年は進んで人に関わろうとしなかったし、今みたいな扱いも定着しきっていましたから」
となると、この十五人にこれ以上の共通点を探すには更なる聞き込みが必要になりそうだ。
バレスに話を聞けたことは確かに大きかったが、それだけでは何の進展もしそうにない。むしろバレスの生傷に触れただけで終わってしまったような気がして、申し訳ない気持ちになった。
「「はぁ……」」
二人の溜息が重なる。決意してまだ一日目だとはいえ、残り日数を考えると気が重くなる。早ければ後数日で発症者が出てもおかしくないのだ。
「ただいまー」
重い雰囲気の中、快活な声が響く。アリサが買い物から帰って来た。
どさっとテーブルの上に買ってきたものを広げる。魚介類や鶏肉、ソーセージに野菜もトマトや玉葱、茸類など様々だ。
「二人とも暗い暗いっ。ほら、そういうときは美味しい物食べて気分変えましょ。今日はレヴィアさんもいるから鍋にしようと思って。時期はちょっと早いけど、暑い時に食べる鍋もオツってものよ!」
ぐいと親指を立てると、台所へ向かうアリサ。
レヴィアはアリサの強さに感心した。アリサもともにバレスの話を聞いていたというのに、笑顔を崩さない。そんなアリサだからこそルクロの支えになっているのだなと思うと、少し羨ましく感じた。
夕食を終えたレヴィアは静かに立ち上がった。
「ご馳走様。美味しかったよ」
「帰られるんですか?」
「ああ、夜も更けてきたからな」
「あ」
と何かを思い出すアリサ。
「この村……客なんて珍しいから鴉亭、もう閉まっちゃってるかもしれません」
「それは困ったな」
わざとらしく言う。野宿は慣れっこだ。困る理由がない。
「あそこのお婆ちゃん、もう歳ですからね」
ルクロがぼやいた。昔は男が宿を切り盛りしていたはずだが、どうやら夫に先立たれたか宿主が変わったかしたようだ。
「とりあえず向かってみるよ。主人が起きていれば部屋くらい貸してくれるだろう」
端から宿に寄る気はなかったが、そう言って席を離れた。
「あ!」
先ほどよりも大きな言葉に今度は何だと足を止める。
「レヴィアさん、うちに泊まって行ってください。うん、そうだ、それがいい!」
レヴィアはうまく言葉を返せず固まった。
「よ、っと」
アリサが真っ白なシーツを広げる。シーツのはためきに合わせ、ランプの灯火が揺れた。
「これで一通り終わりましたね。何か必要なものがあれば遠慮なく言ってください」
レヴィアは少し考え、櫛を借りることにした。アリサは分かりました、と部屋を後にする。
レヴィアが通されたのは、アリサの家の二階、その一室だった。元々アリサの祖父母が使っていた部屋だそうだが、二人は早くに亡くなられたため空き部屋が続いていたらしい。ベッドが二つと小さなテーブルがあるだけの簡素な部屋。しかし、手入れは行き届いており、空き部屋だというのに埃一つない。アリサの祖父母がとても慕われていたということが容易に想像できた。
レヴィアはベッドに座り込む。所詮は一介の商人の家だ。実際にはあまりよい質ではないのだろう。だが、今のレヴィアにはとてもやわらかく、暖かく感じる。そのまま上半身を倒した。ベッドで眠るのは相当久しい。レヴィアには睡眠欲もなかったが、眠れないわけではない。だから、色々なことを思い起こしてしまう夜は眠ることにしていた。何より、かつて自分が人だったことを忘れないために。
ノックの音で目が覚めたレヴィアは慌てて飛び起きる。どうやら少し眠っていたらしい。
「失礼しますね」
アリサの手には櫛と……なぜかもう一枚のシーツがあった。
「へへ……やっぱり私もここで寝ることにします。いいですよね?」
「ああ、構わない」
自分の部屋があると聞いていたので不思議にも思ったが、そのシーツのために戻ってくるのが遅かったのだなともう一つの疑問は消えた。
アリサがシーツを広げている間にレヴィアは髪に櫛を通す。これも、村に下りなくなって以来だった。
いつの間にかシーツを広げるばっさばっさという音が聞こえなくなったので不意にレヴィアはアリサの方を見る。作業の手が止まり、こちらを見て呆けていたアリサと目が合った。
「どうかしたのか」
「レヴィアさんの髪すっごくキレイだなぁって」
「私などそう褒められたものではないと思うが」
「そんなことないですよ!」
アリサがレヴィアの髪を手に取った。
「ほら、凄くさらさら。だって、見ていて全然櫛が引っかかる様子もないんだもん」
アリサは自分の髪を指にくるくると巻きつけ、
「この村って海が近いから潮風が強いでしょ? おかげで私の髪なんてごわごわのざらざらですよ」
そうぼやいた。
レヴィアにはとてもそうは見えなかったが、本人がそう言うからには気にしている部分なのだろう。
「やっぱりキレイな方がいいよね……」
半ば独り言のようなのでレヴィアは再び櫛を持つ手を動かす。
再びばっさばっさとシーツを広げる音がしたかと思うと、今度はすぐに止んだ。やっと終わったらしい。その頃にはレヴィアも櫛を通し終えていた。
「よし、おっわり、っと。そろそろ寝ましょうか、レヴィアさん」
ああ、と肯定の返事を送ると、アリサはランプの灯火を消した。
ベッドに横になる。月の光が床を照らすのみで、それを避けるように部屋には闇が満ちていた。
数歩の足音とシーツを捲る音が聞こえる。おそらくアリサも横になったのだろう。そこからは静寂のひと時が流れた。
「あの」
消え入りそうな小さな声が静寂を破る。
「まだ、起きてらっしゃいますか」
「……ああ」
「ごめんなさい、長旅で疲れているのに」
「気にすることはない。私の方こそ、こうやって寝る場所まで手配してもらっているのだ。感謝こそすれ、謝られる理由がない」
アリサの両親に話を通してもらったときの事を思い出す。当然ながら二人とも訝しい顔をしており、レヴィアはやはりこの話を辞退しようと考えていた。だが、アリサが熱弁を振るい、二人を説き伏せたのだ。
「いろんな街に行ったんですよね」
「ああ」
「この村は、どうですか?」
アリサの意図を考える。
「よい村だ。海は綺麗だし、食べ物も美味しい。それに面白い村人にも会えたしな」
「面白い?」
「ああ、普段は子犬のように怯えているというのに、一旦懐くとぱたぱたと尻尾を振る。そんな奴だ」
ぷっとアリサが吹き出す。
「ふふ、いい例えです、それ。懐くまでは大変なんですけど、懐いてしまえば……ですよね。それに子犬のくせに無理に強がっちゃって、何か放っておけないみたいな」
二人して笑った。
「レヴィアさんはルクロとどうやって知り合ったんですか?」
本当のことをすべて話すわけにもいかない。言葉を決めあぐねているとアリサが言葉を続けてきた。
「ルクロ、この数日凄く明るくなったんです。呪いの日まであと一週間ちょっとしかないのにですよ。昨年までならほとんど外出もせず、自分の部屋で過ごしていたくらいなのに」
少しの間の後、ごくりとアリサが喉を鳴らす音が聞こえた。
「だ、だからですよ? も、も、もしかして、もしかすると、レヴィアさんが、その、関係していたりするのかなー? なんて、思ったり、思わなかったりしちゃって」
ルクロとは最初に会った村人でこの村のことを少し教えてもらった、そういうことになっている。アリサはそれを疑っているのかもしれない。
「私は本当にただの旅人だよ。海を見ていたらルクロに声を掛けられた。ただ、それだけだ」
「本当に、本当ですか?」
「ああ、嘘をついてどうするんだ」
「そ、そうですよね」
そう言うと「あいつぅ」とか「意外と度胸あるんだ……」とか「やっぱり好みなのかな」とかアリサがぶつぶつ独り言を始めた。
その様子に今度はレヴィアが吹いてしまう。
「な、なんですか?」
「いや、随分と子犬は愛されているなぁ、なんて思ってな」
「だだだだだだ誰がルクロのことなんか! た、ただ私はルクロのお姉さんとして、あいつも成長したんだなぁ、なんて思ってるだけで!」
上擦った声とともにアリサが跳ね起きるような音が聞こえた。暗闇に慣れてきた目でアリサの方を見ると、アリサのベッドの上の影はなにやら両手をバタバタさせている。
「ルクロ? ふふふ、子犬の話ではないのか?」
「う……あ……レヴィアさんのいじわるぅ……」
ベッドに倒れこむような音が聞こえた。
アリサはルクロを好いている。こんなこと、今日一日の二人を見れば子供だって分かる。気づかないのはそれこそ純粋無垢な子犬くらいだ。自分はどうなんだろうな、と思う。まだ人だった頃に近所の青年に憧れていたような記憶はあるが、それは恋とは違うものだ。ルクロに対しても……きっと違うのだろう。レヴィアはそんなことを思う。そう、この想いはきっとルクロに、この村に贖罪がしたいだけ。