あと10日
間が空きました。読んでいただけてる方には申し訳ございません。スローペースですがなんとか完結までアップしていければと思います。
――呪いの日まで、後十日――
階段を駆け上がる激しい足音が聞こえた。着替えの途中だったルクロは慌てて上着に袖を通す。来訪者の正体は予想がついていた。
激しく木を叩く音とともに扉が開け放たれる。
「ルクロ!」
アリサだった。
つかつかと歩み寄るアリサにおはよう、と声を掛ける。その時だった。彼女の右手が宙を舞い、それがルクロの左頬に吸い寄せられるように振りかざされた。景気のいい音が部屋に響く。
「アリサさん?」
慌ててその顔を見るとアリサの目にうっすらと涙が滲んでいた。
「え、あ、どうしたの?」
平手打ちを受けたのは自分だというのに思わず尋ねてしまう。
「どうしたの……じゃないわよ! 昨日どこへ行ってたの!?」
昨晩、レヴィアが落ち着くまでずっと側に居たルクロが部屋に戻ったのは深夜近かった。バレスからアリサも心配していた、ということは聞いていたので今朝にでも謝りに行こうかなと考えていたところだったのだ。
「ごめん……」
「あの日も近いし、心配したんだから――」
アリサは必死で涙を堪えているようだった。
「もう、遅くなる時は連絡くらい入れなさいよ!」
「うん、そうする」
まだこんなに自分を心配してくれる人がいることに嬉しく思う反面、悪いことをしたな、とも感じた。
「バレスさんもすっっっごく心配してたんだから。バレスさんにも謝っておきなさいよ」
ルクロの様子を見て少し落ち着いた様子のアリサは目をこすると、ひらひらと手を振った。
「じゃ、ね、今日私店番頼まれてるの」
「あ、うん。心配させてごめん。ありがと」
アリサは忙しい中、わざわざルクロの無事を確かめるためだけに来てくれたのだ。
アリサと一緒に階段を降りると、往診の準備をしていたバレスがこちらへ振り向いた。
「やあ、おはようルクロ。効いたかね?」
若干にやついているようにも見える。この人は歳のわりに妙に子供っぽいところがあるのがたまにキズだ。
「な、なんのことですか、バレスさん」
アリサが真っ赤になってとぼけている。
「おやおや、ルクロの頬だけじゃなくてアリサちゃんまで真っ赤になったよ」
思わず左頬に手をやる。まだ多少ひりついているが、まさか赤くなっていたとは。
「ほお、やっぱりねぇ」
バレスがくっくと声を圧して笑う。どうやら一本取られたようだ。
「もう、バレスさんったら! ルクロも、さっきはごめん。じゃ、私行くね」
「うん、気をつけて」
「って、すぐお隣じゃない。うん……でもありがと」
アリサを見送るとダイニングに戻り朝食の準備をする。ボウルに卵を割り、そこに牛乳と砂糖を目分量で足す。そこにパンを浸し、その間に火を入れ、フライパンを温める。バターが溶ける程度に熱し、パンを焼く。お手軽フレンチトーストだ。それに適度にちぎった葉野菜を皿に盛り付け完成。トーストを皿に上げ、食卓へ運ぶ。ついでに暖かいココアも入れた。
「バレス先生、お待たせしました」
バターの香ばしい匂いとココアの甘い香りが漂う。
バレスはあまり料理をしないので食事はもっぱらルクロの担当だ。もっとも居候の身なのでこれくらいは当たり前なのだが。しかし、ルクロの方もあまり料理が得意というわけではない。数をこなす内にそれなりのものはできるようになったが、どうも何かが足りない気がする。だから先日のようにアリサが食事を作りに来てくれる時は正直嬉しかった。
「ルクロ、これに懲りたらあまりアリサちゃんに心配をかけるんじゃないよ」
食卓についたバレスが諭すように言う。
「そうですね。すみませんでした、先生にも御心配をおかけしまして」
「ほっほ、ルクロももう年頃だからの。朝帰りしたい日もあるだろう」
「せ、先生!」
「冗談じゃよ、お前は悪い事をするような男じゃないからな。心配なぞしてはいないよ」
村中に見放された自分にもアリサがいて、バレスがいる。そして今ではもう一人。自分はまだ頑張れる、そう思った。
食卓の皿を片付けながらふと思いついた。食事の時に入れたココアが目についたのだ。
「卵、まだあったかな……」
用意したのは卵に先ほどのバターの残り、さらにココアに薄力粉。アリサに昨日のお詫びにクッキーを焼こうと思ったのだ。料理が得意でないといっても、この程度のものならルクロにも作れる。味は……バレスとアリサにしか食べさせた事がないので世間的な評価は不明である。自分では割とよくできていると思うのだが。
ルクロは卵をほぐしながら窓の外を見た。今日も見事な快晴。ここのところ気分のよい天気が続いている。この時期に天気が良くないと村全体の雰囲気が悪くなる。誰もがあの日を思い出していつも以上に不安になり、苛立つのだ。被害妄想かもしれないが、ルクロへの風当たりも少々強くなるような気がする。それを抜きにしても、無駄に不安を煽る必要はない。まだあの日まで一週間以上もあるのだが、この天気が続くといいな、と思った。
そこでふと昨日の事を思い出した。レヴィアの告白。レヴィアは直接呪いを引き起こしたわけではないと言った。だとすれば翌年以降、毎年犠牲者が出るのはなぜなのか。単なる流行病なのだろうか。だが、それにしてはほぼ必ず呪いの日に死者が出る。一日二日程度のずれはあるが、この時期だけにそういう現象が起こるのは不可解なものがあった。だけど。
呪いが原因でないのならなんとかなるのかもしれない。
ほんのわずかだが、希望が湧いていた。
気分の問題か今日は会心の出来だと思う。試しに一つ口にする。外はサクサク中は気持ちしっとり、これがルクロのお気に入りだ。何十枚ものクッキーを三つに分ける。一つは皿に、残りの二つは袋に包んだ。
「おや、いい香りじゃ」
匂いに釣られてかキッチンにひょいとバレスが顔を出す。
「先生もお一ついかがですか?」
「アリサちゃんには袋包みでワシには一つかね、寂しいねぇ」
わざとらしく指を銜える仕種をしながらクッキーの包みを見てくるバレス。
「もう、うちの分はちゃんとこっちに分けてありますよ」
「それでこそルクロだ」
皿に盛られたクッキーに手を伸ばしたバレスは何かに気付いた様子で振り返った。
「そっちの包みには何が入っておるのじゃ?」
どうやら皿の横に並べておいた二つの包みが気にかかったようだ。
「クッキーですよ」
「二つも?」
「一つは神様に、です。それじゃちょっとアリサさんに渡してきますね」
事情がよく飲み込めていないようなぽかんとした顔をしたバレスを残し、ルクロは家を出た。
ひょいと隣の果実店を覗く。どうやらアリサの両親は既に出かけた後のようだ。色とりどりの果物に囲まれ、丸椅子にちょんと座ったアリサが小さく欠伸をしているのが見える。まだ昼前だ、忙しい時間帯ではないのだろう。瞼が重力に従おうとしている。
「あーりさ、さん」
わざと抑揚をつけて声をかけた。
「ふぉっ!」
うとうととしていたアリサは頓狂な声を上げて危うく椅子からずり落ちそうになる。
「お、驚かさないでよ!」
「いや、店番さんに声をかけるのは普通じゃ」
「ルクロだけは例外よ!」
「あぁ、ついにアリサさんまでも僕を特別視するんだね……」
わざと嫌味なことを言ってみる。アリサはすぐにはっとし、
「う……ご、ごめん」
と申し訳なさそうに言った。
こういうときのアリサは素直だ。それが彼女のよいところである。例え相手が何とも思っていなくとも過ぎたことは謝る。なかなかできないことだ。
「で、どうしたの? 珍しいじゃない、うちに来るなんて。何か入用?」
「あ、今朝のお詫びを、とね」
袋包みを差し出す。
「ルクロにしては気が効くじゃない!」
最初はきょとんとしていたアリサだが、包みを開けると満面の笑みになる。
「ルクロのクッキーって美味しいのよね。私が作るとなぜか甘すぎになっちゃうの」
「砂糖入れすぎなんじゃないですか?」
「ルクロ!」
「冗談ですよ、それじゃ、ゆっくり食べてくださいね」
「え、もう行っちゃうの?」
「僕がいると営業妨害になっちゃうので」
苦笑する。
「う、そ、そんなこと」
ここで否定の言葉を求めるのは酷な話だ。ルクロが村中から嫌悪されているのは事実だし、そんなルクロがいる店に入ってこようという客はいない。だから本当に傷ついてはいなかった。むしろ自分に気を使ってくれるアリサの姿を嬉しく思った。
「それじゃ、またー」
向かいの店の硝子に映った自分を見て、ルクロは初めて自分の口元が緩んでいたことに気がついた。愛想笑いではない自然な笑みが浮かぶ事などどれだけ久しかっただろうか。ましてや呪いの日を目前に控えたこの時期に。
なぜか今日は些細なやり取り一つ一つが新鮮だ。気持ちの持ち様一つでこうも変わるものなのかと驚いた。
これも全て彼女のおかげ。ルクロの怒りを買うのを覚悟で全てを告白した彼女。確かに彼女がアマガミサマだと告白したときは呆然とした。目の前の少女が、いきなり自分は神だと言い出したのだから。しかもこの村でかつて信仰されていたアマガミサマだと。信じていないわけではなかった。むしろ、初めて会ったときから感じていた彼女の独特な雰囲気の正体が分かり、なるほど、と思うくらいだった。不思議と怒りは湧いてこなかった。そもそも告白を受けてから彼女に指摘されるまで、彼女と呪いが繋がるなんて気がつかなかったのだ。レヴィアはアマガミサマ、だから呪いをかけたのはレヴィア。普通なら瞬時に繋がる理解の線がその時はそれ以上伸びなかった。だから彼女に村を呪ったかと問うた時、彼女を信じて疑わなかった。いや、信じる必要すらなかった。
彼女が村を呪うことなんてありえないのだから。
レヴィアはいつもの通り丘から海を眺めていた。たまに吹く潮風に長い髪を揺らし、何をするでもなく青に臨む。ルクロが近づくとレヴィアは静かに振り向いた。
「こんにちは、レヴィアさん」
「ルクロ……!」
目が合ったレヴィアは慌てて海の方に振り戻った。
「な、な、何のようだ」
気のせいか声が上擦っている。
「今日はクッキー焼いてみたんです、レヴィアさんもどうですか?」
そう言ってルクロはレヴィアの横に座る。顔を覗こうとするとレヴィアは顔をぷいと背けてしまった。
「レヴィアさん?」
「いや、なんでも、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
そう言ってそっぽ向くレヴィアは耳まで真っ赤だ。こちらまで顔が熱くなる。
「あ、あの! クッキーどうです? けっこう自信あるんですよ」
気まずさに耐えきれず半ば無理矢理に話題を戻す。レヴィアの眼前に包みを突き出すとこちらにも甘い香りが漂ってきたのが分かる。匂いに釣られたのかレヴィアがちらりとこちらを見た。
「ルクロが焼いたのか」
どうやら興味を持ってもらえたようだ。
「はい。甘いもの、お嫌いですか?」
「私は神だぞ、人と同じものを食べるとでも思ったか?」
そういえば、食べ物の話はうやむやになっていたな。そんなことを思い出しながら少しがっかりする。やはり神ともなると食事も取らないのだろう。
「そうですよね……でも残念です、食べてもらいたかったんですけど」
そう言って視線を落とし、突きつけた手を引いた。
はずだった。
引きかけたその腕はがっちりレヴィアに掴まれていた。
「いや、もらおう……」
「甘い……」
そんなことも言いながらもレヴィアの手はクッキーから離れない。話しかけても、「ああ」とか「うん」とか曖昧な返事ばかりで、時折味を噛み締めるようにうっとりする。小さくクッキーをかじる姿からは出会ったときの大人っぽさは微塵も感じられない。そんな姿は子供のように無垢で、ルクロはいつしか袋に手を伸ばすのを止めていた。やがて、その様子に気付いたレヴィアの手も止まった。
「どうした?」
「いや、あまりに美味しそうに食べてもらえているので」
一瞬、戸惑った様子のレヴィアだったが、すぐに、
「ああ、本当にうまいぞ。ありがとう」
無邪気な笑みで返してくれた。こうも素直に感情を表現できるレヴィアとひねくれた自分を比べ、少し羨ましく思った。いや、羨んでばかりではいけない。ルクロも精一杯の笑顔でレヴィアに応える。
「喜んでもらえてよかったです」
そこで以前も問うたことを聞きなおした。
「普段の食事とかってどうしているんですか?」
「物が食べられないわけではないのだ。ただ、空腹感というものが私にはない。人だった頃にはもちろん普通に食事をしていたが、今は何も食べずとも生きていける。だから、こうして物を食べるのは随分と久しぶりだな。以前は捧げ物などを無碍にするのも悪い気がしていたので味見程度にもらったこともあったのだが」
「へぇ、そうだったんですか」
疑問が一つ解け納得のルクロは危うくレヴィアの重大発言を聞き流すところだった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんだ?」
クッキーを咥えながらレヴィアが不思議そうな顔をする。
「レヴィアさんって人だったんですか!?」
「なんだ、失礼だな。私が人には見えないのか?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「どういうことだ?」
「僕はてっきりレヴィアさんは最初から神様だったんだと……」
ああ、と納得したかのようにレヴィアは続ける。
「私は生まれた時は普通の人間だった。普通に赤子として産まれ、両親の元で幼少を過ごし、友と共に成長していった」
「じゃあいつ神様になったんですか?」
当たり前の疑問をぶつけるとレヴィアは急に黙ってしまう。しかし、すぐにいつもの調子に戻った。
「覚えていないんだ」
レヴィアは困ったように言った。
「気がついたら、自分の知らない場所にいた。父が、母が、友人達がどうなったのか私にはわからない。当てもなく旅を続けていたらここに着いた。私が昔住んでいたところには海はなかったから初めての海だった。その青さに感動したものだったよ。それと同時にあることに気がついた。海の気持ちというのかな。海がどうなるのかが分かるんだ。私は最初、誰もがそれに気付いているのだと思っていたよ。だが、それは私だけだった。村の皆にそれを話したところ、いつしか巫女だの聖女だの奉られるようになった」
昔を思い出すように懐かしむレヴィア。
「だが、それと同時に私は歳を取らなくなっていた。その頃かな、自分が普通じゃないと気付いたのは。だから私は村を離れ、『アマガミサマ』になった。もしかしたら私は既に死んでいるのかもしれない、そう思ったこともある。だが、私はこうやってお前の瞳に映っているし、お前に触れることができる」
そう言うと、レヴィアは手を伸ばし、ルクロの頬を撫でた。
「ずっと生きている心地がしなかった。飢えも渇きもなく、夢を見ているようだった。あの嵐の夜からは村にも滅多に行かなくなった。ただただ海を眺める毎日。悪夢なら早く覚めてくれ、幾度思ったかわからない。だから、こうして自分が生きていると実感したのは久しぶりだよ」
そう、微笑んだ。
「僕も、です」
素直な気持ちを話す。
「僕も今までずっと生きているのが辛かった。ずっと村の皆の顔色を窺う毎日。実はね、死のうと思ったこともあったんです。でも、先生や、アリサさん達の気持ちを裏切りたくなかった。いや、もしかしたら、先生達に託けて逃げていただけなのかもしれません。でも、今は違う。だから――」
小さく息を吸い、決心を伝える。
「呪いと戦ってみようと思うんです」
突然の言葉に不意をつかれたのか、レヴィアは少し不安そうな顔になっていた。
「戦う……?」
「ええ。呪いはアマガミサマが起こしたものじゃなかった。でも、偶然では片付けきれない。だとしたら何か他の原因があるはずです。もし、それを突き止めることができれば呪いは止められるかもしれない」
そう言うと、どこまでも広がる海に視線を移し、更に呟く。
「いや、止めなきゃいけないんです」
十六年前、多くの命を奪った海は今日も静かに波の音を奏でていた。わずかな沈黙の時間が流れる。
「私にも、協力させてくれないか」
「いいんですか?」
「ああ、私も止めたい。お前から幸せを奪った呪いを」
レヴィアは崖の方に歩むと、空を仰ぎながら言葉を継ぐ。
「止められるさ、私は神で、お前は神が見込んだ人間なのだから」