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呪いの日  作者: 柿崎蒼
1/15

あと14日

まだまだ勉強中ですが、お付き合いいただけると幸いです。



――呪いの日まで、後十四日――



 リバトールは小さな漁村だ。人口は五百人にも満たず、他所から人が訪れることもほとんどない閉鎖的な村。海に面している以外に取り得のないこの村の主産業は漁業。成人した男性の四割が漁業を生業とし、残りの二割は漁師の獲った魚を捌く商人。漁業に関係しない職を持つ者は総人口の半分にも満たない。だからルクロも幼い頃は漁師か商人のどちらかになるものだとばかり思っていた。


「ボクね、大きくなったら絶対お父さんみたいな漁師になるんだ!」

 目の前の少年はどこまでも広がる大海原を背に、目を輝かせながらルクロに向かって言った。潮風が少年の髪を仰ぐ。

「お兄ちゃんは?」

「僕……?」


 ルクロは躊躇した。ルクロは今年で十六になる。早い者なら既に海に出ていたり、本格的に商いの勉強を始めている頃である。だが、これといって目指すものがないルクロは、何かをしているわけではなかった。お世話になっている医師の元で手伝いこそしているものの、それは医師になりたいからではなく、それ以前に自分が医師になれるものだとも到底思えなかった。医師に限ったことではない。漁師、商人、職人、農夫、料理人。ルクロはありとあらゆる未来にそう感じていた。いつからだろう、自分の将来を考えられなくなったのは。


「僕は、まだ決めてないかな」

 ルクロは砂浜に腰を下ろした。

「じゃあお兄ちゃんも漁師になりなよ! ボクの船に乗せてあげるね」

 少年は満面の笑みでルクロの隣に腰掛けた。

 初夏の強くなりだした陽射しが二人をジリジリと照らす。空はどこまでも青く、海はどこまでも蒼かった。


「それも、いいかもしれないね」

「じゃあ、決まりね! お兄ちゃん、名前は?」

 ルクロは溜息をついた。嘘をつく必要は何もない。しかし、ここでこの子に本当のことを言うべきであろうか、と躊躇った。

「フランツ! 何しているの!」

 女性が少年に後ろから怒鳴りつけた。咄嗟に二人は振り返る。道から砂浜に降りる石段の中腹あたりで、まだ中年と呼ぶには若い女性が青い顔でこちらを睨み付けている。

「あ、お母さん」

 しまったな、と思った。こんなことならさっさとこの少年と別れておくべきだった。そうすれば少年にも嫌な思いをさせることもなかったのに。

「じゃあ、僕は行くよ」

「え、もう?」

 今なら間に合うかもしれない、そう思ってルクロはその場を立ち去ろうと腰を浮かせた。

「ルクロ! フランツから離れなさい!」

 ……ああ、呼ばれてしまった。

 少年がまるで人形になってしまったかのように固まる。

「ル……クロ? お兄ちゃんが?」

 あんなに生き生きとしていた少年の顔からは血の気さっと引いていき、驚愕の表情が恐怖の表情になるまでに時間はかからない。

「ぼ、ボク行かなきゃ」

 少年は慌てて立ち上がると母親目指して走り出した。よほど慌てているのか砂に足をとられ何度も転びそうになる。やがて母親のところに辿りつくとそのまま石段を駆け上がり、道の向こうへと消えていった。少年がルクロの方に振り返る事はなかった。


 あの少年には悪い事をしたな、と思う。

 しばらくは、不安で夜もぐっすり眠れないだろうな。


 ルクロはこの村で『呪いの子』と呼ばれている。十六年前の『呪いの日』に生まれた、最初はただそれだけだった。しかし、ルクロはいつしか疎まれる存在になっていた。それがその内、ルクロに近づくと呪いが降りかかる、とさえ言われるようになってしまったのだ。それだけ十六年前の『呪いの日』は村人に決して晴れることのない暗い影を残したのだろう。今ではルクロとまともに会話らしい会話をしてくれる村人は数少ないものとなってしまった。


 ルクロはそのまま上体を倒し、砂浜に大の字になった。太陽が眩しかった。これはよくあること。何も気にかけることはない。そう自分に言い聞かせる。今年の『呪いの日』までもう二週間しかないのだ。村の皆がピリピリするのは仕方がない。とはいえ、ルクロの気持ちは沈んでいた。


「もう、十六年も経つのか」

 ルクロは暇なときにはよくこの砂浜にやってくる。この砂浜は人気もあまりなく、ルクロのお気に入りの場所だった。もっとも昔はもう少し訪れる人も多かったのだが、ルクロがここへ通うようになり、その人数は目に見えて減っていった。今では先ほどのような何も知らない子供くらいしか訪れる者はいない。誰もいなくなっても、ここから見える景色だけはいつまでも変わらなかった。


 ルクロはここから見る景色が好きだった。昔、「僕のお父さんはどこにいるの?」と母に聞いた事がある。母は無理に笑顔を作って何も言わずにルクロをこの砂浜に連れ出した。そして、「お父さんはね、この海の向こうにいるの」とルクロを後ろから抱きしめながら言った。どこまでも広がる海からいつか父が帰ってくるのだと思った。それからだ、毎日のようにここに通うようになったのは。それは母の言葉の意味が分かった今になっても変わらない。


 帰ろう。僕にはまだ帰る場所がある。


そう思い立ち上がると、砂浜の左手にある崖が目についた。なぜ今になって気になったのかはわからない。昔母に危ないから近寄ってはいけない、と言われてから何の疑問も抱かず今まで過ごしていた。だが、何か、ある。そんな気持ちが後から後へと湧きあがっていた。


 砂浜を横切り崖の下までやってきたルクロは上を見上げる。絶壁が続き、上に行けば行くほど鼠返しのように石壁が反っていた。これでは登ることは不可能だ。しかし、海岸沿いに苔でぬるぬるした岩場を進んでいくと、岩の開けた場所があった。人為的に岩が削られたように見えたその場所には階段と呼ぶほど立派ではなかったが、平らな岩が段々に積まれており、崖上へ登れそうな道となっていた。

「へぇ」

 何もかもが新しい発見だった子供の頃の感覚を不意に思い出し、ルクロは思わず声を漏らした。期待を胸に岩を登っていく。この崖の上には何があるのだろう。もし崖上に何もなかったとしてもルクロは落胆しないはずだった。純粋に誰も知らない場所を見つけた、という喜びの方が大きかったからだ。

 もう少しで岩を登りきるというところでルクロは落胆とは違った感情で胸を締め付けられた。崖の頂上に何があるのか見えてしまったのだ。そこにあったのは小さなほこらだった。


 だから誰も近寄らなかったのか。


 それでもルクロは岩を登る。ある意味自分にはぴったりの場所なのではないか、そう前向きに考えるようにした。

 ルクロは岩を登り切った。ほこらは石で作られた小さなもので、もう何年も手入れされている様子はない。もちろん何かが備えられているということもなく、雑草が生い茂り、荒れ放題だ。ルクロは手を合わせる事もなく、ほこらの横を素通りした。その奥にある崖の先端に向かう。せっかくここまで来たのだし、崖上から海の景色を見るのも悪くない、と思ったのだ。木々の合間を抜け、小さな丘に出る。

そこに彼女はいた。


「……ッ」

 ルクロは思わず息を呑んだ。一人の女性が崖から遠くの海を眺めていたのだ。砂浜のように白い肌、海のように深く蒼い髪が潮風になびいていた。その後姿に見とれたルクロはそれ以上一歩も踏み出す事ができなかった。

 どれほどの時間が経っただろうか。彼女は振り返る事なく口を開いた。


「何か、用か?」

 その一言でルクロの金縛りは解かれる。

「あ、え、と、その……まさか人がいるなんて思わなかったから」

「つまり用はないのだな?」

「え……はい」


 再び沈黙が流れた。


 何となく気まずくなったルクロは思い切って声をかけてみた。

「あなたは?」

「人に名を尋ねる前にまず自分が名乗るのが礼儀であろう」

「う……」

 彼女の言う事はもっともであったが、ルクロは自分のことを知らない様子の彼女に名乗って余計な不快感を与えるのが嫌だった。


 しかし、また沈黙が支配してきたのが耐えられなかったルクロは観念する事にした。

「僕は、ルクロといいます」

「そうか。私はレヴィアという」

 ルクロは面食らった。

「……え?」

「なんだ」

 彼女が振り向いた。美しい少女だった。歳はルクロとさほど変わらないだろうか。しかし、落ち着いたその表情は妙に大人びて見えた。もしかしたら少し年上なのかもしれない。表情の変化に乏しく、どこか自分とは違う世界にいる、そんな印象を受けた。

 彼女の髪よりもっと深く澄んだ蒼い瞳がこちらを見据えた。それもあってますますルクロは慌ててしまった。


「なんだ、と聞いている」

「僕を知らないんですか?」

「初対面だと思うが」

「僕、『呪いの子』のルクロですよ」

「どういうことだ」

 レヴィアは怪訝な顔をした。

「……」

「……?」


 思わずルクロは吹き出してしまった。自分自身を『呪いの子』と呼ぶのが、そしてそれを聞いて首をかしげる目の前の少女とのやりとりが新鮮で、なぜかおもしろかったのだ。


「何だ、ちゃんと笑えるじゃないか」

 彼女は微笑んだ。思いがけない彼女の表情にルクロは思わず胸が高鳴った。鏡を見たら耳まで真っ赤になっていたかもしれない。すぐに元の無表情な顔に戻って彼女は言った。

「さっきから顔でしか笑っていなかったからな、お前は」

「さっきから?」

「砂浜で子供と話していたときだ」

 気恥ずかしさでいっぱいになった。確かにここから砂浜が一望できる。先ほどのやり取りも見られていたようだ。

「僕、『呪いの子』だから」

「その『呪いの子』というのはなんだ」

 ルクロはレヴィアと名乗った少女の近くに腰掛けた。

「ここ、いいですか」

「ああ」

 レヴィアもルクロに続いて腰掛ける。


「レヴィアさんはこの村の人ではないですよね」

「確かに村の人間ではないな」

「この村には『呪いの日』っていうのがあるんです。毎年、その日が近くなると色々と村に不幸があって……それで十六年前、最初の呪いの日に生まれたのが僕です。村の人は僕に近づくと呪いがかかる、とか噂しています」

「かかるのか、呪い」

「さあ、僕が呪っているわけじゃないので」

「ならば大丈夫だろう」

「でも、アマガミサマがどうだか」

「アマガミサマ?」

 レヴィアは眉をひそめた。

「そこにほこらがあるでしょう?」

 ルクロは後ろを振り向き、荒れ果てたほこらを指差す。レヴィアもつられてほこらを見る。

「あれは多分アマガミサマのほこらだと思います。アマガミサマっていうのは海の神様で、昔は村の皆に奉られていたんですよ。それが、十六年前にお怒りになられて。それ以来呪いの日が続くようになったんです」

「信じているのか、神様」


 この村とアマガミサマとの歴史は古い。海に面している、という条件なら多くの村が満たしているというのに、その中で漁村としてわずかながらも成功しているのはアマガミサマのおかげだと言えるかもしれない。今では畏怖の対象となった悪神扱いであるものの、以前は村を挙げて奉られていたと聞いたことがあった。おとぎ話のような万能な神では決してないが、リバトールには不思議な何かがいるのは間違いない。ルクロはそう思っている。


「見たことないですけどね、いると思いますよ」

「そうか」

 レヴィアの表情が少し暗くなった気がした。何かを迷っているようにも見えた。

 よくよく考えてみればこんな暗い話、初対面の、しかも村の事情を知らない相手に話すことではない。そんなことに今更ながら気付いたルクロは慌てて話題を変えた。

「レヴィアさんは旅か何かですか?」

 ん、と少し間を置いたレヴィアは口を開く。

「旅、か。まぁ、そんなところだ。ここしばらくはここにいたが」

「というと、鴉亭ですか?」


 鴉亭はリバトール唯一の宿だ。普段は魚を買い付けに来る商人くらいしか利用しない。だから旅人が訪れれば多かれ少なかれ噂が立つはずである。だが、ルクロはそんな話を聞いた覚えがなかった。


「いや、ここ、だ」

 そうやってレヴィアはくいくい、と地面を指差す。

「の、野宿なんですか?」

「宿など必要ない」

「駄目ですよ! レヴィアさんは旅慣れしているかもしれませんが女性です! 野宿なんて何があるかわからないんですよ? 獣が出るかもしれないし夜盗に襲われるかもしれない。確かにこの村は平和ではありますが、完全に安全だ、とも言い切れません、野宿なんて絶対いけませんよ!」


 捲くし立てるように言い放ったルクロはふと我に返る。

初対面の相手に今のはちょ、ちょっと明らかに挙動不審だったのではなかろうか。

だが、レヴィアが危険に晒されるかもしれない、と思うとなぜか背筋を嫌なものが走ったのだ。


 目を丸くしていたレヴィアはやがて吹き出した。

「……ふふ、心配いらんよ、私はこれでもそこらの男に押し倒されたりはしない。熊でも狼でも連れて来るといい」

 そう言ってけらけら笑った。その笑顔は歳相応の少女の顔だった。



 そんなやりとりでお互いの警戒心が薄れたのか、思いの他話は弾んだ。もっとも、レヴィアは見た目通り饒舌な方ではなく、ルクロも話がうまい方ではない。弾んだと言ってもなんでもない話をルクロが振り、それにレヴィアが相槌を打つ、といった程度のものだ。それでも普段、特定の村人以外と会話らしい会話をしないルクロにとっては非常に貴重な一時だった。



 いつしか日は傾き、空はほんのり赤みをおびてきていた。

「あ、結構話し込んじゃいましたね」

「行くのか」

「あ、はい。あまりふらふらしていると怒られちゃいますので」

「そうか」

 立ち上がる。全身を駆け抜ける風が涼しくて気持ちいい。

「明日もいますか?」

 座ったままのレヴィアに対して問う。

「そうだな、もうしばらくはここにいようと思う」

「また来てもいいですか?」

「お前の自由だ」

「そ、それはそうですけど」

「私に惚れたか?」

「なッ……」

 唐突な振りに全身が燃えるように熱くなった。

「冗談だ」

 そう言うとレヴイアは口元を綻ばせた。

「え? あ……」

「ふふ、お前を見ていると飽きないよ」


 レヴィアさんも冗談を言うのか、そんなことを思うとほぼ同時に、冗談というよりこれはからかわれただけだな、ということに気がついた。だが、少なくとも嫌悪はされていないということでもある。それは嬉しかったが、からかわれたことはやはり悔しく、別れの挨拶は素っ気ないものになってしまった。


「それではまた」

 そう言ってルクロは家路に着いた。

 ただ、何でもない話をしただけ。それ以外に何もない。それが二人の出会った初日の出来事。

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