で、戦闘モードと俺の価値 ~1
誰の陰謀だか、教育委員会の通達だか、校長の独断だか、職員全員の総意だか、日本国政府の横槍だかはわからないが、わが校は、一年の一学期の始業開始から、すでに通常運転、つまりは午前中で授業が終わるなんてゆとりは持たずにみっちりと六時間のノルマを生徒に課してくれている。
他の高校での経験がない俺はそれが普通なのか、進学校ゆえの特殊ケースなのか、はたまた『未確認敵性異物』に対するが故の取り組みなおかはわからないが。
さすがに、春休みで鈍った体には辛い。それだけでも辛いのに今日は原因不明――実は武藤さんに由来するらしい――の倦怠感。今日は体育が無かったし体を使うことが無かったのが幸いである。都合のいいことに。
とはいえ、体のだるさは異常であり、全授業中、寝こそはしなかったが、今日はノートを取るのはお休みさせてもらった。明日にでも誰かに写させて貰う予定。誰かというのは、谷口だったり、几帳面な性格っぽい大貝だったり、欲を言えば、その原因を直接か間接かで作った武藤さん。まあそれは明日の話だ。
心配していた『未確認敵性異物』の『排除適応者』になるための特別カリキュラムというのも拍子抜けで、今日は一時間みっちりと精神集中。いわゆる座禅というだけで終わった。秋継なんかは、さぞがっかりしたことだろう。あいつは実戦がやりたくてしかたない主義のようだから。
そんなわけで、本日は特になんのイベントもなくつつがなく過ごして放課後を迎えた。
帰り自宅を終えて、さりげなく武藤さんのほうを伺ってみる。昨日とは違い、特になんの用もないようだ。
じゃあ帰るか。
駅までは、吉田たちと同じだが、俺の牛歩に付き合わせるのも悪い。ひとりで帰るべく新しくできた友人たちを先に送り出した。
それはそうと、武藤さんは早くもクラスに馴染んで輝いていた。本人的にはごく自然に振る舞っているだけなんだろうがな。今日は体調不良を名目に、トイレに立つ以外は一日中自席で過ごして体力温存を心掛けていたからよくわかる。ごくごく自然に武藤さんの席の周りに女子たちが集まってくるのだ。
ちらほら聞こえる会話の断片を拾っても、やはりその中心には武藤さんが居た。
しかも、委員長を筆頭とする要は物の怪と普通に付き合えるタイプの奴らも、ここでは少数派である全然そんな気ありませんけど無理やり入学させられましたって奴らも、武藤さんを中心として仲良くなり始めている。男子はその両者に未だに大きな溝があるのに比べてこれは特筆すべきことだろう。
ちなみにだが男子は3つのグループに分かれてしまっているようだ。ひとつは俺も所属するだろう『未確認敵性異物』なんてのに耐性を持たない上園、吉田、大貝を含むグループ。
もうひとつは今まで積んできた修行で怪物退治に積極的な奴ら。
で、最後に、秋継が束ねる自称エリートの精霊使い男子チーム。
俺なんかの穿った見方でよいのなら秋継達は既にクラスから浮いてしまっている。今日の授業でも、自分達には基礎的なカリキュラムは不要だなんて調子にのって白坂先生とやりあったぐらいだ。まあ、闇沼先生の一喝でまた黙らされていたが。
で、不思議なのか当然なのか、男子生徒から注目を集めている存在であろうに、ほとんど誰も武藤さんに関わろうとしない。奥手な男子たち。お調子者が一人や二人ほどいてもよさそうなもんだが、やはり高嶺の花ランキングで最上位におわすお方なのだろう。
まあ、周囲を他の女子生徒に囲まれている状況で、あえて特攻をかます勇気は無いのかもしれんし、それは理解できる。取り巻きの女子生徒と二~三言葉を交わすぐらいが関の山。
別段、武藤さんが男子を近づけまいとするオーラを放っているわけでもない。はずだ。だが、当の俺からして、武藤さんに話しかけるとなるとなんとなく躊躇してしまう。既にそんなポジションを築いてしまっている。
やっぱり険しい峰にひっそりと咲く一輪? 鑑賞物としての武藤さんはそりゃあすごい存在だけど、それがずば抜けすぎていて、実在するいかなる人物、団体とも一切関係ありませんといったラべリングが施されてしまっているのだろうか? 男子生徒にとっては。
まあいい、そんな分析なんの役にも立たないだろうから。
とにかく、家に帰ろう。今日は早めに寝てしまおう。
学内はクラブ見学や体験入部の絶好の新規入団員募集日和で、この勧誘はだらだらとひと月くらいは続くのだろうけど、俺としてはそもそも部活には興味がない。
帰宅部街道まっしぐら。そそくさと家路につくのがいつもの――といってもたった二日間でのルーティーンではあるが――パターン。
上園なんぞは積極的に帰宅グループを作って、友人達との距離を詰めるべく努力を始めているようだ。そのうち俺も麻雀なんかにでも誘われるかも知れないが、とりあえず今日のところは勘弁願いたいと、一人での帰宅を申し出た。
えっちらおっちら歩いて、駅までたどり着いた俺は、空いているベンチに腰を下ろした。
もう、ここまでくるとご老人である。若者の体力を持ち合わせていない。今日に限ったことではあるが。
このままの状態が長く続くのならシルバーシート、優先座席の使用権パスを入手したいくらいだ。
若者だって体調が悪いことも、立っているだけでしんどい時もある。各交通会社のお偉いさん方、そういった若者への配慮ってものを忘れちゃいませんか?
まあ、電車を待つ間の休息スペースは確保できたが、乗車中の時間を考えていると胃が重くなった。朝は必至の思いで掴まった吊革に全体重の七割ほどをあずけて、ようやく三駅ほどの乗車時間を乗り切ったのだ。
帰りは朝ほど込んでいないとはいえ、既に起床から八時間。積もりに積もった疲労は回復の兆しをみせずに、気分までさらに落ち込ませる。
鞄に忍ばせたライトノベルの文庫本を取り出して読む気分にもならず、ただただ、電車がくるのを待っていた。
ふいに、言いようのない胸騒ぎ。
ご主人様が呼んでいる? 御主人様って誰だ? そうだ、俺は従者なのだ。期間限定かも知れないが、面接試験なんてのはなかったが、突然のヘッドハンティングで従者に抜擢されたのだ。
今の俺は、従者。武藤さんに使える身分になったとかなっていないとか。
気のせいか? いや、武藤さんの身になにか?
頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かぶイメージは希薄も希薄。三十倍の天然水で割ったサイダーのごとく、甘みもシュワシュワ感もなく、内容が入って来ない。
それでも、重要なセンテンスはなぜだか伝わってしまう。いっそ、わからなければ無視できたろうに。
『武藤さんが求めている。学校へ戻れ』
これだけだ。そのような内容が、たくさんのジャンクに混じって俺の頭の中を占有しようとしている。このメッセージが誰発信で、発送先がほんとに俺でいいのか? 送料は誰が負担するのか? 着払いなんてことないだろうか? とクエスチョンは尽きないが……。
無視するわけにもいかない。
昨日までの俺とは違う。今までの俺ならこんなわけのわからない現象は気のせいで済ませてしまっていただろう。だが、見てしまった。実際に武藤さんが魔法を使うところを。常識では考えられない事象を引き起こせることを。その結果、俺の体が、だるくてだるくて死にそうになったことを。
このまま感性に身を任せるのも悪くないか。
俺は意を決して、ほんとに無理やり気力を振り絞って重い体を持ち上げて、改札に定期をとおし、帰宅ルートを逆向きに。
走るほどの体力と元気は無く、それでもかといって、のんびり歩くわけにもいかず。
できる限りの速さで。競技競歩とは比べもできない粗末な足取りで再び学校へ向かった。
ようやくのことでたどり着いた校門。胸騒ぎは相変わらず。それどころか、とらえようのない焦燥感がますます俺の心を支配している。やはり戻ってきて正解だったようだ。俺はここに居なければならない。この門をくぐらなければならないという半ば確信にも似た感情が沸き起こる。
やはり戻ってきて正解だったようだ。
いや、正解がひとつだけなのであれば、これは部分点しかもらえない準正解なのかも知れない。真の正解は関わり合いにならないことだという可能性だってある。多分それが真の百点回答だ。
とにかく先を急いだ。武藤さんが俺を呼んでいる。その居場所はわからないが、とりあえず教室にでも向かうか……。それでだめなら、あのすべての始まりの地である屋上へ行ってみるかと、なんの根拠もなく、思いつきで行動指針を立てた。
が、下足室で上履きに履き替える前に俺の目的地は見つかった。中庭に人だかりができている。掻き分け中に入っていくと……。