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「……これは…………?」
俺は武藤さんに歩み寄りながら問いかけた。
「詳しい話はまた後で! とりあえず、魔力の伝導ルートを確保、構築するわ!」
俺の疑問はうっちゃられ、武藤さんは呪文を詠唱し始めた。
途端に、武藤さんの周囲が輝きを放ち始める。仮契約の時と似たような状況だ。そしてその光は一瞬魔方陣を浮かび上がらせたと思うと、まとまった一本の光条へと変化して俺へ向かって伸びてくる。
まさにあの時と同じだ。俺の首回りへ光が集まり、収束し、螺旋を描く。そして……唐突に消える。
なにやら、首に違和感を感じる。触ってみようかと思い、怖くなってやめておく。といって放っておくこともできない。恐る恐る首に手をやると……。これは首輪だ。俺の首には不細工なのか恰好いいのか定かではないが、輪っかが巻き付いている。
これはあれか? 武藤さんと屋上で過ごした素敵なひと時の影響なのか? それともつい今さっきのやつがこれ――俺の首に巻き付いているであろう首輪――を生み出したのか?
武藤さんは教えてくれない。自分のペースで淡々と着々と作業を進める。
「伝導路基礎確保。接続するわ」
なんの説明にもなってない一言を残して新たな詠唱に入る。その表情は明るい。既にやり遂げた感で満ち溢れている。俺もなんだか嬉しくなったが、意味不明の事態の真っただ中に投げ出された身としては、それを表に出すことは苦労しなくてもできそうになかった。
今度は武藤さんではなく、俺の体から光が漏れだす。その光量は、すざまじいものだったが不思議とまぶしさを感じない。が、つい反射的に目を細めてしまう。閉じると細めるの中間。限りなく閉じているに近い俺の視界がゼロの近似を取る。
やがて光が収まり、目を開けた俺の目に飛び込んできたのは……鎖。
見間違えることなどできそうにない。ところどころ錆びかけたような、古びた鎖が俺の首、首輪から伸びている。そしてその鎖の一端は、武藤さんの左手首に巻かれた腕輪と直結していた。
さっきまではこんな腕輪はしていなかったはずだ。
ひょっとして、俺の首輪とペアルック的な何かかも知れないが、うっひょ~、武藤さんとお揃いのアクセサリー身に着けてるぜ~! と興奮する場合ではないのは確かだな。うん。
と視界の片隅で何かが動く。
「あっ!」
その声、俺が思わず出した声に反応して武藤さんも視線を俺と同じくする。
飛翔する炎に焼かれ、その動作、ことによると生命活動を停止していたかに思えた悪魔が、ゆっくりと立ち上がった。
よく見るとその皮膚のところどころには焦げ跡が残っているがそれ以外の傷や異常、つまるところダメージに類するものは見当たらない。秋継につけられた細かい傷も半ばふさがりかかっているようにすら思える。
まあ、健康体の悪魔の皮膚をや姿をじっくり観察したことがあるわけではないので俺の評価なんてなんの価値も無いとは思うがね。
「利いてないのか……?」
俺的には、あの自分の胸から出たド派手な攻撃は必殺技か、最終兵器だと思い込んでいた。ので、平気で立ち上がる悪魔の姿に鳥肌を湧きたてながら、震える声で、恰好悪くも不安を口にしてしまった。
武藤さんはほほ笑む。そんな不安でいっぱい二乗の俺に向かって。
「そう、さっきのはまあ、目くらまし。時間稼ぎね。でももう大丈夫。あなたが来たからね。ほんと困ってたのよ」
困ってたのか。なら来て正解だったな。武藤さんにとっては。が、その自信に満ち溢れた武藤さんを見て、正気を取り戻しつつある俺の口からは溜まっていた疑問が矢継ぎ早に節操もなく溢れ出す。
「ちょ、これ……ここは何? で、あいつはなんなんだ? いったどうなって……」
「あれは悪魔よ。見ればわかるでしょ」
はい。わかりました。うすうす想像していました。でも、面と向かって言われないと認識できないこともあるでしょ?
「『未確認敵性異物』ってやつ?」
「そんなややこしいのじゃないの! あ・く・ま」
と武藤さんは、一文字一文字区切って俺に言う。
「この空……?」
「ああ、魔空間ね。魔界と人間界の混じりあった状態。魔門が開くとその周辺は魔空間で包まれるわ。とりあえずね。門を閉じない限り、それは徐々に広がり、魔界の影響が強くなる」
ほう、簡潔に説明いただきましたが、さっぱりわかりません。
「出現ポイントがずれたから、通常空間に悪魔が現れたけど、門を閉じるには魔空間に入る必要があるから……。足止めしてたんだけど、秋継君の攻撃で本来の目的を思い出してここに来たのよ」
補足もなにやらわかりません。では次の疑問。
「で、この鎖は……?」
「それは、あなたの魔力を私へと転送するためのルート。パイプみたいなものね。ってちょっと黙っててくんない? わかるでしょ? 今はそれどころじゃないから!」
怒られました。確かにそれどころじゃない。
起き上がった悪魔が、爪をむき出して武藤さんへ襲いかかろうとしているところでした。
で、俺はどうすりゃいいんだ?
「遠くへは行かないで! でも近づきすぎないで! でもって死なないで!」
死なない。それは、重要だ。頼まれなくたって無意識に俺は死なないように頑張って生きている。……はずだ。改まって言われるってことは、それだけ死の危険が近くに迫っているということか?
悪魔が爪を振り上げる。振り下ろす。武藤さんはそれを転がって躱す。武藤さん起き上がる。
距離を取って見つめあう武藤さんと悪魔。
悪魔が大きく口を開けた。その口から稲妻にも似た閃光が煌めき、武藤さんを襲う。
武藤さんはどこからだしたのか、長ーい杖――木製で古びた印象――を突き出す。すると閃光は、弾き飛ばされたように辺りに広がり、バチバチッと大きな音を立てつつ拡散する。
再び悪魔はその爪で武藤さんを切り刻もうとする。武藤さんはその杖で攻撃を受け止める。受け止められた悪魔の腕のあたりから煙が吹き上がる。悪魔は、苦痛の雄叫びを漏らしながら、一歩退く。
そんな武藤さんと悪魔の攻防を俺は為すすべもなくぼおーっと眺めていた。
『死ぬな』
それは、今のところ大丈夫だろう。一対一で武藤さんと悪魔の力は均衡している。どちらかというと武藤さん有利と俺には見える。
悪魔の攻撃は俺に向かうことなく、今のところはすべて武藤さんに向けて繰り出されている。
それを、その攻撃にさらされている武藤さんを手助けすることもなく、かばうこともなく傍観しているのは倫理的にはともかく、男の生き様的にはどうかと思われるが、人生七十年として、俺の残存フリーズ時間はあと十年分ほど残っているはずだ。ここで使ってもばちは当たらないだろう。
悪魔が再度飛び上がり、武藤さんをその眼下にとらえる。
武藤さんはそれを見て、杖を構えながら呪文の詠唱を始める…………。