プロローグ
ここはどこだ?
ああそうか、子供の頃よく遊んだ公園だ。引っ越しする前の家の近くにあった公園だ。
ブランコと滑り台、鉄棒、『ちきゅう』とか呼んでいたぐるぐる回るジャングルジムのような球体。
それに砂場と小さなベンチがいくつか……。懐かしい。
あれから結構経つのに覚えているもんだな。もう何年になるのか……。
公園に誰かいる。ふたり。小さな男の子と女の子。夕陽に照らされて……。
あれは……一人は俺だ。俺の小さい時の姿だ。あの野球帽に見覚えがある。そういえば半ズボンばっかり履いてたな。暑いときはもちろん、冬場だって。
お袋が言ってたな……。子供は風の子って。意味わかんなかったけど。でも不思議と寒さは辛くなかった。今と違って元気一杯、健康的な少年だった。
「でね~わたし、大きくなったら魔法使いになるの」
女の子が男の子――つまりは幼少時代の俺、幼稚園くらいだったかな――に話しかけている。
「そうか! すごいじゃん!! でも魔法使いってどうやってなるんだ?」
当時の俺が、女の子に返事を返している。
そうだ。これは、忘れかけていた俺の想い出。この女の子を俺は知っている。幼稚園が一緒だったか家が近かったか、名前も思い出せないけど、よく遊んだし……あの子のことが好きだった。いうなれば初恋の相手。
淡い恋。
小学校に入ってからはあの子に会った記憶はない。理由もわからないが、引っ越ししたのか、私立の小学校にでも入ってしまったか……。一緒に居たのは幼稚園までだ。
女の子が俺に向かって話を続ける。
「大丈夫よ。わたし、おばあちゃんに魔法の使い方教えてもらってるの。まだうまく使えないけど、大きくなったら絶対に魔法使いになれるんだって。
おばあちゃんが言ってた。それでね、悪い魔法使いとか、怪物とかやっつけるの」
女の子は得意げな表情だ。幼い語り口からも無邪気さが溢れている。
「悪い奴と戦うんなら僕だって一緒だよ。ヒーローになって、ロボットに乗って戦うんだ。僕がもちろんリーダーのレッド!」
そういえば、そんな夢を持っていた気がするなあ。まあ、俺に限らずこのくらいの年代の男の子なら誰だってそうだろう。現実と、テレビの区別がつかずに、ヒーローになれるって信じていたあの頃。
「うん。一緒に戦えるといいね」
女の子が俺に微笑みかけた。
「一緒に~? 怪人とかとなら戦うけど、魔法使いなんてヒーローは相手にしないよ」
その俺の言葉で女の子は少しうつむき、悲しそうな表情になる。そういえばそんなこと言ったような……言わなかったような……。
「で、でも、……ちゃんがピンチの時は、助けてやるよ。相手が魔法使いなら、ビームはなしかな。ガンも使わない! そうだ! 剣で戦う。剣で戦って、護ってあげる!」
女の子が、顔をあげて、少年時代の俺を見つめてにっこりとほほ笑む。それを見て俺も笑い返す。
当時の俺と、今現在の高校生の俺がひとつになる。俺はいつの間にか、公園に立っている。
俺の目の前には、あの小さな女の子が立っている。屈託のない嬉しそうな表情を浮かべながら……。
突然、風景ががらりと変化する。
夕暮れの公園はもう目の前には存在しない。あの女の子も。ブランコも、滑り台も。
俺は、空高くから見下ろしている。古めかしい洋館が見える。周囲を塀で囲まれ、庭には木々が茂っている。噴水まではないが、ところどころに蔦が絡まった年季の入った立派な庭付きの一戸建てだ。庶民には手が出ないほどの。記憶にはない、知らないはずの建物。
俺の意識は、どんどん舞い降りていく。洋館の屋根のすぐそばまで降下する。屋根をすり抜けて、長い廊下を抜けてやがてある一室にたどり着く。
そこで、気が付いた。
そうか、夢を見てるんだ。だからこんな突拍子もなく場面転換する。体が宙に浮いて空からの景色が見える。意識だけで世界を感じ取れる。甘酸っぱい幼少時代の思い出に浸りながらも、俺は今、自分の意識がある部屋の奥に目をやった。
大きな机が置かれている。その上には、占い師が使うような水晶玉。
その水晶球に向かって一人の少女が、なにやら手をかざし、ぶつぶつ言っている。
「やっぱり……石神君しかいないわね」
少女が着ているのは、俺がこの春から通うことになった高校の女子用の制服に似ている。セーラー服姿。
セーラー服と、古びた洋館の小部屋。周りにびっしりと本が詰まった書架で埋め尽くされた部屋がミスマッチしている。さらには水晶玉。なんの共通項も見いだせない。まあ、夢だから仕方ないか。
でもって、なんで、こんな夢を見たんだ。
俺はこの少女を知らない。会ったことは無いはずだ。覚えがない。そりゃあ何度か高校には行った。入学試験の真似事もした。だけど、知り合いは一人もいなかった。誰かと話した記憶も無い。ましてやこんな可愛い女の子なんて。少しでも接点ができていたなら忘れないはず。
長く伸びた黒髪に、背中で赤い大きなリボン。目は丸く大きくて、グラマーって感じでもないがスタイルもよさそうだ。座っているから想像でしかないが。
とにかく魅力的な少女。
そんな彼女が『石神君』、つまりは俺の名を呟いた。
都合いいね。
つまるところは夢なんだ。実際どんな高校生活が始まるのか知ったこっちゃない。無理やり入学先を決められて、半ば落ちることは無いという形だけの筆記試験。適性検査という名を借りて俺の体は隅々まで調べ上げられた。
不安だらけなんだ。高校生活には。
知り合いもいない。集まってくる生徒たちは一癖もふた癖もありそうな面々ばかりだと予想される。
夢っていいよね。自分の思い通りになる夢もある。もちろん悪夢だってあるが。どっちかって言うとこれは、良い方の夢に相当するだろう。なんたって、こんな可愛い少女が俺に関心を持ってるんだから。
偶然おんなじクラスになって、出会い……仲良くなって……交際が始まる……なんてことになったら、推定彩色グレーだった高校ライフがパステル色にときめくだろう。こんな少女とお近づきになりたい。そうであるなら高校生活も捨てたもんじゃない。
でもって俺は夢うつつのまま、この夢について分析しようとして止めた。
流れに身を任せよう。とりあえずは、少女を見守ろう。どうやら、俺の姿はセーラー服姿の少女には見えていないようだ。ぶつぶつとつぶやき――どちらかというとぼやきだな――続けている。
「はあぁ~、やんなっちゃうわね。魔法使いも楽じゃないわ。どうして限りある魔力しか持って生まれてこなかったんだろう?」
そう言いながら、少女はそれまで眺めていた水晶玉を軽く手の甲で弾き飛ばした。台座代わりの小さな座布団みたいな布きれに鎮座していたそれは、机の上から転がり落ちて、そのまま割れることもなく床の上をごろごろ転がった。
俺の足元まで。とはいえ、夢の中の話。俺の体はどこにも存在しない。透明人間のごとく、意識だけがこの屋敷、この部屋に存在している。体を動かそうにも動かすべき手足が存在しない。そんな状況の夢だ。もし体があったとしたら、という仮定の俺の足元へ転がってきたと思ってくれればいい。
「誰? そこにいるのは?」
だが、少女はそんな実態を持たないはずの俺に反応した。その視線はまっすぐ俺の意識の所在する場所へ向けられている。
そして、少女は俺と彼女を隔てていた大きな木製の机を回り込み、俺の元へと近づいてくる。
少女は俺の目前まで迫り、そっと俺に向かって手を伸ばした。あたりを、空中をまさぐる。
ってとこで目が覚めた。素晴らしい朝の始まりだ。今日は気が重い初登校、入学式。ここ数年来でもっとも気が重い一日だ。
下らん学校に行って、責め苦としか思えない授業や課題をこれから三年間も続けなければならない。
どうしようか、もう一度寝てしまおうか? そういえば今いったい何時なんだと時計に目をやろうとした俺の頭の中で、
「気のせい……じゃないわね」
とさっきの夢に出てきた少女の声が響いた気がした。