前編
ようやく事務所が見えてきた。事務室への階段を駆け上がり、僕は扉をいきなり開いた。
「先生! 見ましたか、これ!」
「ひゃぁっ!?」
突然の出来事にビックリしたらしく、ボロボロのソファでくつろいでいた先生が飛び上がった。
「な、なに、どうしたの?」
僕は手にしていたチラシをテーブルに広げた。そこには、こう書いてある。
『夢の100万円にチャレンジ!
“ミリオン・クイズ”特別企画!
たった1問正解すれば、賞金100万円プレゼント!』
「…なにこれ?」
「見ての通りですよ! あの“ミリオン・クイズ”が特別企画を打ち立てたんです!」
僕は興奮した口調で、先生に言った。
ここは、先生の運営する探偵事務所だ。そして僕は彼女の助手をしている、ほぼボランティアなアルバイトだ。何故ほぼボランティアかといえば、理由は簡単。ここが全く繁盛していないからだ。1〜2ヶ月に1回ぐらいは依頼が舞い込むこともあるが、その程度の収入では到底僕に給料を支払うことは難しいらしい。契約上は基本給+歩合制と言うことになっているが、依頼がないのだから歩合も発生しないし、基本給だって皆無に等しい。
だから、僕は先生にこのチラシを持ってきた。先生は腐っても探偵だ。雑知識は豊富なはず。クイズ番組に出て、一攫千金を狙うことにしたのだ。
ところが、そんな僕の野望を打ち砕くひと言を、先生がつぶやいた。
「だから、その…」先生は“ミリオン・クイズ”という文字に指を置いた。「ミリオン・クイズって、なに?」
「え……」
僕は固まった。
「いや、知ってるでしょ、“ミリオン・クイズ”。有名なクイズ番組ですよ。ほらあの、ミノさんが司会やってる…」
「………知らないわ」
「………」
雑知識が豊富だと思った僕がバカだった。
僕は先生に、“ミリオン・クイズ”について説明した。
まず、有名なクイズ番組であること。
次に、クイズに全問正解すると最高1億円がもらえること。
そして、一般視聴者から出演者を募集していること、などなど。
「ふーん、そんなのあったんだ」
「先生、これ、出ましょう! そして100万円ゲットしましょう!」
そして僕に給料を払ってくれ、というひと言はぐっと飲み込む。
「もちろん、普段やってる番組に出れば最高金額1億円も狙えますが、そのためには全部で20問も正解しないといけませんし、100万円を得るためにも10問正解する必要があります。でも! 今回はたったの1問で100万円のチャンスです! 先生、これは出ないわけには行きませんよ!」
「参加費とかはかからないの?」
「ええ! タダです!」
「そうねぇ…」
先生は少し首を傾げたあと、うん、と頷いて言った。
「出ましょう!」
その日の夜、僕は先生と一緒に事務所のテレビで“ミリオン・クイズ”を見た。ミノさんが番組内でルールの説明をするが、長寿番組だけあって詳細説明は省かれてしまう。僕は先生の横で、補足説明をしていった。
「基本的に、四択クイズにどんどん答えていけばいいわけです。特に制限時間などはありません」
番組の参加者は、たっぷりと時間をかけて考えている。
「パズルと違って、クイズじゃいくら制限時間があっても意味無いんじゃないの? 知ってるか知らないかなんだから」
「確かにそうですが、制限時間があると焦って違う答えを選んじゃいますからね。無制限の方がプレッシャーは少ないはずです」
「なるほど」
「で、選択肢を選ぶとミノさんが『ラストチョイス?』と聞いてきますので、『ラストチョイスです』と答えると、解答が確定され、正解発表がされます」
「ふむふむ」
僕たち2人は、そのまま番組を見続ける。ミノさんが問題を読み上げた。
『では、50万円をかけた第8問。ABO式血液型判定に使われる血中成分は、次のうちどれ?
A、赤血球。B、白血球。C、血小板。D、血漿』
「んん……意外と難しいわね」
先生がうなる。見ると、番組の参加者もうなっていた。ミノさんが参加者に告げる。
『ライフセーバーは、まだ3つとも残っていますよ』
「ライフセーバー?」
と先生が僕に聞いてきた。
「はい、それがこの番組の特徴です。
参加者は答えがわからなかったとき、当て勘で当てる以外に3つの『ライフセーバー』を各々1回だけ使うことができるんです」
「なにがあるの?」
と言ったとき、番組の参加者が
『じゃあ、使います』
『わかりました。さあ、どれを使いますか?』
テレビ画面に、3つのマークが現れる。
『それじゃぁ…アンケートで』
『わかりました。では会場の皆さん、お手元の解答ボタンを押してください』
「アンケートって?」
先生が聞く。
「ライフセーバーは全部で3つ。『アンケート』『ハーフ』『チェンジ』です。いま彼女が使ったアンケートは、会場にいる観客に解答を聞くもので、観客全員がこのクイズに解答します。解答者は、その集計結果を見て正解のヒントにするんです」
「ふ〜ん」
言い終えたとき、画面にアンケート結果が表示された。最も得票が多かった選択肢は、A赤血球。
『じゃあ…Aの赤血球で』
『ラストチョイス?』
『ラストチョイスです』
『…正解! 見事、50万円をゲットです!』
番組は続く。
『佐藤さん、最近は何か、本を読みましたか?』
『そうですね…「ABC殺人事件」を』
『おや! もしかして、ミステリが好きなのですか?』
『ええ』
『そうすると、次の問題はラッキー問題かもしれませんよ。…では、100万円をかけた第10問。世界的に有名な名探偵シャーロック・ホームズ。彼が探偵業を志すきっかけとなった事件は、次のうちどれ?
A、マスグレーヴ家の儀式。B、グロリア・スコット号事件。C、緋色の研究。D、四つの署名』
「そんなの知らないわよ」
「探偵なのに?」
「私はエーミールとかが好きなの!」
先生は、さっきから1問も答えられていない。当てずっぽうで言っても外れてばかりだ。
一方、番組の参加者もわからなかったようで、首を捻っている。悩む参加者を見て、
『ライフセーバーは、まだあと2つ残っていますよ?』
『じゃあ…使います』
『わかりました』
画面に2つのマークが現れた。
『どれにしますか?』
『ん〜…ハーフで』
『ハーフ、わかりました。…ちなみに、どれが正解だと思いますか?』
「ほら出たぁっ!」
僕は叫んだ。
「なに、どうしたの!?」
「ハーフっていうのは、コンピュータが無作為に選択肢を2つ減らす…つまり、半分にするんです」
「ふんふん」
「でも。本当は無作為なんじゃなくて、作為的なんじゃないかって噂されてるんです」
「どういうこと?」
「いまミノさんが『どれが正解だと思いますか?』って聞きましたよね? 当然、参加者は思わず答える」
『確か、Bだったと思うんですが…』
『Bですか』
『どれも1回だけ読んだことがあって…確かそうだったような』
『わかりました。では、コンピュータが無作為に選択肢を減らします』
ジャン、と音がして選択肢が減った。残ったのは…BとD!
「ほら見てください。参加者が正解だと思ったBが残ったでしょ? こんな感じで、参加者が『これだと思う』と言うと、必ずそれが残るんですよ!」
「ふぅん…。でも、それはそれが正解だから、じゃないの?」
「まぁ、そうかもしれませんけど」
『じゃあ、Bが残ったので、Bで』
『ラストチョイス?』
『ラストチョイス』
『……正解! おめでとうございます、100万円、ゲットです!』
今回の参加者は正解を連発し、第13問目まで来た。
『素晴らしいですね、佐藤さん。いよいよ第13問、500万円ですよ! 物知りですねぇ』
『いえそんな…ほとんど当てずっぽうです』
「4択の問題を完全に当てずっぽうで12問全問正解する確率は、0.000006%」
横で先生がなにやらぶつぶつ言っている。
『では、500万円をかけた第13問! 次のうち、バラ科の植物でないものは、どれ?
A、ウメ。B、ブドウ。C、ナシ。D、ビワ』
むしろ、残り3つはバラ科なのか。そっちにビックリだ。
「どれも、バラとは似ても似つかないわね」
「そうですね」いや、待てよ。「でも、僕、ウメ以外はどんな花が咲くのか、知りません」
ついでに言えば、バラがどんな実をつけるのかも知らない。つまり、似ているのか似ていないのか、判断できないと言える。
「言われてみれば、そうね。それに私、ビワがどんな木なのかも知らないわ」
テレビの中では、佐藤さんもうなっていた。わからないようである。ミノさんはクルリと椅子を一回転させたあと、言った。
『…ライフセーバーは、あと1つだけ残ってますが?』
『使います』
『わかりました』
画面にマークが1つ現れた。
「あと1つは『チェンジ』だっけ?」と先生。「問題を変えられるの?」
「いいえ。解答者を変えられるんです」
「え? 誰と?」
「誰でもいいんです。見に来てる知り合いでもいいし、誰かに電話してもいいし、あるいは観客席にいる全くの他人でも構いません」
「…賞金は等分されるの?」
「それは本人たちが自分で決めることです。あ、あと、解答者が変わるのはこの1問だけです。次以降は、また自分が答えることになります」
『どなたとチェンジいたしますか?』
『じゃあ、今日見に来ている友人の中川と』
『わかりました。中川さん、いらっしゃいますか?』
ミノさんが問いかけると、観客席にいた男性が手を上げた。スタッフに誘導されて、彼がステージに下りてくる。
『初めまして、中川さん。佐藤さんとの関係は?』
『あ、えっと、友人です』
『ホントにぃ?』
ニヤニヤしながらミノさんが聞く。しかし彼が答える前に、
『まぁいいでしょう。中川さん、この問題、わかりましたか?』
中川さんは何か言いたげな顔を一瞬したが、すぐに真顔に戻った。
『そうスね』
言葉を区切る。しばし真剣な表情をした後、笑みを浮かべながら言う。
『前に、リンゴがバラ科だと聞いたことがあります』
『へえ! そうなのですか』
『はい。だから、リンゴと似てるナシもバラ科なのでは』
『なるほどなるほど』
ミノさんは当然答えを知っているはずだが、大仰に頷いてみせた。
『それから、ウメの花は花びらが5枚スよね。バラも5枚だから、同じ仲間なのでは』
『ん?』ミノさんが首を傾げた。『バラの花びらは5枚? そうですか? バラにはたくさんの花びらがあると思いますが?』
『ああ、いえ』中川さんがはにかむ。『イバラってありますよね? あれ、バラの祖先なんスよ。現在よく見る観賞用のバラは、そこから品種改良されて生まれたものなんス』
『ほほう、素晴らしい知識量です!』
会場がどよめく。僕と先生も、彼の言葉に息を呑んでいた。ミノさんがニヤニヤしながら言う。
『残りはブドウとビワですね。どちらでしょうか?』
『そこなんスよねぇ』
中川さんもニヤニヤした。わからないようだ。佐藤さんが顔を上げて彼をにらむ。しかし、にらんだところで答えが出るわけではない。
「でも」と先生。「そういう考え方があるなら、答えはブドウね」
「え、どうしてですか」
「ブドウだけ、他の三つと実のなり方が違うでしょ」
なり方? あ、なるほど。確かにそうだ。ウメもナシもビワも実が単体でなるが、ブドウだけ房でなる。
しかし、中川さんはそこには至らなかった。
『カンで、ビワで!』
『よろしいですか? ラストチョイス?』
『ラストチョイス!』
思い切りの良い人だ。こういう人がリスクを恐れず色々なことに果敢に挑戦し、結果的に成功をつかむのだろう。
でも、失敗したときの傷は深いかもしれない。
ミノさんが宣言した。
『……残念! 正解はBのブドウでした!』
あー、と会場からため息が漏れる。佐藤さんが中川さんをにらみつけた。
今後の二人の行く末が、思いやられる結果となってしまった。
「だいたいルールはわかったわ」
番組を見終わると、先生が言った。
「要は、わからない問題をいかにライフセーバーで答えるか、ってことね」
「ええ。それも今度先生が参加する奴は、たったの1問ですから。20問もあるんじゃライフセーバーを使うタイミングも重要になりますが、1問なら使うに越したことはありません」
「いくつ使えるの?」
「さすがに使えるのは1個だけみたいですね。アンケートか、ハーフか、チェンジか。どれがいいと思います?」
「そうねぇ…。とりあえず、アンケートは使えないんじゃないかしら?」
「どうしてです?」
「だってたった1問で100万円よ? 相当難しい問題が出てくるはずだわ。だとしたら、観客にも答えはわからない…意味がないわ」
「なるほど…。でも、先生がわからないだけで、実は一般常識かも知れませんよ?」
昼間だって、“ミリオン・クイズ”を知らなかったわけだし。
「たまたま会場に物知りが多い事を願うわね。それよりハーフはどうかしら? 選択肢が減らせるんだもの、絶対有利よ」
「そうですねー…。でも、ミノさんが裏工作しますから」
「例の『どれが正解だと思いますか?』って奴? あんなの、答えなきゃいいのよ」
「確かにそうする人もいますけど、たった50%ですよ?」
「50%もあるのよ?」
「降水確率50%で、傘持って行きますか?」
「う…微妙ね…」
「でしょ? それよりもチェンジですよ! 先生の知り合いに、専門家とかいませんか? 専門領域の違う専門家を何人か連れて行って、もしその専門分野が出題されれば、もう勝ったも同然です!」
「……そんな知り合いはいないわ」
「うう…そうですか…」
「きみにはいないの?」
「いません」いるわけがない。
「でも、それは却下ね」
「どうしてです?」
「だって、賞金を山分けしないといけないじゃない。そんなの嫌よ」
「それも一理ありますが…じゃあ、どうするんです?」
「………」
先生は少し考えたあと、
「備えあれば憂いなし。中国の歴史書『春秋左氏伝』の言葉よ」
そう言いながら、『広辞苑』を“読み”始めた。
今回はルール説明。
この小説のジャンルが「推理」だと言うことを意識しながら読んでみてください。
次回の「後編」で完結です。