Ⅰ
「信志くんが亡くなったそうよ」と母さんが電話で言った。「明日お葬式があるそうなんだけどあんた帰ってこられる?」
「ちょっとまだわからないな」とだけ言って僕は電話を切った。
「『信志くんが亡くなった』」僕は母さんの言葉を繰りかえしてみた。そのときの僕にはその言葉の意味がよく理解できなかった。あまりに突然のことで思考がついていかなかったのだろう。それにその言葉の内容があまりにも現実味を帯びていないように思えた。そんなこと起るはずがないと僕の体は受けいれることを拒否していた。そのときは悲しみの気持さえ湧いてはこなかった。
そのとき大学はちょうど試験期間で僕は結局、信志の葬式には行くことができなかった。「そんなものどうだっていい、信志のところに行かなければならない」そう思いながらも僕は試験の方を選んでいた。僕は彼の死から逃れようと試験とそのための勉強に集中し忙しい日々に身をまかせていた。そんな風にして過しているとあっという間に時間は流れ試験期間も終った。気がつくと、これまで大学に陰鬱な空気を漂わせていた夏の暑さは人を開放的な気分にさせる気持のいい暑さに変っていた。試験が終った大学の中で僕だけがそれまでの陰鬱な空気に包まれているような気がした。
試験が終ってしまうと信志の死と僕との間をさえぎってくれるものは何もなくなってしまった。いよいよ信志の死と向きあわなければならない。これまで考えないようにしていた分、時の流れが絶望を少し和らげてくれたような、それとは逆に今まで溜めていた絶望が一気に押し寄せてきたようなどっちとも付かない考えが僕の頭に浮かんできた。僕はそのどちらも望んではいない。
夏休みに入ると僕はすぐに帰省し、高校のときに信志と同じクラスだった友人と二人で線香を上げさせてもらうために信志の家を訪れた。信志の母親と妹の千穂が僕たち二人を穏やかな笑顔で迎えいれてくれた。しかしその表情には隠しきれない悲しみの色が浮んでいた。隠さなくてもいいのに。僕たちに気を遣っているのだろうか、それともそうしていないと自分を保つことができないのだろうか。
信志のいる部屋に招きいれられてまず友人が線香を上げ手を合わせた。この行為にどんな意味があるのか僕にはさっぱりわからなかったが、信志と通じあえる唯一の手段だと思って僕もその後同じように線香を上げ手を合わせた。そこで信志の遺影を見ると思わず涙がこぼれてきた。涙がこぼれてしまってから深い悲しみに襲われた。こんなことは今までにはなかった。信志の家にいる間はできるだけ自分の感情を抑えておこうと思っていたのに、彼の死を目の前に突き付けられた僕の体は簡単にその容量を超えてしまった。
こんなに身近な人の死を経験したのは僕にとってこれが初めてのことだった。これまで死についてまともに考えたことなんてなかった。もちろん自分の死についても、他人の死についても。死とは何だろう、そんな素朴な疑問がはじめて僕の中に浮かびあがった。この世界からいなくなる? どういうことだ? もう二度と彼の声を聞くことができない? もう二度と彼と話をすることができない? ただそんな疑問だけが浮んできて決して僕に答を与えてはくれなかった。信志は今どこで何をしているのだろう。僕にはどうしても彼がこの世界からいなくなってしまったことを完全には受けいれられないようだ。
僕たち二人が線香を上げおわると信志の母親がいろいろな話をしてくれた。僕は、信志が高校を卒業する前に突然体調を崩し入院していたことしか知らなかった。僕は大学に入ってからも一度見舞いに行った。そのときの彼はとても元気そうで、早く治して受験勉強を始めるんだと意気込んでいた。僕は大学での講義の話とか大学で出会った可愛い女の子の話とか他愛もない話をして、彼はそれをおもしろそうに聞いていた。そのときは僕も彼が言っていたように彼がすぐに病気を治して、また健康な体で話をしたり遊んだりできるものだと信じきっていた。まさか死んでしまうなんて夢にも思わなかった。
信志の母親は信志が心臓の病気であったこと、その病気が他にあまり例のないものであったことを話してくれた。信志の母親が言った、私よりも息子の方が早く逝ってしまったなんて今でも信じられない、という言葉が強く印象に残っている。単純な言葉のようだが実際にどうしようもない状況に直面したらそんな言葉しか出てこないのかもしれないと思った。
そして信志が生きている間に残していったものを見せてくれた。その中に、彼が自分で書いた大学に合格するまでの計画表があった。六月までには模試で何点取るとか、夏休みの時期には今まで苦手だった日本史を完璧にするとか、オープンキャンパスに行って実際にどんなところなのか見に行くとか、そんなことが表いっぱいに書かれていた。その表は信志の未来に向って生きる意志であふれていた。もうこの表に書かれている計画が果たされることはないんだなと思うと虚しい気持になった。一緒に来ていた友人も僕と同じ気持になっているように感じた。
「そういえば渡さないといけないものがあるのよ」と信志の母親が言った。「田崎くんに渡してほしいって信志に頼まれていたの」と言いながら信志の母親は立ちあがって、その部屋に置いてあった勉強机の抽斗から何かを取りだして僕に手渡した。
僕は礼を言って受けとって、それを見てみると白い画用紙で手作りしたような封筒だった。それはきれいに封がされていて、これは何だろうと思って僕はじっと眺めていた。
「栄太くんに宛てて書いてたの、その手紙」と今までずっと黙っていた千穂が言った。「たぶんそれ、お兄ちゃんが栄太くんだけに読んでもらいたかったものだと思うの。家に帰ってから読んでみて」
「うん、わかった」と僕は言った。
もっと千穂と話がしたかったが、それきりまた千穂は黙ってしまった。僕の方から何か話しかければよかったのかもしれないが、何と言っていいのかわからないし自分の頭の中を探しても見つからなかった。少しの間沈黙が続きそれから友人が、もうそろそろ帰ろうか、と言った。これから何をすればいいのか僕にもわからなかったので、また来ますとだけ言って僕たちは信志の家をあとにした。信志の母親と千穂は、僕たちを迎えてくれたときのような笑顔で見送ってくれた。
信志は死んだんだな。まだぼんやりとだけど現実を受けいれられるようになっている気がした。それ以外の考えは何も浮ばなかった。僕がこの状況を完全に理解するにはもう少し長い時間が必要みたいだ。
信志の家の玄関を出て庭から出るか出ないかのうちに、「ちょっと線香を上げさせてくれるだけでよかったのに長々と話し込まれちゃったな」と一緒に来ていた友人は言った。「こんなに時間とられると思わなかったよ」
僕はそのとき何も言えなかった。僕はてっきりここへ来た誰もが、もちろんその友人も、自分と同じ感情を抱くものだと勘違いしていたようだ。信志の家からの帰り道、これまでの自分たちを反省しこれからは信志の分まで精一杯生きていこう、と二人で励ましあいたいという甘い期待をしていた。「ああそうだな」とだけ僕は言って、その友人と別れた。それ以来、彼とは一回も会っていない。
帰りの電車の中、信志のことを考えていた。信志が毎日病院で生きたいと願っていたことを思いうかべた。自分がどうしようもない死に近づいていると知ったとき信志はどんなことを思っただろう。見舞いに行ったとき、僕の大学生活についての話を聞いてどんなことを思っただろう。自分がこんなに苦しんでいるときによくそんな話ができるなあ、と僕に対して失望しただろうか。それとも、早く病気を治して楽しい大学生活を送ってやる、と少しでも生きる力にしてくれていただろうか。あれが信志と言葉を交わす最後の機会だったなんて。信志の心の闇にまったく気づくことができなかった自分が悔しかった。
家に着くと僕はすぐに自分の部屋に行き、信志の家でもらった白い封筒を開けた。中には千穂が言っていたように信志が僕宛てに書いた手紙が入っていた。
「栄太、お前がこれを読んでいる頃、俺はどうなってしまってるんだろう? 後ろむきなことを考えるのは嫌なんだけど栄太にだけは伝えておきたいことがあるような気がするんだ。
小さい頃よく俺と栄太と千穂の三人で遊んでたよな。病気になってからあの頃のことをよく思い出すようになったんだ。
三人でよく遊んでた公園覚えてるか? それまでは俺と栄太でゲームして遊んだりしてたんだけど千穂がどうしても三人で遊びたいって言うから最初はいやいや公園に出かけてったっけ。それから毎日のように通うようになってさ、今考えてみるとよくあんなところで毎日飽きもせずに遊んでたよな。そんなに広くもないし鉄棒とブランコくらいしかないのにさ。はじめの方は鬼ごっことかかくれんぼとかして遊んでたけど、途中から栄太がしょうもない遊びを自分で考えてくるようになったよな。よくこんなしょうもないこと思いつくなあっていつもあきれてたよ、千穂は楽しんでるみたいだったけど。
あとお前、千穂を泣かすのおもしろがってただろ。そのあと家に帰ってから千穂を慰めるのすごい大変だったんだぞ。それなのにお前は次の日になったら何もなかったようにまた俺たちを誘いに来るしさ、まったくお前の神経はどうかしてるよ。お前がそんな態度だから俺と千穂も同じようにするしかなかったじゃないか。
特につらいときになると自然とこんなことが浮んでくるんだ。あの頃の思い出は俺にとって特別でいつも心の中で輝いてる。あのときには全然思わなかったけど、あの頃のような日々がずっと続けばどんなに良いかって今思うよ。なんか、じじいみたいだよな、俺。過去ばっかり振りかえってさ。でもそんなことしててもしょうがないから未来に向って生きるよ。一年の差をつけられちゃったけど、必ず来年、大学に合格して栄太に追いついて追いこすくらい一所懸命勉強してやる。だから今のうちに勉強して差を広げとけよ。あっさり追いこせたんじゃつまんないからさ。
最後にちょっと恥ずかしいこと言ってもいいか?
俺ずっと栄太に憧れてたんだ。頭良いしスポーツもそこそこできるし、俺よりは顔もかっこいいしな。それに何て言っていいかわからないけど、お前良いやつだよ。公園でのしょうもない遊びを考えてくるようになったのも千穂のためだったんだろ? 千穂のやつ、鬼ごっこやってもかくれんぼやってもすぐに捕まるからいつも拗ねてたんだよな。千穂のために簡単な遊びを考えてきて、ときどきわざと負けてやってたことだって気づいてたんだぞ。それでいてお前、そんなこと一言も言わないんだもんな。俺は栄太のそういう不器用でやさしいところ好きだよ。
俺、元気になってこの手紙を破り捨てられるように最後までがんばるからな」
僕は手紙を読みながら泣いていた。本当は笑いながら「そんなこと考えてねえよ。お前は俺のこと買いかぶりすぎだよ」といつものようにおどけてみせたかった。それをさせてくれない信志が憎らしかった。それに、いつもあまり口数の多くない信志がこんなことを考えていたなんて思いもしなかった。
「俺にだってまだ信志に言いたいことがたくさんあったのに、自分だけ言いたいこと言っていなくなるなんてずるいよ」僕はその手紙に向って話しかけていた。「俺も信志のことがうらやましかったんだ。いつも誰に対してもやさしくて素直で。そんなお前が俺みたいなつまんない奴のことを憧れだなんて言うなよ。千穂のこと泣かせるのがおもしろいわけないだろ? 俺どうやって人にやさしくすればいいのかわからなかったんだ。お前みたいにうまく表現できなかったんだよ、俺には。千穂を泣かせちゃったときには家で落ちこんでたんだぜ。もう二人が遊んでくれなくなったらどうしようって、次の日会うときも本当はビビっててさ。素直にごめんって言えなかったんだ。信志と千穂がやさしいからそのやさしさに甘えてたんだ。もっと甘えさせてくれよ」
この言葉は信志には届かなかった。なんでもっと早く自分の気持を伝えようとしなかったのだろう。今伝えなくてもいつでも伝えられると思っていたのだろうか。僕はこのとき初めて絶対的な時間の流れを感じた。いつも同じリズムを刻んで誰に対しても平等でやさしいと思っていた時の流れが、その平等さゆえに僕をどうしようもない想いの底に突き落してしまった。そして、もう信志と通じあうことはできないんだという思いだけが僕の中に残った。
またしばらくの間、僕は何も考えられなくなっていた。すると突然、洋平のことを思いだした。洋平なら今の僕の気持をわかってくれるかもしれない。洋平と話がしたい、そう思って僕は彼に電話をかけたが、彼は出なかった。僕はそれから一週間ほど実家にいる間、何回も電話をかけてみた。しかし彼とは連絡がつかなかった。
僕と信志はお互いの家が近く、幼稚園に入る前からの幼なじみだった。幼稚園や小学校のときも千穂と一緒に三人でよく遊んだ。それから僕と信志は当たり前のように公立の中学校に入りクラスも同じだった。洋平が僕たちのクラスに転校してきたのはその中学一年のときだった。洋平はかっこよくて運動神経もよくて女の子にもモテた。しかし洋平自身はクラスの女の子にあまり興味を持っていないようだった。性格も明るくて誰とでも仲良くなれるやつでクラスにもすぐ馴染んだ。自然と僕たちとも仲良くなり、そこに千穂も加えた四人で遊ぶようになった。
洋平が現れる前の三人の関係は、僕がふざけてそれを信志と千穂の二人が笑っているという感じだった。洋平は僕と一緒にふざける側になり、よくどっちがおもしろいかで言いあいになった。信志と千穂は洋平の言ったことよりも僕の言ったことの方でよく笑った。
「良いよなあ、お前らは」と洋平は言った。「小さい頃から三人仲良しでさ」
「そんなの関係ないよ」と僕は言いかえした。「僕の方がおもしろいだけだよ」
「自分のことを『ぼく』なんて言うやつがおもしろいのかね?」
「別に自分のこと何て言ったっていいだろ」そう言いながらも僕は四人で遊ぶときには自分のことを「俺」と言うようになっていた。
僕は中学のときは勉強がよくできた。あまり大きな学校ではなかったが試験の順位はたいてい一番だった。信志も頭がよくていつも学年で五番以内には入っていて、洋平は僕たち二人よりは劣ったが決して勉強ができないというわけではなくいつも二十番くらいだった。試験の結果が返ってくると僕たち三人は互いにそれを言いあった。
「お前ら何位だった?」と洋平は訊いた。
一位だったと僕は言い、つづけて信志が二位だったと言った。
「いつ訊いても同じような結果でつまんねえな」と洋平は言った。「俺は二十二位。今回は特別でぞろ目だぜ」
「お前もいつもと同じような結果じゃないか」と言って僕は笑った。「ねらってぞろ目を取ったんだったらすごいけどな」
「ねらったに決まってんだろ」と洋平は真面目な顔をして言った。「お前らみたいにただただ高い点を取ろうと思って必死に勉強したら誰にだって一位や二位は取れるんだよ。二十二位取れって言われてお前ら取れるか? しかも試験受けてるときには全力を出しつくしての二十二位だぞ。今回の試験はどのくらいの難易度かとか他のやつらがどれくらい勉強してるかとかも予想して、ちょうど二十一人だけに負けるように勉強するのってすごい大変なんだからな」
「そう言われるとたしかにすごいな」と信志も真面目な顔をして言った。「二十二位を取るためにはどのくらい勉強すればいいのかなんて想像つかないな」
「いやいや、真面目に受けとってどうする?」と僕は信志の素直さに笑った。「適当なこと言っているだけだよ、こいつ。本当にねらって取ったんだったらたしかにすごいし、俺と信志にはできないことかもしれないけど、まず俺たち二人はそんなことのために無駄な労力を使ったりしないよ」
「適当じゃねえって」と洋平は言いかえしてきた。「無駄な労力とはよく言ってくれたもんだな」
「だって二十二位取ったって何にもならないだろう?」
「いろいろ予想して頭使って取ったんだから何にもならないってことはないだろ? じゃあ必死に勉強して一位を取って何になるって言うんだ?」と洋平は訊いてきた。「学校の勉強なんて将来役に立たないしさ」
僕は思わず言葉につまった。試験で誰よりも良い点を取るために勉強することが僕にとっては当たり前のことになっていたのだ。それなのに僕のやっていることが洋平のやっていることと同じくらいの意味しかないと言われたようで困惑してしまった。
「今やっていることが将来役に立つかどうかなんて考えて勉強しているわけじゃないよ」と僕はちょっと考えてから答えた。「俺は期待されていることをやっているだけなんだ。教師だって親だって俺が試験で良い点を取ることを期待しているしさ。それに誰かに自慢するわけでもないけど、心の中で自分はここで一番なんだって思うのは気持いいよ。学校で習ったことを覚えていたって将来損することもないだろうし。お前は学年で二十二位取ることを誰かに期待されているのか?」
「そんなもん誰もするわけねえよ」と洋平は笑いながら言った。「自分で目標を決めてそれをやり切る、そのことに意味があるんだよ。お前は教師や親にやることを決めてもらってそれをやってるだけだろ? 自分で決めるっていうのが一番難しいっていうのにさ」
僕はまた何を言っていいのかわからなくなってしまって少しの間黙っていた。
「まあ、どっちの言ってることもわかるんだけど、栄太の考え方の方が普通だと思うよ」とそれまで黙って聞いていた信志が言った。「栄太の方が正しいとかいうんじゃなくてね」
「俺も栄太の考え方がわからないってわけじゃないからさ」と洋平が言ってこの話は終った。
こんな風にして、僕と洋平は話しているうちに自分たちがふざけているのか真面目に話しているのかわからなくなってしまうことがよくあった。その話の雲行きが怪しくなってくると、決まって信志の一言でなんとかその場が収まった。信志がいなかったら僕と洋平は話をするたびに喧嘩をすることになっていただろう。
僕たちから一年遅れで千穂が中学校に入ると、ときどき四人一緒に学校から帰ることもあった。春の下校時間は夕暮というにはまだ明るく、あたたかい太陽の日ざしと木々の鮮やかな緑色をゆらすさわやかな風が心地よかった。一年間で少し色あせてしまった僕たち三人の学生服とは対照的に、入学したばかりの千穂のセーラー服はとても綺麗で春の日ざしを反射していた。
「千穂がもう中学生かあ」と僕は言った。「時間が経つのってはやいな」
それは俺が言うセリフのような気がするんだけど、と信志は笑っていた。
「何よ、一年しか違わないのに大人ぶっちゃって」と千穂が言った。「あなたたちが中学二年生になるときに私が中学一年生になるようにこの世界はできてるのよ」
「ほう、それは知らなかった」と僕は言った。「勉強になったよ、ありがとう」
「もう、いつも栄太くんは私のことバカにするんだから」
ここでも信志が、まあまあ、と言ってこの場を収めてくれた。小さい頃は僕が何か言うと千穂はすぐに泣いていたが、この頃になると言いかえしてくるようになっていた。僕にとっては言いかえしてこられる方が楽しかった。
「千穂ちゃんって可愛いよね」と何か話をしている最中に洋平が言った。「俺好きだよ」
「ありがとう」と千穂は言って笑っていた。
「そんな簡単に好きとか言うなよ」と僕は言った。「それに千穂も千穂だぞ。そんなのでよろこぶなよ」
「俺は思ったこと言っただけだよ。べつに何を言ったっていいだろ」と洋平が言った。「それにお前は千穂の兄貴でもないし、信志は何とも思ってないよ、なあ信志?」
「ふつつかな妹ですが、どうかよろしくお願いします」と信志は洋平に言った。
「こんなときばっかりふざけてんじゃねえよ」と僕が言うと僕以外の三人は笑っていた。
洋平が僕たちの仲間に入るまでは、僕も信志と同じように千穂のことを妹のように思っていた。しかし洋平がいとも簡単に千穂のことを好きだと言ってしまうと、僕は嫉妬のような感情を覚えた。洋平が現れたことは、千穂に対する僕の想いを考えなおす良い機会だったのかもしれない。