屋台であそぼ
石造りの鳥居をくぐると、祭囃子が一際賑やかに聞こえる。
ジャックはぬいぐるみの様にじっとしているジグロを左腕で抱え直した。恐竜の子供みたいな姿をしたドラゴニア神竜族の地竜であるジグロは、泥染めの黒い絣の浴衣を着て萌黄色の兵児帯を締めた姿が、全身を包む硝子釉をかけたような透明感のある緑の鱗とのコントラストを鮮やかにしている。一方、お揃いの泥染めの浴衣を着たジャックは、短めの黒髪と切れ長の黒い瞳とが相まって、彫りの深いアイルランド系の顔立ちにも関わらず、妙にしっくりと似合って迫力がある。
傍らでは同じく浴衣を着た英臣が、早々と石段をかけ上がろうとする猫のリードを引っ張っている。縹色の地に白いよろけ縞をあしらった、涼しげな色合いは、明るい茶色の髪をした彼に良く合っていた。
行き交う人々の下駄音も軽やかに響く石段を登りきると、長い参道をところ狭しと屋台がひしめいている。そこかしこから威勢のいいかけ声が聞こえ、祭りに訪れた人々で賑わっていた。
「カツブシのにおいがするニャ」
英臣の足元で、猫――もとい、猫の着ぐるみを着たニャントロ星人ニャンコ・ニャントロヤンニが、後ろ足で立ち上がって鼻をひくつかせる。英臣がシーッと、唇に指を当てて、ニャンコを制した。
「買い物は後で。先ずは神様にご挨拶しておかなくちゃ」
ニャンコは不満気に耳を伏せ、みゃう、と一声鳴くと、また四つ足で歩き出す。
芳ばしい匂い漂う参道を抜け、漸く社殿で参拝を済ませると、英臣はジャックにニャンコのリードを渡した。
「ちょっと神様に挨拶してくるから、ニャンコを頼むよ」
「挨拶って、今の手ぇ叩いたりお辞儀したりってのじゃないのかよ?」
怪訝な顔を見せるジャックの腕を引き、肩を寄せるようにして英臣が囁く。
「ここの御神体は、実はドラゴニアの水竜なんだよ」
英臣の懐からちょろりと顔を出したのは、東洋風の竜の姿をしたドラゴニア神竜族の水竜、ミズノだ。子猫のような甲高い鳴き声でミュウミュウと相づちを打つ。
「ミズノも会うのは久しぶりだからね。ちょっと挨拶してくるよ」
「……わかったよ」
そういうことなら仕方ない。と、ジャックは渋々ニャンコのリードを受け取った。
じっと二人のやり取りを見上げていたニャンコが、ぴんと尻尾を立てる。
「カツブシ! カツブシ食べるのニャ」
「わかった、わかった」
英臣と一旦別れ、再び参道をぶらつく。何気なく屋台を見て回っていると、ジグロがウキャと、小さく声を上げた。
「どうした?」
肩に顎を乗せた小竜を目だけで見遣り、ジャックが低く問い質す。ジグロはゥキューと、ジャックにだけ聞こえるように呟いた。たった今、通り過ぎたばかりの屋台を振り返って、ジャックは目を細める。そこには大小様々な果物が水飴でコーティングされて並んでいた。電球の光を弾いて輝く飴は、見た目にも涼やかだ。
「どれが欲しいんだ?」
ジグロが小さく呟くと同時に、足元のニャンコが言った。
「マンズ飴ニャ」
「お前は黙ってろ」
低い声でニャンコを制して、ジャックは赤いあんず飴を一つ買った。
ニャンコが足元で煩く鳴くのを無視して、参道の脇に続く森の中に入る。坂の上の、更に高台にある神社の奥の森は、少し行くと急な斜面になっている。木々の隙間からは住宅街の明かりが見え、美しい夜景が広がっていた。
しめ縄のついた大きな銀杏の回りは人影もなく、休憩にちょうど良かった。御神木の脇には、獣道のような草を刈っただけの細い道が坂の下まで続き、その先には木製の古ぼけた鳥居が、提灯の仄かな明かりの中にぼんやりと浮かび上がっている。
ジグロを御神木の根元に下ろし、あんず飴を渡すと、浴衣の裾から伸びた太い尻尾を嬉しそうに振り回す。大きな口の割りに、器用に舌で飴を舐める小竜に、ジャックはニャンコのリードを渡した。
「お前らここで待ってろ」
「にゃーもマンズ飴欲しいニャー」
「お前、あんず飴なんか食うのかよ? 焼きそば買って来てやるから待ってろって」
「焼きそばニャ?」
「鰹節たっぷりかけてもらってやるから、喧嘩しないで大人しく待ってろよ!」
念を押してニャンコの頭をぽんぽんと叩くと、ジャックはまた賑やかな参道へと戻って行った。
暗がりに残された小竜と猫は、互いに顔を見合せ、耳を伏せた。
「いいニャア。マンズ飴〜」
ジグロが大事に少しずつかじっている飴を、物欲しげにじっと見つめるニャンコ。さすがに根負けして、ジグロは食べかけの飴をニャンコに差し出し、首を傾げて短く鳴いた。
「いいのかニャ? ちょっとだけニャ!」
嬉しいのか、耳と尻尾をピンと立て、猫は器用に前足で受け取ると、大口を開けてかぶり付いた。
しかし、ニャンコは口の中のものを急いで吐き出してしまう。
「にゃー! すっぱいニャ。こんにゃのマンズ飴じゃにゃいニャ」
返すニャ。と、あんず飴をジグロに渡そうとした、その時、つるりと飴だけが棒から外れて転がってしまった。
唖然とするニャンコとジグロを残して、斜面を勢いよく転がり落ちる飴。いち早く我に返ったニャンコが、飴を追いかけて坂道を駆け降りた。後を追ったジグロがニャンコに追い付いたのは、坂を降りきったところにある古い鳥居の下だった。ニャンコの足元には、泥まみれになったあんず飴が転がっている。
悲しげにゥキュゥと鳴いて項垂れるジグロをよそに、ニャンコは後ろ足で立って鼻をひくつかせた。上からは見えなかったが、古鳥居から下に続く森の中にも、屋台が立ち並んでいる。
「がっかりしないのニャ。にゃーがマンズ飴買って来るニャ」
言うが早いか、ニャンコはリードを引き摺りつつ、屋台の並ぶ方へと走り去ってしまう。
ニャンコを追うかどうしようかと、きょろきょろと首を振るジグロの頭上から、聞き馴染んだ声がした。
「なにやってんだ」
戻って来たジャックだ。
「ちゃんと待ってろって、言ったろ」
ジグロが耳を最大限に伏せて、悲しげな鳴き声を絞り出すと、ジャックが地面に転がるあんず飴に気がついて、形の良い眉をひそめた。
「落っことしたのか?」
「ゥキュゥ〜」
しょんぼりするジグロの脇にしゃがみ、ジャックは小竜の角を避けて額を撫でた。
「しょうがねぇな。――で? ニャンコはどうした?」
ジグロが屋台の集落を指差しながら、ウキャウキャと地竜の言葉で説明する。
「あの馬鹿」
ジャックはため息を一つ吐くと、新しいあんず飴をジグロの目の前に出して見せた。
「ニャンコがあんまりうるせぇから、もう一つ買って来たんだけどな、お前にやるよ。……ニャンコには内緒だぞ」
驚き、見上げるジグロに、口の端だけでにっ、と笑ってみせたジャックは、悪戯っぽいウィンクをする。途端に、ジグロは嬉しそうに目を細めて、ぴょこぴょこと飛び跳ねた。
ジグロにあんず飴を渡し、ジャックは腰を上げて、小竜を片手で抱き上げる。もう一方の手には、芳ばしいソースの匂いのするビニール袋を提げ、屋台の方へと歩き出した。
両脇に並ぶ屋台の下を、猫がいないか注意深く目視で捜す。すれ違う人にぶつかりそうになり、慌てて避ける。一瞬、見間違いかと、ジャックは目を眇めた。
何かが、おかしい。
今、すれ違った人物の目が、三つあったように見えたのは、気のせいだろうか。ジャックを追い越して走る子供の手が、四つ生えているように見えないか。すぐそばの屋台で扱う綿菓子は、何故かパチパチと小さな火花が散り、暖簾には『雷おこす』と、書いてある。
「なんか、変だぞ」
嫌な予感に、ジャックは背筋が冷えるのを感じた。
その時、背後から伸びる手が、ジャックの肩を掴んだ。思わずギクリと身をすくませ、慌てて振り返ると、英臣が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
安堵の息を吐き出すジャックに、英臣が笑う。
「ごめん、ごめん。さっき、ここの事を教えておかなかったから、どうしたかと思ったよ。でも、見つけられて良かったね」
「何の話だ?」
怪訝に眉根を寄せるジャックに、英臣がけろりとした調子で説明する。
「だから、こっちの屋台村だよ。ほら、ここの御神体がドラゴニア人だって言ったろう。それで、ドラゴニア五王国の星系やら、銀河連盟に加盟する星々からの出稼ぎ組が、店を構えてるんだよ」
「なん……っ――そんなの、一般人に見つかったらどうするんだよ?」
「大丈夫だよ。あの鳥居のこっちは結界が張ってあるから、僕たちみたいなドラゴニアドラゴンのマスターか、異星人以外は入って来られないよ」
古い鳥居を指差して、英臣が説明すると、浴衣の懐から顔を出したミズノが、ミュ、と鳴いて頷いた。
そういうことなら、焦ってニャンコを捜す必要も無いだろう。物珍しい異星人屋台を覗きながら、のんびり歩く事にした。
暫く行くと、にゃぁにゃあと鳴く猫の声が聞こえて来た。近寄るとニャンコが、屋台より少し奥まった木の根元に、リードを引っ掛けて、動けなくなっているのが見えた。
「絡まったのニャー。取ってニャー」
「しょうがないな、お前は。本当に」
英臣にリードをほどいて貰うと、ニャンコは早速ジャックの足にまとわりついた。
「カツブシの匂いがするニャ!」
「あー、はいはい。焼きそばやるから、落ち着けって」
ジャックが呆れ、英臣が苦笑を漏らす。
「あっちに少し開けた場所があるから、そこで食べようか」
屋台村の突き当たりになった場所は、ちょっとした広場になっていた。行き交う者も、異形なら、売ってる物も異様である。
「マンズ飴あったニャー!」
ニャンコが前足で指す店には、確かに『マンズ飴』と書かれた暖簾がひらめいている。店頭には、黄金色の飴にコーティングされ、持ち手の棒がついた、一見、あんず飴に良く似た代物が並んでいた。但し、中身は果物ではなく、目玉だった。
英臣に一つ買ってもらい、ニャンコはゴロゴロと喉を鳴らして喜んだ。
「め……目玉……?」
硬直するジャックに、英臣がしれっとした顔で言う。
「あれ、知らない? マンズ飴」
英臣の説明によると、マンズ飴とは、シガオー星のジキツ地方特産の、ヒャクメマンズの目玉を砂糖醤油の水飴で固めた、駄菓子の一種だという。
「目玉食うのか!?」
「味はマグロの目玉みたいらしいよ」
マグロの目玉もあまり見たことがないジャックは、苦虫でも噛み潰したような、変な顔をした。
広場の中央、空いたベンチに座り、ニャンコはマンズ飴と焼きそばの鰹節だけをもらい、そばの方は、ジャックと英臣で分け合って食べ、英臣が買って来たビールを飲んだ。ジグロも、今度は安心してあんず飴にかじりつき、ミズノはいつの間にか買って来たらしい雷おこすを口に含んでは、小さな火花を発生させて遊んでいる。
坂の上からは祭囃子が聞こえ、賑やかな屋台に囲まれた広場の空には、飴色の満月がぽっかりと浮かんでいた。
「スーパーマリモ釣りニャ!」
ニャンコが駆け出すと、ジグロとミズノも後を追う。またどこかに引っ掛けないようにと、ニャンコのリードを持って飛ぶミズノは、出来た奴だ。ジャックと英臣も後ろから覗くと、大きな水槽の中に、赤、緑、黄色と、色とりどりのマリモに良く似た何かが、水中を動いている。
ニャンコ達は、小さな擬似餌のついた玩具の釣竿を買うと、水面でひらひらと動かす。途端に、マリモの一つがぱっくりと口を開け、鋭い歯を剥き出して擬似餌に食いついた。
「マリモじゃない!」
ジャックの驚きようが可笑しいのか、英臣は肩を震わせた。
「スーパーマリモっていうけどね、あれは、虫を好んで食べる、肉食の水棲生物だよ」
「そんなもん、釣ってどうするんだ」
嘆くジャックの気も知らぬげに、ニャンコ達が戦利品のスーパーマリモをビニール袋に入れてもらって、得意そうに英臣達に見せる。小さなビニール袋に入った赤と緑のスーパーマリモは、ところ狭しとビニールの中で跳ね回っている。やたら、元気がいい。
「飼うのか? 食うのか?」
ジャックの問いに、彼以外の皆が訝しげに見つめ返した。
「スーパーマリモは食べないでしょう」
英臣の一言で、スーパーマリモは新たな英臣宅のペットとして迎えられることが決まった。
またもや扱いのわからない生物が増えた事に、胃を痛めるジャックだった。
終わり。