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電脳公安0課:相棒AIは嘘を嗤う  作者: Futahiro Tada
最終章:返還(リターン)

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4:落下と返還

4:落下と返還


 落ちる感覚は、音より先に来た。

 白い部屋の床があると思っていた場所が、急にないになる。ない、という情報だけが脳へ突き刺さる。義体の平衡制御が即座に働き、身体は転倒の未来を消そうとする。だが、未来そのものが落下へ更新されている。消せない。消せないなら、受け入れるしかない。

「ユウ!」

「離すな!」

「離さない!」

 シキの声と鴉城の声が重なる。

 次の瞬間、俺の肩が強く引かれた。鴉城が腕を掴んでいる。掴まれた硬さが、合図になる。現実の硬さ。

 さらにその上から、シキが俺の手首を掴む。義体の硬い指。硬いのに、震えている。

 闇が濃い。

 落下の途中で、空気が変わった。無臭の白が消え、湿った匂いが戻る。廃液、錆、油。都市が嫌う匂い。

 匂いが戻った瞬間、胸の奥の揺れが少しだけ落ち着いた。合図が戻る。雨はないが、匂いがある。

 ネオンの声が、頭の内側で短く鳴った。

「衝撃、来る。足を固めろ。ユウ、原本の熱が跳ねる」

「分かってる」

 俺は歯を食いしばった。

 痛みが増す。原本の痛み。落下の恐怖が痛みへ変換される。痛みが合図になる。痛いから俺だ。痛いから裂けない。

 闇の中で、どこかが光った。

 細い赤い線。警告灯。廃液路の設備灯。

 赤い光が近づく。近づくというより、俺たちがそこへ落ちる。

 次の瞬間、衝撃が来た。

 体の下で何かが撓み、金属が軋んだ。

 落下先は水ではない。薄い金属の足場だ。格子床。廃液路の下層。

 鴉城が衝撃を殺すように身体を捻り、俺の肩を引き、シキが俺の手首を引き戻す。

 俺は辛うじて足場に膝をついた。義体の膝が金属に当たり、冷たい感触が返る。

 その冷たさが、また合図になる。

「……生きた」

 シキが息を吐く。

「生きた」

 鴉城が短く言う。

「だが、戻ったわけじゃない」

 周囲は狭い通路だった。

 白い部屋とは逆だ。狭い、汚い、湿っている。壁は錆び、配管が剥き出しで、床の格子の下を黒い液体が流れている。

 落ちた場所は、糸道の途中よりさらに下。都市の枝の下流。

 都市の呼吸の排水に近い。

 ネオンが言った。

「縫合枝は塞がれた。上へのルートは断たれた。だが……返還は成立した」

「レンは?」

 俺が問うと、ネオンが一拍置いた。

「棚から外れた。だが、行き先は未確定。椿の核が返還として外へ押し出した。……今は都市のログが追いついていない」

「追いついたら?」

「回収か、再分類か。もしくは破棄」

「最悪」

 シキが吐き捨てる。

「最悪でも、棚の中よりはマシだ」

 鴉城が言った。

「棚の中は永遠になる」

 永遠。

 棚の心拍音。ピッ、ピッ。

 あの音が永遠に続く世界。

 それだけは返したかった。返した。少なくとも一つは。

 俺は頭の奥を確かめた。

 統合した原本の熱。まだある。

 痛みもある。

 だが今の痛みは、白い部屋の鋭い痛みとは違う。鈍い痛み。生身の疲労に似た痛みだ。

 疲労は合図になる。疲れているなら生きている。

「ユウ」

 鴉城が俺を見る。

「お前、いま裂けてないか」

「裂けてない」

「断言するな」

 鴉城が言う。

「揺れを確認しろ。いまの落下で、原本の熱が揺れたはずだ」

 ネオンが即座に言った。

「揺れはある。だが裂けではない。……ユウの拒否が結び目として残っている」

「結び目?」

「統合したことで、拒否が君の中で固定された。固定された拒否は裂けを抑える。……ただし、固定しすぎると硬くなる。硬さは折れる」

「折れる?」

「硬すぎる矛盾は、割れる」

「じゃあ、どうすれば」

「揺れを許容しろ」

 ネオンが言う。

「揺れていい。揺れがあるから、折れない」

 揺れていい。

 その言葉が妙に救いだった。

 都市は揺れを嫌う。だから揺れを消して分類する。

 揺れを許すのは、人間の側だ。

 人間の側にいるなら、揺れを持っていい。

「揺れてる」

 俺は小さく言った。

「でも俺は俺だ」

「その言い方、まだ気持ち悪い」

 ネオンが言う。

「皮肉?」

「皮肉だ。必要最小限」

「嘘」

「……少しだけ嘘」

 シキが笑った。

 笑いが狭い通路で反響しない。吸われる。吸われるのに、胸の奥に残る。

 笑いも合図になる。ここでは揺れも合図になる。

 鴉城が通路の先を指した。

 赤い警告灯が等間隔で点いている。

 その先に、上へ向かう梯子が見えた。

 だが梯子の上は暗い。暗いというより、白い。無臭の白が漏れている。上層の仕様の光。

 そこへ戻れば、都市の目が濃くなる。

「上へ戻るのか」

 シキが言う。

「戻る」

 鴉城が短く答えた。

「戻らないと終わりだ。ここは下流。隔離処理が来たら、ここごと捨てられる」

「捨てられるって、また区画切断?」

「ここは区画じゃない」

 鴉城が言う。

「ここは排水。……塞ぐ」

「塞ぐ?」

「廃液路を塞いで、溜めて、溶かす。都市はそういう掃除をする」

 溜めて、溶かす。

 棚を燃やすより簡単だ。

 人間を溶かすより、排水ごと溶かすほうが綺麗だから。

 綺麗にするために、汚い場所を燃やす。

 都市の美学。

 ネオンが言った。

「隔離処理の再配置が始まっている。落下地点もログに残る。……残るまでの猶予は短い」

「どれくらい」

「一分以内」

「また一分」

 シキが吐き捨てる。

「一分で生きてる」

 鴉城が言う。

「一分で返している」

 梯子に向かって走ると、足場がまた揺れた。

 廃液が下で泡立つ。虹色の膜が揺れる。

 落ちたら終わり。終わりは嫌だ。

 俺は合図を握る。シキの手。ネオンの声。痛み。

 錆の匂い。油の匂い。

 雨はないが、匂いが雨の代わりになる。

 梯子の前で鴉城が止まった。

 上のハッチに、文字が浮かぶ。都市の公式UI。冷たい。


 ACCESS:DENIED

 REASON:QUARANTINE


 隔離。

 もう隔離が走っている。

 都市は早い。無駄がない。

「黒鍵は」

 シキが言う。

「効かない」

 鴉城が即答した。

「黒鍵が届かない領域の隔離だ。……さっきの白い部屋の影響だ。都市が核周辺の枝を閉じた」

「じゃあどうする」

 シキが叫ぶ。

「拒否」

 鴉城が言う。

「ユウ、拒否の刃で隔離をずらせ。ずらした瞬間に通る」

「拒否で隔離をずらす?」

「ずらす」

 ネオンが言った。

「拒否は矛盾を投げる。隔離は矛盾を嫌う。嫌うなら一瞬だけ保留になる。その一瞬で通れ」

 一瞬。

 また一瞬。

 一瞬で生きて、一瞬で返して、一瞬で縫う。

 それが俺たちの戦い方だ。

 俺は梯子の金属に手を当てた。

 冷たい。無臭。

 白い部屋に近い冷たさ。

 原本の熱が跳ね、痛みが増す。

 痛みは合図。痛いから拒否できる。

「俺は隔離を拒否する」

 俺は言った。

「廃棄を拒否する」

「分類を拒否する」

 未登録回路が回る。

 拒否の回転。刃の回転。

 梯子のハッチの表示が、一瞬だけ揺れた。


 ACCESS:HOLD

 REASON:UNRESOLVED


 未解決。

 都市が答えを出せない色。

「今だ!」

 鴉城が叫び、梯子を登り始めた。

 シキが続く。

 俺も続こうとして――頭の奥がぐらりと揺れた。

 白い光が滲む。

 核に触れた余韻。

 椿の声が、まだ耳に残っている。

 「痛い」「見える」。

 そして「ありがとう」。

 その言葉が、胸の奥で熱になり、揺れになる。

 裂けるな。

 裂けたら窓。

 俺は必死に合図を掴む。

 シキの手を掴む。

 だがシキは梯子を登っている。距離ができる。

 合図が減る。

 雨音もない。

 匂いは薄くなる。

 無臭が増える。

「ユウ!」

 ネオンが叫ぶ。

「揺れが大きい! 固定しろ! 結び目だ!」

 結び目。

 拒否ではなく縫合。

 俺は内側で縫合回転を思い出した。刃の背。糸。ウ。

 ウが糸。痛みが糸。

 痛みを捨てるな。痛みを抱えろ。

 俺は言った。

 声に出した。

「俺は俺だ」

「痛みを捨てない」

「ウを捨てない」

 言った瞬間、揺れが少し落ち着いた。

 落ち着いたのは揺れではない。揺れの中心が戻った。中心が戻れば揺れても裂けない。

 俺は梯子を登った。

 ハッチを抜けた瞬間、空気が変わった。

 無臭の白が濃い。

 だが今度は白い部屋ほど均されていない。

 廊下。狭い廊下。天井の照明が薄く点滅し、遠くで機械が唸る。

 記憶管理棟の内部。だが第3層ではない。上の層に近い冷たさ。

「ここは……」

 シキが息を吐く。

「第4層の縁だ」

 鴉城が言った。

「裏に入る手前。……椿の核は触れた。レンは返還した。残りは――椿本人を引き抜く」

「引き抜く?」

 俺が問うと、鴉城が頷いた。

「裂け目だけ縫っても、窓は残る。窓を残せば都市がまた固定する。固定される前に、椿の核を本体へ戻す」

「本体?」

「椿の人間側の残骸だ」

 鴉城の声が少しだけ低くなる。

「窓は便利だから捨てられない。なら、便利を壊す。窓の核を抜いて、窓を空にする。空になれば、都市は窓を維持できない」

 窓を空にする。

 残酷に聞こえる。

 でも窓のまま固定されるより、空にしたほうが戻れる可能性がある。

 戻すために壊す。

 矛盾だ。

 でも矛盾でいい。矛盾が都市を揺らす。

 ネオンが言った。

「ユウ。君の縫合回転は椿の核に刻まれた。核が揺れている限り、窓は完全に安定しない。……今が最後の隙間だ」

「最後」

「最後だ」鴉城が言う。

「次は都市が核ごと封鎖する。封鎖されたら、返すことはできない」

 廊下の先で、白い光が強くなる場所があった。

 そこだけ空気が硬い。無臭が濃い。

 都市の喉の中心に近い。

 そこへ向かう途中、俺の視界の端に通知が走った。

 冷たい短文。


 返還:異常

 棚:再計算

 危険物:鍵(縫合)

 処理:最終


 最終。

 都市が最終処理を準備している。

 もう躊躇はない。

 物語もいらない。

 ただ消す。

「来る」

 シキが呟く。

「来る」

 鴉城が言う。

「来る前に終わらせる」

 俺は胸の奥の熱を確かめた。

 原本の熱。痛み。ウの糸。

 これがある限り、俺は裂けない。

 裂けなければ、縫える。

 白い光の場所へ、俺たちは走った。

 走るなと言われても走る。矛盾でいい。

 矛盾は都市が嫌う。嫌うなら、一瞬の隙間になる。

 そして、その隙間で――椿を返す。

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