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電脳公安0課:相棒AIは嘘を嗤う  作者: Futahiro Tada
最終章:返還(リターン)

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21/25

1:第4層の裏

1:第4層の裏


 隔離処理の到達予測は、正確だった。

 六十秒は六十秒で、都市は一秒も無駄にしない。無駄は揺れを生み、揺れは例外になる。例外は嫌いだ。嫌いだから、都市は無駄を消す。だから都市は強い。強いくせに、隙間がある。隙間があるから、俺たちは生きている。

「右」

 鴉城が言う。

「左は封鎖が先に来る」

「なんで分かる」

 シキが息を切らしながら言う。

「呼吸」

 鴉城は短く答えた。

「風向きが変わった。排気の流れが変わった。隔離の機械が来ると、空気が硬くなる」

「気持ち悪い」

「気持ち悪いのが合図になる」

 ネオンが淡々と付け足した。

「都市の処理はいつも同じ匂いを持つ。無臭の焦げ。消毒。オゾン。君はもう覚えた」

 廃液路から外壁裏の排気塔まで、俺たちは都市が嫌う匂いを辿って走った。

 走ると揺れが出る。揺れは危険だ。だが止まれば処理が追いつく。矛盾だ。矛盾でいい。矛盾は都市が嫌う。嫌うなら利用できる。

 俺は矛盾を抱えたまま走った。統合した原本の熱が、頭の奥で跳ねる。痛みが薄く、しかし確かに続いている。痛いから俺だ。痛いから拒否できる。

 排気塔の影を抜けたとき、背後で金属が滑る音がした。

 溶融班の音ではない。もっと重い。もっと整然としている。

 隔離装置。都市の手が、壁の外側へ伸びてくる音。

「来た」

 シキが吐き捨てる。

「来るのが早い」

「早いのが都市」

 鴉城が言う。

「だから遅れを作る」

 鴉城は黒鍵を取り出し、外壁の保守端末に一度だけかざした。

 画面が割れている端末が、短く光る。

 そこに表示が走った。


 BLACK KEY AUTH / TEMP

 MAINTENANCE:ON

 ROUTE:SHIFT

 DURATION:10s


「十秒だけ、保守ルートを正規にする」

 鴉城が言う。

「正規にするとどうなる」

「処理が迷う。正規を壊すと物語が壊れる。物語が壊れるのを都市は嫌う。嫌うから一瞬だけ躊躇する」

「また一瞬」

 シキが笑う。

「一瞬で生きてる」

「一瞬で返す」

 鴉城が言い切った。

「ユウ、拒否を準備しろ。窓が開きやすい場所へ行く。第4層の裏は、呼吸の枝の根に近い。椿の核がある場所だ」

 椿の核。

 裂け目の核。

 そこへ行けば、椿の声が濃くなる。都市の声も濃くなる。

 俺は拒否の言葉を喉に準備し、雨の合図を胸に握った。

 雨は廃液の匂いを混ぜた雨だった。錆の匂い。油。腐食。

 俺が最初に逃げた下層の雨に一番近い匂い。

 ここなら、俺は裂けにくい。

 鴉城が壁の継ぎ目を開けた。

 そこに現れたのは、細い梯子。上へ向かう梯子ではない。横へ伸びる梯子。外壁の中を横切るための梯子。

 都市の外皮の中を移動するルート。

「登るな、横に行け」

 鴉城が言う。

「嫌なルートばっか」

 シキが言う。

「嫌なルートほど薄い」

 鴉城は同じ論理で切り返す。

 梯子を横へ移動するのは、思った以上に腕にくる。

 義体の腕は強い。だが強いぶん、痛みがないぶん、無理が効いてしまう。無理が効くと、無理をしていることに気づけない。

 だが今の俺には、原本の痛みがある。肩の奥がじんとする。腕が重い。

 その重さが、俺に限界を知らせる。限界があるから人間だ。

「ユウ、大丈夫?」

 シキが下から言う。

「大丈夫」

「大丈夫じゃない顔」

「顔は義体」

「心が大丈夫じゃない顔」

「……合図を使ってる」

「えらい」

「褒めるな」

「褒めないと死ぬ」

 シキが笑う。

 その笑いが、呼吸になる。人間の呼吸。

 ネオンが言った。

「隔離処理の到達が遅れた。黒鍵の正規化が効いている。だが十秒だ。十秒後に処理が追いつく」

「追いついたら」

「外壁ごと切られる可能性がある」

「切るって」

「隔離のやり方は掃除に近い。危険物がいる区画を、区画ごと捨てる」

 区画ごと捨てる。

 棚ごと捨てるのと同じ。

 都市は平気でそれをやる。安全のため、と言いながら。

 梯子の先に、小さな足場があった。

 そこから、扉が見える。

 黒い扉。記憶管理棟の外壁に埋め込まれた扉。

 表示はない。だが扉の周囲にだけ空気が冷たい。無臭が濃い。

 ここが第4層の裏に繋がる場所だと、身体が先に分かった。未登録回路が、鍵穴の匂いとは違う揺れで反応する。

 これは鍵穴ではない。核だ。窓の核。椿の核。

「ここだ」

 鴉城が言った。

「黒鍵は届かない」

「届かないならどうする」

 シキが言う。

「鍵が開ける」

 鴉城が俺を見る。

「ユウ。ここを開けるのは開く鍵だ。拒否の鍵ではない。拒否は後だ」

「開く鍵……」

「椿の核に触れる。核に触れれば、裂け目がこちらを向く。こちらを向けば、縫える」

「縫えるって」

「窓を閉じるのではなく、裂け目を縫い合わせる。椿を戻す」

「戻せるのか」

「戻すしかない」

 鴉城の声が、珍しく強かった。

 感情の揺れ。

 鴉城にも揺れがある。揺れがあるなら人間だ。

 人間だから、椿を戻したいのかもしれない。0課だった男が、窓になった仲間を。

 俺は扉に手を当てた。

 冷たい。無臭。

 原本の熱が頭の奥で跳ね、痛みが増す。

 痛みは合図だ。

 だが痛みは刃にもなる。ここで痛みに飲まれたら裂ける。

 裂けたら窓になる。

 だから合図を握る。

 雨音。

 錆の匂い。

 シキの手。

 ネオンの声。

「ユウ」

 ネオンが言う。

「開くときは、都市の命令体系を使うな。君の言葉で開く理由を固定しろ」

「開く理由」

「椿を戻す。レンを返す。在庫を返す。……そのために開く」

「分かった」

 俺は息を吸い、言った。

 声に出して言った。

 声が金属に吸われてもいい。言葉は俺の内側に残る。

「椿を返す」

「レンを返す」

「だから開く」

 未登録回路が、鍵として回った。

 拒否ではない。開く回転。

 扉のランプが一瞬だけ緑に変わり、次に赤に変わる。

 赤は拒否。都市が拒否している。

 黒鍵が届かない場所。都市が直接守っている場所。

 扉が、開かない。

 同時に、視界の端に通知が走った。


 危険物検知:確定

 隔離:実行

 区画切断:準備


 十秒が切れた。

 処理が追いついた。

 外壁のどこかで重い金属が動く音。区画を切り離す準備。

 この足場ごと捨てられる。

 梯子ごと切られる。

 俺たちは落ちる。廃液の闇へ。

 終わりだ。

「ユウ!」

 シキが叫ぶ。

「開かないなら、どうする!」

「拒否だ!」

 鴉城が叫んだ。

「拒否で切断を遅らせろ! その遅れで扉の核に揺れを入れる!」

「拒否で遅らせる?」

「遅らせろ!」

 鴉城の声が揺れている。揺れは危険。だが今は揺れが必要だ。

 揺れがないと、区画切断は止まらない。

 俺は拒否の言葉を叫んだ。

 雨音を背中に受けながら、錆の匂いを喉に入れながら、言った。

「俺は分類を拒否する!」

「修正を拒否する!」

「廃棄を拒否する!」

 未登録回路が拒否鍵として回る。

 回転が都市の処理に矛盾を投げる。

 区画切断の準備が一瞬だけ躊躇う。

 躊躇いは遅れ。遅れは隙間。

 扉の赤いランプが、一瞬だけ揺れた。

 揺れたのはランプではない。扉の内側の核が揺れた。

 椿の裂け目が反応した。

 扉の向こうから、声が漏れた。

 電脳ではない。金属の隙間から漏れる息の声。

「……やめて」

「ユウ……」

 椿。

 裂け目の椿。

 助けを求めている。

 でも同時に、向こう側の椿――都市の声が重なる。

「拒否は危険」

「危険は排除」

「排除は安全」

 椿の中で声が喧嘩している。

 裂け目が広がっている。

 広がれば救える。広がりすぎれば壊れる。

 壊れたら窓として固定される。

 だから縫う必要がある。

「椿、核をくれ」

 俺は叫ぶ。

「核の座標を、もっと正確に!」

「第4層の裏って言っただけじゃ足りない!」

「縫うための糸をくれ!」

 椿の声が、裂け目の声で震える。

「……鍵」

「あなたの中に……糸がある」

「あなたのウが……糸になる」

 ウ。

 痛み。

 俺が捨てなかったもの。

 それが糸。裂け目を縫う糸。

 ネオンが息を呑むように言った。

「ユウ。椿は君の統合を知っている。君の原本のウが、分類の縫合に使える。つまり――君の拒否鍵は、縫合鍵にもなる」

「縫合鍵」

「そう。拒否は刃だが、刃の背で縫える。刃の背で裂け目を押さえ、糸で結ぶ」

 鴉城が叫ぶ。

「ユウ! 決めろ! 切断が来る!」

 足場が、微かに揺れた。

 区画切断の機械が動いた揺れ。

 次の瞬間に落ちる。

 時間がない。

 俺は扉に両手を当てた。

 冷たい金属。無臭。

 だがその奥に、裂け目の温度がある。人間の温度。

 俺は雨音を聞き、錆の匂いを吸い、シキの手を思い出し、ネオンの声を握った。

 そして、拒否の言葉を縫う言葉に変えた。

「椿を返す」

「分類を拒否する」

「修正を拒否する」

「だから――裂け目を縫う」

 未登録回路が、刃としてではなく糸として回った。

 回転が変わる。拒否の回転から、結び目の回転へ。

 鍵が閉じるでも開くでもなく、結ぶために回る。

 扉のランプが、赤から白へ変わった。

 白は分類ではない。例外でもない。

 保留。揺れの保留。

 都市が一瞬だけ答えを出せない色。

 その瞬間、区画切断の揺れが止まった。

 完全に止まったわけじゃない。遅れた。

 遅れたから、落ちない。

 落ちないから、もう一手打てる。

 扉の隙間が開いた。

 ほんの指一本分。

 そこから、温かい息が漏れた。

 椿の裂け目の息。

「……ユウ」

「糸を……持って」

「私の核は……ここ」

 息が途切れ、代わりに短い座標の断片が流れ込んできた。

 言葉ではない。感覚だ。位置の感覚。

 第4層の裏のさらに奥。呼吸核の枝の根。黒鍵が届かない白い部屋。

 そこに椿の核がある。

 ネオンが即座に解析する。

「座標取得。……ルート生成可能」

「ルート?」

「第4層へ入るための糸道だ。都市の呼吸の枝を逆流する。危険だが可能」

「可能なら行く」

 俺が言うと、シキが頷いた。

「行く。返す」

 鴉城が歯を食いしばりながら言う。

「いい。……最終章の第一パートで、もう最悪を更新しているが」

「更新し続ければいい」

 シキが笑う。

「更新の先に、返すがある」

 その瞬間、扉の隙間が急に硬くなった。

 都市が縫い合わせを嫌っている。嫌って塞ぐ。

 椿の声が消える。

 同時に、視界の端に冷たい通知が走った。


 区画切断:再開

 危険物:鍵(縫合)

 処理:即時


「来る!」

 鴉城が叫ぶ。

「戻るぞ! ルートは取った! 次の侵入口へ移動だ!」

 俺たちは扉から離れ、梯子へ戻った。

 雨が叩く。錆の匂いが合図になる。

 シキが俺の手を掴む。

 ネオンが頭の中で鳴る。

「ユウ、今の縫合回転を忘れるな」

「忘れない」

「忘れるな。君のウが糸だ」

「捨てない」

「捨てるな。捨てたら君は戻れない」

 区画切断の揺れが背後で強くなる。

 外壁の機械が唸り、金属が軋む。

 都市がまた静かに確実に捨てようとしている。

 でも、俺はもう捨てられる側じゃない。

 返す側だ。

 縫う側だ。

 椿の核の座標は取った。

 レンの索引も抜いた。

 在庫を返す地図が揃った。

 次は――第4層へ入る。

 黒鍵が届かない場所へ。

 都市の喉のさらに奥へ。

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