第1話 断罪と、最後のヴィンテージ
シャンデリアの光が、やけに目に刺さる夜だった。
「エレノア・ヴィオラ! 貴様との婚約を、今ここで破棄する!」
王城の広間。
音楽が止み、ざわめきが波のように引いていく。
私の目の前には、かつて愛を誓い合った男、騎士団長のギルバート様が立っていた。
整った金髪は照明を弾いて輝き、青い瞳は正義感に燃えている。
その隣で私の異母妹、アメリアが彼の腕にしがみつき、震えるふりをしていた。
「愛しいアメリアに毒を盛るなど……姉として、いや人間として恥ずかしくないのか!」
「お姉様……酷い……っ。私、お姉様のこと、尊敬していたのに……」
アメリアが嘘泣き特有の、潤んだ瞳を周囲に向ける。
会場中の視線が、針のように私へ突き刺さった。
ああ、面倒くさい。
心の底から、そう思った。
私はゆっくりと扇を閉じた。パチリ、と硬い音が響く。
「……弁明の機会は、いただけますの?」
「証拠は上がっている! アメリアの部屋から毒草が見つかったのだ。貴様の部屋に通じる廊下での目撃証言もある!」
ギルバート様が声を荒らげる。
その証言をした侍女が、アメリアの実母──後妻に入った義母の息がかかった者だということくらい、少し調べれば分かるはずなのに。
彼は騎士団長のくせに、愛する女の涙の前では節穴らしい。
「慈悲だ。処刑は免じてやる。明日より北の修道院へ入り、生涯をかけて罪を償え」
修道院。
酒も飲めず、薄暗い石造りの部屋で祈りを捧げるだけの日々。
前世でバーテンダーとしてカウンターに立ち、酒と客との会話を何より愛していた私にとって、それは死刑宣告に等しい。
私の人生から、酒と自由を奪う気か。
「──お断りします」
「なに?」
「修道院には行きません。そのような場所で税金を無駄遣いするほど、私は落ちぶれておりませんもの」
私は背筋を伸ばし、ギルバート様、そして背後の父と義母を見据えた。
「私、エレノア・ヴィオラは、本日をもって家を出ます。家名も返上いたしますわ。これからは平民として生きていきます」
「は……っ? 何を馬鹿な……生活などできるわけがないだろう!」
「ご心配には及びません」
私は手元の扇に視線を落とした。
実家の家紋である「茨と薔薇」が描かれた、螺鈿細工の高級品。
両手で端を持ち、力を込める。
バキッ。
乾いた音が、静まり返った広間に響いた。
真っ二つに折れた扇を、ゴミのように床へ投げ捨てる。
「ひっ……」
アメリアが短く悲鳴を上げた。
私は口角だけで微笑んでみせる。
「これで縁は切れました。二度と私の前に現れないでくださいませ」
踵を返す。
ドレスの裾を翻し、出口へと歩き出す。
だが、数歩進んだところで足を止めた。
近くの給仕から盆を取り上げ、乗っていたグラスを適当なテーブルに移す。
そして、懐に忍ばせていた一本のボトルを取り出した。
本当は、今日の婚約一周年を祝うために持ってきたものだ。
私の錬金術の粋を集め、本来なら十年かかる熟成を、魔力による分子操作で極限まで高めた赤ワイン。
『奇跡の雫』と名付けようとしていた、自信作。
ドン、と音を立ててテーブルに置く。
「手切れ金代わりですわ。どうぞ、勝利の美酒に酔いしれてください」
ギルバート様たちは、呆気にとられた顔でボトルを見つめている。
私はもう振り返らなかった。
あのワインの価値を知るのは、舌の肥えた者だけだ。
味音痴の彼らに理解できるかは分からない。
けれど、もし一口でも飲めば──。
その先は、もう私の知ったことではない。
* * *
王城を出て、辻馬車を乗り継ぎ、街の灯りさえ届かない裏路地へ。
石畳はひび割れ、野良猫がゴミ箱をあさっている。
かつての伯爵令嬢には似つかわしくない場所だ。
けれど、空気は驚くほど美味かった。
「……ここね」
目の前にあるのは、蔦に覆われた古いレンガ造りの建物。
元は倉庫だった物件を、コツコツ貯めたヘソクリで借りておいたのだ。
鍵を開け、重い扉を押し開ける。
中は埃っぽく、カビの臭いがした。
それでも、ここは私の城だ。
誰にも邪魔されず、好きな酒を造り、好きな客に振る舞える場所。
ドレスの窮屈なコルセットを緩めながら、私は錬金術用の鞄から安物のブランデーを取り出した。
グラスなんてない。ラッパ飲みだ。
琥珀色の液体が喉を焼き、胃腑に落ちる。
熱さと共に、こみ上げてくるのは笑いだった。
「乾杯。……私の、新しい人生に」
夜風が吹き込み、埃が舞う。
月明かりの下、私は一人、静かに笑った。
もう、誰にも気兼ねはいらない。
悪役令嬢エレノアは今夜死に、バーテンダーのエレノアが生まれたのだ。




