炎上
「マジかよ……」
翌朝、俺は半ば放心しながら学校へと続く道を歩いていた。
「まさかまーたんが……俺の推しが母さんだったなんて……」
自分で言っててフラフラとよろめいてしまう。
あまりにも非現実的すぎて頭がついていかない。
「わからない……もうなにがなんだか。てか、そもそも母さんはいつの間にVTuberになったんだ……?」
なお、その辺の詳しい事情についてはまだ何も聞けていない。
昨夜はビックリしすぎてすぐさま自室へ逃げ込んでしまったし、今朝は今朝でつい寝坊したフリをしてしまった。
おかげで会話どころか一度も顔すら合わせていない。
でもさ、仕方ないだろう?
だって長年の推しが実は母親でしたなんていくらなんでも気まずすぎる。まともな会話なんてできっこないに決まってる。
ちなみにそういうわけなので、あの後まーたん……母さんの配信がどうなったかも俺は全然把握してない。
もちろん気にならなかったと言えばウソになるが、それ以上にどんな顔をして配信を視聴すればいいのかわからなかった。
「うぅぅ……」
ヘッドマイクに顔を近づけ囁く母さんの姿が脳裏をよぎる。
俺は頭を抱えてその場にへたり込んだ。
今まで自分が母さんの吐息で「あ……あ……」とか気持ちの悪い声を出していたのかと思うと死にたくなった。
ただその一方で、リビングにはこんな書置きも。
『……ごめんね。帰ってきたら全部話すから ひとえ』
ひとえ……というのは母さんの本名。
杉本仁恵。
「ははっ……」
まさかこんな形で推しの本名バレを体験するとは。
なんか一周回って変な笑いが込み上げてきた。
ともあれなんとか学校には無事到着。
俺はグチャグチャの頭と寝不足で重たい身体を引きずりながら教室のドアを開いた。
だが、そこでまたしても思いもよらぬ光景を目にする。
「うぅ……ひぐっ……」
待っていたのは、涙をしゃくり上げながら机に突っ伏するクラスメイトの姿だった。
名前は滝沢則明。小学校からの腐れ縁で、いわゆる親友と言える存在だ。
でもってコイツこそが俺にまーたんを紹介してきた張本人。つまり俺をVTuberの道に引き入れた元凶でもある。
そしてだからこそ、俺はこの整理のつかない感情を真っ先にコイツに相談しようと密かに思っていたのだが……。
「うげふ……ぐふっ……! ……おえっ」
「えぇ……」
……いやなにこれ? どゆこと?
なんでコイツこんな朝っぱらから号泣してんの?
つーかそこ俺の机なんだけど。あーあー、もうビシャビシャじゃねーか。ったく泣きたいのはこっちだってのに……。
「お、おっす……ノリアキ」
「ん? おおタツヤぁあ……。お前やっと来たか……おせぇよ、こちとらずっと待ってたんだぞ……?」
「ああ、まぁちょっといろいろあってな……つかどうした?」
「どうしたもこうしたもあるかよ……なぁ聞いてくれよぉ……」
「ちょ、やめろ! きたねーよ! せめて顔ぐらい拭けって!」
片やゾンビのように縋りついてくるノリアキに、片や無理やり引っぺがそうとする俺。
だが、そんな攻防の中ノリアキは構わず続けた。
「まーたんが……まーたんが……」
「え、まーたん……?」
なんだ、母さんがどうかしたのか?
ある意味で俺にとって今一番センシティブなワード。
そして続くノリアキのひと言は俺を更なる混乱の渦へと叩き落とした。
「……めちゃくちゃ炎上してる」
「なっ……!?」
炎上!?
「ど、どうして……」
思わずこぼれた呟き。
ただでさえ混乱していた頭になるべく余計な情報を入れないよう、昨夜からスマホ断ちしていた俺には全然状況が理解できなかった。
で、そんな俺の反応で察したのか、ノリアキは事情を説明してくれた。
「いやさ、なんか昨日の配信で放送事故っつーか……てか、俺もリアタイしてたから実際聞いてたんだけど。開始直後によくわかんない若い感じの男の声が入ってきてさ。しかもソイツ、どうも『母さん……』って言ってたっぽいんだよ」
「!?」
母さんって……間違いない、俺じゃん。
「でな、まーたんもめっちゃ驚いた感じで『たっくん』……たぶんその男の人の名前かな?つって慌てて配信切っちゃったもんだから、あっという間にファンの間じゃ『まーたんって実は結婚してて息子もいたんか!?』……って火が点いてさ。で、そっからはもうずっとVランドどころかV界隈全部その話でもちきりでよぉ……」
「そ、そんな……ウソだろ?」
「ウソじゃねぇよ……てかそんなタチの悪いウソつきたくねぇよ。気になるなら調べてみろよ……あ、言っとくけど心してかかれよ」
「…………」
マジか、そんなにかよ……。
俺はノリアキの忠告に恐怖を覚えつつ、ネットで「花咲ママミ」と検索しようとしたところ――。
『花咲ママミ 放送事故』
『花咲ママミ 子持ち』
『花咲ママミ 既婚』
『花咲ママミ ファン 発狂』
『花咲ママミ 裏切り』
『花咲ママミ 旦那 誰』
『花咲ママミ ビッチ』
『花咲ママミ 終了』
「……っ!!?」
そ、そんな……まさか俺の知らない間にそんな大事になってたなんて……。
検索ボックスにひとこと入力しただけで、このサジェスト。
俺は背筋がゾクッとした。
……でも、考えてみたら決しておかしな話でもない。
母さん……子持ち……結婚。
VTuber界は人気商売で、その中にはアイドルのように視聴者から恋人目線で応援されている人も多い。
それなのに恋人発覚どころか、そこをすっ飛ばして結婚して子どもまでいるなんて……一部のファンからしたら裏切り行為と認定されてもなんら不思議じゃない。
実際、別の事務所だが大手の人気女性Vではこれまた人気の歌い手さんとの結婚がバレて所属事務所を辞める羽目になった人もいるとかなんとか……。
すると、そうして絶句していた俺の横でノリアキがポツリと呟いた。
「……引退」
「え……!」
「しちゃうのかな……まーたん」
「それは……」
ない……とは言い切れないだろう。
というか、ある意味最善策だと思う。
こういう炎上への解決策として、いったん全ての幕を閉じて世間から距離を取るのは常套手段の一つ。
人によっては「逃げた」「卑怯者」などと囃し立てる者も一定数いるが、結局のところ当事者のダメージが一番少ない選択肢でもある。
それに事はなんと言っても実の母親の問題。
俺は母さんがツラい目に遭うくらいなら自分の身を盾にしてでも守りたいし、なんならどっか人里離れた地方へ移住することになっても構わないくらいの覚悟はある。
だから俺自身、こうなった以上は引退もやむなしと思ったのだが……。
(……でも、このままこの世界からまーたんがいなくなるなんて)
『花咲ママミ、引退』
長年のファンとしての感情が、どうしてもその事実を簡単には受け入れさせてくれなかった。
息子として母を守りたい気持ちと、ファンとして推しを失いたくない気持ち。
相反する感情が俺の中でせめぎ合う。
俺は自分がよくわからなくなった。
と、そこでまたしてもノリアキが呟く。
「……ひでぇよな。そりゃ俺だってショックだったよ。ウソだって思いたい。でも、たとえそうだとしてもこりゃないぜ。仮に人妻だろうが、今まで癒してくれた相手によ……」
「ノリアキ……」
(なるほど……それであんなに泣いてたのか。てっきりまーたんが辞めること自体にショックを受けてるのかと思ったら……)
改めて思うけど、やっぱコイツっていい奴だよな。
そして、おかげで俺は少し冷静になれた。
たしかに俺は花咲ママミのファンである前に、杉咲仁恵の息子だ。
でも、これまで俺がまーたんの配信に救われてきたのもやっぱり事実だ。
俺にとってはどっちも大切な存在。
だとすれば、両方守りたいに決まっている。
なら……。
「……なあ、ノリアキ」
「え?」
「俺にもしものことがあったら、そのときは俺の骨……拾ってくれよな」
「は……? って、お、おいタツヤ! どこ行くんだ!? もうすぐ授業始まんぞ!?」
カバンを手に教室の出口へ走りだした俺に、親友の声が背後から聞こえてくる。
でももう止まれない。
その日、俺は初めて学校をサボった。