第9話
現国王であるエドモンド二世は、言いようの無い不安と恐怖に苛まれ、目を覚ました。隣の部屋には王妃であり、最愛の妻イレーヌが眠っている。彼女の顔を一目見てから寝ようと、繋がっている寝室のドアを開けた。静まり返り、空気さえも動いていない。異様な雰囲気を感じたエドモンド二世は蝋燭に火をつけた。
「……ぅあ、イ、イレーヌ………。」
そこには変わり果てた姿のイレーヌが横たわっていた。エドモンド二世はイレーヌの亡骸に近付き、頬を撫でた。最愛は帰ってこない。まさか、息子達にまでも、魔の手が伸びていたら?彼は飛び出した。寝間着姿の王が廊下を走り回っている。使用人達は慌てて王を追い掛けた。
王は先ず、第一王子の部屋を訪ねた。返事が無い。暫くすると寝ぼけ眼の彼が現れた。王は彼を見ると同時にまた走り出し、第二王子の部屋を訪ねた。またこれも無事であった。第三王子の部屋も確認した。これも無事であった。王は使用人達に王妃の事を伝え、護衛騎士と王宮騎士を呼ぶ様に手配した。
「太陽の父、国王陛下。驚くべき事が起こりました。」
「今度は何だ。イレーヌが生き返って廊下でも歩いていたか?」
「いえ、イレーヌ妃の遺体が消えているのです。」
「消えている?」
「アァ!!誰か!!誰か来てくれッ!!」
第一王子の声だった。来た道を急いで戻れば、第三王子と第二王子が血を流して倒れ、血溜まりに第一王子がへたり込んでいた。彼の上着は二人の血を吸い、赤く染まっている。王家暗殺。王の頭にはそれしかなかった。あの、夢から覚めた時の違和感は、間違いなく、殺意を感じたからだとエドモンド二世は考えた。
そんな事を考えていると、第一王子の体が宙に浮く。首を絞められているようで、もがき苦しんでいる。使用人達は慌てて第一王子を必死に下ろそうとするが、どうしようもない。目の前で、目玉をひん剥き、舌をダランと垂らした第一王子の亡骸が投げ捨てられた。
「これは……暗殺なんてものではない…!処刑その、」
エドモンド二世は首が転げ落ちた。宮廷の者達は王家が目の前で死に絶えるのを、震えながら眺めていた。
王侯貴族も王家と同じ様に、当主が死に、嫡子が殺され、幼子のみが生き残った。
そして、ブレイスフォード家は、最も凄惨な死を迎えた。当主は暖炉に首を突っ込んで焼け死に、奥方はシャンデリアに潰され、娘は窓が断頭台となった。生まれたばかりの息子は、泣き声を上げる間もなく、首が百八十度回っていた。逃げ惑う使用人達は、火の手に阻まれ、屋敷の外に出る事も叶わない。この世で最も辛い死に方とは、焼死であるとも言われるが、死にゆく者には、そんな事は関係なかった。
「ァ、アハハハッ!あー、馬鹿みたいに簡単に終わってしまったわ。この国は混沌とするでしょうね。都市は荒れ果て、田畑は干乾びる。何と美しく滑稽な姿でしょう……」
「リベカ、これが見たかったのか?それならば、塔から出ずとも出来たが。」
「……直接見てみたかったの。特に王家とブレイスフォード家の最期の瞬間を。そう言えば、ヘンリーは何故、あの塔に来られたのかしら?誰かが手引きしていたのかしら?」
「……おそらくは、私達の後ろにいる男のせいではないかな。」
振り返ると、私の兄であったアイザックが剣を片手に、私を睨んでいた。そんな彼の剣は震えている。私は嘲笑を込めて鼻で笑った。あの平和主義で、剣術はビリッけつ、おまけにおつむもよくない彼が、剣を振るわんと立っている。笑わずにはいられなかった。
「リベカッ!何が可笑しい!?」
「あぁ、アイザック。貴方の存在が、震える剣先が、あぁ!怖くて怖くて……ふふふ!」
「リベカ。お前は本来、こんな事を仕出かす馬鹿ではなかった。その男を解放するなど、やってはいけなかった。素直に世話係で終わっていれば、お前の亡骸は、神聖なノアの墓の隣に埋められた筈だ。」
「…逃げた貴方がそんな事を言うのね?出来損ないのアイザック。貴方こそ!素直に世話係の役目を終えていれば、こんな悲劇は起きなかったのよ?これは、私の仕出かしたことではあるけれど、貴方も充分、責任があるの。」
ヴィネが私の肩に顔を埋める。それを撫でてやれば、何時でも殺せると耳打ちしてきた。
「まだ、殺すのは惜しい。生け捕りにしなさい。四肢は最悪無くなっても構わない。」
アイザックがしまったと、取り返しのつかない事をした者の様に、表情を青白くさせた。ヴィネの魔法で拘束し、舌を噛み切る事も許さない。見れば見るほど、あの日記に出てきた男爵家の者と瓜二つであった。
「可哀想なお兄様。私と共に参りましょう。この国の、世界の果てを観に行きましょう。なに、怖いものは何もありませんわ。ただ見守るだけ、簡単な事。」
「可哀想なリベカ。お前は何者にも成れない。人を使役し、手に入れるものなど、大したものではない。お前は近いうち、破滅するだろう。」
「何時から預言者になったのかしら。ヴィネ、この男を連れて行くわよ。」
ステップを踏むように、歌劇のスターのような足取りで塔へと帰る。アイザックは供物になったヘンリーを見たら何と仰るかしら。