第8話
塔から出る為、愛に関するものをひたすらに、彼に食べさせた。恋愛小説、絵画、楽譜等、食べるに連れて、彼の体は、左足以外、外へ出られるようになっていった。その頃には、彼はとても親切な人になっていた。少しずつ、正気が戻っている様にも見えた。穏やかな笑みが増え、彼の知性と教養ある話は私を楽しませた。長い会話ができるようになり、魔法で音楽を流し、ダンスを踊った。雨の日には、書庫で同じ本を読みながら文句を言ったり、ピアノで連弾した。化け物だった彼は、ゆっくりと本来の自分を取り戻している様だった。
それでも、彼はふとした時に狂気を見せた。窓に止まった小鳥に小石をぶつけ、小鳥が自分を咎めてくるのだと怯えた。ある時は、うたた寝をする私を凝視し、私が消える事を嘆いた。
「リベカ……君もいずれ、私を置いてここを去るのだろう…?」
「何故、信じないのよ。私は貴方の友人で、味方よ。私の傍は、貴方が相応しい。ヴィネ、私の友人、悲しまないで。私を、信じて。」
こう言えば彼は落ち着く様で、そのまま私の腕の中に落ちる。子猫の様にもたれ掛かり、私の心音を聞いている。正直、酷く面倒だ。この男は役に立つが、私の枷にもなるかもしれない。塔の魔法が解ければ、彼は不老不死ではなくなる。王家を皆殺しにし、王侯貴族を粛清し、ブレイスフォード家は根絶やしにする。私の野望が叶う時までは、この男を離してはいけない。殺してはいけない。
「リベカ。友人の、リベカ。味方の、リベカ。聡明で、野心的で、激情を持つ、美しいリベカ。私の、リベカ。」
「貴方の友人で味方だけど、貴方のものではないわ。勘違いしないでちょうだい。」
「君は、私の想いに気づかないふりをしている。」
「貴方のそれは、恋でも何でもない。ただの執着。私、弁えない男は嫌いよ。」
「厳しいな。」
私の膝を枕にする男を蔑み、苛立ちを抑える。私のその目にさえ、彼は悦を覚えている。気味が悪い。早く、この男を解放し、この国に災厄を振り撒く。その後は私が女王として君臨し、この男をお抱えの魔法士にする。愛を与えるふりをすれば、愛を何よりも欲している彼は逆らえない。王配にすると言えば、喜んで奉仕するだろう。ヴィネの頭を一撫でする、彼は気持ち良さそうに目を細め、私の手を取る。その手を宝玉の様に眺め、頬擦りした。
最後の愛は何処にあるのか。彼の左足を切断する事も考えたが、戻るだけなので意味が無い。私の与えた愛でも足りない様だ。何が足りない?何が必要なのだ。
「リベカ。望まれない客人だ。」
ベッドの横にはヴィネが居た。寝室へ勝手に入るなと言ったのに。ヴィネの頬を叩いた。
「あれ程言ったのに、今度から、ドアの外から声を掛けなさい。」
「すまない……」
私はベッドから降り、ヴィネが着せてきた上着を羽織った。そのまま階段を降りると、予想外の人物に眉をひそめた。
「リベカお嬢様……」
「御機嫌よう。ヘンリー。随分な、ご登場ですこと。」
「お嬢様。私は間違えてしまいました。貴女を、こんな塔に閉じ込めるなどと。剰え、その化け物の世話など、貴女がすることでは無い…!」
私の脇にヴィネが立つ。ヘンリーはヴィネを見ると、恨みのこもった攻撃的な目を向けた。
「リベカお嬢様、どうか私の手を、取ってはいただけないでしょうか…?不幸な身の上にある貴女を、救う御役目を、私に与えてはくださいませんか?」
「子爵家の次男。そのような事を言ってはなりません。此処に入った時点で、貴方は追われる身。それで何処に行かれるのです?」
「追われるのは覚悟の上。この先に“中立の森”という場所がございます。其処は何人も手を加える事は許されません。其処で生きませんか、私と。」
ヴィネが彼に襲い掛かった。ヴィネを剣で容赦無く斬り捨てると、私に向かって手を伸ばした。
「私は、貴女様を、お慕い申し上げております。」
私は、彼の手を取った。手を引こうとする彼を階段から突き落とした。彼は私に押されると思わなかったのか、目の前の現状を信用出来ずに、青褪めた顔をしている。彼の瞳に映る私は、何と愉快そうな表情をしている事か。
「……私が何も知らない、清らかな乙女であれば、貴方の手を取ったのかもしれません。ありがとう、ヘンリー。貴方は、彼の糧となります。」
ヴィネが彼の胸に手をあて、指を肉に沈ませる。暴れ、叫び出す。暴れる四肢を魔法で取り押さえ、私は彼の手に杭を突き刺した。それでも叫ぶ彼の口に布を入れる。胸の肉を引き剥がし、骨を抜き取り、心臓を抉り出す。未だ脈打つ心臓を、ヴィネが口にした。塔に一陣の風が吹く。ナルシシズムと傲慢さ、美しく厚かましい。ヴィネの口元をハンカチで拭う。
「リベカ。これで私は完璧な男になった。」
「…………。」
これで塔を出る準備が整った。