第4話
ビロードのカーテン、広いベッド、下が見下ろせる窓もある。これからはここが私の部屋だ。あの男は私を追いかける事も出来ていない。清々しい。やっぱり、私は心のままに動く方が性に合っている。
私は戦時中、前線の女神とまで讃えられた。魔法が使えないにも関わらず、前線の病院で怪我の手当を行い、夜も患者の不安を聞き、院内を清潔に保った。これも全て、私の婚約者探しだったのだが、人々からは感謝され、私は前線の女神と呼ばれるようになった。それのお陰で、戦後、婚約者候補の釣書は山のように重なり、侯爵家からも釣書が届いた。
一度侯爵家の令息に会った。戦時中に如何に自分が勇敢に戦ったか、お金を持っているか、そんな話ばかりだった。彼は前線に出た事すらない、世間知らずのお坊ちゃんだ。これなら、物言わぬ患者の体を拭いていた時の方がよっぽど有意義だった。私は婚約を断った。侯爵家でも射止められないのかと、首塚のようにあった釣書は片手で数えられる程になった。その中には、私の護衛であり、子爵家のヘンリーも居た。彼は私を慕っていた。私は気づいていた。しかし、彼の手を取るのは、利にならない。
彼の家は庶子が当主になった事がある家だった。そんな家と、ブレイスフォード家が繋がれば、庶民の血が入ってしまう。それはこの家に何の得も与えないのだ。今となってみれば、彼の手を取れば、あの家に最大の損害を与えられた。惜しい魚を逃がしたものだ。
「……私の後をつけるのって、そんなに楽しいの?」
振り向くとヴィネがいた。気配で何となく気づいていた。私の攻撃した部分は嘘のように消えている。
「私は、君を知ってみたい。今までの無礼を詫びるよ。」
「言葉で足りたら、法なんて要らないの。せめて頭を下げなさいよ。私は貴方の可哀想な体と違って、怪我したら治すのに時間がかかるの。大体ね、詫びるくらいなら最初からしなきゃいいんだ。馬鹿だね。」
彼はナイフで刺された者のように顔を歪めた。私は窓の外を眺めた。美しい緑。昨日の嵐が嘘のよう。母を乗せた馬車は雨の中、引っくり返っただろうか。それなら、腹を抱えて笑ってやる。
「すまなかった………。初めてだ、人にちゃんと謝ったのは。」
「あら!死ぬ前に体験出来てよかったわね。あぁ、貴方は死ねないんだった。ごめんあそばせ。」
彼は自分のシャツを掴み、瞳が潤んでいた。泣くくらいならば、何もしなければいい。反撃されるとは思ってもみなかったのだろう。大体、この男も塔に閉じ込められている事実に、怒りを抱いたりはしないのか。
「貴方って、相当な事なかれ主義だったりする?」
「何だ急に。」
「だって、こんなクソみたいな所に閉じ込められたまま、何百年って居たんでしょ?出ようとは思わなかったの?」
「……最初は兄に懇願したよ。でも、異端者の声なんて誰も聞きやしない。」
「はッ!甘ちゃんだね。相手に耳かっぽじってよく聞けって、無理矢理聞かせる気概を見せなさいよ。そんなんだから、婚約者も兄の方に行くのよ。異端者とか言ってるけど、不老不死なんて話、耳が腐る程、物語があるのよ?貴方は在り来りで、凡愚よ。」
「私が、在り来り……」
彼は考えるように顎に手をあてた。考える様は美しく、それでいて何処か愉しげだ。私が部屋から出ると付いてくる。もう気にしないことにした。
「ここには書庫とかないの?暇過ぎて気が狂っちゃうわ。」
「あるよ。三階の部屋、私は読み切ってしまったけれど。」
「貴方の話なんて聞いてない。」
私は三階の書庫へ向かった。蔵書は殆どが同じ作者のものだった。それでも何かないかと探せば、部屋の一角に王家の家系図があった。これにはヴィネの名前が書かれている。これが本来の家系図だったのかもしれない。家系図の裏に文言が書かれていた。
「悔い改めよ。汝、愛を知れ。」
ヴィネが読み上げる。まさかこれで愛せだ何だ言っていたのだろうか。馬鹿げている。私はこの家系図を手でたたきながら彼に問うた。
「これに書いてあったから誰かに愛してもらおうとしたの?」
「兄も言っていた。不老不死の呪いを解くには、真実の愛が必要だと。」
私は思わず吹き出してしまった。真実の愛?そんなもの、物語の中の話じゃないか。それとも何か他の意味があるのか。
「兄の言ったことを信じ過ぎじゃない?家族、それも兄弟なんて一番信用しちゃ駄目よ。何かあれば真っ先に裏切るんだから。」
「…裏切られた事があるのか?」
「私が、勝手に期待しただけ。でも、貴方のは私と訳が違う。王族なんて、継承争いがあるんだから尚更注意深く見なくてはいけないのに。」
「私は兄が継ぐと確信していた。」
「でも兄は、そう思ってなかったんじゃない?現に婚約者は奪われて?不老不死の呪いをかけられてる。貴方を表舞台から引きずり降ろしたじゃない。」
彼は自身の腕を擦っている。あれば前線でよく見た。落ち着こうと必死になると、大抵の人は腕を擦る。彼は気づいていなかったのか、それとも気づかないふりをしていたのか。
そんな彼を放って、私は本棚を物色した。見事に同じ著者の本しかない。紙は羊皮紙でザラザラしている。中は古語で書かれた戯曲だった。
「『おお!可愛い我が娘、アリアよ!さぁ!兄に、特別なキスを。』……気持ち悪っ!近親相姦じゃない!」
「当たり前じゃないのか?」
「馬鹿ね。貴方が居た時代から何年経ってると思ってんの。今じゃ実刑判決食らうわよ。」
「そうか……変わったんだな。」
私達はいつの間にか、同じ本を二人で覗き込んで文句を言ったりして、友人のように時を過ごしていた。