第23話
こんにちは。そろそろ終盤です。
ヴィネにしてやられた経済面の被害を最小限に、災害対策はヴィネに一任していると公言した。農業に関して、私は専門家を招き、地道に改善していくことにした。外交は変わらず行っていたが、ヴィネを望む者は多かった。私なんぞお呼びではないと態度に出しはしないものの、肌身で感じていた。ベラは不思議と私に付くことを選んだ。リオンへ親心の様なものを感じているらしい、私はベラが離れていかないことに、柄にもなくほっと息を吹いた。ベイリー家も同様だった。彼らは私への恩義を忘れてはいなかった。大したことは何もしていないが、災害支援でいち早く物資を送ったことを覚えていた様だ。実際、あの場所の災害の復興が遅れれば、他国が攻めてくる可能性があった。
今日は月に一度、皇子と寝る日。あと数回しかないこの時間。皇子にとって母のぬくもりというものは感じられただろうか。ベッドの上で頬を赤くして、捲し立てるリオンの髪を指で梳かす。髪質はヴィネに似た様だ、引っ掛かりもない素直な髪。頭を軽く撫でれば、仔犬のように目を細めた。
「母上!僕は今日剣術を習ったのです。基本の構えと素振りを教えてもらいました!あと、数字のかけ算と割り算も!今度から歴史もやるそうです。」
「よくやっていますね、リオン。今は自分が楽しいと思う事をしなさい。後継者教育は厳しいですからね。」
「はい!僕、皇帝になります。母上のような、優しくて強い皇帝に!頑張ります!」
「ええ。楽しみにしていますよ。さぁ、横になって。」
私の言葉に、素直に従ったリオンに掛け布団をかけてやれば、布団を両手で掴み足をバタつかせた。まだ眠くないのだろう。それなら、今はもう聞けない子守唄を歌おう。この歌は、ヴィネも好きだった。リオンは私の声に耳を傾け、瞼を閉じたり開けたりを繰り返している。眠いなら寝てしまえばいい。髪を撫でる。私の手を、小さな手が包む。この子を後継者として愛しているが、ちゃんと実子として愛しているのだろうか。いや、不自由なく暮らせて、顔を時々見せればきっと、親としては正しい筈だ。
「おやすみ、リオン。私の最愛。」
親として完璧な言葉と言える。私も今日は疲労が溜まっていたのか、欠伸がよく出る。
天蓋を下ろそうとすると、妙な気配を感じた。枕の下にあるナイフを握る。窓には誰も映っていない。扉の前も騒がしくはない。ヴィネなのか、それとも刺客か。ヴィネならすぐに殺すだろうが、動いてこないということは刺客であると判断した、その時だった。
「リベカ。君ってやはり、思い通りにいかないね。」
「ヴィネ……」
「隣で眠っている子は、私との子だね。少し前に話したけど、賢い子だった。でも、後継者としてはイマイチかな。君の後継としてはいいけど、私の後継にはなり得ない。」
「ヴィネ、改めて聞くわ。貴方、皇帝になる気なの。」
「……そうだね。君を引き摺り下ろした後、私が君臨しておこうか。君を慕う臣下は、私を許さないだろうね。」
ここで私を殺す筋書きだったのだろう。彼なら遠隔で私の首を絞める事くらい、簡単に出来てしまう。せめてリオンだけでも逃がしてやれないか。交渉が効くかはわからないが、試すだけ試そう。
「ヴィネ。私は殺される覚悟は何時だって出来ている。だけれど私達の息子、リオンはまだ五歳。何もわからないまま殺されてしまう。それは避けたいの。私達の唯一の結晶じゃない。この子は見逃してもらえないかしら。」
ヴィネは顎に指先を置いた。考えるフリ。リオン共々死んでしまうようだ。
「カルロ!!!」
一か八か彼を呼んだ。彼は現れた。まだ眠たげなリオンをカルロに渡す。出てきてくれるとは思わなかった。彼の忠義に胸が熱くなった気がした。ヴィネは彼が出てくるとは思わなかったらしい。少し目を瞠った。
「ヴィネ。私を殺すのは構わない。私とて皇帝だ、暗殺の危機はいつもあった。だが、息子にまで手を出すのなら容赦はしない。お前は私の敵だ。」
「………君の中で、私はまだ敵ではなかったのか。今の瞬間まで、私は、そう……。」
カルロとリオンが宙に浮く。ヴィネの魔法だとすぐに気づいた。
「君に二つの選択肢を与えようと思う。私はこのまま窓の外に彼等のどちらかを落とす事ができる。忠義の男を取るか、皇子を取るか。」
手が震えていた。久しく奥にしまっていた、あの濁流のような怒り。皇帝になってからは鳴りを潜めていたあの炎を、私は再び感じていた。ヴィネの方に近付いた。あの時よりも強く、拳で彼の頬を殴った。皮膚の擦れる、骨が当たる音がした。彼は頬を押さえて私を見た。
「ヴィネ。お前に選択肢を出す権利があると思っているの?驕り高ぶっているのはお前のようだ。今すぐ部屋に彼等を降ろしなさい。」
まだ降ろさない彼の反対の頬を叩く。久々の感覚に手が痺れるような痛みを感じる。ヴィネは魔法は得意だが、こういう時の瞬発力はない。長らく離れていたが、そこは変わっていないようだ。
「同じ事を言わせないで。今、すぐ、彼等を床に降ろしなさい。」
彼は静かに彼等を床に降ろした。カルロとリオンに近付こうとした私の腕をヴィネが掴んだ。今のやり取りで彼が私を殺す気はないことはわかっていた。臣下と息子を殺されそうになった恨みは消えない。それでも、僅かに残った情が腕を振り払わなかった。
「……リベカ。君はやはり激情家だ。でも、少し変だ。人の為に怒るような人ではなかった。」
「……あの時とは違うの。私は貴方が居ない六年間、息子を育て、国を育て、部下と信頼を結んできた。皇帝としての私を育ててきた。」
私は、ヴィネが帰ってくることを待っていた。息子が生まれる時も、災害対策に身をやつしていた時も、部下の裏切りを考えなくてはいけない時も、ヴィネがいればと思っていた。私はきっと、彼に甘えていた、信頼していたのだ。帰ってきてくれると、信じたかった。それがこんな結果を生んだのだ。
「私が言えた義理ではないけれど、それでも。ヴィネ、自分の息子を妻の関心を引く為だけに危機に晒すなんて、正気の沙汰ではないわ。」
カルロとリオンを見る。意識を失っているようだが、呼吸はしている。なら大丈夫だ。
「……ヴィネ、貴方。今も私が好きなの?それならもう、やめて頂戴。息子や、臣下を人質に取るのは。皇帝になりたいのなら順序を守って。皇帝とその寵臣を殺しなさい。」
「わかった。」
壁一面に血が飛び散った。