第16話
夜。私はメイドに肌を磨かれ、髪に薔薇のオイルを付けた。いつもの様に櫛で髪を梳き、シームレスな寝間着を着る。広いベッドで彼を待つ。久々の夜伽だが、何かがおかしい。私は上着を羽織り、ピーターを呼んだ。
「…陛下、どうされましたか。」
「嫌に、離宮が静かで。ヴィネは何処に居る。」
「殿下は今頃湯浴みの最中かと。」
「案内して。」
「こちらに。」
ピーターの後を歩く。するとあのメイドが目に入った。彼女が何か仕出かしたのだろうか。思わず、吹き出してしまった。ピーターとメイドは私が笑っているのを不思議そうに見ている。なるほど、上手くやった方ではないか。案内された部屋から複数の息遣いが聞こえてくる。私を此処で襲う魂胆だったのだ。
私は大声でカルロを呼んだ。カルロは元々影の才能があった者だ。すぐに現れ、彼等は驚きの声を上げる。
「ピーターを取り押さえなさい。そこのメイドもね。」
カルロはピーターを慣れた手付きで取り押さえ、縄で縛る。逃げるメイドの足を引っ掛けてやれば、盛大に転んだ。私はゆっくりと近付き、彼女の顎を掴んだ。
「…慈悲というものは、有難く受け取り、それ以上の愚行は避けるべきだ。しかし、貴方は、二度までも、私の厚意に背き、泥を塗った。これは、追放処理をするしかない。」
「わ、私は、そこの男に騙されて…!」
「話が違うぞ!アンナ!」
「可哀想にね。ピーター、貴方は反逆罪で絞首刑になるでしょう。裁判で存分に言い訳をしなさい。」
「そんな…!どうかお慈悲を!陛下!陛下ッ!!」
ピーターが篭絡されるとは、あのメイドは働く場所が違えば昇進出来ただろう。面白い、目の前の彼女を使うのは良い考えだ。遊びというものは、本気の者が居るから面白い。
「貴方は、ヴィネを愛しているのね。よろしい、それなら機会をあげましょう。ヴィネが離宮に居る間は彼に近づくことを許します。その間に、彼を誘惑してみなさい。そのまま彼が貴方を選ぶなら、私は貴方に暇を出し、ヴィネと離婚します。彼が私を選ぶなら、今日の事で絞首刑、もしくは斬首刑よ。貴方は、愛の為に、命を賭けられる?」
「…アンタの地位を賭けなさいよ。」
「私は民衆から選ばれたのよ。なりたくてなれるものではない。皇帝はそんな単純なものではない。私が賭けるのはヴィネだけよ。私の慈悲を受け取らないのならば、貴方は反逆罪でピーターと同じ目になりますよ。」
「わかったわ。飲むわよ、そうするしかないんでしょ。」
私は彼女から手を離した。これから、この離宮を使うのが楽しくなりそうだ。しかし、これでヴィネと寝る理由がなくなってしまった。ヴィネの機嫌を損ねない断り方を考えていた。
一度王宮に戻れば、ベラ・スタッドが慌てた様子で報告してきた。それは、連合軍がこちらに攻めてきているとの事だった。皇帝の地位と領土が欲しいらしい。地位は渡せないが、領土の一部を渡し、穏便に済ませることも出来る。さて、どうしたものか。ヴィネを使って奇跡を起こしたように見せて、帝国民の人気を取るのも良し。私の軍師としての才能を見せる為に、前線に立ち、総指揮を執るのも良いだろう。
「私が前線で指揮を執ります。その間、政務はヴィネに頼みましょう。ベラ、ついてきてくれるわね。」
「陛下の御心のままに。」
スタッド家の軍事力はこの国で一番だと言える。その分、裏切りを警戒しなくてはならないが、扱えるうちは良い味方だ。私はカルロを呼び、ヴィネに政務を一任することを伝えた。ベイリー家の外交力で解決できないという事は、連合軍は地位向上と、領土の独立を考えているのだろうか。この状況で帝国から抜ける方が危ういと思うが、後ろ盾があるのか。例えば、公国。ダグラス公が裏に居るのなら話は単純だ。しかし、私に好感を持たない者は他にもいるだろう。ダグラス公を筆頭に、下に居るもの、或いは背後に居る者を特定しなければ。
私が前線に出ると聞いたヴィネが執務室のドアを勢いよく開けた。彼は酷く焦った様子で、額に汗まで浮かべている。
「君が前線に出る必要はないだろう。何故、私に行かせない?」
「私が行くことで士気が上がるでしょう。前線の指揮を執れば、帝国民の信頼も得られる。」
「これ以上、無理する必要はないだろう。今は国務に専念すべきだ。」
「…背後にいる者が、帝国に、民に、手を出せない様に、私が行くの。暗殺の可能性もあるけれど、危険を冒してでも、前線に行く価値はあるわ。皇帝自ら出向くことが、どれ程の価値があるのか、分かるでしょう?私を止める事は出来ないわよ、ヴィネ。」
「……皇帝としての君は、もう充分威厳を持ち、家臣からも国民からも信頼がある。これ以上、何を求めると言うのだ。」
「皇帝は常に、強くあらねばならない。その為に行くのよ。」
ヴィネは目を開き、視線を下に向けた。私を止める事は出来ないと悟ったのだろう。拳を握り、爪が肌に食い込んでいる。私はヴィネにカルロと共に政務に専念せよと命令をした。彼はただ、頷いた。彼が反乱を起こす可能性を考え、カルロと影に彼を見張る様、密命を出した。
何も信用出来ない。ヴィネには愛はあるが、それによって暴走する事を視野に入れなくてはならない。ベラは野心がある、帝国の皇帝になる事を考えていない訳ではないだろう。カルロはベイリー家の推薦、優秀で忠義もあるが、ベイリー家への恩義を忘れていない。新しい側近が必要だ。私が選んだ、私にだけ忠実な者を。