レオニードの決意
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大通りから逸れた小路をそのまま歩いていくと、白壁の簡素な民家が立ち並んでいた。
どこを見渡しても商人や観光客らしき姿は見当たらず、すれ違うのは地元民と思しき老婆やのんびりと散歩を楽しむ猫ぐらい。そんな繁華街の雑踏から離れた所にロウジは宿を取ってくれた。
外観は民家と変わらない。しかし部屋へ通されると意外に品のよい調度品や寝台が置かれており、心地良い清潔感が三人を迎えてくれる。
レオニードが部屋を見回していると、ミナムが部屋へ入るなり寝台に倒れ込んだ。
「変な奴に触られて……疲れた」
「気にすんな、あれぐらい。尻を撫でられるよりマシと思え」
大口を開けて笑いながら、ロウジは窓を開けて手すりに腰かける。
レオニードもベッドに腰かけ、窓からそよいでくる風に感じ入る。火照っていた体が冷やされ、肩から力が抜ける。耳を澄ませてみると、空に響く海鳥たちの声が聞こえてきた。
「一休みしたらどっか出かけるか? ……んん?」
ロウジが奇妙な声を出してベッドを見る。つられてレオニードも目を向けると、ミナムが小さな寝息を立てて眠っていた。
「寝るの早っ。ま、それだけ疲れていたってことか」
声を落としてロウジは笑うと、レオニードに顔を近づけて声をひそめる。
「ワシはこれから賭場で遊んでくるが、お前さんも一緒に来るか? ベスーニュの賭場は華やかで、行くだけでも目の保養になるって有名だぞ?」
レオニードは小さく首を振り、ロウジを一瞥した。
「悪いが、俺も休ませてもらう。まだ傷が癒えていない。少しでも回復させて、追手の襲撃を受けても切り抜けられるようにしなければ」
「つまんない男だなー。お硬いヤツは人生損するぞ? ワシの生き様を見ておけよ、一発ドカンと当ててやるからな」
そう言ってロウジは部屋を出ようとして立ち止まった。
「あーそうそう。ついでだからヴェリシアの城に向かうための馬車を予約してくるぜ。乗り合い馬車よりも早く移動できるしな」
言いながら再び歩き出したロウジの背を、部屋の外へ出るまでレオニードは見送る。
彼の言動に呆れることはあるものの、意外と気遣いのある男だと思う。今まで周りにいなかった種類の人間で、未だにどう接すればいいか分からないが。
廊下の足音が完全に消え、部屋に心地よい静けさが流れる。
無音ではなく風や外の雑音が丁度よい。しっかり休めそうだと、レオニードは態勢を崩してベッドへ横たわろうとする。
隣で眠るミナムが視界に入り、動きを止めて彼を見た。
起きている時は気付かなかったが、寝顔は随分あどけない。
肌も滑らかで、少女のように瑞々しい。年は十八だと聞いたが、成人した男性とは未だに思えなかった。
(……こういう顔もするのだな)
初めて会った時から、ミナムは自分の素顔を見せようとしない。
常に「何でもない」と微笑で己を隠し、相手の出方をうかがっている感がある。誰に対してもだ。
それが馬車に酔ってから、少し崩れた気がする。ずっと張りつめていたものが、緩んでいるような――ミナムには悪いが、少しは心を許してもらえている気がして嬉しかった。
この命を助けてもらっただけでなく、仲間の命も助けてもらおうとしている恩人。
できれば彼の力になりたい。きっと彼はそれを望んでいないのだろうが。
(無理もないか。子供の時分に家族を失い、仲間と生き別れて、今まで一人で生きてきたんだ。しかもそんな目に合わせたのは、俺と同じ北方の人間……)
一体どうすれば、彼に報いることができるだろうか?
どれだけ考えても答えは出ず、レオニードは額を押さえた。
「ん……」
微かにミナムが身じろぐ。寝苦しいのか眉間に皺が寄っている。妙にその顔が艶めかしく目のやり場に困る。
自分も仮眠を取ってやり過ごしたほうがいいかもしれない。
そうは思っても、レオニードはミナムから目を離せず息を呑む。
次第に寝息が乱れ、ミナムが辛そうにうめく。
そして口を動かし、どうにか聞き取れる声で呟いた。
「イザーミィ、姉さん……」
高く澄んだ声にレオニードは固まる。
どう聞いても男が出せる声ではない。あまりに柔らかく澄んだ声。
(まさか、本当は女性?……い、いや、単に歳を誤魔化しているだけかもしれない)
まだ声変わりを迎えていない少年ならば、今の声も腑に落ちる。
だが、もう一つの可能性が頭から離れない。
どちらにしても己を見せたがらないミナムにとって、知られたくないことだろう。
見るに見かね、レオニードは立ち上がってミナムの肩を揺すった。
「ミナム、起きろ。大丈夫か?」
すぐにミナムは目を開けず、うなされ続ける。
と、急に置き上がり――レオニードの胸元へ抱きついてきた。
「姉さん、行かないで!」
不意打ちの締め付けと涙声に、レオニードの胸が詰まる。
身内と離れた時の夢を見たのだろう。そう思うと不憫でならない。
ミナムを落ち着かせようと、レオニードはその背を撫でようとした。
手に、何か硬いものが当たる。
(これは、胸当て?)
疑問に思った矢先、ミナムの体が弾かれたように離れた。
紅潮した頬から色香が漂い、レオニードの鼓動が大きく脈打つ。
睫毛を伏せて細い長息を吐くと、ミナムは立てた膝に腕を乗せてうつむいた。
「ごめんレオニード……嫌な夢を見た。たまに見るんだ……村を襲われて、家族や仲間を殺されて、姉さんと離れる夢。肩を揺すられて、姉さんが戻ってきたかと思ったよ」
自嘲気味にミナムが「そんな都合のいい話、あるはずないか」と呟く。
涙こそ出ていないが、丸まった背中が泣いているように見える。
しかし再びミナムが顔を上げると、いつもの気丈な顔に戻っていた。
さっきまで儚げだった瞳の光は力強くなり、危うい弱さを隠す。
ずっとそうやって仲間や家族を失った悲しみや、一人になった心細さに耐えてきたのだろう。
不意にミナムが泣くまいと意地を張り続ける子供のように見えた。
なんの慰めにならないと分かっていても、思わずレオニードは手を伸ばし、少し寝乱れたミナムの頭を優しく撫でる。
怒られる事を覚悟していたが、意外にもミナムは微笑を浮かべた。
「フフ……懐かしいな。いつも怖い夢を見た時、姉さんがこうしてくれたから」
そう言ういながら、ミナムはやんわりとレオニードの手から離れてこちらを見上げる。
「ありがとう。少し楽になったよ」
ミナムの穏やかな言葉や表情とは裏腹に、「もうこれ以上、深く関わるな」と突き放された感じがする。
初めて言葉を交わした時から、彼は強い人だと思っていた。
ただ、今はその強さが悲しい。
不意に抱きしめたい衝動に駆られたがレオニードは思いとどまる。
今は何をしても、ミナムを追い詰めるだけだ。そして自分の心も冷静に彼と向き合えない。
「……そうか。それなら良かった」
釈然としなかったが、レオニードは引き下がる。
しかし引き下がりながらも決意する。
全力で彼を守り、力になろう。
――彼が何者であったとしても。