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男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す  作者: 天野 仰
一章 若き薬師と行き倒れの青年
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ミナムの事情

「バルディグの兵か! ミナム、後ろに下がっていてくれ」


 言いながらレオニードは護身用の短剣を素早く抜き、彼らへ向かおうとする。


 ようやく目覚めたばかりで体は弱ったまま。痛みもあるだろうレオニードの背を、ミナムは目を細めて見つめる。


 毒の剣で斬り付けたのだから、逃げられても解毒できずに死ぬ。だから放っておけ――と追手は考えてくれなかったらしい。確実に死体を見つけるまではと、町の中を探し続けていたのだろう。


 それだけレオニードの行動は、バルディグにとって厄介だということがうかがえる。


 ミナムの口端がわずかに引き上がった。


(やっと見つけた、一族の手がかり)


 目の前では、追手二人とレオニードが剣を交える間際。


 このまま戦わせれば傷が開き、治りが遅くなってしまう。

 薬師としても、仲間を探す手段としても、それは面白くない。ましてや命を落とすなど――。


 ミナムは腰のポーチから小さな丸薬を取り出し、口の中で噛み砕く。

 舌の奥まで痺れが浸透し、顔を全力でしかめたくなるようなえぐみと苦味が広がっていく。


 そして自分の短剣を抜き、ミナムは勢いよくレオニードと追手たちの間に割って入った。


「ミナム……っ?!」


「俺から離れて、レオニード。早く!」


 すぐに加勢しようと前のめりになったレオニードを、ミナムは鋭い視線を送って制する。


 無謀ではなく狙いがある。目を見てそれを察してくれたらしく、レオニードは困惑の色を見せながら距離を取ってくれた。


 あくまでレオニードを狙おうと踏み込んでくる追手たちへ、ミナムは短剣をビュンッと振り、行く手を阻む。


 邪魔をするならば容赦しないと、追手の殺気がミナムへ向かう。

 まばらな剣撃に臆せず、ミナムは彼らと刃を交える。ギィンッ、とぶつかり合う音が辺りに響いた。


 ――その直後、追手たちが硬直する。

 次第に全身を震わせ、頭を揺らし、低い声で唸り出す。


 ゴトン。彼らの手から剣が落ち、よろめいてミナムから離れようとする。

 だが一歩退いた途端に膝が崩れ、二人はその場へ倒れてしまった。


 桟橋の手前に待機していた追手の一人が、突然の光景に「な……っ!」と声を上げる。


 仲間の元へ駆け付けようと桟橋を駆けたが――潮風が町へと向かって流れた途端、最後の一人もまた同じように倒れ、軽い悶絶の後に動かなくなった。


 完全に沈黙した追手たちを見下ろした後、ミナムはポーチから白い丸薬を取り出して口に含む。


 少しでも早く全身に薬が行き渡るよう、口での深呼吸を何度も繰り返す。

 それから手の甲を軽く舐め、肌の状態を確かめてからレオニードへ振り向いた。


「うん、もう出ていないな……待たせたねレオニード。もう大丈夫だよ」


 目の前の惨状にレオニードが息を呑みながら、ミナムの元へ近づく。


「いったい、何をしたんだ?」


「毒だよ。特別に調合した物を飲んで、俺の息や汗を毒に変えたんだ。誰でも飲めばできるって訳じゃない。俺だからできることなんだ」


 まだ現実が信じられないらしく、レオニードが呆然とした眼差しを向けてくる。


 ミナムは力なく微笑みながらレオニードへ尋ねた。


「レオニードは久遠の花って聞いたことはある?」


「ああ。どんな病でも治すという薬師の一族だという噂は知っている。てっきり噂でしかないと思っていたが……」」


「知っているなら話が早い。俺は久遠の花を守るため、一族の中で守り葉という役目を担っていた。久遠の花は薬を極めるけど、守り葉は毒を極める。要は少し特殊な毒使いだと思ってくれればいいよ。隠れ里を北方の兵士に襲われて、俺が守るべき花は消えてしまったけどね」


 話を聞いていく内に、レオニードの顔が申し訳なさそうな色を濃くしていく。


「では君の師は、ここには――」


「いないよ。守り葉は俺以外はみんな死んだ。久遠の花は行方知れず……悪いね、紹介できなくて」


「いや、俺のほうこそ悪かった……そんな事情があったから、仇を見るような目で俺を見ていたのか」


「ごめん。あなたが襲った訳じゃないと分かっていても、心の中で割り切れなかったんだ」


 ミナムは短剣を鞘に収めるとレオニードに背を向け、桟橋に置いたままの釣り竿を手に取った。


「追手はこのまま放置しても大丈夫だよ。今の毒は痺れだけじゃなくて、前後の記憶をあやふやにしてくれる。俺の力は人に知られたくないからね」


 体を起こしてミナムが振り返ると、レオニードはいつになく真剣な眼差しでこちらを見据えていた。


「今まで隠していたことを、どうして俺へ話す気になったんだ?」


「レオニードが教えてくれたら、俺のことも教えるって約束したから……っていうのは表向き。最初は言わないつもりだったんだけど、あなたがコルジャの花の話をしたから気が変わったんだ」


 レオニードへ近づいて向かい合うと、ミナムは実直な視線を真っ向から受け止める。


「バルディグに俺の仲間がいるかもしれない。それを確かめたいけれど、国の軍が絡んでいるなら個人の力で調べるには限界がある。だからヴェリシアが掴んだ毒に関する情報を教えてもらいたいんだ。これがコルジャの花を譲る条件だよ」


 大勢の命がかかっているのに、見返りを求めるのは気が引ける。

 しかし、ずっと分からなかった仲間の情報がつかめた今、この機会を逃したくない。


 しばらく沈黙した後、レオニードは小さく頷いた。


「分かった、条件を飲もう。ただ、詳しいことはヴェリシアに戻らなければ分からない。だから――」


「もちろん俺もレオニードと一緒にヴェリシアへ行くよ。ここにいてもバルディグの追手に襲われるだけだろうし。それに貴方の体も回復していないから、治療も続けないとね」


 今レオニードに死なれては困る。移動中に容態が急変しないよう、細心の注意を払っていかなければ。追手に襲われた時のために、護身の道具も用意しなければ。


 そう考えている自分に気づき、ミナムは心の中で失笑する。


(まさか俺が北方の人間を守る日が来るとは思わなかった。仲間と会えるなら、なんだって――)


 不意にレオニードから「ミナム」と呼ばれ、我に返る。

 目の前では表情の乏しかった彼が、珍しく微笑を浮かべていた。


「ありがとう。迷惑をかけてすまない」


 僅かに引き上がった口端に、細まって鋭さが和らいだ目。

 気難しく怖そうに見えていたその顔から、優しさが溢れ出た。


 こんな顔で笑うんだこの人。

 思わずミナムは目を丸くする。


 いつも険しい顔や、熱や傷に苦しむ顔しか見ていない。そのせいかミナムの目には、レオニードの笑みがとても新鮮に映った。


 ほんの少しだけ、利用する代わりに彼の力になりたいと思えた。




「――おいおいおい。ワシがいない間に、そんな大変なことになっていたのかよ」


 日が沈んでから戻ってきたロウジ――買い出しの途中、また賭け事へ手を出して負けたらしい――に、ミナムは荷造りをしながら状況を説明する。


 ヒクヒクと顔を引きつらせるロウジへ、ミナムは顔を上げてにこりと笑う。


「そっ。ということで、明日の早朝にここを出るから。明日からは宿に寝泊まりして。もう宿代が浮いたからって賭け事できないからね」


「マジかぁぁぁ……もう二、三日はいけると思ってたのに」


「いい加減やめなよ、賭け事の才能ないから――まあそういうことだから、厄介事に巻き込まれる前に、ロウジもザガットを早く発った方がいいよ。今まで手伝ってくれてありがとう」


 栗色の四角い鞄に調合した薬や作業用のハサミや薬研などを入れてから、ミナムは脇に避けていた銀貨入りの小袋を持ち、立ち上がってロウジに差し出した。


「これ、手伝ってくれた分のお礼。少し色をつけておいたよ。しばらく会えなくなるけど、お互い元気にまた会おう――」


「ミナム、ワシも一緒に行ってもいいか? 元々ワシは北へ行く予定だったし、まだ傷も治っていないヤツを連れて行くなんて大変だろ。あと、、お前さんは見た目からして力がなさそうだからな。ワシが護衛してやろう」


 まさかそんなことを言い出すとは思わず、ミナムは驚きを隠さずロウジへ目を見張る。


「ロウジ、本気で言ってるの? 下手すればバルディグの兵に襲われるかもしれないのに……嬉しいけれど、気持ちだけ貰っておくよ」


「遠慮するな。どうせワシはいつも冒険で色んな危険と付き合っているんだ。今さら危険が一つ増えたところで変わらねぇ。むしろ危険が増えたほうが冒険らしいぜ」


 ロウジがにっかり歯を見せる。もう一緒に行く気でいるのだろう。もし自分たちが黙ってザガットを発っても、勝手に追ってくるような気がした。


 あまり迷惑をかけたくないが、確かに旅慣れしているロウジが同行してくれるのはありがたい。ミナムは苦笑しながら頷いた。


「じゃあ甘えさせてもらうよ。俺からの報酬は一年分の薬ってことで。言ってくれれば、どんな薬でも調合するよ」


「ミナムの薬はよく効くから、ありがたいぜ。さてと……レオニードにも言ってやるか」


 ロウジは残っていたお茶を飲み干すと、コップを机に置き、レオニードが休んでいる寝室へと向かった。


 その姿を横目で見送ってから、ミナムは鞄を閉じて、おもむろに窓の外を見る。


 夕日が沈んだばかりで、まだ海側がほのかに明るく、空と建物が夜の闇に溶け込んでいないザガットの町。


 ここからの眺めが、これで見納めになるかもしれない。

 ミナムにとってそれは嬉しくもあり、少し寂しくもあった。


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