突然の告白
◇ ◇ ◇
その日の夕刻前。
ミナムはレオニードを連れて、小さな入り江にある桟橋へ向かった。
手には釣り竿二本と魚かご。少しでも早く動けるようなりたがっているレオニードの気を紛らせるため、ミナムは彼を釣りへと誘った。
最初は気が乗らないという空気をレオニードは漂わせていたが、
「少しでも体を動かしたほうが早く回復できるよ。ついでに食料も確保できるしさ」
と言ったら「分かった、行こう」と即答してくれた。
気難しい性格なのか多くを語りたがらないが、分かりやすい人だとミナムは思わずにいられなかった。
町の裏手にある長く細い階段を降りれば、白い砂の上にいくつも連なる岩々の向こう側に桟橋があった。住民がいつでも釣りができるように設置された釣り場。今日はミナムたちの他に誰もいなかった。
「久しぶりの外だから気持ちいいだろ?」
背伸びをしながらミナムが声をかけると、いつも強張っていたレオニードの顔が少し緩む。
「……ああ、そうだな」
「潮風に当たり過ぎると傷に障るから長くはいられないけれど、いい気分転換になると思う……はい、これ渡しておくよ。釣りの経験は?」
「子供の頃に少しだけ」
「じゃあ大丈夫そうだね。これを釣り針につけて糸を垂らせば、すぐに魚がかかるから」
言いながらミナムは腰のポーチから黒くしなびた木の実を取り出す。
海の釣りといえば、岩陰にいる磯の虫を捕まえ、針に刺して釣るのが当たり前。
まさか木の実を渡されると思わなかったようで、あからさまにレオニードの目が驚きで丸くなった。
あ、この人にもちゃんと感情があるんだな。
そう思った途端、ミナムは喉の奥から笑いが込み上げてきた。
「これは痛み止めの薬に使う実なんだけど、魚が口にすると痺れてあっさり釣れる。小さい頃に父さんから教わったんだ」
言いながら釣りの準備を整え、ミナムは桟橋に腰かけて釣りを始める。
やや遅れてレオニードも釣り針に木の実をつけると、間を空けてミナムの隣へ座った。
海に垂れた二つの糸が潮風に揺れる。
部屋にいた時と同じような沈黙が続くと思いきや、レオニードがすぐに口を開いた。
「ミナム……君のご両親も薬師なのか? まだ見かけていないが、いつ帰宅されるんだ?」
「珍しく饒舌だね。でも言わなかった? 貴方のことを教えてくれたら、俺のことを教えるって……俺からは先に言わないよ?」
「助けてくれたことに感謝しているが、まだ年若い君を巻き込みたくない。もし君に師がいるならば、紹介して欲しいのだが――」
今までの沈黙が嘘のようにレオニードが話しかけてくる。焦っているのか次第に早口となり、顔をミナムへ向けて前のめりになっていく。
「落ち着いて、レオニード。巻き込みたくないって言われても、もう何日も一緒にいるんだから今さらだろ。まずは事情を教えて欲しい。そうすれば自分で身の振り方を考えるからさ」
レオニードから漂ってきた緊張を解すように、ミナムは微笑を浮かべながら肩をすくめる。
ここまで言えば彼も事情を話してくれるだろうとミナムが思っていると、レオニードはまぶたを閉じ、眉間にシワを寄せて小さくうなる。
そして意を決したように目を開き、ミナムを真っすぐに見据えた。
「……ミナム、ヴェリシアという国は知っているか?」
「ヴェリシア? 北方にある国だっていうのは知っているけど、どんな国かはよく知らないな」
本当は詳しく知っているが、様子を見るためにミナムは馴染みのないふりをする。
ヴェリシアは大陸の北方にある国々の中でも西側に位置し、海に面した国。
今はバルディグと交戦中だが、昔から近隣の諸国との関係が良好で、交易の拠点として北方の玄関を担っている国。何度か足を運んだが仲間たちの噂すらなくて、ただ通過するだけの国という認識だ。
レオニードが「知っているだけで十分だ」と頷く。
「俺はヴェリシアの人間だ。兵士として、王宮に仕えている」
ようやく語り始めた素性。これは釣りどころじゃないと、ミナムは糸を湖から引き上げ、竿を脇に置いた。
一息ついてからレオニードは再び口を開いた。
「今、ヴェリシアは隣国のバルディグから攻撃を受けている。厄介なのは、相手は俺たちの知らない毒を、剣や矢に塗って攻撃してくる。どうにか城の薬師が解毒薬の作り方を見つけたが……大陸の東部にしか生えない薬草が必要で、俺はそれを手配しに来たんだ」
「じゃあその傷は、バルディグの兵にやられたってことか」
ミナムの話にレオニードは「そうだ」と短く答えた。
「北からそのまま東へ向かうとなれば、バルディグを通過しなくてはいけない。解毒薬のために行こうとする俺を、相手が見過ごしてくれるはずもない。だから遠回りでも一度本国から南下し、このザガットから東へ向かおうとしたんだが――」
「それでも敵は見過ごしてくれなくて、追われて、戦闘になってケガをしたってところか」
「ああ。追手の中に手練れがいて、斬り込まれてしまった。負傷しながらもどうにか逃げたが、毒が回って倒れてしまい……道半ばで死ぬのかと思っていたが、ミナムに助けられた。改めて礼を言わせて欲しい。本当にありがとう」
はっきりと感謝を告げられ、ミナムの胸が小さく痛む。
もしロウジがいなければ、北方の人間だからと捨て置いていたかもしれない。そんな私情を挟もうとしたことに罪悪感を覚えてしまう。
謝ったところでレオニードには関係のない出来事の話。言うだけ戸惑わせるだけだ。
ミナムは息をついて胸の痛みを追い出すと、レオニードへ話を促す。
「どうして急に、俺へ話す気になった?」
「ミナムの力を借りたくなったんだ」
レオニードも釣り竿を脇に置き、己の大腿に肘を乗せた。
「東方出身の黒髪で、ヴェリシアでは誰も解毒できなかった毒を治せた。ミナム、君の所にコルジャの花があるのではないか? もし持っているならばぜひ譲ってほしい。俺も少しは手に入れたが、あまりに少なすぎる。そして君の師にも会わせてもらいたい。ぜひヴェリシアまでおいで頂き、解毒剤の作り方を教えてほしい。早く国へ戻って、一人でも多くの仲間を助けたい……ミナム?」
熱心なレオニードの話を聞きながら、ミナムは全身を強張らせる。
コルジャの花――その花はセーラン草の毒を打ち消す。
そして繊細な性質ゆえ、セーラン草はもう自然には生えていない。
ミナムが住んでいた里でしか育てられていなかった。
「まさか、バルディグにいるのか?」
思わずミナムはボソリと呟く。
たまたま偶然が重なって、解毒薬にコルジャの花が必要なだけかもしれないとは思う。しかしようやく見つけた手がかり。確かめたくてたまらなかった。
潮風が流れ、ミナムの頬を冷やす。動悸に煽られて熱くなった体には心地よい。
フッ、と顔から力を抜き、ミナムはわずかに頷いた。
「コルジャの花は手元にあるよ。譲ってもいいけれど、一つ条件がある」
「条件? いくら払えばいいんだ?」
「お金が欲しい訳じゃない。実は……」
不意にミナムは口を閉ざし、レオニードは立ち上がる。
そして二人は同時に町側へ振り向く。
ついさっきまで人の姿はおろか、海鳥の姿もなかった。
だが今は褐色の外套をまとった者たちが三名。手に手に剣を持ち、こちらの様子をうかがっている。遠目で顔は分からないが、銀や金の頭髪が目についた。
嫌な予感がミナムの脳裏をよぎった矢先。彼らは剣を構え、桟橋に踏み込んできた。