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共に生きるために

 新緑が美しい森の中、真新しい小屋がポツンと佇んでいた。


 近くには小川が流れており、耳に心地よい水のせせらぎが聞こえてくる。それに合わせるかのように、小鳥が歓喜の歌を歌う。


 小屋から近い斜面に登り、ミナムは薬草を摘み、腰に下げたカゴへ入れていく。


 少し汗ばみ、顔を上げて額を拭う。

 サァッと冷たい風が吹き、身につけていた首飾りが揺れた。


 新鮮な空気を大きく吸い込み、ミナムは辺りを見渡す。

 森の奥からレオニードがこちらへ近づいてくる姿が見えた。


 最後にひとつ薬草を摘んでから、ミナムは斜面を降りてレオニードに駆け寄った。


「お帰り、レオニード。泡吹き草は見つかった?」


「ああ。これで良かったのか?」


 レオニードは背負っていた大カゴを降ろし、傾けて中身を見せてくる。

 黄緑色の葉に赤黒い茎の草が山を作っている。一目見て泡吹き草だと分かった。


「ありがとう、これだけあれば十分だよ。じゃあ次は小屋に戻って、枯れていたり、斑点が出ている草を取り除いて欲しい」


 朝からあれこれ用事を押し付けられ疲れているはずなのに、レオニードは嫌な顔ひとつせず「分かった」と言って小屋へ足を向ける。


 その後ろ姿を、ミナムは首飾りの石を握りながら見つめた。


 ヴェリシアへ戻った直後、レオニードはこの首飾りを再び贈ってくれた。

 隣にいることを許してくれた――それだけで十分。他には何も望んでいなかった。


 だから、その後のレオニードが取った行動は予想外だった。

 コルジャの花を持ち帰った褒美として彼が求めたのは、兵士を退役するということ。


 そして「ミナムから藥師のことを学びたい」と、頭を下げて頼み込んできた。


 一緒に生きていくために、同じものを背負うために、レオニードは薬師になろうとしている。

 まさか彼を弟子にする日が来るとは思いもしなかった。


 薬の材料をいつでも調達できるよう、王都から少し離れた村に隣接する森に小屋を建て、住み始めてから半月が経つ。


 今は傷薬や風邪薬など、森で材料を調達できる薬を中心に作っている。

 すでに簡単な物はレオニードに任せている。初めは一つの薬を作るのに時間がかかり過ぎていたが、最近ではもう慣れて、手際よく作れるようになっていた。


(真面目で勤勉だし、呑み込みも早いから、きっと数年もすれば一人前になる。良い藥師になってくれそうだな)


 王都を離れる際、マクシム王から「一人前になったら、城の薬師として頑張ってもらうぞ」と言われている。


 あの王様なら、簡単なものでも薬を調合できた時点で一人前だと言い張りそうだ。

 ふとそんなことを思い、ミナムは小さく吹き出してレオニードの後に続いた。


 レオニードは薪割り用の切り株に腰を降ろし、すでに薬草の選別を始めている。

 ミナムも隣に腰かけると、黙々とその作業を手伝った。


 カゴの中の薬草が半分ほどになった時。

 かすかに遠くから足音が聞こえてきた。


 手を止めて二人が顔を上げると、村のある方角から山道を歩いてくる人影が見える。


 遠目からでも誰が来たのか分かり、ミナムは腕を上に伸ばして手を振った。

 すぐこちらに気づき、彼もブンブンと大きく手を振ってくる。


 近くまで来ると、前に会った時よりも無精髭を濃くしたロウジが、にっかりと笑った。


「ミナム、レオニード! 元気でやってるか?」


 最後に会ったのは、小屋が完成する間際。

 もう毒が使われていないかを確かめるためだと言って、バルディグに旅立ったのだ。


 ミナムはレオニードと目を合わせた後、ロウジに微笑み返す。


「俺たちは元気でやってるよ。ロウジも相変わらず元気そうだね」


 髭が濃くなったせいで、熊っぽさが強まってるけど。

 心の中でそう付け足していると、ロウジが背負っていた荷袋を降ろして中を開いた。


「元気がなけりゃあメシが美味しく頂けんからな。食う楽しみがなくなっちまったら、生きていてもつまらんぞ。……さて、と。早速だが、これが今回の戦利品だ」


 そう言ってロウジはしゃがみ込むと、中を探り始め、取り出した物を次々と地面へ置いていく。


 木の皮やしなびた草、乾燥した木の実や蛇や昆虫の干物――なかなか手に入れられない希少な薬の材料ばかりだった。


「……ミナム、これらも薬になるのか?」


 おもむろにレオニードが耳打ちしてくる。

 少し顔を向けると、彼はジッと昆虫の干物を凝視しながら目を丸くしていた。


 どうやらその虫が苦手らしい。レオニードには悪いが、ちょっと可愛いところがあるなと思ってしまう。

 ミナムは悪戯めいた笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。


「うん。特にその虫は皮膚病に効く薬になるんだ。潰す時はかなり臭くて目が痛くなるけど、慣れれば大丈夫」


「そ、そうか……早い内に慣れておかなければ……」


 レオニードが声にならない声で呟く。逃げずにさっさと克服しようとするところが彼らしい。


 からかう材料が増えたと、ミナムが思っていると、


「おお、そうだ。これも渡しておかんとな」


 荷袋を探っていたロウジが、中から何やら布らしき物を取り出し、ミナムに向かって突き出す。


 その手にあるのは、草木の模様が刺繍された女物の服。

 今度はミナムの顔が強張り、頬を引きつらせた。


「もう男の格好する必要はないんだ。少しは年頃の娘たちと同じことを楽しめ」


 ロウジがにやけた顔をしながら、生温かい目でこちらを見てくる。

 ひしひしと面白がっている空気が伝わり、ミナムの目が据わり始める。


 確かに、もう一人で生きなくても良いのだから、男装を続ける理由はない。

 しかしずっと男の格好しかやらなかったせいか、女物を身につけることに強い抵抗を感じてしまう。


 よくよく思い返してみれば、隠れ里にいた頃からズボンばかりで、女物は動きづらいからと避けていた。

 そのせいもあってか、女性の姿になるほうが不自然極まりない気がした。


 ミナムは視線を反らし、頬を熱くする。


「べ、別に俺は興味ないから、楽しまなくてもいいよ。山で材料を採ったり、薬の調合したりするのに、この姿のほうが楽だしさ」


「じゃあ格好は百歩譲ってそれで良いとしても、未だに自分のことを『俺』って呼ぶのはどうかと思うぞ?」


 珍しくロウジに正論を吐かれてしまい、ミナムはたじろぐ。


 格好だけでなく言動も男のものに慣れてしまい、女性のように振舞うことが恥ずかしくてたまらない。


 いつかはそうならなければと思うが、今すぐ自分を変えることが耐えられなかった。


 嫌な汗をかき始めたミナムの横で、レオニードが小さく頷く。

 ジロリとミナムは隣を睨むと、わずかに唇を尖らせた。


「レオニード……今日の夕食、あの虫を煮込んだスープをご馳走するよ」


「……すまない」


 そう言うと、レオニードは眉間に皺を寄せて息をつく。


 明らかに不本意そうだが、ミナムは気づかないフリをする。

 彼の気持ちも分からなくはないが、もう少しだけ待って欲しかった。


 二人のやり取りを見て、ロウジが「おいおい」と呆れたような声を出す。


「もう尻に敷かれてんのか。この調子だと、あれこれ理由つけてずっと男の格好を続けそうだぞ。それでも良いのか、レオニード?」


 少し考え込んでから、レオニードは真顔で答えた。


「できれば変わって欲しいとは思うが……最近はこのままのほうが良いような気もしている」


「そいつは意外だな。どうしてだ?」


「男装していても兵士たちに手を出されそうになっていたんだ。そんな人間が女性の格好に戻れば、さらに遠慮が無くなって手に負えなくなりそうだ。俺が見ていない所で襲われでもしたら――」


 ほぼ同時に二人がミナムを見る。

 真剣な眼差しを向けるレオニードとは対照的に、ロウジはどこかおどけたような苦笑を浮かべた。


「あー、確かにその心配はあるな。レオニードにぶん殴られるか、ミナムの毒にやられるか……どっちにしても、手を出したヤツの身がボロボロになりそうだ」


 やる訳ないだろと言いかけて、ミナムはふと想像する。

 ――想像した自分は、無意識の内にちょっかいを出してきた人間へ、容赦なく毒を使っていた。


 これから久遠の花として生きていこうとしている人間が、守り葉の毒に頼るのはどうかと思う。


 今度レオニードに護身術を教わってみようかな? そんなことを考えてから、ミナムはロウジと目を合わせた。


「俺のことは置いておいて……ロウジ、バルディグの様子はどうだった?」


 話を切り替えると、ロウジは腕を組んで唸った。


「もう毒は使われていないが、まだ毒があるフリをして、近隣の国へバルディグに有利な条件で停戦を持ちかけている。したたかなもんだが、これでヴェリシアや近隣の国との戦争も終わってくれるだろうな」


 ヴェリシアはレオニードの祖国、バルディグはイザーミィが生き続ける地。

 どちらも争わずに平穏でいられるなら、これほど嬉しいことはない。


 ホッとミナムが胸をなで下ろしていると、ロウジが言葉を続けた。


「遠目で見ただけだから断言はできんが、イザーミィは元気そうだったぞ。元々イヴァン王の寵愛を受けていたし、民衆の人気もある。それに利発さは変わっていないからな。薬や毒の知識を失っても、立派にバルディグの王妃としてやっていけると思うぞ」


「そうか……良かった。離れ離れになってから、姉さんもずっと苦しんできたんだ。これからは幸せになって欲しいな」


 もう自分にできるのは、イザーミィの幸せを祈ることだけ。

 今も記憶を奪った日のことを思い出すと、胸は痛くなるけれど。


 少し寂しくなってしまい、ミナムの視線が下を向く。

 しかし視界の端で、ロウジが荷袋を閉じているところが見えたので、咄嗟に顔を上げる。


 ロウジは「よっこいしょ」と再び荷袋を背負うと、手をヒラヒラと振った。


「じゃあワシはもう行くぞ」


「早いね、さっき来たばかりじゃないか。もう少しゆっくりすればいいのに」


「実はここから山二つ越えた所にある町で祭りがあるんだ。料理も酒もタダで貰える。早く行かねぇと無くなっちまう」


 相変わらずの食い意地大王っぷりに呆れはするが、ロウジの正体を知った今、これがあるから不老不死でも人間で居続けられる気がする。


 引き止め続けるのは悪いな。

 ミナムは立ち上がると、「じゃあ、ちょっと待ってて」と言い残して小屋に入る。


 そして小さな皮袋の中に、傷薬と胃薬、銀貨を数枚入れてから外へ出ると、それをロウジに手渡した。


「これ、持ってきてくれた材料の代金。ちょっと色も付けたし、おまけもあるよ」


 ロウジは途端に表情を輝かせ、グッと握り拳を作った。


「よっしゃ、これでまた賭場で一勝負できる! ありがとなあ、ミナム。またなー!」


 上機嫌に鼻歌を歌いながら、ロウジはくるりと背を向け、元来た道を戻っていく。


 その後ろ姿を、ミナムは腕を組んでため息をつきながら見送る。

 似たような息が、レオニードからも聞こえてきた。


「あの調子なら、また近い内にここへ来そうだな」


「同感だよ。ロウジ、賭け事はとことん弱いから」


 各々に呟いてから顔を見合わせて苦笑すると、ミナムはレオニードの隣に座り直し、作業を再開させる。


 ロウジの気配が完全に消えると、また小鳥や木々の歌が流れ出す。


 一人で生きていた時は、自分が一人ぼっちなのだと突きつけてくる、寂しい歌だと思っていた。


 けれど隣にレオニードがいると、日々を喜んでいる歌に聞こえてくる。

 ミナムは泡吹き草を手放し、レオニードの横顔を見つめる。


(これからずっと一緒に歩いていきたいな。年を取って、お互いが薬師として動けなくなった後も――)


「ミナム、どうかしたのか?」


 不意にレオニードがこちらに顔を向ける。


 急な動きに驚いてしまい、ミナムの鼓動が大きく跳ねた。顔が間近になると、照れくさくて落ち着かない。


 でも目を逸らすのはもったいなくて、彼の瞳を覗き込む。


 澄んだ水色の瞳。

 昔、憎んでいたこの瞳の色が、今は一番好きだ。


 ミナムは穏やかに微笑むと、体を傾けて首を伸ばす。

 そして軽く唇を重ね、すぐに離れた。


「そういえば、俺からはまだ言ってなかったね……レオニード、愛してるよ」


 言われるのは恥ずかしいが、自分で言うとさらに恥ずかしさが増す。

 頬が熱くなっていくのを感じていると――。


 ――レオニードの手が、ミナムの髪を撫でた。


「俺も愛している。これからもずっと一緒にいさせて欲しい」


 自分なんかにはもったいない、でも一番欲しかった言葉。

 頬を指で掻きながら、ミナムは「うん」と小さく頷いた。


 こちらの頬へ、レオニードがそっと手を添えて口付ける。

 羞恥の熱とは違う温かいものが、彼の口を伝ってミナムの胸を満たしていった。


 森の奥からそよ風が吹き、二人を労るように柔らかく撫でてくる。

 冷たい風に混じって、甘い花の香が届いく。


 未だに残っていた冬の気配が、ようやく溶けて消えていくのを感じた。


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