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殺さずの不審者

   ◆ ◆ ◆


(どうなっているんだ、一体……?!)


 廊下の壁に手をつき、イヴァンは痺れる体を引きずりながら前へ進む。


 朝食を終えて執務に取り掛かろうとした時だった。

 急に甘ったるい匂いがしたと思ったら、侍女や護衛の兵たちが次々に倒れてしまった。


 すぐにこれは毒なのだろうと察しはついた。

 自分の体も痺れはするものの、どうにか身動きは取れる。――幼少の頃から毒殺されぬよう体に耐性をつけてきたことと、イザーミィから「万が一の時にこれを……」と渡されていた耐毒の薬のおかげだろう。


 最初は城の地下にある毒の調合を行う部屋から、何らかの事故で毒が漏れ出たのかと思った。


 だが毒を作るのは、いつもならもう少し日が昇ってからだ。まだ部屋に人がいない状態で事故が起きるとは考えにくい。


 何者かが城へ忍び込み、毒を流した可能性が明らかに高い。地下の部屋を見つけてそこにある毒を利用したか、持ち込んだ物を使用したのかまでは分からないが。


 毒――それは本来イザーミィではなく、守り葉が扱う物。

 一瞬、ミナムが毒を流したのでは? と考えた。


 しかし彼女が姉を困らせる真似をするような人間とは思えない。それに万が一不穏な動きをするにしても、ナウムがそれに気づいて手を打っているだろうし、現在は説得中で城に近づかせない状態にしてあると報告を受けている。


 むしろ毒を流す目的は、ミナムよりも他の人間のほうが大いにある。

 複数の国と戦っている今のバルディグに、お返しとばかりに毒をに与えて弱体化を図りたがる輩はいくらでもいるのだから。報復……この可能性が最も高い。


 城にいる人間の中で毒の耐性がある人間は、かなり限られている。

 もしこの事態に乗じて少人数でも城に攻め込んでくれば、ひとたまりもない。


 さっさと毒を流した者を探し出して真っ二つにしてやりたいところだが、周りには今、動ける人間が自分しかいない。


 まずは動ける人間と合流して、戦力を集めることが急務だった。


(俺の知る限り、イザーミィとナウムには耐性があったはず。……あの男にまた借りを作るのは面白くないが仕方ない)


 薄笑いを浮かべるナウムの顔を思い出し、イヴァンはぴくりと肩眉を上げる。


 表面上は従順な態度を見せているが、その目はいつもどこか反抗的な光を宿している。

 跪き、頭を垂れていても、こちらに忠誠など微塵も誓っていない。初めて出会った時から、それは十分に感じ取っていた。


 城にいる人間の中で、絶対に気を許すことはできない男だ。

 だが、イザーミィが絡むことに関しては、最も信用できる男でもある。


 初対面の頃から気づいていた。ナウムにとって、イザーミィが特別な存在だということは。


 彼女を守るために剣を振るい、彼女にとって不利となることは裏で排除し、有利となることは手段を選ばずに動き――。


 すべては、イザーミィを生かすため。

 だからこそ信用できないこの男を、イザーミィの側にいることを許し、腹心に据えている。


 同じ者を守り続ける限り、ナウムはこの国のために尽くしてくれる。

 イヴァンはわずかに苦笑し、前を見据える。


(ナウムのことだ、真っ先にイザーミィの元へ向かうだろう。運が良ければ途中で会えるかもしれんな)


 恐らくイザーミィは自室の隠し部屋に潜んでいるハズ。彼女の元へ向かうなら、玉座の間にある隠し扉を経由するのが一番早い。


 いくら毒に耐性があるとはいえ、この非常事態に怯えている姿が容易に想像がつく。


 一刻も早く事態を収拾し、イザーミィを安心させたいと心は焦る。

 だが体は思うように動かすことができず、イヴァンの中に苛立ちが募っていった。


 ようやくイヴァンが玉座の間に辿り着くと、より濃くなった甘い匂いに出迎えられる。


 そして部屋の中央に、中背の男が待ち構えていた。

 無精髭を生やしたその男は、粗野な毛皮の服をまとっており、狩人のような身なりをしている。明らかに城へ出入りする者の格好ではない。


 外からの侵入者だと見なした瞬間、イヴァンは腰の剣へ手をかけていた。

 男がこちらに振り向きつつ、剣を抜こうとする。


 だが目を合わせた瞬間、男は剣から手を離し、恭しくその場へ跪いた。


 予想外の動きにイヴァンは目を丸くする。

 ただ、いくら恭しい態度を取られても、不審者だということには変わらない。


 剣を抜いて切っ先を向けながら、イヴァンは男を見下ろした。


「城に毒を流した不届き者は貴様か?」


 敢えてゆっくりと低い声で尋ねる。


 大抵の者は萎縮して身を震わせるが、この男は違った。

 平然と頭を上げると、男は怯むことなくイヴァンを見据える。


 その目は、市井の人間にはそぐわない覇気が備わっていた。


「貴殿の国を荒らすような真似をして申し訳ない、イヴァン王。城に流した毒は体を麻痺させるもので、命を奪うような代物ではない。そこは安心して欲しい」


 不審者の言うことなど信用できない。

 しかし毒を受けている身として、これが命に関わる物ではないことは実感している。


 城の人間を殺すつもりなら、こんな中途半端な毒は使わないはず。

 狙いが読めず、イヴァンは眉間にシワを寄せて男を睨みつけた。


「貴様は何者だ? 毒を流した目的はなんだ?」


「今の名はロウジ。東方の薬師の一族を守り続けてきた者」


 東方の薬師……すぐにイザーミィの顔が浮かび、イヴァンは息を呑む。


「まさか、貴様は守り葉なのか?」


 ロウジは重々しく頷くと、遠くを見るような目をした。


「いかにも。ワシは守り葉の使命を果たすため、ようやくここまで来たんだ」


 イザーミィから守り葉の話はすでに聞いている。

 毒を駆使して久遠の花を守る者。それが守り葉だと。


 イヴァンは苛立ちを隠さず、今にも噛み付かんばかりに歯を剥き出す。


「この国には貴様が守るべき久遠の花がいる。それを知った上での行動か!」


 怒声を浴びせても、ロウジの表情はピクリとも動かない。

 むしろ熱くなるイヴァンとは対照的に、彼から投げかけられる視線の温度は急激に下がっていく。


「ワシが守るべきは、一族の知識と志。身を守るための毒ではなく、毒で相手を傷つけて利を得ようとする者を放っておく訳にはいかん。それがこの国の王妃であったとしても」


 王妃エレーナがイザーミィだと分かった上での行動ならば、この男の目的は――。


 ふと、イザーミィから毒の作成を提案された時に言っていたことを思い出す。


『私の毒を使えば、少ない兵でも戦況を大きく変えることができます。ただ……いつ私の身に何が起きるか分かりません。どうか毒が作れなくなった時のことも、今の内に考えておかれて下さい』


 てっきり他国の間者に襲われた時のことを言っていたと思っていたが、むしろイザーミィはこの状況を恐れて口にしていた気がしてならない。


 イヴァンは奥歯を強く噛み締め、剣を握る手に力を入れた。


「貴様は、俺の妃を始末する気なんだな?」


「いいや、殺しはせん。これ以上毒を作れんようにするだけだ」


「殺す気は無くとも、妃を傷つけようとしていることに変わりはない。そして妃の毒は、今のバルディグを立て直すために必要な物……貴様の好きにはさせん!」


 イヴァンは剣を振り上げ、ロウジの顔を目がけて斬りつける。

 体を蝕む痺れで勢いは半減しているものの、鋭く空を切る音がした。


 ――ギィンッ!

 素早くロウジが短剣をかざし、刃を受け止める。


 上から力をかけている自分のほうが有利のはず。

 しかしイヴァンが全力で刃を押しても、ロウジはびくともしなかった。


 だが――不意にロウジから力が抜け、刃が届く前にその場を退く。

 拮抗が崩れ、勢い余ってイヴァンの体勢が崩れそうになる。


 倒れる訳にはいかない。

 王が倒れてしまえば、国そのものが傾いてしまう。


 どれだけ体が痺れていようが、重病を抱えていようが、倒れることは許されない。


 一刻も早くこの男を叩き斬らねば……。

 よろけながらも膝に力を入れ、イヴァンはロウジへ再び剣先を向けた。


 溢れ出す殺気と怒気を、惜しみなくロウジにぶつけていく。

 それなのに、彼の顔色も態度もまったく変わることはない。こちらから目を背けず、見据え続けている。


 この行いが間違っていないのだと、己を信じて疑わない。そんな印象を受けた。


「誇り高きイヴァン王よ。どうかワシの話を聞いて欲しい」


 ふざけるなと一蹴しかかったが、激情のままに動けば、自分から器の小さな王だと認めてしまう気がする。


 イヴァンは息をついて少し頭を冷やすと、「良かろう、聞いてやる」と話を促した。


 安堵したのか、わずかにロウジが眼差しを和らげた。


「ワシは不老不死を施された常緑の守り葉、何百年も一族を見守り続けている。……何度も一族の力を悪用されそうになり、その都度ワシは守ってきた。国を相手にするのは、これが初めてではない」


 不老不死。その言葉にイヴァンのこめかみが引きつる。


 先王――父が求め続けていた秘術。

 単なる伝説に過ぎない。いくらまともな状態ではなかったとはいえ、そんな物に心を奪われ、政をないがしろにするなど馬鹿げたことだと思っていた。


 今もその考えは変わらない。

 不老不死など夢物語でしかない。この男は何か狙いがあって嘘を言っているだけだ。その狙いがどんな物なのかは検討もつかないが。


 警戒心を強めながら、イヴァンは注意深くロウジの話に耳を傾ける。


「貴殿のように久遠の花や守り葉の力を借りて、国を守ろうとする権力者はいた。だが一族を囲ってその力を独占しようとする時は、いつも同じ顛末を辿っておる」


「同じ顛末、だと?」


「不老不死を抜きにしても、久遠の花はその知識と力で未知の病を治す薬を作ることができる。守り葉は一族が作った特殊な解毒剤でなければ治せぬ毒を作ることができる。この力を利用すれば、その国は圧倒的に優位な立場になれるんだ」


 ロウジは言葉を区切って息継ぎすると、苦しげに顔をしかめた。


「ある国は他国に伝染病の薬を高額で売りつけ、際限なく金を搾り取ろうとした。ある国は、他国の要人に特殊な毒を与え、解毒剤と引き換えに無茶なをことを要求するようになった。……その結果、周辺の国々が追い詰められて、数多の民衆が苦しむ羽目になった」


「我が国も同じ道を辿ると決め付けるな! 必要以上に相手を弱らせて追い詰めるなど、王として恥ずべき所業だ。我が国を侮るんじゃない」


「貴殿が口先だけの王でないことは、ワシも疑っておらん。だが……他の要人がイヴァン王と同じ考えを持っているとは思えない。もし貴殿が殺されでもして、志のない者が権力を握れば――」


 反論しかけ、イヴァンは言葉に詰まる。

 己の欲のために手段を選ばない人間など、物心ついた時から山ほど見ている。


 そして従順な態度を取りながら、裏ではいかに相手を出し抜き、より多くの利益を得ようと画策する重臣も少なくはない。


 自分が玉座についている内は、不必要に相手を苦しめるような真似はしない。

 しかし自分以外の誰かが玉座についた後も、それが守られるとは断言できない。


 この男を信用する訳ではないが、恐らく真実なのだろうと心のどこかで思っている。


 それでも一国の王が素直に引き下がる訳にはいかない。

 イヴァンは腕を前に伸ばし、剣でロウジを指した。


「貴様の言うことも一理ある。だが、貴様が同じことをしないという証拠はどこにもない。それに、本気になれば城中の人間を毒で殺す力を持つ輩を、放っておく訳にはいかぬ!」


 言い終わらぬ内に床を蹴り、剣を高く振り上げながらロウジへ迫る。

 こちらの奇襲に一瞬だけロウジは目を見開いたが、すぐに目を据わらせ、己の刃で受け止めた。


「そりゃあワシも分かっているが……今、人が死ぬような毒を流していないってことが証明にならんか?」


「ならんな。単に貴様が危険人物だと証明されただけだろうが」


 刃を交えながら、イヴァンはさらに体が痺れていくのを実感する。

 剣を打ち合う衝撃も、激しく動かす腕の感触も消えていく。動けなくなるのは時間の問題だった。


 明らかにロウジのほうが優位に立っている。

 だが、これだけ攻撃されているにもかかわらず、彼から殺気はまったく感じられない。


 ここで膝をついたとしても、この男は自分を殺さない――戦う内に、そんな確信が芽生えてくる。


 それでも自ら剣を置くつもりはなかった。


(俺が少しでもコイツを足止めすれば、駆けつけたナウムがイザーミィを逃がしてくれる。ずっとイザーミィは奪われ続け、傷ついてきたんだ。これ以上、傷を深めるような目に合わせられるか!)


 体の感覚を少しでも取り戻そうと、イヴァンは強く唇を噛み締める。

 どれだけ強く歯を立てて口内の肉を貫いても、疼く痛みはか弱く、遥か遠くに感じる。


 そんな心もとない痛みだけが、イヴァンの体と意識を繋いでいた。

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