語らぬ素性
◇ ◇ ◇
ロウジとミナムは入れ替わりで仮眠を取り、レオニードの様子を見守り続けた。
彼が目覚めたのは傷を縫った夜の一度きり。あとは三日三晩、寝静まったり、うなされたりを繰り返していた。
ミナムが何度目かの仮眠をロウジと代わり、椅子に座った時。窓の外が白け始め、治療を始めて四日目の朝を迎えようとしていた。
(まだ起きない……)
解毒剤が間に合わなかったのだろうか、と不安になってくる。このまま意識が戻らず息を引き取るなんてことになれば、やっぱり寝覚めが悪い。
ミナムは目を細め、レオニードを見つめる。
不意にレオニードが寝返りを打った――と思ったら、体を震わせながら上体を起こしてきた。
「まだ横になったほうがいい。傷が開く」
慌ててミナムがレオニードの肩を掴もうとすると、逆にこちらの手を掴んできた。
「助けてくれて感謝する。だが、もう構わないでくれ……寝ている時間はないんだ」
傷のせいか、彼から伝わってくる体温がひどく熱い。ミナムを睨んでくる鋭い眼光も、目が虚ろで凄みは半減している。
「どうして? 急ぎの用事でも?」
「一刻の猶予もないんだ。行かなくては……」
レオニードが立ち上がろうとする。言っても聞かないなら……と、ミナムは彼の左胸を軽く小突いた。
「――――っ!」
激しい痛みに叫ぶこともできず、レオニードは体を丸める。それでもしぶとく立ち上がろうとしてくる。
苦しいだろうに、何をそんなに焦っているんだ?
冷静にレオニードを見つめ、ミナムは肩をすくめた。
「別に出て行ってもいいけど、いくら焦ったって、途中で行き倒れたら意味がないだろ」
「しかし……」
「無駄死にが許される用事なのか? だとしたら大したことない用事だね」
レオニードの気迫に煽られて、ミナムの口調も刺々しくなる。もっと軽くあしらいたかったが、ここで気圧されては説得できない気がした。
「生きて果たすことに意味があるんだろ。自分の命と引き換えに……なんて無責任だよ。もっと今の自分を考えて、最善を考えるべきじゃないか?」
年下の人間にここまで言われて、さぞ面白くないだろう。レオニードは苦々しく唇を噛み、眉間に皺を寄せる。
しばらくしてレオニードは観念したように長い息を吐いた。
「……すまない。このまま治療を頼んでも……」
「賢明な判断だね。俺もずっと寝床を占領されるのは困るから、全力で治療するよ――レオニード?」
話している最中にレオニードの体がぐらりと揺れ、寝台へ横倒れになる。
言葉を交わしたばかりなのに、彼はもう目を閉じて眠りについていた。
「まだ起きられる状態じゃなかったのに目が覚めたのか……すごい精神力だな」
よほど大事な用事があるのだろう。短いやり取りの中でも強い使命感が見て取れた。
未だ危機は脱していない。生きるか死ぬかの際を歩いているような状態。
それでもレオニードの心が強く生きようと望んでいるなら、しっかり回復できる。
どうにか助かる手応えが見えて、ミナムは口端を引き上げる。
そして布団を手にしてレオニードへ駆け直すと、細長い息をついた。
◇ ◇ ◇
短いやり取りができた翌日、レオニードは完全に目を覚ました。
まだ動かないほうがいいとミナムが止めても、彼は上体を起こし、脚を振るわせながら用を足しに行こうとした――膝が折れて倒れかけて、すぐさまロウジが肩を貸して手洗い場に連れて行ってくれた。
痛くても体を動かすことで、早く元の生活に戻ることができる。
これなら数日内には送り出せるとミナムは安堵したが――。
「なあなあレオニード。お前、どこから来たんだ?」
「……」
「一体誰に襲われたんだ? 盗賊か? まさか痴情のもつれで斬られたとか?」
「……」
「しっかり鍛えてあるみたいだが、どっかの兵隊さんか?」
「……」
好奇心を隠さないロウジが次々と質問しても、レオニードは寝台の上で体を起こしたまま、黙して何も答えてはくれない。
「なんでもいいから話せよレオニード」
「……何も言うことはない」
ようやく話したと思えば、あまりに素っ気ない答え。
部屋の隅で木の実を薬研を引きながら、ミナムは二人の様子を眺めていた。
レオニードに拒絶され続けるロウジが不憫で、思わず一方的な会話に割って入った。
「俺が話しても似たようなものだよ。必要最低限のことしか話さないんだから」
完全に意識を取り戻してくれて良かったものの、レオニードは多くを語らず、沈黙を守り続けていた。傷を負った事情を知ることができず、ミナムとロウジは彼が寝ていた時よりも胸が靄がかっていた。
「可愛くないなー。そんなに付き合いが悪いってことは、お前、友達いないだろ?」
一瞬ぴくりとレオニードの耳が動いた。しかし口は開かない。
「だんまりってことは図星か? ガハハハ」
膝を叩いて笑うロウジへ、レオニードが冷ややかな視線を送る。それも束の間、顔を背けて相手にしたくないと無言で伝えてきた。
「嫌われたね、ロウジ」
「ちょっとは親睦を深めてくれてもいいだろ。おにーさん、いじけちゃうぞ」
……どう見ても熊オジサンだろ。
密かに心の中で突っこんでから、ミナムは「そうだ、ロウジ」と声を上げた。
「お願いがあるんだけど、泡吹き草の新芽を買ってきてくれないかな? 傷薬に使うんだけど、足りなくなってきたんだ」
ロウジはおどけていた顔を素に戻す。
「別に構わねぇが、どんな草だ?」
「黄緑色の葉に赤黒い茎の植物。見たことない?」
少し考えて、ロウジは手を叩いた。
「あーあー、アレね。知ってるぜ」
ロウジは椅子から立ち上がって背伸びすると、ミナムに向かって親指を立てた。
「いっぱい買ってきてやるから、楽しみにしてろよ」
「ありがとう。おつりはロウジの懐に入れてくれて構わないから
「おっ、いいのか? じゃあ遠慮なく旅の資金にさせてもらうぜ」
浮足立った音を響かせながらロウジが部屋を出ていく。
ぎい、ばたんっ! と部屋の扉が無遠慮に閉められた後、薬研を挽く音だけが辺りに流れた。
ミナムは顔を薬研に向けたまま、上目でレオニードを視線に入れる。
本当に彼から話しかけることがない。ミナムが話さなければ延々と黙り続けるのみだ。
しかし、時折レオニードは何か言いたそうにミナムを見てくる。今も鋭い目の横でしっかりとこちらを捕らえている。
用があるなら言えばいいのに。
痺れを切らせて、ミナムは口を開いた。
「どうしたのレオニード? 言いたいことがあるなら、言ってくれないと分からないよ」
案の定レオニードから声は返ってこない――と思っていたら、しばらく沈黙した後、珍しく言葉が返ってきた。
「……君は俺の味方なのか? 敵なのか?」
いきなり何を言い出すのだろう。
ミナムは顔を上げてレオニードを見る。
「少なくとも敵ではないけど……俺を疑ってるの?」
「助けてくれた恩人に、こんなことを言うのはどうかと思うが――」
レオニードが真っ直ぐな視線をミナムへ送る。濁りのない瞳に自分の心を見透かされているような気がした。
「――どうして時折、仇を見るような目で俺を見ているんだ?」
ミナムは薬研を挽く手を止める。
今まで作っていた人当たりのいい笑みは消え、冷え切った素顔が露になる。
「よく見てるね。侮れないな」
立ち上がって枕元にあった椅子へ座ると、ミナムは体を前に傾けた。
「知りたい、俺のこと?」
ミナムが眼差しを強めてレオニードを見つめる。一瞬彼は瞳を逸らしそうになったが、ぐっとこらえて視線を受け止めた。
「……何者なんだ、君は? 一体何を考えているんだ?」
「そう簡単に教えられないよ。貴方が俺に自分のことを隠したいように、俺にも人に知られたくないことがある。自分の手の内を見せないクセに、こっちには秘密を見せろだなんて、都合がよすぎるじゃないか」
しばらく二人は口を閉ざし、互いを探るように視線を交わす。
フッ、とミナムは薄く笑い、その場に張り詰めていた緊張をほぐした。
「まずは貴方のことを教えてよ。その後だったら、俺のことも好きなだけ教える」
「俺だけに話をさせて、君が話さない……ということも考えられるな」
ミナムは眉を上げながら肩をすくめる。
「そこは俺を信じて、としか言えないね」
譲る気はない。ミナムの意図が通じたらしく、レオニードは口元に手を置いて考え込む。それきり押し黙ってしまった。
いきなり話す気にはなれないだろう。ミナムは立ち上がり、レオニードへ背を向ける。
「少なくとも貴方を殺す気はないから、それだけは安心して。気が向いたら、いつでも言ってよ」
そう言うと、ミナムは薬研で新たに挽く薬草を取りに部屋を出ていく。
少し歩いてからレオニードに聞こえないよう、ため息をついた。
(これで俺に興味を持ってくれて、北方の話を聞けたらいいんだけど)
きっと彼をこのまま治療しても、知りたい話は聞き出せない。こちらに興味を持ってくれたのを利用して、北方の情報を聞き出したかった。
もし話してくれなかったら、治療代として話せと言ってやろうか。あの強面の無表情を、困った顔にさせるのは気分がいい。
(嫌な性格してるな、俺)
自分に呆れて、ミナムは頭を掻く。
机に置いてあった薬草を手に取り寝室へ戻ると、ミナムと同じようにレオニードも困惑した顔で頭を掻いていた。