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男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す  作者: 天野 仰
六章 裏切りと真実
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けじめ

 ゆっくり振り向くと、彼は心配そうな眼差しでこちらを見つめていた。


「……大丈夫なのか?」


 言われて返事をしようとしたものの、喉から言葉が出てこなかった。


 本当にレオニードはこちらのことをよく見ている。

 少しでも気を抜くと、心の揺らぎも、弱音も、彼には筒抜けになってしまう。


 情けない自分を知られて恥ずかしいと思う反面、彼だけは分かってくれるのだと、妙な安心感を覚える。


 ミナムは小さく息をつき、わずかに微笑んだ。


「思った以上に大事になりそうで、さすがに不安だけど……大丈夫だよ」


 支えられていると実感した途端に、動揺が治まってくれた。

 ありがとうと呟いてから、ミナムはロウジに視線を移す。

 

 話を中断してジッとこちら見ていたロウジの目が、やけに温かく感じる。

 目が合うと、ロウジは急に背伸びをしながら大きなあくびをし始めた。


「眠くなってきたぞ。明日に影響するといかんから、話はこれで終わりにしようぜ」


 いきなり何を言い出すんだ?

 あまりにわざとらしい調子に、ミナムの頬が引きつる。


「ろ、ロウジ、まだ話が途中なんだけど――」


「簡潔に言えば、お前さんはイザーミィの元へ行くことに集中すればいい。それ以外のことは、ワシとレオニードでもう打ち合わせ済みだ。無駄に長々と話すよりも、明日に備えて休んだほうが良いぞ」


 一理あるように言ってるけど、さっさと寝たいだけなんじゃあ……。

 本能のままに動き過ぎじゃないか、この熊オジサンは。


 貴方も何か言ってやってよと、ミナムは隣を見やる。

 レオニードも呆れているらしく、いつになく目が据わっていた。


「明日は失敗が許されないんだぞ。抜かりがあったらどうするんだ」


 怒気混じりの低い声に、ロウジが「そんな怖い顔するな」とたじろぐ。


 しかし話を続ける気はないと言わんばかりに、立ち上がってクルリと背中を向けた。


「無駄にダラダラと話をするより、もう少しじっくり再会を喜び合うほうが有意義だと思うぞ。……こうやって話せる時間は、限られてんだからな」


 ああ、なるほど。そういうことか。

 せっかくだから、このまま彼の好意に甘えさせてもらおう。


 ロウジの狙いがようやく分かり、ミナムは強張った表情を和らげた。


「分かった、ロウジ。確かに寝不足で倒れたら困るものね」


「ワシ、眠気と食い気は我慢できんからな。悪いが先に休ませてもらうぞ」


 そう言うとロウジは手をヒラヒラと振りながら、焚き火から遠ざかっていく。


「待て、ロウジ。話は――」


 引き止めようとレオニードがその場を立ちかけた瞬間、ミナムは彼の袖を引っ張った。


 レオニードは腰を浮かせたまま、こちらに視線を留める。

 困惑する彼へ、ミナムは静かに首を振った。


「俺たちを二人きりにしようと気遣ってくれたんだよ。まったく、ロウジは変なところに気が回るんだから」


 ミナムが軽く肩をすくめると、レオニードは一瞬だけ目を点にしてから、長息を吐き出した。


「気持ちは嬉しいが……本当にこれで良いのか、ミナム?」


「うん。二人きりで貴方に話したいことがあったから……」


 少し見つめ合ってから、レオニードが距離を詰めて座り直す。

 間近になった彼を、ミナムは無言で見上げる。


 ヴェリシアを離れてから、まだ二週間ぐらいしか経過していない。

 けれど何年も離れていたような感じがして、ひどく懐かしい。


 会いたかった。

 でも、会うことが怖かった。

 目的のために汚れ続ける自分を見せたくなかった。


 袖を掴んだままの手が震え出す。

 何か言わなければと口を開きかけた途端、ミナムの頬を涙が一筋流れた。


「ごめん、レオニード……貴方を傷つけることばかりしてしまって……」


 意思を取り戻したことを隠すためとはいえ、レオニードの前でナウムを相手に娼婦まがいのことを見せつけてしまった。


 あの時に見た、少し視線を逸らして傷ついた表情を浮かべたレオニードが忘れられない。


 いくら謝っても許されることじゃない。

 どんな批難でも受け入れなければと、ミナムは身構える。


 しかし、レオニードは申し訳なさそうな顔をして、ゆっくり首を横に振った。


「いや、俺のほうこそ悪かった。少しでも君のことを疑ってしまって……ナウムに見せていたあの表情が、演技に見えなかったんだ」


 怒って当然のことをしたのに、まさか謝られるとは思わなかった。

 何度か目を瞬かせてから、ミナムは控えめに苦笑した。


「中途半端なことをしたら気づかれるからね。だから貴方にするつもりでやっていたんだ。本人を目の前にして、かなり滑稽な話だけど――」


 話の途中でレオニードがミナムの肩に腕を回し、強い力で抱き寄せる。


 こんな人間でも受け入れてくれるんだ。

 そう思うと胸が締め付けられ、無意識にミナムは彼の胸にしがみつく。


 ぎゅっ、と肩を抱くレオニードの力が増した。


「……もう二度と他の人間には向けないでくれ」


 耳元で低く囁かれた声に乗り、レオニードの息遣いが聞こえてくる。


 罪悪感は膨らみ続けるのに、また触れ合えることが嬉しくて仕方がない。

 ミナムは小さく「うん」と頷くと、レオニードへもたれかかり身を預ける。


 触れている所から熱が生まれ、全身に広がっていく。

 痛いほどに強ばっていた心が、和らいでいくのが分かった。


 もうこの温もりを手放したくない。

 ただ、レオニードが許してくれても、自分が自分を許せない。


 けじめをつけなければ――。

 ミナムは細長く息を吐き出してから、「レオニード」と声をかけた。


「ちょっと手を出してもらえるかな?」


 わずかにレオニードが顔を上げ、言われるままに手を差し出す。

 躊躇いがちにミナムは懐から首飾りを手にすると、彼の手の平に載せた。


 そして体を起こして、間近になった彼の目に視線を合わせた。


「一度、貴方にこれを返すよ」


「君に贈った物だ。返す必要は――」


 首飾りをこちらに戻そうとしたレオニードの手へ、ミナムはそっと上に重ねて制する。


「嫌な話だけど、ナウムが言っていた通りのことを俺はやってきたんだ。しかも我を取り戻して自分の意志で……そんな人間が貴方と今まで通りでいたいって言うのは、図々しいと思う」


 また瞳が潤みそうになり、言葉を止める。

 これ以上、泣いて同情を請うような真似はしたくない。


 ミナムは目に力を入れて涙を押し込めると、声が震えないよう、慎重に口を開いた。


「だから目的を果たしてヴェリシアへ戻った時、俺がレオニードと一緒に居続けることを許してくれるなら……貴方の手で、この首飾りをもう一度かけて欲しい」


 レオニードが何か言いかけて、口をつぐむ。

 しばらく目を細めてこちらを見つめた後、彼は首飾りを握りしめた。


「分かった、預からせてもらう」


 受け取る気はないと突っぱねられるかもしれない、と覚悟をしていたけど、思った以上にあっさり了承してくれて良かった。


 ミナムはホッと胸を撫で下ろし、顔から力を抜く。

 その刹那、顎が持ち上げられ、レオニードの唇が重ねられた。


 何度となく繰り返してきた口づけなのに、初めて交わした時のように胸が高鳴る。


 少しでも長く触れ合いたくて、ミナムはレオニードの首に抱きつく。

 こちらの望みに応えるよう、彼の腕が背中に回され、強く、強く、抱き締めてくれた。


 ミナムが息継ぎをするために、唇をわずかに離す。

 と、レオニードの手が頬に当てられ、間近に瞳を覗き込まれた。


「もう一度、必ずミナムにこの首飾りを贈る。だから……明日は絶対に死なないでくれ」


 一切の迷いを見せない、揺らがない声。

 こんな自分を受け入れてくれるのだと考えるだけで、嬉しさと彼への懺悔が膨れ上がって、胸が痛くなってしまう。


 けれど、今はこの痛みがあることを幸せに思う。

 きっと明日が過ぎても、彼と一緒にいられる。そんな確信を与えてくれるから。


 ミナムがかすかに頷いた後、レオニードが深く口づけてくる。

 胸の痛みがさらに増して、思わず目をきつく閉じた。


 絡み合う吐息と彼の体温を、より強く感じてしまう。

 これを最後にしたくない。


 今まで生きてきた中で、こんなに生きたいと願ったことはなかった。

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