垣間見えた真実
「よく来たなあ。あんまり上手に変装しやがるから、昼間は誰だか分からなかったぞ」
どうして気づかれたんだ?
睨みつけて牽制するレオニードを見て、ナウムが人の悪い笑いを喉で奏でた。
「どうしてお前たちがここへ来るのが分かったか、知りたいか? ……答えは単純だ、ミナムが教えてくれたんだよ。お前らにまとわりつかれるのが、もう嫌になったんだと」
「嘘を言うな! お前のことだ、ミナムを脅して俺たちを襲わせたんだろ」
思わずレオニードが言い返すと、ナウムは「いいや」と首をゆっくり横に振った。
「コイツはオレのものになったんだ。その証拠にオレの言うことを何でも聞いてくれる。なあ、ミナム?」
とろん、とした目でミナムはナウムを見ると、抑揚のない声で「はい、ナウム様」と答える。
視線を合わすとナウムはミナムの肩を抱き寄せ、耳元で囁きかけた。
「お前がどれだけオレを愛しているのか、昔の男に見せてやれよ」
鈍い動きでミナムは頷くと、ナウムの首に腕を回し、自分から口付ける。
薄目を開けて、うっとりした表情を見せる彼女から、嫌悪の色はまったくなかった。
ナウムは横目でレオニードを見ながら、ミナムの腰に手を置き、ぐっと己の方へと引き寄せる。
そこからゆっくり背中を伝い、ミナムの首筋に指を這わしていくと、次第に頬は紅潮していく。
一度顔を話して吐息を漏らした後、彼女からさらに深く口付ける。
耐えられず、レオニードは二人から視線を逸らす。
見ているだけで動悸が強まり、痛みで吐き気すらした。
これが現実なのか、夢なのか、分からなくなってくる。
半ばレオニードが放心状態になっていると……ぽんっ、と大きな手が肩を叩いてきた。
「あれはミナムの本心じゃない。あの言動に虚ろな目……恐らくナウムの言うことを聞くように、暗示をかけられている」
ロウジの声に気づき、ナウムが顔を上げた。
「獣みたいなツラして、意外と物知りなんだな。まあ、どっちにしても変わらねぇけどな……今のミナムは、オレに従うことが全てだ。どんなことでもしてくれるぜ? オレが望むままに交わることも、オレのために手を汚すことも厭わない」
熱くなっていたレオニードの体が、急に冷えていく。
そして漆黒の泥のような、暗く粘り気のある――恐ろしく冷たい怒りが、激しくうねりながら広がっていく。
許せない。
ミナムから意思を奪って、屈辱を与え続けるこの男が。
彼女に意識があれば、どれだけ傷つくことだろうか。
未だかつて、ここまで人に殺意を覚えたことはなかった。
レオニードは鞘から剣を抜き、ナウムを睨みつけた。
「ロウジ、あの男を殺せばミナムの暗示は解けるのか?」
話の途中でロウジから剣を抜き、構えを取る気配がした。
「それだけじゃあ解けはせんが、新しい指示が出されなくなるから意味はあるな」
彼には珍しく、冷ややかで抑揚のない声。
素早く隣を見やると、獲物を確実に仕留める野獣のような目をナウムに向けていた。
しかし、こちらの怒気や殺気を受けても、ナウムの顔から笑みは消えなかった。
「オレを殺す、かあ……気が合うな。オレもお前らを殺したくて仕方がなかったんだよ」
そっとナウムがミナムに顔を近づけ、わざとらしい猫なで声で囁いた。
「アイツらを始末しろ、ミナム。特にあの若い男は、確実に息の根を止めてしまえ」
「分かりました、ナウム様」
淡々とした声で返事をすると、ミナムの目が据わる。
次の瞬間。
地を力強く蹴って駆け出すと、一直線にレオニードへ向かい、懐へ入り込んだ。
咄嗟にレオニードは後ろへ下がり、距離を取ってから剣を交える。
ギィンッ、という高い音が辺りに響く。
剣の向こう側から見える彼女の目は、虚ろでありながら憎悪の色を漂わせていた。
こちらが守りに入って刃を弾き返す度、即座にミナムは剣を振るってくる。
力こそ弱いものの、予想以上に素早い身のこなし。
しかも彼女には毒もある。周りには他の敵もいる。手加減しながら相手をすることはできなかった。
(ミナム、すまない……!)
レオニードは全力でミナムの刃を弾き、彼女の体を後ろへ吹き飛ばす。
ミナムから小さく唸る声が聞こえ、激しく胸が痛んだ。
後方からは、ロウジが数人を相手に剣を交える音がする。
彼を援護しなければと心は焦る。
しかし、ミナムから離れても他の敵から剣を振るわれてしまい、己の身を守ることで精いっぱいだった。
そんな状況を、ナウムは勝ち誇った笑みを浮かべながら傍観していた。
あの男を斬りつけなければ気が済まない。
だが、ここで自分たちが殺されてしまえば、二度とミナムを救えなくなってしまう。
生きて果たすことに意味がある。
初めて会話した時、ミナムに言われたことが脳裏によぎった。
(不本意だが、ここは一旦退いたほうがいい。逃げ道は――)
レオニードが瞳だけを動かし、辺りを見渡そうとした刹那。
体当たりするような勢いで、ミナムが突進してくる。
剣の切っ先は真っ直ぐにこちらの腹部へ向けられ、確実に突き立てようという狙いが垣間見えた。
反射的に身を翻し、レオニードはミナムを避ける。
勢い余って彼女は前のめりになり、隙のある背中をあらわにした。
誤ってミナムを斬ってしまう前に、このまま気絶させてしまおう。
レオニードは彼女の首めがけて手刀を振り下ろす。
気配を察したミナムが、振り向かずに身を縮ませる。
そして、こちらの手刀が空振りしたのを見計らい、再び剣を向けてきた。
剣で応戦しても間に合わない。
レオニードはミナムの手首を掴み、動きを止める。
それでも刺そうとする勢いは変わらず、あらん限りの力で押してきた。
いきみながら、ミナムが顔を上げる。
挑むような眼差しを送りながら、彼女の口が動いた。
『――――』
あまりに小さく、自分だけにしか聞こえない声。
レオ二ードの目が大きく見開いた。
(そうだったのか。ミナム、君は――)
詳しい事情は分からないが、ミナムの狙いが伝わってくる。
より困惑して動揺する胸の内に反して、レオニードの頭は冷静に自分のすべきことを探っていく。
とにかく今は逃げるしかない。
レオニードは剣の柄で、素早くミナムの腹部を突く。
「かはっ……!」
彼女の息遣いが停止し、その場に膝をつけてうずくまる。
この隙を逃さず、レオニードはミナムから離れ、襲い来る剣を弾き返しながらロウジの元へ向かった。
四人を相手にして疲れを見せているが、振るう剣は鈍っていない。むしろロウジのほうが押しているように見えた。
こちらの動きに気づいた一人が斬りかかってくる。
すぐに距離を縮められるが、動じずに剣を構えなおす。
相手がミナムでなければ、遠慮なく戦える。
レオニードは迫る刃に臆することなく、懐へ飛び込んだ。
振り下ろされた剣撃を受け流し、無防備になった敵の胸を斬りつける。
敵がよろけたところで、ロウジと交戦する三人に向けて蹴り倒した。
敵が「うわっ」と体勢を崩して重なり合う。
うまく身を翻して巻き添えを避けたロウジは、レオニードに目配せした。
「今ここで粘っても、ミナムを助けられん。悔しいだろうが逃げるぞ」
後ろ髪を引かれる思いだったが、レオニードは無言で頷く。
そしてロウジに並ぶと、新たに襲い来る敵をなぎ払いながらその場を離れた。
「動けるヤツはさっさと侵入者を追え! アイツらを確実に始末しろ」
辺りを見渡しながらナウムが声高に叫ぶと、倒れていた部下たちが起き上がり、今しがた二人が去ったほうへ向かおうとする。が、
「ナウム様、追う必要はありません」
短剣を鞘に収めながら、ミナムは薄く笑い、妖しい色香をふわりと漂わせた。
「二人ともすでに私の剣で毒を受けています。放っておけば死にますよ」
ぞくり、とナウムの背筋に寒気が走る。
遠目で見ていたが、確かにミナムは最初の段階で二人を斬りつけていた。
いくら暗示にかかっているとはいえ、自分のために親しかった者たちを手にかける――その姿がたまらなく美しく、完全に彼女を手にしているという実感を掻き立てる。
「流石だな。やっぱりお前は最高の相方だな」
ミナムの背後にナウムが近づくと、彼女はゆっくりと振り向き、こちらの胸にもたれかかってくる。
優しく肩を抱いてみせると、ミナムは嬉しそうに顔を綻ばせた。
ふと脳裏に昔の記憶が浮かび上がる。
せがまれるままに頭を撫でてあげた時に、よく見せていた顔だ。
何も知らない、純真で幸せそうな子供の頃の――。
不意にナウムの胸が痛み、肩を抱く手に力が入った。
「ナウム様、どうされましたか?」
ミナムが顔を上げて、間近にこちらを見つめてくる。
答えようとしてナウムは言葉を止めた。
昔を思い出してしまうと、どうしても罪悪感がこみ上げてくる。
だが、強引に意思を奪い続ける限り、どんな謝罪をしても彼女には届かない。
意味のないことを口にしても虚しくなるだけだ。
ナウムは「何でもねぇよ」と小首を振ると、まだ室内に残っている部下たちを見回した。
「念のためだ、今晩は屋敷の警護に徹してくれ。二人の遺体は夜が明けてから探しに行けばいい」
疎らに「分かりました」と返事をして、部下たちが移動を始める。
彼らの動きを確かめてから、ナウムはミナムに視線を戻す。
と、彼女はわずかにうつむき、己の腹部を押さえていた。
「遠慮なく突かれたな。ミナム、大丈夫か?」
「はい……ただ、まだ痛みが続いています」
自分のものが傷つけられるのは面白くない。
ナウムは小さく舌打ちすると、ミナムの腹部を優しく撫でた。
「今日はもうゆっくり休め。お前の体に何かあったら、オレの気が狂う」
「ありがとうございます、ナウム様」
ミナムの顎を持ち上げ、薄く開いた唇にナウムは口付ける。その後に「行け」と目配せして促した。
ゆっくりと彼女が後ろに下がって離れると、硬い動きで踵を返して背中を向ける。
去っていく姿を目で追いながら、ナウムは優越感に浸って微笑を浮かべた。




