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男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す  作者: 天野 仰
六章 裏切りと真実
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垣間見えた真実

「よく来たなあ。あんまり上手に変装しやがるから、昼間は誰だか分からなかったぞ」


 どうして気づかれたんだ?

 睨みつけて牽制するレオニードを見て、ナウムが人の悪い笑いを喉で奏でた。


「どうしてお前たちがここへ来るのが分かったか、知りたいか? ……答えは単純だ、ミナムが教えてくれたんだよ。お前らにまとわりつかれるのが、もう嫌になったんだと」


「嘘を言うな! お前のことだ、ミナムを脅して俺たちを襲わせたんだろ」


 思わずレオニードが言い返すと、ナウムは「いいや」と首をゆっくり横に振った。


「コイツはオレのものになったんだ。その証拠にオレの言うことを何でも聞いてくれる。なあ、ミナム?」


 とろん、とした目でミナムはナウムを見ると、抑揚のない声で「はい、ナウム様」と答える。


 視線を合わすとナウムはミナムの肩を抱き寄せ、耳元で囁きかけた。


「お前がどれだけオレを愛しているのか、昔の男に見せてやれよ」 


 鈍い動きでミナムは頷くと、ナウムの首に腕を回し、自分から口付ける。

 薄目を開けて、うっとりした表情を見せる彼女から、嫌悪の色はまったくなかった。


 ナウムは横目でレオニードを見ながら、ミナムの腰に手を置き、ぐっと己の方へと引き寄せる。


 そこからゆっくり背中を伝い、ミナムの首筋に指を這わしていくと、次第に頬は紅潮していく。


 一度顔を話して吐息を漏らした後、彼女からさらに深く口付ける。


 耐えられず、レオニードは二人から視線を逸らす。

 見ているだけで動悸が強まり、痛みで吐き気すらした。


 これが現実なのか、夢なのか、分からなくなってくる。

 半ばレオニードが放心状態になっていると……ぽんっ、と大きな手が肩を叩いてきた。


「あれはミナムの本心じゃない。あの言動に虚ろな目……恐らくナウムの言うことを聞くように、暗示をかけられている」


 ロウジの声に気づき、ナウムが顔を上げた。


「獣みたいなツラして、意外と物知りなんだな。まあ、どっちにしても変わらねぇけどな……今のミナムは、オレに従うことが全てだ。どんなことでもしてくれるぜ? オレが望むままに交わることも、オレのために手を汚すことも厭わない」


 熱くなっていたレオニードの体が、急に冷えていく。

 そして漆黒の泥のような、暗く粘り気のある――恐ろしく冷たい怒りが、激しくうねりながら広がっていく。


 許せない。

 ミナムから意思を奪って、屈辱を与え続けるこの男が。


 彼女に意識があれば、どれだけ傷つくことだろうか。

 未だかつて、ここまで人に殺意を覚えたことはなかった。


 レオニードは鞘から剣を抜き、ナウムを睨みつけた。


「ロウジ、あの男を殺せばミナムの暗示は解けるのか?」


 話の途中でロウジから剣を抜き、構えを取る気配がした。


「それだけじゃあ解けはせんが、新しい指示が出されなくなるから意味はあるな」


 彼には珍しく、冷ややかで抑揚のない声。

 素早く隣を見やると、獲物を確実に仕留める野獣のような目をナウムに向けていた。


 しかし、こちらの怒気や殺気を受けても、ナウムの顔から笑みは消えなかった。


「オレを殺す、かあ……気が合うな。オレもお前らを殺したくて仕方がなかったんだよ」


 そっとナウムがミナムに顔を近づけ、わざとらしい猫なで声で囁いた。


「アイツらを始末しろ、ミナム。特にあの若い男は、確実に息の根を止めてしまえ」


「分かりました、ナウム様」


 淡々とした声で返事をすると、ミナムの目が据わる。


 次の瞬間。

 地を力強く蹴って駆け出すと、一直線にレオニードへ向かい、懐へ入り込んだ。


 咄嗟にレオニードは後ろへ下がり、距離を取ってから剣を交える。

 ギィンッ、という高い音が辺りに響く。


 剣の向こう側から見える彼女の目は、虚ろでありながら憎悪の色を漂わせていた。

 こちらが守りに入って刃を弾き返す度、即座にミナムは剣を振るってくる。


 力こそ弱いものの、予想以上に素早い身のこなし。

 しかも彼女には毒もある。周りには他の敵もいる。手加減しながら相手をすることはできなかった。


(ミナム、すまない……!)


 レオニードは全力でミナムの刃を弾き、彼女の体を後ろへ吹き飛ばす。

 ミナムから小さく唸る声が聞こえ、激しく胸が痛んだ。

 後方からは、ロウジが数人を相手に剣を交える音がする。


 彼を援護しなければと心は焦る。

 しかし、ミナムから離れても他の敵から剣を振るわれてしまい、己の身を守ることで精いっぱいだった。


 そんな状況を、ナウムは勝ち誇った笑みを浮かべながら傍観していた。


 あの男を斬りつけなければ気が済まない。

 だが、ここで自分たちが殺されてしまえば、二度とミナムを救えなくなってしまう。


 生きて果たすことに意味がある。

 初めて会話した時、ミナムに言われたことが脳裏によぎった。


(不本意だが、ここは一旦退いたほうがいい。逃げ道は――)


 レオニードが瞳だけを動かし、辺りを見渡そうとした刹那。

 体当たりするような勢いで、ミナムが突進してくる。


 剣の切っ先は真っ直ぐにこちらの腹部へ向けられ、確実に突き立てようという狙いが垣間見えた。


 反射的に身を翻し、レオニードはミナムを避ける。

 勢い余って彼女は前のめりになり、隙のある背中をあらわにした。


 誤ってミナムを斬ってしまう前に、このまま気絶させてしまおう。

 レオニードは彼女の首めがけて手刀を振り下ろす。


 気配を察したミナムが、振り向かずに身を縮ませる。

 そして、こちらの手刀が空振りしたのを見計らい、再び剣を向けてきた。


 剣で応戦しても間に合わない。

 レオニードはミナムの手首を掴み、動きを止める。

 それでも刺そうとする勢いは変わらず、あらん限りの力で押してきた。


 いきみながら、ミナムが顔を上げる。

 挑むような眼差しを送りながら、彼女の口が動いた。


『――――』


 あまりに小さく、自分だけにしか聞こえない声。


 レオ二ードの目が大きく見開いた。


(そうだったのか。ミナム、君は――)


 詳しい事情は分からないが、ミナムの狙いが伝わってくる。

 より困惑して動揺する胸の内に反して、レオニードの頭は冷静に自分のすべきことを探っていく。


 とにかく今は逃げるしかない。

 レオニードは剣の柄で、素早くミナムの腹部を突く。


「かはっ……!」


 彼女の息遣いが停止し、その場に膝をつけてうずくまる。

 この隙を逃さず、レオニードはミナムから離れ、襲い来る剣を弾き返しながらロウジの元へ向かった。


 四人を相手にして疲れを見せているが、振るう剣は鈍っていない。むしろロウジのほうが押しているように見えた。


 こちらの動きに気づいた一人が斬りかかってくる。

 すぐに距離を縮められるが、動じずに剣を構えなおす。


 相手がミナムでなければ、遠慮なく戦える。

 レオニードは迫る刃に臆することなく、懐へ飛び込んだ。


 振り下ろされた剣撃を受け流し、無防備になった敵の胸を斬りつける。

 敵がよろけたところで、ロウジと交戦する三人に向けて蹴り倒した。


 敵が「うわっ」と体勢を崩して重なり合う。

 うまく身を翻して巻き添えを避けたロウジは、レオニードに目配せした。


「今ここで粘っても、ミナムを助けられん。悔しいだろうが逃げるぞ」


 後ろ髪を引かれる思いだったが、レオニードは無言で頷く。

 そしてロウジに並ぶと、新たに襲い来る敵をなぎ払いながらその場を離れた。




「動けるヤツはさっさと侵入者を追え! アイツらを確実に始末しろ」


 辺りを見渡しながらナウムが声高に叫ぶと、倒れていた部下たちが起き上がり、今しがた二人が去ったほうへ向かおうとする。が、


「ナウム様、追う必要はありません」


 短剣を鞘に収めながら、ミナムは薄く笑い、妖しい色香をふわりと漂わせた。


「二人ともすでに私の剣で毒を受けています。放っておけば死にますよ」


 ぞくり、とナウムの背筋に寒気が走る。

 遠目で見ていたが、確かにミナムは最初の段階で二人を斬りつけていた。


 いくら暗示にかかっているとはいえ、自分のために親しかった者たちを手にかける――その姿がたまらなく美しく、完全に彼女を手にしているという実感を掻き立てる。


「流石だな。やっぱりお前は最高の相方だな」


 ミナムの背後にナウムが近づくと、彼女はゆっくりと振り向き、こちらの胸にもたれかかってくる。

 優しく肩を抱いてみせると、ミナムは嬉しそうに顔を綻ばせた。


 ふと脳裏に昔の記憶が浮かび上がる。

 せがまれるままに頭を撫でてあげた時に、よく見せていた顔だ。


 何も知らない、純真で幸せそうな子供の頃の――。

 不意にナウムの胸が痛み、肩を抱く手に力が入った。


「ナウム様、どうされましたか?」


 ミナムが顔を上げて、間近にこちらを見つめてくる。


 答えようとしてナウムは言葉を止めた。

 昔を思い出してしまうと、どうしても罪悪感がこみ上げてくる。


 だが、強引に意思を奪い続ける限り、どんな謝罪をしても彼女には届かない。

 意味のないことを口にしても虚しくなるだけだ。


 ナウムは「何でもねぇよ」と小首を振ると、まだ室内に残っている部下たちを見回した。


「念のためだ、今晩は屋敷の警護に徹してくれ。二人の遺体は夜が明けてから探しに行けばいい」


 疎らに「分かりました」と返事をして、部下たちが移動を始める。


 彼らの動きを確かめてから、ナウムはミナムに視線を戻す。

 と、彼女はわずかにうつむき、己の腹部を押さえていた。


「遠慮なく突かれたな。ミナム、大丈夫か?」


「はい……ただ、まだ痛みが続いています」


 自分のものが傷つけられるのは面白くない。

 ナウムは小さく舌打ちすると、ミナムの腹部を優しく撫でた。


「今日はもうゆっくり休め。お前の体に何かあったら、オレの気が狂う」


「ありがとうございます、ナウム様」


 ミナムの顎を持ち上げ、薄く開いた唇にナウムは口付ける。その後に「行け」と目配せして促した。


 ゆっくりと彼女が後ろに下がって離れると、硬い動きで踵を返して背中を向ける。


 去っていく姿を目で追いながら、ナウムは優越感に浸って微笑を浮かべた。


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