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消せない痛み

   ◆ ◆ ◆


 夕日が沈み、部屋の中が次第に翳っていく。

 ベッドの縁に座っていたナウムは、静かに横たわるミナムをジッと見下ろす。


 男のフリをして生きてきたせいで、男物の服がやけにしっくりと馴染んでいる。

 それでもこうして眠っているとイザーミィの面影が色濃くなり、女の顔が隠し切れずに浮かび上がる。


 やっと望んでいたものが手に入った――全身から叫びたくなるような喜びが沸き上がると同時に、胸の奥が激しい痛みに疼く。


 これは自分が望んだこと。

 だが、この結末だけは避けたいとも願っていた。


 おもむろに手を伸ばし、ミナムの頭をひと撫でする。


(……こんなことなら、もっと早くからこうすれば良かったな)


 ナウムはフッと、自嘲気味に笑う。

 ミナムがこの部屋に滞在した時点で、暗示にかかることは時間の問題だった。


 暗示をかけたのは、この部屋にある置き時計。

 この時計が刻む秒針の音を聞き続ければ、深い眠りにつき、耳元で囁いた言葉に従うようになる。


 ただ、この音を意識することがなければ暗示にかかることはない。中には鈍感すぎて気にしない人間もいれば、意図的に聞き流して気にしないようにできる人間もいる。仕組みを知った上で訓練すればかかりはしない。


 ミナムは用心深く、頭も悪くはない。もしかしたら仕組みに気づいているかもしれない。気づいていなくとも、こちらの動きを察して気づいてしまうかもしれない。


 様子を伺いながら、慎重に確かめたかった。そのためにゲームで勝った際、ミナムへ「動くな」と命じてみた。


 移動の疲れと、予想外の現実に困惑して心が衰弱したせいだろう。

 たった数刻、秒針の音を聞き続けただけで、しっかりと彼女に暗示はかかっていた。


 あの時点で、ミナムを今のように扱うことはできたのだ。

 それをしなかったのは――。


(ガキの頃は、オレが「いい加減に離れろ」って逃げても追いかけてきたクセにな)


 一緒に遊んでいた、幼い頃のミナムが脳裏に浮かぶ。

 当時は確かに向けられていた彼女の好意が、奥深くに封じてしまった昔の自分を起こしにかかる。


(思い出にほだされるなんてオレらしくもねぇ。そのせいで、イザーミィに怖い思いをさせる羽目になったんだ。自分の甘さに反吐が出るぜ)


 ミナムとは違う意味で、イザーミィは特別な存在だ。

 恋焦がれてきた女性でもあり、命の恩人でもあり、共に支え合って生きてきた同志でもある。そして――。


 ふと、延々と抑え続けていた感情が胸から溢れ出し、全身へ痛みを走らせる。

 ナウムは唇を噛み、片手で額を覆った。


(本当はオレみたいな罪だらけの人間が、イザーミィを想い続けることも、ミナムを手元に置くことも、許される訳がねぇんだ)


 痛みの原因は分かっている。

 一対のみになってしまった久遠の花と守り葉への罪悪感。


 もし自分がこの世に生まれて来なければ、二人は何も失うことはなかった。


 今まではイザーミィにだけ、負い目を感じていた。

 しかし、ミナムが生きていると分かった時から、その負い目は倍になった。


 このまま自分を消してしまいたいと、どれだけ願ったことか。

 そのくせ、イザーミィの側に居続けたい、ミナムを自分のものにしたいと強く望んでしまう。


 罪深さと欲深さが激しく交じり合う。

 己の中は、歪で醜悪な悦びに満ち溢れていた。


(ありがとうなあ、ミナム。オレが正気を失う前に現れてくれて)


 できれば心も欲しかったが、もう欲張らない。

 ミナムという存在さえ隣にあれば、それだけで十分なのだから。


 ミナムの体が、ぴくりと動く。

 ゆっくりと開かれた目は虚ろで、彼女の意思はどこにも感じられなかった。


「やっと目が覚めたか。起きろよ、ミナム」


 緩慢な動きで、言われた通りにミナムが起き上がる。

 次の指示を待っているのか、輝きのない瞳をこちらに向け続けていた。


 ミナムの肩を抱き寄せ、ナウムは頬へ軽く口づける。


 意思がある時にこんなことをしようものなら、即座に毒で反撃していただろう。

 それが嫌味のひとつすらも返らず、物足りなさを覚えてしまう。

 

 あれだけ嫌がっていた人間が、ここまで従順になると気分がいい。

 ただ抵抗されない分だけ、物足りなさを感じてしまうが。


(まあ、オレにはこれぐらいが丁度いいかもな。後先考えられなくなるまで夢中にならねぇだろうから)


 何度か柔らかな髪を撫でる最中、寝かせる際に緩めたミナムの襟元がナウムの目に入る。


(……どうして今日に限って、首飾りをしていないんだ?)


 ミナムへ暗示をかける際、いつも目についていた首飾り。


 北方の風習で、妻となる女性に首飾りを贈ることは知っている。

 これを初めて見た時、どれだけ鎖を引き千切ってしまいたかったことか。


 しかし首飾りを失ったことで、己の身に何かが起きていると気づかれるのは困る。

 だからミナムに不審がられないために、ずっと我慢をしてきたのだが――。


(あの男への未練を断つために、ミナムの目の前で首飾りを砕いてやりたかったな。残念だが、まあいい)


 心を封じた今、ミナムにとって首飾りは、ただのガラクタでしかない。

 もう彼女の中には、あの男への想いも、繋がりも、あの首飾りに込められた意味など、何も残っていないのだから。


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