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決別と役目

「ミナム……これが、貴女の答えなの?」


 イザーミィが今にも消え入りそうな声で尋ねてくる。


 やっぱり傷つけてしまったと、ミナムは眉根を寄せた。


「そうだよ。そこに書いたことが俺の願い……本心だよ」


 どうにかして自分の願いを、直接イザーミィに伝えたかった。


 そのために、ずっと我慢してここへ居続けた。

 自分を犠牲にしてでも、姉を傷つけることになっても――。


 イザーミィは手を震わせながらソファーの上に手紙を置くと、硬い表情のままミナムを見据えた。


「私は久遠の花。貴女の言いたいことは分かるわ。でも今の私はバルディグの王妃……毒を作ることを止める訳にはいかないの」


 揺れながらも凛とした姉の声を聞きながら、ミナムは目を閉じる。


 自分は守り葉。

 人を癒す久遠の花を守る者。

 一族の血と、知識と、技術を守る者。


 そして、使い方を誤れば安易に人を傷つけられる力を、身を守ること以外には絶対に使わないという一族の願いと誇りを守る者。


 自分の願いは、これ以上は毒作りをさせないこと。

 二度と同じことが起きないよう、イザーミィから知識や技術を奪うこと。


 何度も自問自答し続けてきたが、最後の守り葉として、姉を特別扱いする訳にはいかなかった。


 ミナムは襟の裏を探り、隠していた小さな紙の包みを取り出した。


「姉さん……犠牲になったみんなのことを思うなら、この薬を飲んで欲しい」


 包みの中には、記憶を消すための薬が入っている。

 飲めば今までのことをきれいに忘れてしまう。


 己が久遠の花であることも、幼い頃の思い出も、自分たちが姉妹だということも――。


 イザーミィは視線を落とし、肩を震わせる。

 すうっ、と大きく息を吸い込むと、彼女は首を横に振った。


「……ダメよ。今、私たちが毒を手放せば、また昔のようにみんなが苦しむ国に戻ってしまうわ」


「そのために他の国の人たちを苦しめ続けてもいいの?」


 こちらの言葉を聞き、イザーミィの体が固まる。

 が、すぐ弾けたように顔を上げ、ミナムへ強い眼差しを向けた。


「私はもう、この国の人たちが苦しむ顔を、絶望する顔を見たくないわ」


 姉さんは軽はずみな考えで、毒を作る人じゃない。

 目に映る苦しむ人々を放っておけなかったことぐらい察しがついている。けれど……。


 ミナムは怯まずに、イザーミィの視線を受け止める。


「俺はこの国がどれだけ苦しんだのか、深くは知らない。でも、姉さんは知っているの? 他国で傷を受けた兵士たちが、一つの部屋で大勢が毒に苦しみ、喘ぐ姿を……」


 今思い出すだけでも、胸から歯がゆい思いが湧き出てくる。

 せっかく助けた人間を、再び命を落とすかもしれない戦場へ向かわせなければいけない。


 生きて欲しいから治療したのだ。延々と苦しみを与えるために治療した訳ではない。


 こちらの譲らない眼差しから、イザーミィが目を逸らす。

 そして今にも涙を溢さんばかりに瞳を潤ませ、常時穏やかな顔を嘆きに歪めた。


「ごめんなさい……ミナムのお願いは聞けないわ。この国のためにも、イヴァン様のためにも」


 やはり、か。ミナムは心の中で重苦しい息を吐く。

 もしかしたら願いを聞いてくれるかもしれないと、ほんの少しだけは期待していた。だが拒まれることは最初から覚悟の上だった。


 覚悟していたが……いざ現実を突き付けられると、ミナムの胸はヒリヒリと痛み、喉の奥から吐き気が込み上げてしまう。


 ここで目的を果たせなければ、もうイザーミィは自分と二人きりで会おうとはしてくれない。


 だから、今を逃す訳にはいかなかった。

 ミナムは立ち上がり、イザーミィへ近づこうとする。


「エレーナ様に近づくな!」


 次の瞬間、部屋の左右の壁が開き、そこから数人の男たちが飛び出してミナムの周りを取り囲んだ。


 しかしミナムは驚かず、冷静に彼らを見渡す。


(護衛に誰かを潜ませているとは思ったけど、こんなに隠れていたのか……当然か、王妃様だからね。もう久遠の花でも、俺の姉さんでもない)


 自分へ言い聞かせるように心の中でミナムが呟いている間に、一人の男がイザーミィの側へ寄ってソファーから立ち上がらせると、こちらを伺いながら距離を取っていく。


 ミナムが一歩前に進もうとした時、彼らは腰の短剣を抜き、鋭い切っ先を向けてきた。


「動かないでもらおうか。いくらナウム様に気に入られているとしても、エレーナ様を傷つけるような真似は許さない」


「……分かった。貴方に従うよ」


 自分が無抵抗だと示すように、ミナムは両手を耳元まで上げる。


 袖が下へずれ、手首があらわになる。

 右の手首には琥珀色の、左の手首には漆黒の小石を連ねた腕輪があった。


 漆黒の小石を一粒だけ歯で咥えて取り外すと、ミナムはそのまま噛み潰す。

 それが何かを唯一知っているイザーミィだけが血相を変えた。


「全員ミナムから離れて! そうしないと――」


「もう遅いよ、姉さん」


 イザーミィの声に一拍遅れて、ミナムの体から甘い香気が漂う。

 匂いに気づいた男たちが怪訝そうな表情を浮かべる。だが、次第に彼らの顔に脂汗が滲み始めた。


「な、何だ、この体の痺れは? まさか……」


「安心して。単に痺れて動けないだけで、死ぬことはないから」


 ミナムが再び一歩踏み出そうとした時、男たちの体が前に出ようとする。

 しかし動いた瞬間に彼らの体は大きく揺れ、床に崩れ落ちた。


 腕輪の石は、麻痺の毒を結晶化させた物。これを守り葉が口にすれば体が反応して、全身から毒が放散される。


 男たちが倒れながらもどうにか動こうと体を震わす中、イザーミィだけは自分の足で立ち、こちらを見据えていた。


 ミナムは薄い苦笑を浮かべ、イザーミィへ足を向けた。


「やっぱり姉さんは久遠の花だから、耐性があるんだね。でも、少しは効いているんじゃないかな? 普通の毒なら効かないだろうけれど、守り葉の毒は特別だから……」


 一歩ミナムが近づくと、イザーミィは重い足取りで一歩下がる。


「ダメ……私から力を奪わないで」


「ごめん、姉さん。事情は分かるけれど、俺はこのまま見て見ぬふりはできない」


 早くやらなければ、新たな護衛やナウムが現れてしまう。

 ミナムは間を縮めようと、駆け出そうとする。


 しかし、どうにか立ち上がった護衛たちが、ミナムの前に立ちはだかる。

 命をかけて姉を守ろうとしてくれているのは嬉しいが、今は単なる厄介なものでしかなかった。


 一つ、二つと、鈍い動きで護衛たちの短剣がミナムに振り下ろされる。


 ミナムは目を細め、冷ややかな表情を浮かべる。


「邪魔だ。そこで寝ていてくれ」


 刃の間を縫って、ミナムは相手の懐に素早く飛び込む。


 瞳だけを動かして狙いを瞬時に定め、彼らの手を叩き、短剣を床へ落とす。

 それでも諦めず体を張ってこちらにしがみつこうとした男を、ミナムは容赦なく蹴り倒した。


 残っているのはイザーミィだけ。

 倒れた男たちをまたぐと、ミナムは青ざめた顔をしたイザーミィの元へ向かおうとした。


「おーおー、それがお前の本当の狙いか」


 背後の声に、ミナムはゆっくりと振り向く。

 もっと大勢を引き連れて来ると思っていたが、予想に反して現れたのは一人だけだった。


 何人もの護衛が倒れ、酷い惨状になった部屋を見ても、彼の顔色は変わっていなかった。


「驚かないんだなナウム。お前の中では、俺がこうすることぐらいお見通しだったってことか」


「まあ予測の範囲内ではあるな。ただ、オレが考えていた中で、一番最悪の展開だな」

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