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手紙

   ◇ ◇ ◇


 ナウムの部下になると告げた三日後の朝。


 ミナムは目を覚ますと緩慢な動きで体を起こし、熱を帯びた長息を吐き出す。休んでいるハズなのに、体は虚脱感でいっぱいだった。


(……いい加減、嫌になってくるよ)


 毎晩、同じような悪夢を見続ける。

 しかも日を重ねるごとに夢は鮮明さを増し、目覚めた後も、体からあの手の感触が消えてくれない。


 必ず悪夢を見てしまうと分かった今、もう驚いて飛び起きる気は失せた。あの夢が現実にならなければ、夢でどんな扱いを受けても構わない。所詮は夢でしかないのだから……。


 気を持ち直そうと、いつものように首飾りの石を見つめる。悪夢ですり減ってしまった精神が継ぎ足され、元の自分を取り戻していく。ただ、ミナムの顔に浮かんだ翳りを消すことはできなかった。


 この石に――レオニードに助けられている。

 けれど心を落ち着かせようと頼れば頼るほど、夢で受けてしまった自分の穢れをこの澄み切った石に吸わせているように感じてしまう。


 頼り続けてしまえばこのまま石が濁ってしまい、彼の面影を消してしまいそうな気がした。


(これ以上、この首飾りを汚す訳にはいかない。特に今日は――)


 ミナムはベッドから降ると、衣装棚の前まで歩いていく。

 そして戸を開け放って中を見回した。


 ナウムが用意した服がずらりと並んでいる。

 ここへ来た当初は、ナウム好みの露出が多いドレスばかりあった。だが、「俺、男物しか着ないよ」と言ったら、残念そうに中の服を男物と変えてくれた。


 それでもドレスを着せることを諦めていないらしく、今も隅に数着だけ仕舞われている。


 ドレスに目を向けることなく、ミナムは今まで着続けていた服の襟に手をかける。


 そして首飾りを外すと、洋服掛けにぶら下げた。


(ごめん、ここで待っていて。用事が終わったら、また戻ってくるから)


 手を離すと、今度は別の服に手をかける。

 淡い薄茶色の生地で作られた男物の服。生地の色が地味な分、袖や襟などに施された刺繍に力が入っている。


 その服に袖を通してズボンを履き替えると、ミナムは衣装棚の隣りに飾られた鏡に己を映した。


 似合わないことはないと思う。

 ただ、苦労知らずな貴族の青年に見えてしまい、漂う違和感に首を傾げる。


(何だか不相応な格好だけど、バルディグの王妃様に会うんだから、失礼のない格好をしないとね)


 部下になると伝えた翌日、ナウムがイザーミィに打診して、この日に会う機会を設けてくれた。


 城では落ち着いて話せないだろうからと、イザーミィをナウムの屋敷に招待する形を取って――。


(王も王妃もここに招くことができる力を持っているんだな。あんな男なのに)


 イザーミィと会える日を教えてくれた時の、得意げに笑ったナウムの顔が脳裏に浮かぶ。


 それだけで苛立ちがこみ上げ、ミナムは顔をしかめた。


(……まあいい。約束を守ってくれたのは事実だ。心から感謝するよ、ナウム)


 鏡に背を向けると、ミナムは部屋の隅にある机の上に視線を送る。

 そこには二通、赤い蝋で封をした手紙が置かれていた。


   ◇ ◇ ◇


 昼過ぎになり、ナウムが屋敷へイザーミィを連れてきた。


(姉さん……!)


 顔を見た瞬間、思わずミナムは嬉しくて駆け寄ろうとしたが、すぐ我に返る。


 事情を知らない人間が見ている前では、臣下の姿勢を崩す訳にはいかない。ミナムは平静な顔でイザーミィを出迎えると、「どうぞこちらへ、エレーナ様」と硬い声で促し、ぎこちない足取りで来賓室へと案内した。


 三人が部屋の中へ入り、扉を閉めて中央のソファーへ腰を下ろす。

 ミナムの向かい側に座ったイザーミィが、申し訳なさそうに眉をひそめた。


「ごめんなさい、ミナム。もっと堂々と会えたら良かったのだけど……」


「謝らないで。姉さんの立場を考えたらしょうがないよ。こうして会えるだけで俺は十分だから」


 慌ててミナムは首を横に振ってイザーミィに微笑み返すと、自分の隣へ座ったナウムに顔を向けた。


「こうやって姉さんと会えるのも貴方のお陰。本当にありがとう、ナウム」


 不本意だったがナウムの部下になっている以上、白々しくても彼を立てなければ。


 にっこり破顔するミナムへ、ナウムが胡散臭いまでの爽やかな笑顔を見せた。


「やっと離れ離れになった姉さんに会えたんだ。これからも機会を作って、会えるようにしていく。約束するぜ」


 ナウムのヤツ、姉さんの前だと上手に猫を被るな。俺も人のことは言えないけれど。


 表面上は親しい空気を漂わせ、ナウムと心を通わせ合っているように見せる。

 イザーミィを心配させまいとする思いが一緒のせいか、嫌になるほど息がピッタリ合ってしまう。


 しばらく談笑を続けた後、ナウムがソファーから立ち上がった。


「私はこれで失礼します。イヴァン様の了承も得ていますから、今日はミナムと心ゆくまでお話し下さい」


 イザーミィはナウムを見上げると、穏やかに口元を綻ばせる。その眼差しは揺るぎのない信頼を向けていた。


「ナウムにはいつも支えてもらってばかりだわ。本当にありがとう」


 自分の知らない間に作られた、二人の繋がり。

 それを見せつけられた気がして、姉が遠くにいるように感じてしまう。


 ミナムはイザーミィと一緒に、部屋を出て行くナウムを見送る。

 淡い寂しさと、姉の心を掴んでいるナウムへの嫉妬で胸が疼いた。


 ナウムの足音が遠ざかった後、イザーミィがフフッと笑った。


「ねえ。ミナムはナウムのこと、どう思っているの?」


 急に予期せぬことを言われて、ミナムの目がわずかに泳ぐ。


「どうって――」


「あの人に言われたわ。ミナムが許すなら、伴侶として迎えたいって」


 ナウムの伴侶……ありえない。想像すらしたくない。


 嘘でも「嬉しい」なんて言いたくない。

 しかし、あからさまに拒否をして、姉の傷つく顔も見たくない。


 ミナムが答えに詰まっていると、イザーミィは不思議そうに目を瞬かせて小首を傾げた。


「あら、嬉しくないの? 小さい頃『大きくなったら、ズイガお兄ちゃんのお嫁さんになる』って、何度も言ってたのに」


 ……なんて見る目がないんだ、子供の頃の自分は。

 この身に覚えのない過去を消し去りたいと思いながら、ミナムは小首を振る。


「俺もナウムも昔とは違うから、そう簡単には考えられないよ。まだバルディグに来て日も浅いから」


「そうね、ちょっと焦り過ぎちゃったわ。貴女たちが一緒になってくれたら嬉しいな、って思っていたから、つい――」


 イザーミィが頬を赤くして、恥ずかしそうに頬を掻く。


 髪や目の色が変わっても、幼い頃に見ていた姉の中身は変わっていない。

 それが嬉しくて、ミナムの口端が上がる。


(そういえば、姉さんは昔からしっかりしているように見えて、意外とそそっかしいところがあったな)


 ミナムは懐に手を持っていくと、仕舞っていた手紙を取り出す。


 きっと優しい心根も、人を気遣う優しさも変わっていないだろう。

 だから、これを渡せば自分の望みを汲んでくれるかもしれないと、淡い期待が胸に滲む。


「姉さん、お願いがあるんだ。この手紙をイヴァン様にお渡しして欲しいんだ。

わざわざ俺と話すためにここへいらっしゃったから、そのお礼を伝えたくて」


 まずは一通だけ差し出すと、イザーミィは「分かったわ」と両手で丁寧に受け取る。


 そして、ミナムの手に残ったもう一通の手紙を、イザーミィは指さした。


「そっちの手紙は誰に渡せばいいのかしら?」


「これは姉さんへの手紙だよ。こうして顔を合わせると嬉しくて、話したいことが頭から抜けちゃうんだ。だから手紙に書いてきたんだよ」


 イザーミィの目に優しい色が宿り、少し瞳を潤ませる。


「そう……今、読んでもいい?」


「うん。そのつもりで持って来たんだ」


 同じように目を潤ませながら、ミナムはもう一通の手紙と、服のポケットから取り出した銀の紙切りナイフを差し出す。


 それらを受け取ると、イザーミィはしばらく眺めてから封を開けた。

 イザーミィの目が手紙の字を追っていく。


 最初の一枚は、嬉しそうに目を細めて読んでいた。

 しかし二枚目を読み始めた途端、イザーミィの顔から笑みが消えていった。


 読み終えた後、イザーミィは頭を上げる。

 その顔は血の気が引き、肌の白さが増していた。

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