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覚悟は決まった

 

 

 

 目を開くと同時に、ミナムは勢いよく体を起こす。


 息は乱れ、早まった鼓動と室内の時計の音が耳に響く。

 窓から差し込む朝日が部屋の中を明るくし、ここが現実なのだと教えてくれる。


 何度か深呼吸して息を整えてから、ミナムは己の体を見回す。

 特に変わった様子がないと分かった途端、重いため息が口から出た。


(またあの夢を見るなんて……最悪だ)


 ここ数日、同じような悪夢ばかり見続けている。


 身動きの取れない体を、ここぞとばかりにナウムが触ってくる夢。

 そして次第に心が抵抗しなくなり、その抱擁を受け入れてしまった直後、こうして目が覚める。


 夢で良かったと思う一方で、何度もこんな夢を見てしまう自分が信じられない。


 目覚めれば、ナウムに組み敷かれるなど、考えたくもないし望んでもいないのに。


 ただ夢が終わる瞬間だけは、彼を受け入れている。

 何度も聞かされる言葉があまりに優しくて、痛いほど共感できて、夢の中だけなら応えても構わないという気すらしていた。


 レオニードの隣に居られないなら、それでいいのかもしれない。

 夢の中であったとしても、ほんの一瞬そう考えてしまったことが悔しくて、情けなくて――怖くなってくる。


(夢でナウムが言ってたように、俺はアイツのものになってしまいたいと望んでいるのか?……いや、それは絶対にない。あんな夢が俺の本心だなんてありえない)


 ミナムは取り憑いてくる不安を払おうと、首を何度も横に振る。


 身に付けていた首飾りが、首元で小刻みに揺れた。

 服の下から首飾りの石を摘むと、視線を下げてそれを見つめる。


 レオニードの瞳と同じ色の石。

 彼に見守られているようで、今にも折れそうな心に芯が戻ってきた。


(大丈夫。この石が見守ってくれる限り、俺は自分を失わない)


 暗示をかけるように、その言葉を何度も心で繰り返す。

 次第に気分も落ち着き始め、冷静な思考が働き始めた。


(このまま答えを先延ばす訳にはいかない。俺がおかしくなる前に動き出さないと――)


 ミナムは背伸びをしてからベッドを離れる。

 部屋の隅に置いていた荷袋に目を向けると、表情を硬くした。


(――俺の答えは、もう決まっている。ただ、やっと手にしたものを手放すのが惜しいだけで……)




 ミナムは身支度を整えて朝食を済ませると、ナウムの書斎の扉を叩いた。


 こちらが口を開く前に、中から「ミナム、遠慮せずに入れよ」という声が聞こえてくる。


 まだ声も聞いていないのに、どうして誰が来たのかが分かるんだ? 恐らく廊下からの足音や気配を読んでいるのだろうけど……。


 ナウムのこういう資質は、悔しいが流石だと思ってしまう。

 だからこそ気は許せないと身構えながら、ミナムは「失礼するよ」と扉を開けて部屋の中へ入った。


 正面に大きな窓と机が臨んでいたが、そこにナウムの姿はなかった。

 ミナムが辺りを見渡すと、彼は隅に置かれた本棚の前で、分厚い装丁の本を読んでいた。


 本を閉じて顔をこちらに向けると、ナウムは目を細めて微笑んできた。


「よう。お前からオレの所に来るなんて珍しいな。どうかしたのか?」


 これから伝えることを察しているのか、ナウムの顔がやけに上機嫌だ。

 先読みされてばかりで、甚だ面白くない。思わずムッとしそうになるが、ミナムは我慢して己の顔から感情を消した。


「……やっと覚悟が決まったから、ここに来たんだ」


 次の一言を口にすれば、もう後には引けない。

 軽く目を閉じて大きく息を吸い込み、先の見えない闇に飛び込む勇気を蓄える。


 瞼を開けてナウムを見据えてから、ミナムはその場に跪いた。


「姉さん……いえ、エレーナ様をお守りするために、私を貴方の部下に加えて下さい。貴方がエレーナ様に忠誠を誓い続ける限り、私はこの守り葉の力を捧げましょう」


 わずかにナウムの目が丸くなり、面食らったような表情を見せる。

 しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべてミナムへ近づくと、彼はしゃがんで目線を合わせてきた。


「その言葉、待っていたぜ。お前はオレの欲しいものを全部持っているんだ、どの部下よりも大切にしてやるよ」


 ナウムが腕を伸ばして、ミナムの頬に優しく手を当てる。

 何度も見た夢が脳裏に過ぎり、体が強ばってしまう。そんな弱みを知られまいと、ミナムは頭を垂れてナウムの手から逃れた。


「ありがとうございます。ただ、一つお願いしたいことがあります」


「何だ? 無茶な内容じゃなければ、どんなことでも聞いてやる」


「どうか、近々エレーナ様と二人きりでお話しする機会を下さい。お伝えしたいことが、まだまだたくさんありますから」


 ナウムから小さく唸る声が聞こえる。

 しばらくして、こちらの肩に手を乗せ「顔を上げろ」と命じてきた。


 ミナムが言われるままに顔を上げると、ナウムは苦笑を漏らした。


「その頼み、聞いてやるが……オレの頼みも聞いてくれ」


「頼み、ですか?」


「オレと二人きりの時は、今まで通りにしてくれ。その敬語に態度、思いっきり距離を取られた感じで面白くねぇ」


 今度はミナムの目が丸くなり、不敵な笑みを浮かべ返す。


「部下になる以上、立場をわきまえたほうが良いと思ったんだけどね。まあ、白々しいやり取りをしなくていいのなら、俺もありがたいよ」


「そうそう。それぐらい生意気なほうが、口説き甲斐があっていい」


 愉快げに声を弾ませながら、ナウムが肩に乗せていた手でミナムの顎を持つ。

 咄嗟にミナムはその手を払い、素早く立ち上がる。


「調子に乗るな。俺はあくまでも部下だ、お前を喜ばせる娼婦になる気は一切ない」


「クク……お前はそのままで十分にオレを喜ばせてくれる。娼婦にする必要もねぇよ。だが――」


 ナウムがニヤニヤしながら立ち上がり、こちらの体を舐め回すように見つめてきた。


「気づいてるのか? お前、オレに少し触れられるだけで面白いくらいに熱くなってんだぞ。いつか耐えられなくなって、ミナムからオレを求めるようになるかもな」


 ドクン、と鼓動が大きく跳ねる。


 まさか夢のことを知っているのか?

 そんなはずはない。


 夢は夢。独り言ですら口にしたことのない内容を、ナウムが知るはずもない。

 少し落ち着いて考えれば、ナウムには何度も触られている。


 その都度、頭に血が上っていたのだ。体も熱くなって当然だ。

 ミナムは呆れたように肩をすくめ、「ありえないよ」と踵を返そうとした。


 が、動きを止めて、顔だけをナウムのほうへと向けた。


「ナウム……先日ここまで足を運んで下さったイヴァン様に、お礼の手紙をお渡ししたいんだ。だから失礼にならないような便箋と封筒を、いくつか譲って欲しい」


「律儀なヤツだな。あの人はそんな物がなくても、まったく気にしない人だが……まあお前が渡したいって言うなら譲ってもいいぜ。後で侍女にお前の部屋まで運ばせる」


「ありがとう。じゃあ、俺は失礼する――」


 今度こそ立ち去ろうとした時。

 ミナムの腕が強く掴まれ、後ろへ引っ張られる。


 耳元で、一段と低くなった声が囁いた。


「一つ尋ねるが、ヴェリシアの男に書いて送る気じゃないだろうな?」


 つられるように、ミナムの声も低くなる。


「……俺はあの人を裏切って姉さんを選んだんだ。書ける訳がないだろ」


「お前は目的のために、本心も性別すらも偽ってきた人間だ。無条件にお前を信用するほど、オレはお人好しじゃないぜ」


 ざわざわと、ミナムの腰から背筋に沿って悪寒が這い上がってくる。

 けれど悪寒が頭の上まで登り切った後、熱を帯びた鈍い痺れが、ゆっくり足から上へと広がっていく。


 早く離れなければ、自分がおかしくなってしまう。

 ミナムは震えそうになる足に力を入れ、ナウムを横目で睨んだ。


「今度姉さんと会わせてくれた時、手紙を姉さんに渡す。それなら心配ないだろ? 他の人に渡さないか、見張ってもらっても構わないよ」


「なるほど。そこまで言うなら本当に送る気はなさそうだな。疑ってすまなかったな」


 ナウムに声の調子が戻り、ミナムの腕から手を離す。

 そして「良い子だ」と頭を撫でてきた。


 慌てて彼の手を払おうと、ミナムは手を上げようとする。

 しかし力は入らず、ナウムの手を払うどころか、自分の腕すら動かすことはできなかった。


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