予期せぬ再会
バルディグの王城が見えてきたのは、ヴェリシアを出立して三日後のことだった。
ずっと馬車に揺られ、ナウムと膝を突き合わせなければいけない状況で、ミナムの悪心は酷いものだった。しかしナウムに弱ったところを見せたくないと、懸命に酔いをこらえていた。
だから王城が馬車の窓から見えた瞬間、ミナムは体の奥底から安堵の息を吐いて城を眺めた。
消炭色の見るからに堅固な佇まいは城というよりも要塞に近い。城下街の建物もほとんどが灰色のレンガで作られており、同じ北方の国であるヴェリシアよりも威圧感に満ちている。
ヴェリシアよりも北側に位置するためか、馬車に乗っていても隙間から寒気が漂い、まだ冬の寒さがしっかりと居座っている。もう少し暖かくなれば、花壇や街路樹から色が溢れ、また違った姿を見せてくれるのかもしれないが、まだその気配はなく、とても重苦しい冷気に押し潰されているように見えた。
寒さに震えるイザーミィの姿が脳裏に浮かび、ミナムは目を細めた。
「ナウム、街へ着いたら真っ先に姉さんに会わせて欲しい」
「もちろんだ……と言いたいところだが、先に会ってもらわなきゃならねぇヤツがいる。その後ですぐ会わせてやるよ」
心なしか煩わしそうなナウムの声に、ミナムは心の中で小首を傾げる。
「一体、俺を誰と会わせるつもりだ?」
こちらの問いにナウムは口を開きかけたが、ニイィと笑い、前へ身を乗り出してミナムに顔を近づけた。
「会ってからのお楽しみだ。お前はヴェリシアを出てから、ずっと冷たい仮面みたいな顔してるからな。どんな風に驚くか見てみたい」
……本当にこの男は、趣味が悪い。
けれど何か反論すれば、余計に面白がるだけだろう。ナウムのおもちゃにされるのは避けたい。
ミナムは冷ややかな視線でナウムを一瞥すると、窓の外へ意識を向けた。
城下街へ入ると、馬車は真っ直ぐに王城へ進んでいく。
そして城の正門が間近に迫った所で、ようやく馬車が停まった。
ナウムが「ちょっと待ってろ」と言ってから馬車の外へ出る。すると門番らしき兵が駆け寄り、ナウムと何かを話し始めた。声は聞こえないが、やけに兵のほうが緊張した面持ちで、態度も硬い。
(あんなヤツなのに偉いのか?)
思わずミナムは眉根を寄せる。
バルディグへ向かう最中、ナウムに「お前は何者なんだ?」と尋ねてみたことがある。
だが、さっき見せたような面白がった表情を浮かべて「あっちに着いてからのお楽しみだ」と言って教えてくれなかった。 人は見た目によらないという典型的な例だな、と考えずにはいられない。
しばらくして兵が城の中へと駆け出していく。
そして踵を返したナウムが馬車のほうへと戻ってきた。
キィ、という高い音と共に、馬車の扉が大きく開かれた。
「待たせて悪かったな。さあお姫様、お手をどうぞ」
差し出されたナウムの手を無視し、ミナムは馬車から降りようとする。
身を馬車から乗り出した瞬間、強い目眩がミナムを襲った。
体勢が崩れ、前のめりに地面へ落ちそうになる。
次の瞬間――。
「おっと、危ねぇな」
咄嗟にナウムがミナムを受け止めた。
抱き締められる形になり、ミナムの全身が硬直する。
ナウムの苦笑する息が耳にかかった。
「ったく。イザーミィの面影はあるのに、意地っ張りなところは正反対だな」
からかうような呟きの中に、どこか優しげな響きが混ざる。
そしてナウムは子供をあやすようにミナムの背を叩いてから、あっさりと体を離してくれた。
「さあ、オレについて来いよ。はぐれるんじゃねーぞ」
そう言うとナウムは城を顎で指してから、足先を向けて歩いていく。
一歩分ほど離れて、ミナムは彼の後ろをついて行った。
城内は外観と同じように、あまり過度な装飾が施されておらず、無骨な印象を受ける。
通路に敷かれた赤絨毯と、点々と並ぶロウソクの灯りが、心なしか浮いているように見えた。
しかし二階へ上がると両壁や天井は明るい薄茶色に変わり、並んだ窓から入ってくる光を受けて、温かな雰囲気を醸し出していた。
廊下を歩き続け、重厚感のある大きな木製の扉の前でナウムは足を止める。
「この中にいる方に会ってもらう。ミナム、中に入ってオレが跪いたら、お前も横に並んで同じようにしろ」
つまりナウムよりも地位のある人と対面するのか。
今は逆らわないほうがいいと、ミナムは無言で頷く。
こちらが了解したことを確かめてからナウムは姿勢を正し、ゆっくりと扉をノックした。
「ナウムです、ただいまヴェリシアから戻りました。お目通りを願います」
「待っていたぞ。入れ」
返ってきたのは、なんとも堂々とした威厳のある男性の声。
まだ姿を見ていないのに、漂う威圧感にミナムの肩が重たくなった。
ナウムが「失礼します」と言って、扉を開けて部屋へ入っていく。
気後れしながらも、ミナムもすぐに部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋の中央には獅子の模様が大きく彫られた立派な机が置かれ、一人の男性が肘をついてこちらを見ていた。
黒の軍服に赤いマントを着けており、彫りの深い凛々しい顔には自信溢れる笑みが浮かんでいる。鋭い目から覗く群青の瞳は、真っ直ぐにミナムを射ていた。
扉と机の中程までナウムは進むと、そこで仰々しく跪く。
言われた通りにミナムは隣に並んで跪き、頭を垂れた。
「思っていたよりも早く戻ってきたな。……ナウム、お前の隣にいる若者が守り葉なのか?」
男の問いかけに、ナウムはうつむいたまま「その通りでございます、イヴァン様」と答えた。
イヴァン――数年前、仲間を探している最中に噂話で聞いたことがある。バルディグの王位についた新王の名だ。
新王は気性が荒く、好戦的な人だとも聞いている。
そんな人が目の前にいるのかと、ミナムは緊張で顔が強張った。
ふと視線を感じて隣を横目で見ると、ナウムが楽しげに目を細めてこちらを見ていた。
面白がられるのは嫌だと、ミナムは顔から一切の感情をなくす。
「堅苦しいのは性に合わん。立ち上がって顔を見せてくれ」
イヴァンの許しを得て、ナウムはゆっくり顔を上げて立ち上がる。
少し遅れてミナムも立ち上がり、イヴァンと顔を合わせた。
イヴァンは「ほう」と好奇心を隠さず、ミナムを値踏みするように見てくる。
しかし次第に彼の目が大きく見開かれ、まじまじと顔を凝視してきた。
(どうしたんだ? 何だか驚かれているように見えるけど)
ミナムが心の中で首を傾げていると、イヴァンはその場を立ち、こちらへ近づいてきた。
「やはり似ている。まさか……」
一言つぶやき、イヴァンは口元に手を当てて思案する。
と、急に彼は満面の笑みを浮かべた。
「ハッハッハッ……そういうことか。ナウム、俺に取られると思って言わなかったな? 知っていたら、お前の部下にするのを認めなかったぞ」
話が見えず、ミナムは彼らを交互に見る。
ナウムは何も言わず、目を弧にして微笑を作るのみ。それがイヴァンに対しての答えだった。
ひとしきり笑ってから、イヴァンは手を叩いた。
「おいナウム、エレーナを呼んで来い。今すぐにだ」
命を受けてナウムは「はい」と手短に答えると、踵を返して部屋を出て行く。
王と二人きりになり、ミナムの息苦しさが一気に増した。
こちらから話しかける訳にはいかず、ミナムは無遠慮に投げかけられるイヴァンの視線を受け止め続ける。
「お前の名は、ミナムか?」
「……は、はい」
なぜか親しみのこもった声でイヴァンに話しかけられ、ミナムは戸惑いを隠せず、声を震わせてで返事をする。
フッとイヴァンの眼光が和らぎ、薄い微笑みを浮かべた。
「そうか……女の身で苦労も多かっただろう、よく今まで生きていてくれた。お前に会えて嬉しいぞ」
さっきのやり取りで、ナウムがこちらの詳細を王に隠していたのだと察しはついている。
それなのに、どうして自分の名も、女であることも知っているんだ?
動揺が収まらず、我知らずにミナムの瞬きが増える。
廊下から、二つの足音が聞こえてくる。
一つはナウムのものだと分かるが、もう一つはとても体の軽そうな、女性と思しき足音だ。
部屋の前で足音が止まると、ナウムが「失礼します」と言って中へ入ってくる。
二人の気配が近づいてくるのを、ミナムが背中で感じ取っていると、イヴァンが顎をしゃくり、後ろへ向くように促してきた。
ミナムが振り返ると、ナウムの隣に淡い黄色のドレスを着た女性が立っていた。
甘栗色の長い髪をした彼女は、ナウムと同じ暗紅の瞳を潤ませている。
――昔の面影を残した、美しい顔だった。
「まさか……イザーミィ、姉さん?」
恐る恐るミナムが尋ねると、彼女は大きく頷き、ミナムに抱きついてきた。
「ミナム、生きていたのね! こんなに大きくなって……良かった」
森の陽だまりにも似た温かく優しい香りが、ミナムの鼻をくすぐる。
美しかった漆黒の瞳と髪はなくとも、忘れもしない姉の香りだ。
匂いだけは昔と変わらない。
けれど、今は少しだけミナムのほうが背は高かった。
時の流れを感じながら、ミナムは姉の背に腕を回す。
確かな温もりと彼女の息遣いが、これが夢ではないのだと教えてくれた。
目頭が熱くなり、ミナムは思わず一粒の涙をこぼす。
話したいことも聞きたいこともたくさんあるはずなのに、言葉が出てこない。
体を離して互いに見つめ合っていると、背後からイヴァンの声が飛んできた。
「良かったな、エレーナ。積もる話もあるだろう、奥で心ゆくまで話せばいい」
どうして姉さんがエレーナと呼ばれているんだろう? しかも、すごく親しげな感じがする。
内心ミナムが困惑していると、イザーミィは「ありがとうございます」とイヴァンに答えた。
今にも溶けそうな、愛しげな眼差しを向けながら。
そして、少しはにかみながら教えてくれた。
「話せば長くなるんだけど……私、イヴァン様と結婚してるの」
イヴァン様と結婚――つまり、姉さんはバルディグの王妃?!
うっかり驚きで、ミナムの口が開きそうになる。
生きてイザーミィと会えただけでも夢のようなのに、王妃の肩書きがさらに現実味を奪ってしまう。
目の前の光景を信じた瞬間に目が覚めて、この夢が消えてしまうかもしれない。
現実を信じることが怖かった。
ただ、イザーミィの後ろで愉快げにこちらを見てくるナウムが視界に入り、かろうじて現実なのだと思うことができた。




