行き倒れの青年
日が沈み、水平線の際から間もなく茜色の輝きが消える頃。
ミナムはザガットの中心にある繁華街へと向かった。
数多の飲食の店が連なり、方々から零れた灯りに照らされた町と人々。夜の訪れに気づかぬほどの明かりと活気に溢れている。
その大通りの中でも造りが古く、壁に細かいヒビがある建物へとミナムは足を踏み入れた。
中は仕事終わりの人々でごった返し、空いている席が見当たらないほどの盛況ぶり。
これは困ったと見渡しながら思っていると、奥の席から手を振るロウジの姿を見つけた。
「おーい、こっちだ」
嬉しそうに笑うロウジのテーブルには、すでに料理が運ばれている。
空腹で待ち切れなかったのか……人のおごりだと思って、勝手なんだから。
心の中でぼやきながらミナムは席へつき、苦笑しながらロウジを見た。
「お待たせ、ロウジ。もしかして、かなり早く来てたのか?」
「う……ま、まあな。最初はカードゲームで順調に儲けてたんだけどな、いきなり親が連続で勝ち始めてなあ……いい手が来たと思って勝負に出たら、あり得ない手で負かされて……ああ、大損しちまったぜ。あそこ絶っっっっ対イカサマしてるぞ」
案の定、賭場へ行っていたらしい。そして毎度のごとく負けを嘆いている。数え切れないほど賭けで負けた言い訳を聞かされてきた身。右から左へと聞き流すことがミナムのクセになっている。
商売なんだから初めにいい思いをさせて、後からお金をまき上げるのは基本中の基本だ。賭け事に熱くなって引き際を見誤ったほうが悪い。
そう心の中で思いながら、ミナムは「大変だったね」と棒読みで返す。こちらの本心を読み取ってか、ロウジは口を尖らせてミナムを睨んだ。
「心がこもってねーよ、心が」
「あはは……ゴメン、気にしないで。これがお望みの薬だけど、この量で足りる?」
ミナムが腰に着けていた革のポーチから小瓶をふたつ手渡すと、ロウジは大きな手で受け取って破顔する。
「ありがとな、十分だ。むしろこれでも多いぐらいかもな……今、北方は騒がしいからなあ。長くいるつもりはねぇ」
騒がしい?
鼓動がせわしなくなり、ミナムの感情が表へ出そうになる。しかし敢えて平静を装い、目の前の料理を小皿に取りながらロウジへ尋ねてみた。
「騒がしいって、何が起きているの?」
「最近バルディグって国が、あちこちに戦争を吹っかけているんだ。一時期国が荒れたせいで領土が奪われちまったから、それを取り返そうと躍起になってるってところだろうな」
求めていた情報ではないが、もし北地に姉たちがいたとしたら大丈夫だろうか? 戦渦に巻き込まれていないだろうか? と、ミナムの脳裏に不安がよぎる。
胸の表面をヤスリで削られたようなヒリヒリとした傷みを覚えながら、ミナムは平静を装い「大変だね」と話を流す。
「そんな時に北へ行くんだ。物好きだな」
「今の時期でないと食えねぇ珍味があるんだ。ワシは食い物のためなら命をかける!」
相変わらず自分の欲に正直な人だ。そんな彼が羨ましくもある。
拳を握って力説するロウジに苦笑してから、ミナムは新たに小瓶をひとつ手渡した。
「ちゃんと無事に顔を見せて、また冒険の話を聞かせてよ。傷薬、おまけしてつけるから」
大切な商売相手でもあり情報源。彼に何かあったら困る。心の底からミナムはロウジの無事を願う。
こちらの思惑に気づいた様子もなく、ロウジは上機嫌に歯を見せて「ありがとさん」と笑った。
食事を終えた後、ふたりは通りを並び歩きながら、ミナムの店へ向かう。
「いやー悪ぃな。メシをおごってもらった上に、一晩泊めてくれるなんて」
「だって賭けに負けまくったから、少しでも旅の資金を節約したいだろ? 旅立つ前から使い過ぎなんだから……賭けをするなとは言わないけれど、もう少し使う配分を考えたほうがいいよ」
「だってなあ、勝てそうだと思ったら攻めたくなるだろ? 男だったら逃げるヤツほど追い駆けたくなるっていうこの気持ち、分かるだろ?」
「俺は来るものを選んで、去るものは追わない主義だから」
「クッ……若くて近所のおねーさま方にモテてる、色男な薬師様に聞いた俺がバカだった――」
気軽なやり取りをしながら、闇が色濃い小路に入って進んでいく。
大通りの明かりが届かない代わりに、半月の光がミナムたちの帰路を照らす中。
「あれ? なんか道に横たわってないか?」
ロウジが指差した先へ、ミナムは視線を合わせる。
道を塞ぐように倒れた人影。
薄暗い中でも分かる、大きな体躯に広い背中。男性だということは明らかだ。その足元には彼の荷物と思しき革袋が横たわっている。
「誰か倒れている……大変だ!」
ミナムは即座に駆け寄り――彼の頭がはっきりと見えた瞬間、その場に立ち尽くす。
腰まで伸びた銀髪に、すり傷だらけの白い肌。
紛れもない北方の人間だった。
見たところ二十四、五歳くらいの青年。
八年前に兵士となって村を襲ったとは考えられない。しかし頭で理解できても、ミナムの胸奥からこみ上げてくる憤りは止まらない。
ミナムは腰に挿していた護身用の短剣を手にしながら近づき、表情なく男を見下ろす。
ぽん、と。追いついてきたロウジに肩を叩かれた。
「どうした、ミナム。もうくたばってんのか?」
「い、いや……」
ミナムは我に返ると、しゃがんで男の手首をつかむ――ゆっくりだが生きようとする力強い脈がある。
頭から順に男を見ていくと、男の左袖が血に塗れていることに気づく。かなり時間が経っているのか、乾いて赤黒くなっていた。
放っておけば間違いなく彼は死ぬ。
男の中にある命の灯火が儚く消えかかっている様を見ても、ミナムの胸は心配よりもほの暗く凍てついた塊が大きくなる。
俺だって北方の人間に村を荒らされた挙句、多くの仲間を殺された。
彼を助ける義理なんてない。
八年経った今も、これからも。自分は彼らを恨み続けるだろう。
それに、本来なら自分は人を癒すべき者ではない。
むしろ久遠の花を守るために、人を傷つける者だ。助けたくなんか――。
ミナムがそう思った矢先、
『貴女が人を傷つける姿なんて、見たくないわ』
ふと幼い頃、「私、守り葉になる」と決意を口にした時、姉に言われたことを思い出す。
見殺しにするのは簡単だ。
でも彼を放置すれば、姉との繋がりを完全に断ち切ってしまう気がした。
もしかすると彼から何か話を聞けるかもしれない。助ける意味はある。
そう己に言い聞かせ、ミナムは胸に浮かんでしまった凍てついた殺気を溶かしていく。
理性が戻ったところでロウジを見上げた。
「まだ息がある。俺の家へ連れて行くから、手伝ってくれないか?」
「よっしゃ、任せておきな」
ロウジは、ぺっ、ぺっ、と手に唾を付け、一気に男を担ぎ上げた。傷に響いたのか、男は眉間に皺を寄せてうなる。
露になったのは、鼻筋の通った凛々しい顔の青年だった。
険しく気むずかしそうな顔つきをしている。まだ話もしていないのに無愛想な印象を受ける。口も堅そうだ。
月明りに晒された彼の胸は、剣で斬られたと思しき傷を刻み、服の破けた部分が赤く染まっている。漂ってきた血の匂いにミナムは顔をしかめ、腹を決める。
助けるからには、絶対にその命を取りこぼしはしない。
素早く青年の荷物を持ち上げると、ミナムは「急ごう」とロウジに目配せし、頷き合うのを合図に駆け出した。




