首飾りと共に
◇ ◇ ◇
「ミナム、ほとんど食事に手をつけていなかったが……どこか具合が悪いのか?」
屋敷で夕食が振る舞われた後、与えられた部屋へ戻ってすぐにレオニードが尋ねてきた。
「大丈夫だよ。ちょっと今日は疲れて、頭がボーッとするんだ」
咄嗟に答えつつ目を弧にして笑ってから、ミナムはベッドの縁へ腰かける。
心配そうにレオニードは目を細める。心配しながら、何かあるのではないかと探るような眼差し。
よく見ているだけでなく、彼は勘もいい。
狙いを悟られてはいけないと内心ミナムが緊張を覚えていると、レオニードがゆっくりと隣へ座った。
「君は無理をしやすいからな。明日は休んだほうがいい」
大きな手がミナムの頬へ添えられる。思わず上向けば、心配げなレオニードの眼差しが間近にあり、ミナムは自分の顔が熱くなるのを実感する。
「問題ない……って言いたいところだけど、少し甘えさせてもらおうかな。俺が潰れたら、他の人に心配かけちゃうしね」
「何かして欲しいことがあれば、遠慮なく俺やロウジに言ってくれ」
「うん、頼りにしてる――ロウジは遊びに行っちゃいそうな気がするけど」
城にいた時は自ら進んで手伝ってくれていたが、ここに来た時からロウジは「ちょっくら遊んでくる」と言って町へ出歩く機会が増えている。今も食事を終えて早々に出かけてしまっていた。
彼には彼のやりたいことがある。無理にこちらの都合を押し付ける訳にはいかないが――ミナムは小さく苦笑する。
「たぶん賭け事してるんだろうな。また負けても知らないんだから……ということで、レオニードに甘えっ切りになると思う。甘え方なんかとっくに忘れてるから、加減が分からなくなってるけど」
ふわぁ……と、ミナムは手を当てながらあくびをする。それから自分から背と首を伸ばし、レオニードへ軽く唇を重ねた。
わずかに顔を離して彼を見ると、温かな眼差しと視線がぶつかる。
頬へ添えていた手が、優しくミナムの髪を撫でた。
「……今、君に渡したい物があるんだ。少し待っていてくれ」
そう言いながら懐から何かを取り出す。
チャリ、と金属の音がしたと思えば、レオニードの手中から細い銀色の鎖と、透き通った水色の輝石が垂れ下がった。
「これは、首飾り? わざわざ俺のために買ってくれたの?」
首飾りなんて、子供の頃に姉が作ってくれた花飾りしか知らない。
こんなきれいな物、自分には縁のない物だとばかり思っていた。なんだか気恥ずかしいが素直に嬉しい。
ミナムが口元を綻ばせているとと、レオニードは微笑みながら頷いた。
「ああ。ヴェリシアでは生涯を共にする女性に、こうして男性が首飾りをつける風習があるんだ」
そんな特別な物だったのかと、ミナムは改めて首飾りの石を見る。
見ていると吸い込まれそうな、濁りのない水が湧き出す湖を思わせてくれる石だ。
ただ、初めて手にしたという感じがしない。不思議としっくりくる。
ミナムは小さく笑うと、視線を首飾りからレオニードへと移した。
「この石、貴方の瞳と同じ色だからすごく好きだな。ありがとう」
「気に入ってくれてよかった。その石は色によって意味が変わるんだ。緑なら優美、黄色なら無邪気といった具合に」
「じゃあ水色にはどんな意味があるの?」
何気なく尋ねてみると、レオニードは少し間を空けてから口を開いた。
「水色は、誇りだ」
「誇り?」
「ミナムは初めて会った時から、自分ができることを考え出そうとして、人に弱さを見せなかった。だから俺はずっと君のことを誇り高い人だと思っていたんだ。こうして見ても、やはり君にはその色が似合う」
思いもしなかったことを言われ、ミナムは目を丸くする。
この人の目には、そういう風に見えていたのか。
今まで仲間を求めて生き続けた道のりは、自分を偽って、強がって、ただ苦しくて寂しいだけの日々だと思っていたのに。
この石が、こんな自分を認めてくれる。どんな愛の言葉を囁かれるよりも嬉しかった。
水色の石を両手で握り締めた後、ミナムは首飾りを身に着け、レオニードの胸へ寄りかかった。
「本当にありがとう。大切にするよ」
レオニードには貰ってばかりだなと思った時、不意にミナムの脳裏へ浮かぶものがあった。
「ちょっと待ってて、俺も貴方に渡したい物があるから」
パッと彼からミナムは身を離し、部屋の隅に置いてあった荷袋の元へ駆け寄る。
そして中から目的の物を取り出すと、すぐにレオニードの元へと戻った。
「前から渡そうと思っていたんだ。受け取ってくれるかな?」
ミナムは持ってきた物をレオニードへ差し出す。
その手には、黒鞘に入った細身の短剣が握られていた。
「これは?」
「俺が護身用に持っている、猛毒が仕込まれた短剣だよ。かすり傷だけでも人を殺せる。素手で刃を触るだけでも激痛が走るから、扱う時は慎重にね」
こんな物騒な物、恋人に贈るような物ではない。
レオニードもそう感じているのだろう、彼の戸惑いが伝わってくる。
かすかに吹き出すと、ミナムは軽く肩をすくめた。
「レオニードはヴェリシアの兵士だから、このまま戦いが続けばいつかは戦場に行く。そうなれば俺はただ貴方の無事を祈りながら、待つことしかできない。だから――」
ミナムは眼差しを強め、レオニードの目を真っ直ぐに見つめた。
「綺麗事は言わない。これを使ってでも生きて欲しい」
もう大切な人を失うのは耐えられない。
こちらの思いを汲み取ってくれるように、レオニードは短剣を受け取ってくれた。
「分かった。何があっても必ず生き抜いて、ミナムの元へ戻ってみせる」
レオニードは空いた手をミナムの頬へ添わせ、顔を近づけた。
「約束する、君を一人にはしない」
思わず表情が崩れそうになり、ミナムは顔に力を入れて堪える。
嬉しくて仕方が無いのに、今の自分にはその言葉が辛い。
何も言えずにいると、レオニードから唇を重ねられる。
ずっとこのまま時が止まってくれればいいのに。
そんなあり得ないことを望みながら、ミナムはレオニードの首に腕を回し、より深く口づけを交わす。
と、急にレオニードが顔を上げ、頭を振った。
「どうしたの?」
「いや、少し目眩がして……」
「貴方もずっと休んでいないからね。いま滋養の薬を渡すから、少しここで横になって」
即座に返事をしようとしたレオニードの口は、わずかに開いただけで動きが止まる。
眉間に皺を寄せて苦しげに唸ると、彼はミナムから離れた。
「……すまない、そうさせてもらう」
「うん。眠かったらそのまま寝てもいいから。しっかり休んで、明日には元気な顔を見せて欲しいな」
ミナムが精いっぱいの笑顔を浮かべると、レオニードも苦しげながらも微笑を返す。
そして薬を取りにもう一度荷袋の元へ行き、ミナムは探すフリをしてレオニードの様子をうかがう。
すぐレオニードは体をふらつかせながら横になり、ぐったりとベッドへ沈む。
微動だにしなくなったのを見て、ミナムは足音を忍ばせて彼へ近づく。静かな寝息が聞こえてきて、力なく笑った。
薬がよく効いている――あくびを隠す際、眠り薬を唇に塗り、口づけに乗せてレオニードへ仕込んだ。
ゆっくりとベッドの縁へ腰かけると、ミナムはレオニードの頬に触れて起きないことを確かめる。
まったく反応しない彼を見下ろしている内に、ジワジワと胸奥から鈍痛が滲んだ。
「ごめん、レオニード。俺はバルデイグへ行くよ。姉さんと、仲間と会うために」
ささやかな声でぽつりと決意を溢す。
ここへ戻るまでの間、ずっと迷い続けていた。
嫌な思いをしながらも姉に会いに行くのか、このままレオニードの元へ残るか。
恐らくナウムのことだ、ただ姉と会わせるだけでは済まないだろう。
少しでも隙を見せれば、自分のものにしようと手を回してくるはず。そう思うだけで胸奥のむかつきが治まらない。
あんなヤツを頼りたくない。
けれど、今まで自分が追い求めていたものに決着を付けたかった。
それに毒をこのまま放置する訳にはいかない。
一族の者しか治せぬ毒の被害を広げたくないのはもちろんのこと、巡り巡ってレオニードを追い詰める元は断ちたかった。
もし仲間が脅されて作らされているなら、どんな手を使ってでも助け出す。
自ら進んで作っているならば、その時は――。
ミナムは立ち上がると、隅の荷袋を持とうとする。
腰を屈めた瞬間、水色の石がぶらりと垂れ下がった。
(レオニードと会えなくなっても、この石があれば耐えられる)
彼の瞳と同じ色の石。
見ているだけで、レオニードに見守られているような気がした。
(ここを離れても、俺の心は貴方と共に――)
ミナムは首飾りを服の下に潜り込ませると、荷袋を持ち上げて部屋を出た。




