渡された紙
◇ ◇ ◇
「ミナム、今日はやけに機嫌がいいな」
薬の材料を買うために三人で町の市場へ向かっている最中、ミナムの横顔をまじまじと見ながらロウジが話しかけてきた。
小首を傾げながら、ミナムはロウジを横目で見る。
「いつも通りにしてるんだけど、そんなに機嫌よさそうに見える?」
「だってなあ……今朝からずっと顔が緩んでるし、薬を作ってる最中に何度も一人で笑ってるし。そりゃあもう幸せそうっていうか、満たされているっていうか」
思い当たる節がありすぎて、ミナムは息を詰まらせる。
まさかレオニードから離れるために本音を話したら、結ばれることになるとは思いもしなかった。
毒の問題が解決された訳ではないのに胸が軽く感じるのは、もう一人で重荷を抱えなくてもいいのだと確信を持てるからだろう。
彼は何があっても逃げずに支えてくれる。
ずっと孤独の中で、震えながら不安と戦わなくてもいい――こんな偽りまみれの人間に、そんな相手ができたことが嬉しくて仕方がない。
「ハハ、まあね。ちょっと良いことがあったから」
笑いながら隣を歩くレオニードへ視線を流せば、あからさまに体が強張り、動揺が溢れ出す。
吹き出しそうになるのを堪えていると、ミナムとレオニードを交互に見ながらロウジが愉快げに目を細めた。
「案外、誰かさんと噂通りになったから喜んでたりして」
内心、ご名答と呟いてからミナムは苦笑した。
「そんな訳ないだろ。レオニードに褒めてもらえたってだけだから」
「ふーん……まあ、そういうことにしておいてやる」
ニヤニヤしながらロウジは大股で歩き、ミナムとレオニードの前に出た。
「じゃあワシはちょっくら珍味を探してくるから、二人の時間を楽しんでこいよ」
言うなり踵を返し、ロウジはむっくらむっくらと歩き出し、小路に入って姿を消してしまった。
残されたミナムはレオニードと顔を合わせ、頬を引きつらせながら苦笑する。
「俺たちのこと、気づいていそうだね。お城に戻ったら、また侍女のみなさんにあれこれ話しそうだなあ」
「……見世物にされるのは嫌なのだが……」
「もう噂は広がってるみたいだし、ロウジが言わなくても勝手にあれこれ言われるよ。諦めるしかないね」
困惑の色を見せるレオニードの顔を覗き込みながら、ミナムは悪戯めいた笑みを唇へ浮かべる。
「俺は気にしないけどね。そのほうがレオニードに近づく子が現れにくいだろうし」
「いや、それは心配しなくても大丈夫だ。話しかけようとすると、よく怖がられていたから」
表情はそのままにレオニードは首を横に振る。
その様子を見てはいないが、本当に怖がっていた子もいれば、緊張して口をつぐんでいた子もいたんじゃないかとミナムは考える。
城内にいた時、侍女たちの中で何人かはレオニードを熱っぽい目で見ていた者がいた。
ただ本人が気づいていないだけ――罪作りだな、と思いながらミナムはレオニードの手に触れる。
「せっかくだから、ロウジの言葉に甘えさせてもらうよ。駄目かな?」
「……ミナムが構わないなら」
ギュッ、と。レオニードの指がミナムの手を捕らえ、しっかりと握ってくる。
城下街ではどちらも顔が知られ、騒がれてしまうだろうが、中心地から離れた町ならば噂は立ちにくいだろう。そう考えての甘えだった。
伝わってくる手の温もりが、昨晩のやり取りが現実だったことを断言してくれる。
それが嬉しくて、ミナムは口元を綻ばせながら市場へと向かった。
町の中央にはヴェリシアの英雄と思しき銅像が立ち、それを取り囲むように建物や露店が並んでいた。
一度、店の品揃えや質を確かめるために市場を回った後、ミナムは気になった露店へ足を運んで吟味する。
決して大きくはない町。薬草の専門店はなく、野菜を扱う露店の隅に近場で採れると思しき薬草が並べられていた。
その中で珍しい薬草が紛れており、ミナムは身を乗り出して物色する。
「どうしようかな……傷薬の材料、買い足しておこうかな?」
呟きながら買うものを迷った後、ミナムは欲しいものを指差して店主に取ってもらう。少し痩せ気味の女性だった。
小さく笑いながら「ありがとうございます」と紙袋に入れた薬草をレオニードへ渡しながら、女性はおもむろに銅像を挟んで向かい側に並ぶ店々を指し示す。
「よければあっちの店にも寄って下さいな。私の身内がやってるの。この紙を見せたらいくらかまけてくれるから」
そう言ってミナムに手の平ほどに折り畳んだ紙を渡してくる。近くで戦いが起きているせいで、町の外から人が来にくい状況。明らかに町の人間とは違うミナムたちを促し、金を落としてもらおうとしているのがよく分かる。
薄く微笑みながら「せっかくだから行ってみます」と受け取った瞬間、端に小さく書かれた文字に目が向かう。
一瞬、ミナムの息が、思考が止まる。
「ミナム?」
レオニードに声をかけられ、ミナムは我に返る。
「……なんでもないよ。何が書いてあるのかな、これ?」
平然としながら小さな文字をレオニードに見られないよう、素早く紙を広げて中を広げれば、そこには店の簡単な絵と紹介が手書きで書かれていた。
「ふーん、衣料品店か。ちょっと寄っていくから、レオニードは外で待っていてくれないか?」
「いや、俺も一緒に行く。今は君を一人にできない――」
「ごめん、言いたいことは分かるけれど……さすがに下着を買うところを見られるのはちょっと……」
わざとミナムが照れた様子で口元を紙で隠せばば、すぐに動揺でレオニードの目が泳ぎ出す。
さらに念を押すように、ミナムはレオニードへ身を寄せて顔を覗き込み、そっと囁く。
「それとも選んでくれる? どんなものが好みか、興味あるな」
「す、す、すまない。俺は別の買い物をしてくるから、ゆっくり選んで欲しい」
瞬く間に耳まで赤くなったレオニードが羞恥で顔をしかめる。それからゴホンと咳払いして気を取り直すと、表情を引き締めてミナムを見つめた。
「いくら昼間で町中にいるとはいえ、くれぐれも気を抜かず用心してくれ」
「分かってる。いつでも毒を使う準備は出来ているから」
少し面食らったようにレオニードは目を丸くしてから、大きく息をついた。
「そんな物騒な物を常に持つのはどうかと思うが……万が一の時は、躊躇せずに使ってくれ」
「もちろん。今までそうやって生きてきたからね」
ミナムは片目を閉じてから「じゃあ行ってくるよ」と、レオニードへ手を振りながら離れていく。
衣料店の前まで行くと、ミナムは足を止めてレオニードを伺う。
ずっとこちらへ視線を送っていたが、どの店に入るかを確認して安堵したらしく、彼も目的の店へと向かって行くのが見えた。
その背を視界に入れた時、ミナムはグッと胸元を掴んだ。
(……ごめん、レオニード)
一瞬だけ顔をしかめた後、ミナムは一切の表情を消す。そして衣料店を通り過ぎ、隣にある衣料品店へと入った。
表は人の往来があり賑やかなのに、物に溢れた店内は薄暗く、誰もいないのではないかと思ってしまうほど人の気配を感じられなかった。
ミナムが辺りを見渡しながら奥へと進んでいくと――。
「いらっしゃい、黒髪の御仁」
横からしゃがれた声が聞こえて、ミナムは咄嗟に振り向く。
そこには小柄で皺だらけの老人が、商売道具に埋もれるようにして椅子に腰かけていた。
「あちらの部屋へどうぞ。お待ちの方はもう来ておるよ」
老人が店の一番奥にある扉を指さす。
指されたほうを一睨みしてから、ミナムは無言で会釈してから扉まで進み、錆だらけのノブを回した。
ギギィ、と耳障りな音を立てながら扉を開く。
そこは倉庫と思しき小部屋だったが、在庫の品は見当たらない。代わりに部屋の中央に木の椅子が二脚と、ランプを置いた机があった。
椅子には一人の男が腰かけ、ゆっくりとくつろいで本を読んでいた。ミナムが入ってきたことに気づくと、男は本を閉じて顔を上げる。
暗紅色の瞳がランプの灯りに照らされ、妖しく光った。




