血の秘密
屋敷の侍女へ手短に事情を伝えると、彼女は応接間の近くにある来賓用の寝所へと案内してくれた。
パタン、と扉を閉じると、ミナムの姿を隠すようにレオニードが扉の前へ立つ。
細かい気遣いに感謝しつつ、ミナムは部屋の角にあった木の机へ向かい、腰のポーチから小瓶を取り出してコトリと机上に置いた。
深呼吸してどうにかミナムは心を落ち着かせると、レオニードへ視線を流した。
「念を押して言うけれど、今から見ることは、絶対に喋らないで欲しい」
「分かっている。たとえマクシム陛下に尋ねられたとしても口には出さない。約束する」
一瞬の躊躇も見せず、レオニードが言い切ってくれる。
これだけ実直な人だからこそ、彼の言葉を疑わなくてもいい。
自然とミナムの顔に薄い笑みが浮かんだ。
「うん、信じているよ。だから俺がこれからすることも、信じて見ていて欲しい」
無言でレオニードが重々しく頷くのを確かめてから、ミナムは小瓶へ視線を戻して栓を開ける。
懐にしまっていたケガの処置に使う小さなナイフを取り出すと、右の人差し指の先に刃をあてる。
ひんやりとした金属の冷たさが指先に広がる。
胸の動悸に合わせて、指先まで脈打っているのが分かった。
ミナムは息を止め――指先に一線、赤い筋を作る。
鋭い痛みとともに熱が指先へ湧き上がり、さらに親指で押して雫を作っていく。それを二滴、三滴と小瓶の中へ落としていった。
レオニードから息を詰める音が聞こえてきた。
「君の血が材料になるとは……」
血を押し出すのを止めると、ミナムは再び小瓶に栓をし、軽く上下に振った。
「俺たち一族の血は薬に混ぜれば万能薬にもなるし、毒に混ぜれば自然にある材料では癒せない厄介な毒にもなる。これを悪用されないために、ずっと一族は血の秘密を守ってきたんだ」
自分たち守り葉が守るべきものは、久遠の花だけではない。
一族の知識と技術、己の中に流れる血。そして――。
ミナムは睫毛を伏せると、長息を吐き出した。
「将軍が受けた毒には一族の血が使われている。だから俺の血でなければ相殺できない」
「つまり、毒を作っているのは――」
「……そう。間違いなく俺の仲間が、バルディグの毒を作っているんだ」
こんな形で仲間の生存を確かめたくはなかった。
レオニードの命を奪いかけ、国を苦しめる毒が仲間の手で作られたと思うだけで、頭には怒りが巡り、胸は慟哭で張り裂けそうになる。
かろうじて残っている理性のおかげで、見苦しく取り乱すことは抑えられていた。
事態は一刻を争う。動揺して遅れる訳にはいかない。
ミナムは唇を噛み締めて心の揺れを抑え込むと、レオニードへ血が滲む指を差し出す。
「この血だけなら毒にも薬にもならないけど、舐めてみる? 少し味は違うかもしれないけど、これだけなら害はないから」
戸惑いながらレオニードはミナムの手を取り、指先にその血をつける。
そして口に運んでその血を含み、ぎこちない動きで頷いた。
「……確認、させてもらった。ではこれを――」
「悪いけど、レオニードだけで解毒剤を届けてくれるかな? ……しばらく一人にして欲しい」
レオニードを見上げると、同情とも哀れみとも取れる眼差しでこちらを見つめている。
言葉を紡ごうとする口の動きに気づき、ミナムは小首を振り、目に力を入れた。
彼のことだから、きっと慰めの言葉が出てくるだろう。
ただ、今はその慰めを言われるだけ、自分が許せなくなる。
こちらの思いが伝わったらしく、レオニードは「分かった。届けてくる」と言って後ろへ下がり、部屋から出ていった。
扉が閉まる間際まで、ミナムを心配そうな目で見つめながら。
レオニードが離れていく足音を聞きながら、ミナムは天井を仰ぐ。
(仲間がいると分かった以上、バルディグへ行くしかない……毒作りを止めないと……)
バルディグは奪われた領土を取り戻すため、各国に戦いを挑んでいる最中。毒の被害はヴェリシア以外の国にも及んでいるのは確実だ。
これ以上、一族の毒を使わせる訳にはいかない。
己が取るべき行動は決まっているのに、ここへしがみつきたがる自分がいた。
温かなこの場所から離れたくない。
彼の隣から離れたくない――。
(……なんて勝手なんだ、俺は。このまま動かなければ、レオニードが心を痛め続けることになるのに。戦場に出れば、また毒にやられるかもしれないのに)
気がつくとミナムの拳は固く握られ、ナイフで切った指先から全身へ痛みが広がっていた。
この痛みが、自分に与えられている役目を突きつけてくる。
まだ仲間が生き残っている以上、守り葉としての役目を果たさなければいけない。
たとえ自分の身を犠牲にしてでも。
手にしたものをすべて失うことになったとしても――。




