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信じたい人

   ◇ ◇ ◇


 準備ができたその日の内に城を出立し、用意された馬車で三人は目的の町へと向かった。


 馬に余力がある内に町中の兵舎で新しい馬と交代させ、少しでも空に日の気配があれば先へ進み――通常は四日の行程を、三日に縮めることができた。


 町に着いてすぐにフェリクス将軍が運ばれたという貴族の屋敷へ行けば、通された応接間には先に駆け付けた王宮の薬師二人が作業をしていた。


 最年長の老薬師と、彼よりは若めな強面の中年薬師。

 おそらく城の中でも練達した者たち。そんな彼らでもフェリクス将軍の解毒がままならず、悔しい思いをしているのだろう。ミナムたちが扉を開いても沈鬱な面持ちで薬の調合を続けたままだった。


「今、お話しても大丈夫ですか?」


 ミナムが声をかけると、ようやく二人は顔を向けてくれる。どちらも目下に濃いクマを作っており、頬もひどくやつれていた。


「おお、ミナム殿……わざわざここまで来て下さるとは……」


 心なしか老薬師の目が潤む。救いを求めている気配を察して、ミナムは大きく頷いてみせる。


「事情は聞いております。もしかしたら私が治せる毒かもしれません」


「なんと!……ミナム殿はヴェリシアの人間ではない。我らが知らぬ毒を知っていてもおかしくない」


 中年の薬師の瞳にも光が差す。老薬師と顔を合わせて頷き合うと、おもむろに作業台と化していた白塗りのテーブルを指差した。


「そこにフェリクス将軍を射た毒矢がある。どうも今までの毒と同じようなのじゃが、新たな材料を加えているようで、それが何か分からず……」


 老薬師の声を聞きながらミナムはテーブルに置かれた矢を見る。

 随分と短い矢だ。人の肘から指先ほどの長さで、矢尻に着いた血が乾き、黒々としている。


 テーブルへ歩み寄り、ミナムは慎重に矢を両手で持つと矢尻に鼻を近づけた。

 血の匂いに混じり、まったりとした甘い花の香りのようなもの――レオニードがやられた毒と同じ臭いがする。


(おかしいな。これなら今ある解毒剤で間に合うハズなのに……)


 首を傾げながら、ミナムは血がついていない矢尻に指先をつける。


 その指を、小さく出した舌で舐めてみた。

 みなが一様に目を剥き、驚きの表情を浮かべた。


「ミナム、大丈夫なのか?! そんなものを舐めたら君が!」


 顔から血の気が引いたレオニードへ、ミナムは微笑で頷く。


「大丈夫。俺は毒がほぼ効かない体だから。こうでもしないと材料が分からない――」


 話している最中にミナムの舌先へほのかな苦味と、ピリピリした痺れが広がる。


 口の奥に届くのは、わずかながら清涼感のある草の香りと、熟れすぎた果実のような甘酸っぱい香り。


 そして、さらにか細く漂ってきたのは、生臭さを感じさせない血の味。

 とても馴染みがある――今、一番あって欲しくない味だった。


 ミナムは鈍い動きで一同を見回す。

 自分でも顔から血の気が引いていくのを感じる。


 寒気がするのに、胸の奥は叫び出したいほど熱くなっていた。


「……これなら、すぐに解毒剤を作れます」


 藥師たちが「おお!」と声を上げ、表情を明るくする。


「一体どんな薬草が必要なのかね? すぐに用意しよう」


 淡々と、しかし込み上げてくる期待を抑えられない様子で、老藥師が上ずった声で申し出てくる。


 ミナムは小さく首を振った。


「その必要はありません。もう私の手元にありますから」


「なんと! ミナム殿には助けられてばかりだ。一体どんな物を使うのだ?」


 老藥師の質問に、ミナムは再び首を振る。


「すみません……それをお教えすることはできません」


「どういうことかね? よければ説明してくれぬか?」


「これは私の一族――ある藥師の一族だけが扱える物なのです。悪用されぬよう、子々孫々と守られてきた一族の秘密……それを教える訳にはいきません」


 彼らが知りたいと思う気持ちはよく分かる。

 ただ、これだけは人に知られる訳にはいかない。


 譲れない、という思いを込めて、ミナムは老藥師を見据える。

 老藥師は眉間に皺を寄せつつ、こちらの視線を受け止める。


「……つまりそれは、我々を信じることはできぬということか」


「失礼ですが、その通りです。お互いにまだ知らないところが多すぎますから」


「そう言われるなら、我々もミナム殿を信じ切ることができぬ。実は貴方がバルディグの密偵で、フェリクス様にとどめを刺そうとする可能性も考えられる」


 相手を疑うということは、自分も疑われるということ。

 頭では分かってはいたが、実際に目の当たりにすると言葉に詰まってしまう。


 どう話を持っていけば良いだろうかと、ミナムが考えていると――。


「ミナム、俺のことは信用できないのか?」


 背後からのレオニードの声に、ミナムは目を丸くする。

 確かにヴェリシアの人間の中で、彼がどんな人なのかは一番よく分かっている。


 自分が知る中で、数少ない信じられる人。

 信じたいと思わせてくれる人。

 

 けれど知られたくない。

 これ以上こちらの都合に巻き込んで、レオニードを振り回したくない。


 薬師の誰かを選ぶか、レオニードを選ぶか。

 頭の中が目まぐるしく動き、胸中の天秤も大きく揺れ動く。


 考えて、考えて――ミナムは、藥師たちに向き直った。


「私はレオニードのことを信じています。みなさんも信じていらっしゃるなら、彼に解毒剤の調合に立ち会って監視してもらった後、できたものを毒見してもらう、というのはいかがですか?」


 二人の藥師も一瞬だけ面食らったような顔をしたが、すぐに表情を険しくさせる。


「レオニードのことは我々も信じているが、彼は専門の知識を持っていない。入れられた物が分からなければ意味はない」


 中年の薬師が眉間にシワを刻みながら話を返す。滲み出る不安を拭えるよう、ミナムは彼の目を見据えながら短く頷いた。


「私が作ろうとしているのは、今ここで作られている解毒剤に、ある物をひとつ加えれば作れます。それが無毒かどうかもレオニードに舐めてもらいますから、専門の知識を持たなくても判断できます。後は彼が私を信じてくれるかどうか――」」


「信じている。この命も、仲間たちの命も救ってもらった。今さら何を疑うというのか……ミナム、どうか解毒剤を作って欲しい」


 眼差しを強め、レオニードが自ら進んで意思を示してくれる。迷わず言い切ってくれる彼が頼もしく、こんな事態でもミナムの胸奥が甘くざわついて落ち着かなくなる。


 低く唸ってから藥師たちはまばらに頷き、ミナムと目を合わせてきた。


「分かった、条件を呑ませて頂く。悔しいかな、我々では即座に有効な解毒剤を作ることができぬ。今は貴方だけが頼り……気を悪くするようなことを言って申し訳なかった」


 老薬師の顔が申し訳なさげに歪んだのを見て、ミナムは表情を和らげる。


「いえ、私の方こそ失礼なことを言って申し訳ありませんでした。これから作業に入りますので、少しお待ちになって下さい」


 そう言いながら、ミナムはレオニードの元へ寄る。

 小声で「申し出てくれてありがとう」と伝えると、彼はフッと目から力を抜き、「ああ」と答えてくれた。


 話がまとまるのを見計らったように、成り行きを見守っていたロウジがミナムの肩を叩く。


「じゃあワシはここで、じーさんとおっさんの相手してるな。根詰め過ぎて余裕なさそうだし、愚痴でも聞きながら解毒剤の完成を待ってるぞ」


 彼らを疑う訳ではないが、解毒剤を作る際、万が一にも覗き見られては困る。

 詳しい事情を知らなくとも、空気を察して確実に薬師たちをここへ待たせようとしてくれるロウジが、ミナムにはありがたかった。


 それに、できれば秘密を知る人間を増やしたくない。

 わざわざここまで付き合ってくれたというのに、ロウジは見ないで欲しいと伝えるのは気が引ける。自分から見ない側に回ってくれて、ミナムは密かに胸を撫で下ろす。


「うん、そうしてくれると助かる。じゃあ屋敷の人にお願いして、部屋を用意してもらうよ。行こう、レオニード」


 目配せすると、レオニードが即座に頷いてくれる。


 それぞれに踵を返す最中、ミナムは己の中に積もった重たい空気を吐き出す。

 表向きは普段通りを演じているが、胸奥は動揺が治まらず、呑み込む唾すら重たくて喉が苦しくてたまらなかった。


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