抑えられぬ渇望
◆ ◆ ◆
鉛色の雲の向こうから、一羽の鳩が飛んでくる。
まだ敷地に残雪を残した屋敷をぐるりと旋回し、鳩は二階の窓をくちばしで叩く。
窓が開くと鳩は怯えずに中へ入り、主である男の腕へ止まった。
白く骨ばった指から褒美の木の実を与えられ、鳩は喜んで頬張る。その間に足へくくられていた紙が、男の手で外された。
男は腕を動かして鳩を窓際に移し、手紙に目を通す。
遠雷に照らされ、暗紅の瞳が光った。
「ナウム、手紙の中身はなんだ?」
覇気のある声に呼ばれ、ナウムは振り返る。
いつもはナウムがくつろぐソファーに、黒の軍服を着た青年が居座っていた。
背中まで伸ばした赤金の髪を波打たせ、群青の瞳は何者も恐れない不敵な色が宿っている。眼光は鋭く、大きく力強い鷲鼻が彼の威圧感を際立たせる。まだ歳は三十に入ったばかりだが、すでにバルディグの王としての貫禄は十分だった。
少し気圧されながらナウムは口を開いた。
「密偵からですよ、イヴァン様。先ほどお伝えした守り葉がヴェリシアに滞在してるそうです」
「ほう、こちらの手が届く所まで来たか」
イヴァンは骨張った顎をなで、口端を引き上げる。
「ずっと探していたアイツの仲間だ。どんな手を使ってでも、必ずここへ連れて来い」
受けて立つように、ナウムは微笑を返す。
「もちろんですとも。連れ帰った際には、是非この私めの部下にさせて頂きたく存じます」
「よかろう。他の褒美をつけることも約束してやる」
ソファーを一度大きく沈ませてから、イヴァンは立ち上がる。
たったそれだけで威圧感が増し、思わずナウムは跪いた。
「御意にございます」
「俺の期待を裏切るなよ。お前が部下を持ち、この屋敷に住まうことができるのは、お前が俺の期待に応え続けているからだ。くれぐれも忘れるな」
振り返らず、そのままイヴァンは部屋を出ていく。
王の気配が遠ざかってから、ナウムは立ち上がって舌打ちした。
(アンタには利用価値があるから、オレは従ってやってんだよ。そうでなきゃあ、とうの昔に裏切ってるところだ)
本当は声に出して感情のままに言ってしまいたかったが、ここが自分の邸宅であっても、どこで誰が聞いているか分からない。心の中で悪態をつき、ナウムは机に向かう。
「さて、密偵に指示を出しておかないとな」
ナウムは引き出しから紙を出すと、羽根ペンを調子よく走らせる。
イヴァンの言いなりになるのは面白くない。
しかし、これで欲しかった存在が手に入る。
この地で生きるようになって、ずっと夢見ていたこと。
ようやく念願が叶うのだと思うと、顔が緩みそうになってしまう。
だが気は抜けない。
自分の望みは、ミナムを完全に手元へ置くこと。
好かれなくとも構わない。嫌われようとも、憎まれようとも、隣にいてくれるならばどんな形でもいい。ミナムという存在が欲しくてたまらなかった。
そのためならば手段は選ばない。脅し、卑怯な手を使ってでも――。
熱くなり続ける渇望とは裏腹に、頭の片隅で冷え切った理性が、狂気じみた想いだとナウムは己に呆れる。
もしこの心を外に出して見ることができれば、さぞかし醜悪で強烈な吐き気を感じずにはいられない、直視することもできないような代物だろう。
あまりに浅ましい想いだとは自覚している。
だが、胸奥から湧き続けるドス黒く熱い欲が、狂うことのできない理性をあざ笑っている気がした。




