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男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す  作者: 天野 仰
一章 若き薬師と行き倒れの青年
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とある港町の若き薬師

 北からの寒風を遮るように、内陸から西の海側まで高い山々が連なるキリアン山脈。その恩恵を受けた西の港町ザガットは、春の訪れを報せる温かな日差しに照らされていた。


 蒼天をそのまま映したような海はきらめき、穏やかな波の音が常に町へ流れる。


 多くの船が出入りする海岸沿いの船着き場。様々な人種が入り交じり、活気に溢れる港の市場。その熱気は春先の肌寒さを跳ね返し、むしろ冬の冷たさが恋しくなるほどだった。


 そんな市場から白亜の建物が並んだ小路へ入った所に、ひっそりとその店は佇んでいた。


 商いの時間でも、いつも店先に主は不在だった。

 彼の者は奥の部屋で数多の薬草に囲まれながら、常に作業をしていた。


 仕入れたばかりの瑞々しい緑の葉をハサミで刻み、人の頭ほどの壺へ詰めていく。


 壺がいっぱいになれば、木蓋と重石を乗せ、部屋の隅に置いていく。ずっとこの作業を黙々と続けていた。


 部屋の中が数多の壺と、えぐみのある臭いに満ちていく。

 常人ならば顔をしかめる環境だが、店主は顔色一つ変えない。


 漆黒の柔らかな短髪は、作業する度にふわふわと揺れる。

 スッと横髪が流れ、店主は手をとめて髪を耳へかけ直す。


 端正な顔に汗が一筋流れる。あどけなさを残した顔。だが長い睫毛が伏せがちになると、ふわりと色香が漂った。


 カラン、コロン。店先から来客を告げるベルの音がする。

 店主は黒い瞳を扉に向け、立ち上がって店先へ出ようとした時――バンッ、と。先に来客のほうが元気よく作業部屋の扉を開けた。


「こんにちはー……うわ、臭っ。よくこんな所にいられるや」


 現れたのは褐色の髪をあちこちで跳ねさせた町の少年だった。よく親のおつかいでここに来る小さな常連。


 店主は口元をゆるめて笑いかけた。


「そんなに臭う? 年がら年中やってるから慣れちゃってさ。悪いね」


「スゲー、オレだったら絶っ対ムリ……あ、そうそう。母ちゃんがさ、頭が痛いから薬をくれって」


「分かったよ。ちょっと待ってて」


 店主は立ち上がり、後ろにある棚をジッと眺める。大小様々な壺を並べている中で、よく買われる薬は棚の上から三段目に置いてあった。


 青地の壺に手を入れると、予め取り分けて紙に包んであった痛み止めを取り出す。そして隣の緑地の壺にも手を伸ばした。


「お母さんは他にも寒気がするとか、熱っぽいとか言ってなかった?」


「んー……そういや、朝からずっと『寒い寒い』って言ってたや」


「きっと風邪だね。痛み止めの薬と一緒に体を温める薬も渡しておくよ。こっちは俺のおごりでいいから」


 軽く店主が片目を閉じ、二つの薬を手渡す。

 なぜか少年は頬を赤く染め、慌てて銅貨を一枚支払ってくれた。


「あ、ありがと、ミナム兄ちゃん!」


 力一杯に手を振ると、少年は来た時と同じように駆け足で店を出て行った。


「兄ちゃん……か。そう見えているようで何より」


 ミナムは小さく一笑すると、踵を返して棚を見る。

 在庫の確認をしながら、脳裏に今までの苦労がよぎっていく。


 一人になってから、もう八年も経過した。


 姉のイザーミィに痺れ針を打たれ、囮となるために立ち去られた後。ミナムは一族の誰かが逃げ延びたかもしれないという一縷の希望にすがり、山を降りて姉たちの行方を捜した。


 最初は女児というだけで襲われそうになったり、人買いにさらわれそうにもなった。


 守り葉だったおかげで身を守る術はいくらでもあったが、頻繁に相手をするのは面倒で、姉や一族の行方を探す時間が減るのは惜しかった。だから服の下に革の胸当てを着け、男のフリをするようになった。


 おかげで襲われる回数が減り、どうにか各地を渡り歩くことができた。

 ――回数が減っただけで、男でも構わないという輩が意外と多いという現実に辟易もしたが。


 様々な町に流れ、この港町ザガットに落ち着いたのは四年ほど前のこと。

 港町ということもあり、人も物も集まりやすい。一族の情報を集めつつ、幅広い地域の薬草も手に入れられる。ミナムには理想の町だった。


 薬師として生計を立てながら、少しでも気になる情報があれば、店を休んで現地へ向かう――そんな生活を続けているが、未だに一族の手がかりをつかめずにいる。


 肌の白さや顔立ちから、大陸の北方の兵士だったことは覚えている。

 しかし連れて行かれた場所が北とは限らない。別の大陸へ渡った可能性もある。


 視野を広げ、少しでも疑わしき情報を見落とすまいと心がけているが、その成果は未だに出ていなかった。


 目を閉じれば、ミナムの瞼に凛として気品のある、四つ違いの姉・イザーミィの姿が浮かんでくる。


 両親は仕事で里を離れることが多くて、姉が母親代わりとなって面倒を見てくれた。いつも優美で温かな笑みを浮かべて――。


 目の前で両親は殺されてしまった。

 だから姉のイザーミィが、ミナムにとって唯一の肉親。


 ミナムの胸奥に浅い痛みがじわりと滲む。


「……生きていればいいけれど」


 ここで思いを馳せたところで、どうにもならない。

 ミナムはため息を一つ吐き、気を取り直してから、改めて在庫の確認を進めた。


   ◇ ◇ ◇


 昼食を近くの食堂で済ませると、ミナムは入り組んだ小路を進み、古びた馴染みの店へと向かう。


 突き当りにある、字が消えた小さな看板がぶら下がった寂れた店。

 扉を開けばフワリと店内のにおいが漂ってくる。


 草の爽やかさや甘さ、鼻を刺す酸っぱさや苦み――色々と混ざり合って奇妙なにおい。普通の人間なら顔をしかめる内容だが、ミナムには馴染み深く、落ち着くにおいだった。


 少しだけ隠れ里の実家のにおいに似ていて、ミナムの胸奥が鈍く痛む。

 わずかに物憂げな息をつき、微笑で動揺を隠す。そうして平静を演じながら店の中に足を踏み入れた。


 店主は席を外しているらしく人の姿はなかった。

 薄暗い店内は四面を棚に囲まれ、所狭しと壺やビンが置かれている。透明なビンの中から、乾燥した葉や木の実がこちらを見ている気になってしまう。


 買うものは決まっているが、とても希少な掘り出し物が並ぶ時がある。ザガットには他にも薬草を扱う店はあるが、この店ほど幅広く扱っている店はなかった。


 ミナムが瞳をしきりに動かして棚を見回していると、


「よお、ミナム!」


 突然呼びかけられると同時に、バンッと背中を叩かれ、ミナムは思わず息を詰まらせる。


 そしていつの間にか隣に並んだ中背の男を横目で睨んだ。


「いきなり叩いてくるなよ。馬鹿力なんだから、もっと加減しろよロウジ」


「悪い悪い。姿が見えたからつい、な。次からは気を付けるから許してくれ」


 軽い調子で言いながら、ロウジがにっかり歯を見せて笑う。

 たくましい顎に満遍なく生えそろった不精髭。まくられた袖から見える太く硬そうな腕にも剛毛が茂っている。


 適当に縛った赤毛は、所々おくれ毛が飛び出して一見するとだらしなさそうな印象を受ける。ただ、丸くて艶やかな琥珀の瞳が妙な愛嬌をたたえており、不思議と不潔さを感じさせなかった。


 ロウジは背負っていた荷袋を降ろすと、大きく息をつきながら首を左右に曲げた。


「ちょうどいい所に来たな、ミナム。今からじーさんに品物を卸すところなんだよ。先に見るか?」


 じーさんと気軽に店主を呼べるほど、ロウジはこの店の常連だった。


 客ではなく、品物を買い取ってもらう側。彼は冒険者で、色々な地域へ行きながら現地の薬草や薬の材料を入手し、ザガットへ立ち寄るとこの店へ卸していた。


 連日のように出入りするミナムとは顔を合わせることが多く、気兼ねなく話せる仲。何より珍しい材料を買える上に情報通。ミナムにとってはありがたい存在だった。


「いいの? じゃあ頼むよ」


「へへ……さあさあ、俺の戦利品をとくと見てくれ」


 ロウジがどっかりとあぐらをかいて座り、持ってきた手荷物を床に広げてミナムに見せてくる。


 細っこい木の根や、乾燥しきってシワが寄った木の実――素人から見ればゴミとしか思えない物ばかり。しかし、ミナムにとっては使える物ばかりだった。


「……ふぅん。よく見つけてきたね」


 素っ気ない口ぶりとは裏腹に、ミナムの口端が引き上がる。

 出会った時から「俺、金欠で困ってんだよ」と泣きついてきたロウジに、珍重されて高値で取引される薬の材料の知識を教えたのはミナムだ。しっかりと覚え、こうして卸してくれるのだからありがたい。


 ミナムは一通り眺めて品定めをすると、にっこり笑いながら欲しいものを順に指さした。


「じゃあ……これとこれと、あと右端に並んだやつ。もちろんまけてくれるよね?」


「そりゃあお前さんだからなあ。銀貨五枚で――と言いたいところだが、今回はちょっくら物々交換させてくれねぇか? ワシは今度、北方へ冒険しに行くんだ。それで凍傷やしもやけ用の薬が欲しいんだよ」


 北方――。

 一瞬ミナムの目が鋭くなる。


 だが、すぐに緊張を解いて微笑を浮かべた。


「俺は構わないけど、それだと釣り合いが取れないな……薬を渡すついでに、夕飯をおごるよ。夕方にボラッタ食堂で待ち合わせしないか? 冒険の話もぜひ聞きたいし」


「おっしゃ! それでいいぜ。今日の晩飯確保できたから、心おきなく賭けられる!」


 握り拳を作って喜ぶロウジを、ミナムは生温かい目で見つめる。


 冒険だけならそこまでお金に困らないのに、いつも金欠を口にするのは賭け事のせいだ。出会ってからずっと痛い目を見続けているのに懲りないのだから、内心呆れてしまう。


 まあ万年金欠のほうが足元を見て材料を安く叩くこともできるし、無理を頼むこともできる。

 自分にとって賭け事好きのほうが都合はいい。


 ミナムは一切引き止めず、ニコリと笑って「頑張れよ」とロウジの背中を押した。


 内心、仲間の手がかりが聞けるかもしれないと、わずかな希望を胸に宿しながら――。


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