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男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す  作者: 天野 仰
三章 ヴェリシアへ
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意外な来訪者

   ◇ ◇ ◇


 翌日から作業部屋を一室借りると、ミナムは城で薬の調合に取りかかった。


 倉庫から部屋までの材料運搬や、石臼で薬に使う木の実を挽いてもらう力仕事などの雑用は、レオニードとロウジに協力してもらった。


 ミナムは愛用の薬研で黙々と薬草をすり潰し、大壺の中で煮込んでいく。

 そのまま沸々と生まれる泡をジッと見つめた。


(これで焦がさず煮込めば完成だな。次は麻酔薬に取りかからないと……)


 レオニードに倉庫から材料を運んでもらおうと思い、ミナムは周囲を見渡す。しかし、その姿は見当たらない。


 代わりに隅のほうで重い臼をゆっくり回していたロウジと目が合う。途端に彼は歯を見せてニッカリ笑った。


「どうだ、ワシもちゃんと仕事してるぞ。偉いだろう」


 胸を張って誇らしげなロウジが、人に飼い慣らされて芸を覚えた熊に見えてくる。


 姿を見ただけで息抜きになると思った途端、ミナムの胸奥から笑いがこみ上げてきた。


「偉い偉い。今度お礼に、おいしいハチミツ酒をおごるよ」


「おお! そりゃあ嬉しい。ハチミツは大好物なんだ、壺いっぱいに入ってても足りないくらいだぜ」


 ……本当にこのオジサンは人の皮を被った熊だね。

 心の中でボソッと呟いてから、ミナムは「ところで」と話を切り替える。


「レオニードは? さっきまで後ろで作業してたと思ったんだけど」


「さっきって、お前……あいつがここを出てから一刻ぐらい経ってるぞ」


 呆れ顔でロウジに言われ、ミナムは恥ずかしさを散らすように頬を指で掻く。


「そうだったんだ。どこへ行ったのか知ってる?」


「負傷兵が集められた兵営のほうにいるぜ。できた薬を持って行きがてら、ボリスっていう身内の様子を見に行くって言ってたぞ」


 昨晩レオニードの胸を借りていた時に、彼がぽつりぽつりと話していたのを思い出す。


 レオニードが住んでいる家は、本来なら兵役をこなす若い親類が集まって寝食をともにしていたらしい。


 それが戦争に駆り出され、一人は命を落とした。

 ボリスという青年は深い傷を負い、兵営で治療を受ける形となった。


 ここに戻る事ができて嬉しいが、静まり返った家に戻るのは怖かったと、彼には珍しく弱音を吐いていた。


 その思いは、ミナムには痛いほどよく分かった。

 姉と別れた後、隠れ里へ様子を見に戻ろうとしたことがある。しかし、森の木に隠れ、覗くだけで里へは入らなかった――両親は殺された。もう家へ戻っても、日常の賑わいは二度と戻らないことを直に知るのが怖かったことを思い出す。


(俺がいる事で少しでも気が楽になったのなら良いけれど……)


 小さく息をついて気持ちを切り替えると、ミナムはロウジに向かってニッコリ笑った。


「じゃあロウジ、倉庫までひとっ走りお願いするよ。乾燥させた涼薄荷とタマウチ草を一袋ずつ持ってきて欲しい」


「おう、分かったぞ。丁度ひと休みしたかったところだ。息抜きがてらに行ってくる」


 快い返事をすると、ロウジは石臼を使い続けて強張った腕をブラブラさせながら部屋を出て行った。


 ミナムは軽く手を振って見送った後、再び大壺の中の様子を確かめる。

 柄杓でゆっくり混ぜていると――。


「これは何の薬なんだ? 臭いがきついな」


 不意に横から若い男の声がした。

 初めて耳にする声。緊張が走り、ミナムは素早く彼に振り返る。


 ミナムの目前に、半開きの眠そうな目が現れる。

 薄い赤銅色の髪を真中で分け、うなじで毛先を跳ねさせている。背丈はミナムと同じくらいで、男性にしては小柄なほうだ。若い身でありながら重厚感のある藍色の服を着こなしているあたり、彼から身分のよさを感じずにはいられない。


(ヴェリシアの貴族か? 随分とゆるやかな人だな)


 彼の好奇心を隠さぬ無邪気な瞳に気を許し、ミナムは微笑を零した。


「これは解熱の薬になります。この臭いのおかげで、気つけ薬にもなりますよ」


「ハハ、使われる者には災難だな。余も風邪を引いて熱を出さぬようにせんとな」


 ひとしきり笑ってから、男はミナムの目を見つめる。

 口元は笑みを浮かべたままだが、その眼差しは真摯なものだった。


「……レオニードからそなたの事を聞いたぞ。あいつは余と身分こそ違うが、大切な友人――レオニードの命を救ってくれて、心から感謝する」


 そう言うと男は手を差し出してきた。

 一抹の後ろめたさを感じながらも、ミナムは彼と握手を交わす。


「私も薬師のはしくれですから、お力になれて何よりです。……あの、私はミナムと申しますが、貴方のお名前は?」


「すまぬ、名乗るのが遅くなってしまったな。余は――」


 手を放して男が名乗ろうとした時、部屋にレオニードが戻ってきた。

 彼を見るなり、レオニードは慌ててその場に跪いた。


「マクシム陛下、なぜこのような場所に!?」


 仰々しい様子にミナムは思わずたじろぐ。

 そして目前の男が何者なのかという事に気づき、レオニードにならって跪こうとした。


 だがマクシムが「構わぬ」と首を振ったので、ミナムは動きを静止する。


 この軽そうな人が王様?

 理解が追いつかず混乱するミナムへ、マクシムが一笑した。


「ミナムは余の大切な客人。公の場でなければ、並んで話をするぐらい構わぬだろ。レオニード、お前も立ってくれ」


「……御意」


 レオニードは戸惑いながら立ち上がると、ミナムの隣に並んだ。


 実直で堅い反応を見て、マクシムはおどけて肩をすくめる。


「お前の恩人に一目会いたくてな。近くを通りかかったから寄ってみたんだ。想像していたよりも若くて美人だな。もし女性だったら口説いていたところだ」


 ……男のフリをしていて良かったな。王様相手に断るのは面倒そうだし。

 ミナムが密かに安堵していると、マクシムは気軽にレオニードの肩を、ぽんっと叩いてきた。


「彼はお前にとっても、他の者にとっても命の恩人だ。失礼のないよう、手厚くもてなしてくれ」


「はい、心得ております」


 マクシムの親しみある態度に対して、レオニードの声は硬いままだ。

 ミナムは瞳だけを動かして隣を見やる。調子を崩されてレオニードが困ったような表情を浮かべていた。


 それを見てマクシムが、フッと表情を崩した。


「その生真面目な顔を見られるようになって、余は嬉しいぞ。まだ長旅の疲れも残ってるだろう、あまり無理をするなよ」


 満足げに頷いてから「おお、そうだ」とマクシムは話を切り替え、ミナムに視線を移した。


「レオニードから話を聞いたが、ミナムの仲間は北方の人間に襲われ、離れ離れになったそうだな」


 わずかに目を伏せ、ミナムは小さく頷く。


「はい……八年経った今も、仲間の足跡はおろか、生死も分かっていません」


「王の名と誇りにかけて、ヴェリシアの人間が襲っていないことは断言しよう。それから、バルディグの情報も手に入れ次第、ミナムに伝えることを約束する」


 レオニードの話を疑っていた訳ではないが、王から直々に言って貰えると心強い。


 ミナムは「ありがとうございます」と一礼した。

 顔を上げると、マクシムの口がさらに言葉を紡いだ。


「あと、これは提案なんだが……もしバルディグの毒とミナムの仲間が無関係だと分かった時は、仲間の行方を我らで調べようと思っている。どうだ?」


 一瞬、何を言われたのか頭に入らず、ミナムはその場に固まる。

 何度かまばたきした後。震え始めた唇を動かした。


「あの、本当によろしいのですか?」


「自分の褒美は要らないから、ミナムの力になって欲しいとレオニードに請われたんだ。余もその提案に異存はない」


 思わずミナムはレオニードへ目を見張る。

 視線が合い、彼はほんのわずかに頷いた。


 驚きが治まらないミナムへ、マクシムは口元を綻ばせる。


「もし仲間と再会できたなら、ヴェリシアへ連れて来るが良い。人数が増えて大所帯になっても構わぬ、住処や土地もこちらで用意しよう。ぜひこの地に腰を落ち着けて欲しい」


 きっと解毒の褒美だけでなく、優秀な藥師を手元に置きたいという狙いや、バルディグが新たな毒を仕掛けてきても対抗できるようにしたいという思惑もあるだろう。


 久遠の花に利用価値があるからこそ国が動いた。

 そんな狙いがあると分かっていても、嬉しくて泣きそうになった。


「……ありがとうございます、マクシム様」


 ミナムが一礼すると、マクシムが「うむ」と淀みのない返事をした。


「さて、と。もう少しゆっくり話したいところだが、長居しては作業の邪魔になるな。今日はこれで執務室に戻らせてもらうぞ。また後日に時間を作るから、話を聞かせてくれ」


 そう言うとマクシムは、手をヒラヒラと振りながら部屋を出て行った。


 バタン、と扉が閉じる音を聞いた瞬間。

 体から力が抜けて、ミナムの体がよろける。咄嗟に横からレオニードの腕が伸び、背中を支えてくれた。


 放心したまま、ミナムはレオニードを見上げる。

 ずっと仲間を探し続けて、終わりの見えない行く末に絶望すらしていたのに。まさかこんな形で光が差すとは思わなかった。


 こちらを見下ろすレオニードの瞳は相変わらず澄んだ薄氷色で、吸い込まれそうになる。


 ミナムが見つめ続けていると、彼は恥ずかしそうに目を泳がす。しかし意を決したように、こちらへ視線を合わせてきた。


「傷が癒えぬこの体をミナムに支えてもらいながら、ずっと考えていたんだ。どうすれば君に報いることができるのだろうかと……」


 言葉を区切り、レオニードが正面から見合わせてくる。

 大きな手がミナムの両肩へ乗せられる。その重みに鼓動が大きく跳ねた。


「横で見ていると、いつも君は寂しそうで、生きていること自体が辛そうだった。ミナムは大切な――恩人なのに、過去のことに縛られて苦しみながら生きるのかと思うと、いても立ってもいられなかった」


 何も言わないミナムへ、レオニードは申し訳なさそうに目を細めた。


「勝手な申し出かもしれない。だが、これでバルディグにミナムの仲間がいても、いなくても、過去のことに一区切りつけられる。だから……どうか何事にも囚われず、君の人生をもっと大切に生きて欲しい」


 一気にミナムの視界がぼやけ、頬へ一筋の涙を流す。

 慌てて手の甲で涙を拭う。けれど次から次に雫は流れ、何度も、何度も拭う。


「うわ、嫌だな……泣くなんて女々しい」


 仲間たちと離れて、ずっと一人で生きてきた。

 まだどこかで仲間が生きているかもしれない、という儚い望みだけが全てだった。


 失ったものを取り戻すことしか、頭になかった。

 だからレオニードの言葉は、目から鱗だった。

 自分だけの人生を生きてもいいのだと――。


 常にどこか闇色の薄布をかけたように、ほの暗く見えていた景色が、ミナムの目へ鮮やかに映る。

 涙はまだ流れていたが、自然と笑みが浮かんでいた。


「ありがとう。ここまで言われたら、もうレオニードから離れられなくなりそうだな。ずっとひとりでやってきて疲れたから、残りの人生はレオニードに支えてもらおう――なんて、あんまり俺を甘やかすとワガママし放題になるぞ」


 冗談めかしてミナムが言うと、虚を突かれたようにレオニードの目が丸くなる。


 真面目な彼にはきわどい内容だったかと、ミナムは「冗談だよ」と首を傾げて見せた。


 作業を再開させようと、ミナムはレオニードへ背を向ける。

 後ろから、「そうか、冗談なのか」という呟きが聞こえてきた。


 どこか残念そうな響きを伴っていた気はしたが、自分の思い過ごしだろうとミナムは気に留めなかった。

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