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男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す  作者: 天野 仰
三章 ヴェリシアへ
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もう元には戻らない

   ◇ ◇ ◇


 夕食を終えて一息ついてから、ミナムはレオニードと連れ立って外へ出る。寒さはより一層強くなっており、鼻から息を吸う度に肺が凍えていく。


 ゾーヤの家から向かって左隣の家まで行くと、レオニードが「ここだ」と扉を開けてくれた。


 寒さから逃げるように、ミナムは素早く中へと入っていく。すでに暖炉へ火を灯しただけあって、ほのかな温もりが出迎えてくれる。


 レオニードも中へ入って扉を閉めると、ミナムの隣に並んだ。


「ミナム……疲れているところ悪いが、寝る前に話があるんだ。こっちへ来てくれ」


 空腹が満たされて眠気はあったが、まだ耐えられる程度。ミナムがコクリと頷いたのを見て、レオニードは奥の部屋へ行くよう目配せした。


 中へ進んでいくと、赤々とした火が踊る暖炉の前に木製の長椅子が置かれていた。


 ミナムが暖炉と向い合って座ると、少し間を空けてレオニードが隣へ座る。

 しばし二人は言葉を交わさず、暖炉の火を見つめた。パチ、パチ、という薪の燃える音が、ミナムの耳に心地よかった。


「話って、急に改まってどうしたの?」


 おもむろにミナムが尋ねると、レオニードは軽く息をついてから口を開いた。


「実はマクシム陛下に報告した際、ミナムにバルディグの情報を教える約束をした事をお伝えしてきた。それは構わないと言って頂けたが……」


 言い渋るレオニードへ、ミナムはわずかに顔を向ける。苦しげに目を細めてうつむく彼の横顔に、少しだけ胸が詰まった。


 次にどんな言葉が続くのだろうかと、ミナムは不安を胸に押し込みながら答えを待つ。


「バルディグにいる密偵からの話では、毒の作り手はまだ分かっていないそうだ。君は一刻も早く知りたいと焦っていると思うが、すまない。しばらく情報は待って欲しい」


 どうやらこちらの願いに応えられなくて悪いと思っているらしい。

 それだけ真剣に考えてくれているのかと、ミナムは薄く微笑んだ。


「八年間ずっと探し続けて何も分からなかったんだ。教えてもらえるまで、ここで待たせてもらうよ」


 嫌味の一つでも言われると思っていたのか、レオニードの表情がフッと和らいだ。


「ありがとう、情報が掴めたら必ず伝える事を約束する。もし他に望みがあれば言って欲しい。今度は俺が君の力になりたい」


「うん、思いついたら遠慮なく言わせてもらうよ……そうだ、待っている間にお城の藥師さんたちを手伝っても良いかな? 人手がひとり増えるだけじゃあ、あの忙しさを軽くすることはできないけれど、いないよりはマシだと思う」


 一度目を大きく見開いた後、レオニードは体をこちらへ向けた。


「街の藥師にも手伝ってもらっているが、薬も負傷兵の治療も追いついていないんだ。そう言ってくれると本当に助かる……ミナムには迷惑かけてばかりだな」


 申し訳なさそうに眉根を寄せたレオニードへ、ミナムは小首を振った。


「ヴェリシアを苦しめているのは、俺の仲間かもしれないんだ。久遠の花も守り葉も、誰かを助けるための力。自分や仲間の身を守り、人を救うこと以外に力を使うなと……力を悪用して人を傷つけるなと教えられてきたのに――だから俺が手伝うのは、罪滅ぼしみたいなものだよ」


 ミナムは静かに睫毛を伏せる

 レオニードから事情を説明された時から、ずっと引っかかっていたことだ。


 ザガットの町を発つ前は、噂話でもいいから仲間の行方を知りたい気持ちが強かった。けれどヴェリシアの王城へ近づくにつれて、後ろめたさが膨れ上がった。


 もしバルディグに仲間がいるなら、ヴェリシアの犠牲があってこその再会になる。


 仲間には会いたい。

 でもバルディグにいて欲しくない。


 ゆっくりとミナムの顔がうつむいていく。

 前からレオニードの動く気配がした。


「ミナム」


 低く密やかな声で名を呼ぶと、レオニードがミナムの肩に腕を回し、抱き寄せた。


 思いがけないことに、一瞬ミナムの頭の中が白くなる。

 額がレオニードの胸に当たり、彼の熱と気配に包まれる。不意打ちの優しい抱擁に、ミナムの息が止まった。


「バルディグの毒は、ミナムが作った訳じゃない。だから君が思い悩む必要はないんだ」


 思わずミナムの目に涙がにじむ。


 このまますべてを話す事ができたら、どれだけ楽になるんだろう。

 自分が女だという事も、久遠の花と守り葉の秘密も――。


 でも口にした途端に、一人で生きていけなくなりそうな気がする。

 誰かに寄りかかったら、そこから離れたくなくなってしまう。


 責任感が強い彼のことだ。言えば気にするだろうし、どうにかしようと無理をするのは目に見えている。


 ただ自分が甘えたいだけに、レオニードの心に重荷を背負わせる真似はしたくない。


 ミナムは呼吸を整え、こぼれ落ちそうになっていた涙を指で拭う。

 

「ありがとう。そう言ってもらえると、少し気が楽になるよ」


 もう大丈夫だと、顔を上げて彼に伝えよう。

 そう思ってミナムは動こうとするが、体は動こうとしない。


 離れた直後に訪れる、温もりを失う瞬間が怖い。

 ようやく治まった心の揺れが、また酷くなりそうな気がした。


「……ごめん、もう少しこのままでいさせてくれるかな?」


 小さくかすれた声で、レオニードが「ああ」と了承してくれる。

 ほんのわずかに肩へ回された腕へ、力が加わった。


「あまり一人で抱え込んで、自分を追い詰めないでくれ。俺では頼りないかもしれないが、ミナムが少しでも幸せになれるよう力になりたい」


 純粋に心配しているのだと分かっていても、ミナムの耳には甘い響きを伴って聞こえる。


 鼓動が早まり、胸が痛くなる。

 自分を受け止めてくれるかもしれない、という期待に心が浮かれそうになる。

 同時に、自分の幸せを考えるだけで、暗く重たい罪悪感が全身を駆け巡る。


 相反するものが、己の中でぶつかって火花を散らす。

 その度に今まで作り上げてきた自分が崩れていく。


 無言でミナムは頷きながら、少しずつ己が変わっていくのを感じ取っていた。


 まるで水に浮かべ続けた紙のように、ほろほろと溶けていく。

 もう元には戻らない。


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