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男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す  作者: 天野 仰
三章 ヴェリシアへ
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ゾーヤ叔母さんの家へ

    ◇ ◇ ◇


 城を出た時、もう空は暗くなり始め、山際にかろうじて夕日の赤みが残っているぐらいだった。


 ささやかな日差しの恩恵も消え、城下町には肌を斬りつけるような寒さが流れている。一歩外へ踏み出すだけでも心がめげそうな寒さへ抗うように、人々は家の中を明るく灯す。


 レオニードを先頭にして、三人は黙々と石畳の通りを歩き続ける。

 時折ぶるりとミナムの体が震える。今は一刻も早く家に入って、寒さから逃れたい気分でいっぱいだった。


 間もなく屋根が急勾配の民家が並んだ通りに差しかかると、レオニードはその中程で立ち止まった。


「ここに用事がある。すまないが一緒に来てくれ」

 

 ミナムとロウジが頷くのを見て、レオニードは白壁の民家の扉を叩く。

 中から「はーい」という少ししゃがれた女性の声がすると、すぐに扉が開いた。


 現れたのはふくよかで背の低い中年女性だった。

 レオニードを見るなり丸い目をさらに丸くしたかと思うと、満面の笑みを浮かべた。


「お帰りなさい! ああ良かったわ、生きて戻ってくれて……」


 そう言うとうっすらと滲んだ涙を拭ってレオニードの肩を叩いた。


「さあ、外は寒くてしんどかったでしょ? レオニードも後ろのお二人も、早く上がってちょうだい」


「お言葉に甘えさせて頂きます」


 レオニードは堅苦しく答えると、先にミナムとロウジを家に通してから中に入って扉を閉めた。


 真正面には暖炉の火が燃え、室内を柔らかな光で温めている。食事時だったのか、奥の台所にある鍋やポットからは湯気が立ち上り、酸味と香草が混じった匂いがした。


 食卓へ座るよう女性に促され、三人はおもむろに座る。

 女性はポットに茶葉を入れるとティーカップに注ぎ、三人に振る舞ってから椅子に腰かけた。


「レオニードが旅立ってから、ずーっと心配しっぱなしだったんだよ。これ以上アタシの身内を傷つけないでくれって、どれだけ神様に頼んだことか」


 一息で言い切ってから、女性はミナムとロウジを交互に見た。瞳が妙に輝き、興味深々といった様子を隠していない。


 レオニードは「心配かけました」と相槌を打つと、ミナムとロウジに目を向けた。


「彼女はゾーヤ。俺の叔母にあたる人だ」


 紹介されてゾーヤは「よろしくねえ」と、人懐っこく笑いかけてくる。

 ミナムが軽く会釈をして口を開こうとした時、レオニードが先にゾーヤへ話しかけた。


「叔母さん、彼はミナムとロウジ……命の恩人です」


「命のって……旅の途中で何があったんだい?」


 ころりとゾーヤの顔色が変わる。それとは対照的に、レオニードは「実は」と淡々とした口調で事情を説明していく。


 最後まで話を聞き終えた後、ゾーヤは長息を吐きながら両手を組んだ。


「そうだったのかい。本当によく生きて戻ってくれたよ……ミナムさん、ロウジさん、ありがとうねえ」


 ゾーヤが顔を上げてミナムを見る。

 紅潮した頬に、熱く潤んだ眼差し。心から喜んでいるのだと伝わってくる。その純真な気持ちに、ミナムの胸が少し絞めつけられた。


 レオニードを助けたのは、仲間の情報が聞けるかも知れないと思ったから。自分の都合で助けたのであって、感謝されるようなものじゃない。


 彼の命が助かって、元気に動けるようになってホッとしたけれど。

 

 どう言えばいいか迷ったが、ミナムは取り敢えず「お力になれて良かったです」と答えておく。こちらの思いに気づいた様子もなく、ゾーヤは何度も「本当にありがとうねえ」と口にしていた。


 一口お茶をすすってから、おもむろにレオニードが立ち上がった。


「預けていた家のカギをもらえますか? よく眠れるよう、今の内に温めておきたいので」


「春が近づいたとはいえ、まだ寒いからねえ。ちょっとお待ち」


 ゾーヤはスカートのポケットをまさぐると、小さな銀色のカギを取り出し、テーブルの上に置いた。


 慌ただしくカギを手にすると、レオニードは「失礼します」と足早に外へ出て行った。


 扉が閉まるのを見届けた後、ゾーヤはフフフと笑い声を漏らした。


「あの子は相変わらず堅いんだから。身内なんだしさ、あんなにかしこまらなくても良いのにねえ」


「外でも真面目でお堅いヤツなのに、家でもあの調子なのか。ワシだったら生きてるのが嫌になっちまうぞ」


 ロウジの言葉にゾーヤが小刻みに頷いた。


「小さい頃からずっとああなんだよ。律儀というか、生真面目というか。そこがあの子の良いところではあるんだけどね。……ところで晩のご飯はまだ食べてないのかしら?」


 尋ねられてミナムが頷くと、同時にロウジのお腹が盛大に鳴り響く。

 ゾーヤが「まあまあ」と笑みを浮かべると、立ち上がって台所へ向かった。


「食堂の料理も良いけれど、ヴェリシアの家庭料理も美味しいわよ。今すぐ作るから、お二人はゆっくりしててね」


 そう言うとゾーヤは鼻歌交じりで包丁を持ち、隅にあったカゴから芋などを取り出した。


 いいな、こういう光景。

 ふとそんな事を思い、ミナムは目を細める。


 仲間と離れてからというもの、自炊したり、食堂で料理人の作った物を食べる事はあっても、家庭の料理をふるまわれる機会はなかった。


 もうハッキリとは思い出せない母の後ろ姿がゾーヤと重なり、わずかにミナムの胸へ鈍い痛み広がった。


 気を紛らわせようと、ミナムはロウジに話しかけようとする。

 ――彼の目は城を出る前よりも輝きを増し、口からよだれが溢れそうになっていた。


 見た瞬間、感傷の湖に沈みかけていたミナムの心がグイッと引き上げられた。


「ろ、ロウジ、なんて顔してるんだよ。だらしないじゃないか」


「仕方ないだろ。現地の家庭料理なんざ、なかなか食べる機会がないんだ。いやーもう楽しみで楽しみで、気分も上々ってもんよ」


 食い意地が張ってるのは知ってたけど、ここまで食べ物への執着心が強いとは思わなかった。


 よだれを拭うロウジを、ミナムは生温かな目で見つめる。


「人生楽しそうでいいね、ロウジは」


「せっかく生きてんだから楽しまなきゃ損だろ。ずっと苦しい物を抱えて生きるのが正しい訳じゃねぇ。たった一度の人生なんだ、ミナムも楽しめよ」


 そう考える事ができたら、どれだけ生きる事が楽になるのだろう。

 でも幼い頃の記憶が――仲間や両親、姉との思い出が、楽になる事を許してくれない。


 心の内を話してもロウジを困らせるだけだと思い、ミナムは微笑を浮かべて「努力するよ」と聞き流した。


 肉の塩漬けや芋などの野菜類を煮込んだ料理が食卓に並ぶ頃、レオニードが戻ってきた。心なしか腑に落ちないような表情をゾーヤに向ける。


「ゾーヤ叔母さん、ボリスのベッドが無くなっていたのですが、ご存知ありませんか?」


 ゾーヤはハッとなり、「あっ、ごめんなさい!」と口元に手を当てた。


「あの子、今は城で治療中でしょ? だからこの間、息子の友人がしばらく滞在した時にベッドをこっちへ運んだのよ」


「そうでしたか。困ったな……家に一人しか泊まれない」


 唸り出したレオニードへゾーヤは近づくと、彼の胸を軽く小突いた。


「水くさいわねえ。一人はアタシの所へ泊めれば良いじゃない。レオニードの恩人だもの、大歓迎だよ」


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて――」


 レオニードが頭を下げた直後、


「じゃあワシは是非こっちで泊まりたい」


 とロウジが即座に名乗りを上げる。


 わずかにレオニードがたじろいだ。


「いや……家にあるベッドの方が、ここよりも大きい。だから、叔母さんの家にはミナムが泊まった方が良いと思う」


「別に小さくても構わねぇよ。男ばかり集まるより、きれいなお姉さんがいてくれる方が心は潤うってもんだ」


 きれいと言われてゾーヤがまんざらでもない顔をする。そして上機嫌に「分かったわ」と頷いた。


 瞬く間に話がまとまってしまってから、ふとミナムは思う。


(レオニードと二人っきりか。久しぶりだな)


 ザガットの宿屋で頭を撫でられた事が脳裏によぎる。

 どくん、と鼓動が跳ねた。


(思い出すと恥ずかしいな。姉さんと間違えて抱きついた挙句に、慰められるなんて)


 仲間とはぐれる悪夢を見て、目を覚ませば仲間がいない現実を突き付けられ――ずっと一人でそれに耐え続けてきた。


 だから、夢と現実の境目で人の温もりを感じた時、不覚にも女々しい事を考えてしまった。


 もうこの温もりから離れたくない。

 ずっと包み込まれていたい。

 常に寂しさと寒さがつきまとう現実なんかに戻りたくない。


 これが自分の本心。

 なんて弱い人間なんだと呆れてしまう。


 自己嫌悪に襲われながら、ミナムは顔色を変えずにレオニードへ視線を合わせた。


「よろしく、レオニード。お世話になるよ」


「あ、ああ……」


 レオニードは食卓の席に座ろうとしながら返事をする。

 一瞬、視線を逸らされたように感じたが、考えすぎかと思って気にしなかった。

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