ヴェリシアへ
ヴェリシア西端に位置するベスーニュの街を発ち、一行は王城のある東に向け、貸し馬車を走らせた。
春の陽気が届いていた海側とは違い、内陸へと進む度に寒さが色濃くなっていく。
半日も移動すれば雪がちらつき、街道の脇には残雪も見え始める。
遠くの山々では吹雪いているのか、灰色のもやがかかり、鉛色の空と今にも溶け合いそうになっていた。
すきま風さえも通さぬ頑丈な馬車の中。ミナムは街で買った茶色の外套で身をくるみ、窓の外を眺める。
「寒いな……このままだと中で凍り付いちゃいそうだよ」
ミナムが自分の手に温かい息を吐きかけていると、向かい側に座っていたロウジが頷いた。黒茶の毛皮で体を包んでいるために、熊そのものになっている。
「旅で来る分には寒いのも悪かないんだがな、住処にはしたくねぇな。先住民はともかく、ここへ好んで移住するヤツがいたらよっぽどの変わり者だな」
ガハハ、とロウジは大口を開けて笑ってから、「そういえば」と言葉を返す。
「ミナム、調子がよさそうだな。ずーっと馬車に揺られて慣れちまったか?」
「ベスーニュへ行く時のような山道じゃないから、ずいぶんと楽だよ。酔い止めも効いてるみたいだし」
ザガットからベスーニュへ向かう際は、あまりに酔いがひどくてたまらなかったことを思い出し、ミナムは遠い目をする。
あれをまた味わうのは耐えられなくて、昨日の内に酔い止めの改良をしてみた。配合を変え、苦みは増したが効果は上がった気がする。自分が服用するなら苦くても構わない。
そんなことを思っていると、窓の外が吹雪き始めたことに気づく。
ミナムは身を捻って振り向き、御者に声をかけるための小窓を開ける。
凍て付いた風が車内へ入り込む。身を震わせ、顔をしかめながら、ミナムは腹部に力を入れて話しかけた。
「レオニード、ちょっと中に入って休まないか?」
馬車を引く馬を操っていたのはレオニードだった。
いくら地元の人間といっても、まだ体が癒えていない負傷人。この寒さでは確実に体力を奪われてしまう。負担をかけ過ぎてしまうのは感心できない。
しかしレオニードは馬の走りを止めなかった。
「休むぐらいなら少しでも先へ進みたい。仲間を早く助けたいんだ」
焦る気持ちは分かる。自分も同じ立場なら無理を押してでも先へ進もうとするだろう。だからこそミナムは強くレオニードを引き止めることができなかった。
できれば交代で馬の手綱を握りたいところだが、土地感のないミナムとロウジでは、迷走するのは目に見えていた。
「ヴェリシアの城に着いて、ばったり倒れて死んじゃった……なんて嫌だからね。俺は」
一言釘を刺しておいて、ミナムは小窓を閉めて座り直す。
ロウジが身を震わせてから、歯を見せて笑った。
「レオニードのヤツ、一日中外にいてよく凍りつかねぇな。ま、何かあったらワシがアイツを温めてやるからな」
「頼りにしてるよ。獣のほうが体温高そうだ……コホン」
「んん? 何か言ったか?」
「独り言だよ、気にしないで。あ、そうだロウジ。目的の珍味を食べに行くなら、どの町で俺たちと別れるの? 道中気をつけてよ」
向かう場所が同じだったから一緒に旅をしてきた。しかし、これから先の目的は全く違う。
それにベスーニュでも襲われたのだ。これから先、何が起きるか分からない。全く関係のないロウジを、これ以上付き合わせる訳にはいかなかった。
お互い、また無事に会えればいいけれど……。
ミナムが内心しんみりしていると、急にロウジが頭を軽く小突いてきた。
「可愛い弟分をこのまま放っておけるか。ミナムの用事が済むまで護衛してやる」
「いつの間に弟分にされたんだよ。むしろ俺と歳が離れているから、遠縁のオジサンみたいなもんじゃない?」
「オジサン言うな。まだ三十四だぞ」
実際の年齢というより、外見がオジサンじゃないか。
そう言いそうになるのを抑え、ミナムはわずかにはにかんだ。
「……ありがとう。心強いよ」
「そうだろうとも。お前さんはもう少し、人に甘えたほうがいいぞ。人間、一人で生きている訳じゃないんだからな」
くだけたことしか言わない口が、珍しく真面目なことを言っている。
ロウジの言葉が耳に痛い。
笑みを浮かべて「分かっているよ」と答えながら、ミナムは背もたれに寄りかかり、外を流れる雪を見つめた。