襲撃
◇ ◇ ◇
夕食を終える頃には窓の外が暗くなり、民家や店から零れる灯りがほのかに夜を迎えようと照らし始める。
まだ戻らぬロウジを待たずに二人で食事を済ませてから部屋へ戻ると、ミナムは床に薬研を置いて手持ちの薬草を粉にし、これから必要になりそうな薬を調合した。レオニードは剣を鞘から出して、丹念に手入れをし始める。
その最中、廊下からダン……ダン……とゆっくり重たい足音が近づいてきた。
部屋の前で足音が消えると、扉が申し訳なさそうに開く。
現れたのはしょんぼりと肩を落とし、見るだけで憐れみたくなってしまうような湿っぽい顔をしたロウジだった。
「お帰り、ロウジ。賭場はどうだった? 少しは勝てたのか?」」
明らかに負けの空気を背負っていると気づきながら、ミナムは敢えてそう尋ねる。
うっ……とロウジは息を詰まらせると、唇を尖らせながら目を逸らした。
「……初めだけ。今日は良い流れが来てるぞ、と思って大勝負に出たら……」
「返り討ちにあっちゃった? 勝ってる時にやめればいいものを……賭け事は引き際が肝心だよ。それができないなら手を出さないほうがいいと思うんだけど」
呆れを隠さないミナムの言葉に、レオニードが大きく頷く。
「俺に生き様を見ろと言っていたが、やはり手堅く生きたほうがいいとしか思えない」
「レ、レオニードまで……うう、次こそは絶対に当ててやるからな……っ」
……どうしよう。懲りてないよ。この熊おじさん。
グッと硬く拳を握るロウジに苦笑しながら、ミナムは「まあ頑張りなよ」と棒読みであしらう。その様子にロウジがますます不本意そうに頬を膨らませた。
「心がこもってねーよ、心が。せっかくいい情報を仕入れてきてやったのに」
「いい情報?」
気になったので素直に尋ねると、ロウジは得意げに声を弾ませた。
「賭場にな、最近儲けている宝石商がいたんだ。で、どうしてそんなに儲かってるのか聞いたら、バルディグから大量にインプ石を注文されて儲かっているんだとよ」
ミナムは笑みを消して口元に手を当てると、頭の中でインプ石を合わせて毒を想像してみる。
この石自体は痛み止めの薬の材料として重宝されるが、実はどれだけ効きの遅い毒でも即効で効くようになるという変化をもたらす材料でもある。
一般には知られていない裏の使い道。
これを毒に使えることを知っている人間は、かなり薬師の知識に精通している。
確定ではない。しかし仲間がバルディグにいる可能性は高くなった。
ミナムは口から手を外し、ロウジに微笑を送る。
「ありがとう。すごく参考になる」
「だろ? そんじゃあ情報料をくれ。あと手間賃。明日の移動用に馬車を借りられるよう手配したんだからな」
ロウジがミナムにゴツい手を差し出し「さあさあ」と金をせびってくる。
賭場で負けてどうにか旅の資金を作りたいのだろう。気持ちは分かるが渡す気にはなれない。
ミナムはロウジの手を叩き、小気味よい音だけ鳴らした。
「どうせ手元にお金があっても、また賭場で大損するだけじゃないか。ここを離れるまでお金は渡さないよ。出立したらは馬車を借りた金額分は返すから」
「ここで引いたら丸損確定じゃねーか。城へ向かうまでに、もう一勝負!」
熱く訴えるロウジだったが、ぐうぅぅ、と情けない腹の音が鳴り、その場へ座りこんだ。
「夕食代もつぎこんだの? 呆れたな」
放っておいてもよかったが、寝ている最中も腹が鳴っていたら、こっちが寝付けない。
ミナムは「やれやれ」と息をつきながら腰を上げた。
「情報料に夕食おごるよ。ちょっと食堂へ行って聞いてくる」
「金くれよ、金。ワシの飢えは金じゃないと収まらねぇんだよう」
泣き真似するロウジを見やり、ミナムは吹き出しながら扉を開けようとした。
かすかに廊下から妙な気配を感じる。
ドアノブから手を離し、ミナムは一歩後ずさる。
「……? ミナム、どうかしたのか?」
レオニードに声をかけられ、ミナムは振り返って微笑んだ。
「なんか小腹が空いたから、俺も何か頼もうと思って……レオニードの分も何か頼んでくるよ」
「気持ちは嬉しいが、俺は――」」
「俺とロウジだけで食べるっていうのは気が引けるからさ、ちょっと付き合ってよ。三人分だから、作ってもらうのに時間がかかると思うけど、心配せずに待ってて」
有無を言わせずに自分の都合を押し付けてから、ミナムは部屋を出た。
扉を閉じると、即座に腰のポーチから深緑の紙を巻いた玉を取り出す。
豊かに実った葡萄の粒ほどの玉。
息を殺して辺りの気配をうかがった後、それを廊下の曲がり角へと投げ付ける。
バシッ、と床に玉が弾けた瞬間――真白の煙がもわもわと浮かび上がり、一帯へと広がっていく。
痺れの毒を含ませた煙玉。間もなくして、曲がり角の向こう側から小さく咳き込む音や、いくつかの唸り声が聞こえてくる。
足音と気配を忍ばせながら近づいてみれば、黒い外套を身にまとい、頭には黒い布を巻いて顔を隠した男たちが五人ほど倒れていた。
悶絶する彼らを見下ろしながら、ミナムは小さく息をつく。
「やっぱり追手か……悪いけど諦めてくれるかな? せっかく助けた人をまた危ない目に合わせるのは面白くないし、俺も死にたくないから」
記憶を曖昧にする薬を振りかけておこうと、ミナムが腰のポーチを弄っていたその時、
「美人さんのワガママは聞いてやりたいところだが、そういうワケにもいかねぇな!」
聞き覚えのある声がすると同時に、倒れていた男たちの中から一人だけ飛び起き、ミナムへ迫る。
馬鹿な、なぜ動ける?!
咄嗟に短剣を抜いて応じれば、ガキィッ、と刃がかち合う。
足に力を込め、押し負かされないようにと堪えるが――ミナムの力をすべて短剣に乗せても男の力には敵わず、弾き返すことは敵わない。
押し切ろうとすればできるはずなのに、男は力を適度に加えたまま膠着を続ける。
首を伸ばし、顔を隠した頭部をミナムに寄せてくる。
わずかに男の口が除く。
どこか楽しんでいるような、軽い笑み。
声と合わさり、ミナムの脳裏へ昼間の記憶を呼び起こさせた。
「……昼間はどうも」
苦笑しながら言ってみれば、男の口端がますます引き上がった。